#28 天は遥かに遠く
空を奔る無数の火線は鋭さを極め、天空を切り裂かんばかりのものに見えた。膨大な数に及ぶそれらは、悉く“僕”の頭上に堕ちて来る。それでも――――
――無駄だよ。それでは足りない、僕を消し去るには全然足りないんだよ。
意識を凝らし、空を見渡す。視える、聴こえる、感じ取れる……
火線は大気を震わせ、轟々たる響きを伝え、僕に送り届ける。その有り様を具に捉え、位置と速度を精密に認識した。そして己の身の底に力の迸りを生み出す。感じるよ、禍々しさを極める核の炎が僕の内より湧き出すのを。
――さあ、歓待しようではないか。これが僕のおもてなしさ。
刹那の間も置かず、核の炎は放射の刃を撃ち放った。数多ある火線はたちどころに撃ち払われる。跡に残るは炎の華、空というキャンパスに刻まれた紅き輝きの絵画。何度も、何度も……それは繰り返された。いったいどれ程続いているのだろうか、客観的には然程長くはないのは分かる。タイムレコードは5分ほどと刻まれている。それでも酷熱の驟雨続く刻は時の流れを長く感じさせるらしい。
――それと……僕自身が“加速”しているのも関係しているのだろうね。
無理からぬ、と思う。“機構”と永続的に連結している僕にとって時の流れは人々のそれとは異なっている。僕にとって時は……世界は……果てしなく永く、遠い……
――まだやるのかい?
新たな火線群が迫るのを認識した。僕は再び同じことを繰り返す。ところが――――
“それ”は今までの火線とは趣を違えていた。撃ち払った中に雷の如き閃光と轟音を放つものがあったのだ。それは僕の“目”を眩ませ、“耳”を聾した。
――ハハッ、電磁の嵐か! となると、いよいよ来るな!
僕は上空に“目”を向ける。もちろん掻き乱された電子の眼には何も映らない。だが僕の“真眼”は“それ”を捉えることができた、空の向こうの虚空との境に在る“それ”を。
――ようやくか、ようやく来るんだね……
胸中を去来する想いは何なのだろう。憎悪? 愛情? いや、そんなものはとうに消えている。ただ、懐かしさが満ちてくるのは感じられた。
――そして、結末への悦び……うん、待ちわびていたよ……
ああっ、それに!
――この“響き”は……! “彼”にも匹敵する? そうか、“君”は“同志”を見つけたんだね。“彼”の後継者と成り得る同志を――――
では待とうか。ただ気をつけてくれ。“彼ら”は君らを容易には通さないだろうから、難儀するのは確実だよ。それでも、切り抜けて辿り着けるのか――――
〈EMP弾、炸裂!〉
管制AIの報告、同時に網膜上情報表示ウィンドウは真っ白になった。
『何だ、くそっ! EMPは電波帯を擾乱させるものだろ? 可視光映像までホワイトアウトしちまったぞ?』
モランの言葉は呻き声を伴っていた。かなりのストレスを感じたのがバイタルサインに現れている。ハサンが応えた。
『雷光のような閃光も発生させている。他の幾つかのミサイルが同時に擾乱拡散剤を散布しているので、そいつらが発光現象を強化させているらしい』
擾乱拡散剤はEMP現象を一定時間持続させるためのもの。これは再処理工場の上空監視システムの機能を暫く使えなくさせる。
『よしっ、行くぞ!』
ベルジェンニコフの号令と共に、ガコンという音と振動が伝わった。装甲服を固定させるロックアームが外されたのだ。強化装甲兵たちは速やかに動き出す。するとヴィィィー、という警報音と空気が漏れる音が聞こえてきた。機内貨物室の気圧が急速に下がるのが観測された。
『これよりHALO(高高度降下低高度開傘)を開始する! 目標は直下約3万m、六ヶ所再処理工場!』
ベルジェンニコフが手を振ると、第1分隊隊員らが整列した。素早く無駄のない動きは滑らかで精密機械のようだ。その彼らの向けて鋭い光が差し込んで来た。見ると輸送機の後部ドロップゲートが開きつつあるのが分かった。
『何だこの光? 朝日ってわけじゃないだろ?』
おおっ――と、微かだが、どよめきが分隊員の間で沸き起こった。
『彗星だよ!』
レイラーの声、それは感嘆の響きを伴っていた。開かれたドロップゲートの向こうに長く尾を伸ばした彗星の姿が見えたのだ。
『〈ニューオーシャン彗星〉、150年ほど前に発見された長周期彗星。そうか、ちようど現在が最接近の時だったのか』
ベルジェンニコフが説明している。彼女の網膜上情報表示ウィンドウには彗星の詳細が表されていた、検索したのだろう。
『1世紀半の時を隔てて再び地球にやって来たってわけね。正確には地球の近く……』
レイラーの言葉はどこか嚙み締めるかのようだった。
『あの彗星にはどう見えてるのかな……』
レイラーはそのまま言葉を切ったので、何が言いたかったのかが分からない。モランが問いかける。
『どういう意味だ?』
『だってさ、昔も結構戦争まみれだったでしょ? 150年前もテロとか戦争とか、目白押しだったじゃん。進歩ない奴らめ、なんて思ってるかもね』
『へっ、ただのほうき星にそんな考えなんてあるかよ!』
そうかな――レイラーは寂しそうに言う。
『ああ……いっそあの彗星に飛び移りたいよ。手が届きそうじゃないか』
彗星はほんの傍ら、間近に在るように見え、その気になれば簡単に飛び移れそうに見える。もちろんそれは錯覚で、実際は何十万キロも離れた彼方にある。網膜上情報表示ウィンドウには距離も出ている。
『ここはもう宇宙の入口のようなもの。このまま飛び上がって行ってしまいたいね……』
そこには強い感情が覗われた。レイラーは本気で宇宙へ、彗星へ飛んでいきたいと思っているのかもしれない。
『残念だがそれは望めないな。俺たちには地の底が似合いだ。奥底の更に底で、血で血を洗い続けるしかないのさ』
全くさ、嫌なことをはっきりと言ってくれるよ――レイラーは力なく応えるだけだった。
その時、再び警報音が鳴った。大気圧がかなり低下しているので音響はあまり響かないが、彼らの強化外骨格装甲服は信号を受信して着用者に伝えていた。
『各自、〈ウェーブライダー〉接続!』
整列する分隊員の左右床面からサーフボードのようなものが幾つも迫り出してきた、人数分――11個ある。隊員らは素早くそれらに乗るや、両手足の先をボード前後の突起面に接続固定させた。
『〈ウェーブライダー〉、接続完了。信号伝達正常、装甲服との間で思考制御接続機構確立』
隊員個々の報告が滞りなくベルジェンニコフに入って来た。彼女は仰向き、遠い目をした。
『第2分隊・マグレブ一曹、第3分隊・流一曹、そちらの態勢もよいか?』
ザザッ……雑音が流れた後、了――との応答が彼女の通信機に入って来た。通信事情は悪いと見える。第2と第3分隊を乗せた輸送機は現在青森要塞上空の成層圏を飛行している。青森要塞にもEMP弾が撃ち込まれているが、その影響と思われる。成層圏にあるとはいえ、遠く離れた六ヶ所村上空まで通信電波を飛ばすとなると影響が出るらしい。
『ウム、以後は暫く通信途絶となる。いいな?』
再び、了――との応答。受けたベルジェンニコフは目を閉じて呼吸を整えた。暫し沈黙が流れるが、それは直ぐに破られた。
『よしっ! いいか、みんな!』
ウェーブライダーのシステムを本格起動、各種信号が分隊員全ての思考に直接伝わる。ベルジェンニコフの言葉は続く。
『これより我々が目指すのはどうしようもない地獄だ! そもそも現在の世界など大半がそんなものだ! だが、それでも――!』
一度切り、一呼吸。そして再び続ける。
『抜けられない地獄などありはしないっ! 縛られ続ける謂われなどありはしないっ! 切り抜けてみせろ! 打ち払ってみせろ!』
何を言っている? 皆はベルジェンニコフの叫びに妙なものを感じていた。だがそんな疑念など構うこともなく彼女は言葉を終える。
『生き延びろ、若者たちよ! 生き延びれば、いつかは途が開かれる!』
ヴィィィー! 信号は青、射出準備完了との報告が管制AIより入る。ベルジェンニコフは頷く。
『第1分隊、降下作戦に入る!』
彼女のウェーブライダーが浮遊した。床面との間で蒼白い火花のようなものが走る。
〈磁気浮上ライン形成完了。これより加速過程に入ります〉
これは装甲服の支援AIからの報告。システム管理権限が輸送機の管制AIから移されたのだ。ベルジェンニコフは承認サインを送る。
〈ウェーブライダー、射出!〉
それは一瞬、弾け飛ぶようなものだった。彼女を乗せたサーフボードのようなもの――ウェーブライダーは瞬く間にドロップゲートを抜け、成層圏の大空へと飛び出して行った。そして後に続く分隊員たち、まるで弾丸のように勢いよく宙へと飛び出していくのだった。
目に入るのは、めくるめく高空の世界。彼方の水平線はカーブを描いていて、地球が丸いことを実感させる。遥か頭上は暗黒の虚空、瞬きの少ない星々が顔を覗かせている。対して見下ろす大地は厚い雲に覆われ姿を現さない。それでも、その先にあるものを分隊員らは理解していた。彼らを乗せたウェーブライダー――滑空機能のある高高度降下装備――は滑るように宙を舞い始めていく。
『くくっ、スカイサーフィンってわけだな。ゾクゾクするねぇ』
モランの言いようは本当に嬉しそうなものだった。
『嫌だよ、そーゆうの』
対するレイラーは沈んでいた。彼女は装甲服の後部カメラからの映像を網膜上情報表示ウィンドウにメイン表示させる。そこにはあの彗星が映っていた。何も言わずただ見つめるだけだったが、ただその目には渇望の色が満ちていた。
さぁ、始まる。否応もなく始まる。血肉を喰らい、骨までも砕き散らす獣ども戦いが。そこに向かうしかないのだ。天上の光輝は遥かに遠く、手が届くものではない。彼ら鋼の獣どもの行きつく果ては、地の底の棺しかありはしない――――
レイラーの目には涙が溢れていた。




