88.人間?
あらすじ
魔狼や魔鹿といった戦力はまだいてくれているが、ダンジョンとしての戦力をこの機に増強しておくべきだ。
そうは思いつつも、いつまた勇王国の軍勢が急襲してくるとも限らぬ状況に、私は思い切った手が打てず、結局は何もしないよりはマシ程度の動きしか出来ていなかった。
一方で魔鼠情報網から入る情報では、勇王国の軍勢は撤退を続け、一部がすでに病魔の森から出たという。
私は先の侵攻で勇王国の軍勢に与えた損害を思い起こしながら、やはり無理をしてでも、戦力の増強を行うべきと、決意を新たにしたのだが。
そんな日の夜、事態はまた、思わぬ方向へ動き出すのだった。
魔鹿たちは砦のような岩場で寝静まり、反対に夜行性の魔狼たちの動きが活発になっていく。
それは夜も深まってきた、そんな時間帯の事だ。
最初にソレの存在に気が付いたのは、最も広い知覚範囲を持つガルセコルトだった。
だから私が最初に驚いたのは、その存在に対してでは無く、唐突に変化したガルセコルトの放つ雰囲気に対してだ。
つい先ほどまでゆったりと寛いでいたガルセコルトが、急に森の先へと最大級の『威圧』を放ち始めたのである。だが、その強気な姿勢に反して、その身体は細かく震えていた。
病魔の森で最強の力を持つ夜のガルセコルトが、これほどまでに警戒し、同時に恐れている相手とは一体何がやってきたというのか。
私も急ぎ、ガルセコルトが『威圧』を放っている方向へ知覚スキルを集中させてみると、次第に何かがダンジョンへ近づいてくるのを感知した。
それは歩くような速さで、ダンジョンへと近づいてくる。
「ここが新たに生まれた魔王の居城か?」
『読心』を通して、ソレの誰にともなく告げた独り言が伝わってきた。
私が知覚で感知したのは、ごく普通の人間。数はたった一人。
その大きさは、騎士たちよりも一回りは小さい。
ガルセコルトが『威圧』を向けているのは、明らかにその人間に対してだ。
単独でダンジョンを目指す人間という情報に一瞬、Aランク冒険者イグニスを想像したが、ソレから感じる気配も、魔力も。そこまで恐ろしいものには思えない。
むしろ、これまでダンジョンにやってきたどの冒険者たちよりも弱そうに思える。私はまだ知覚したことは無いけれど、戦いに関りの無い人間がいたら、恐らくこのように感じられるのだろう。
一応、武器として腰に細い剣を帯びているようだが、それ以外はかなりの軽装だ。
こんな森の奥深くで、そこが異質と言えば異質。そのくらい。
だからこそ、ガルセコルトのその態度が異様に思えたのだろう。
気が付けばソレは、ダンジョンを囲む壁の内側までやってきていた。
ガルセコルトはその身体を激しく震えさせながらも、間近までやってきたソレに対して全力の『威圧』を放ち続けている。
その『威圧』のあまりの強さに、本来は仲間であるはずの魔狼たちすら怯えている程だ。だというのに、ガルセコルトはそれに気が付いてすらいない。
単独での行動を好みながらも仲間たちの事を大切に思っていた、いつものガルセコルトとは明らかに違う。
むしろガルセコルトは、周囲に満ちた夜の魔力をその身に集め、いつでも最大級の力として解放できるように凝集している。いつでも決死の戦いに望めるような臨戦態勢の状態だ。
その時、私は遅れてその事に気が付いた。
ガルセコルトの本気の『威圧』をこれ程の間近で正面から浴び続けて、何故ソレは平静を保っていられるのか、と。
「おや? よく見たら、もしかしておまえ、ポチか?」
そこで初めて存在に気が付いたというように、ソレは『威圧』を続けるガルセコルトに視線を向けると、そんな風に話しかけた。
ポチ?
親し気な様子で話しかけるソレは、ガルセコルトを随分と似合わぬ名で呼んだ。
そうして話しかけられたガルセコルトはというと、より激しくその身を震わせている。
人間の言葉が、魔狼であるガルセコルトに通じている?
それともその言葉の響きに、何かしらの覚えがあったのだろうか。
「懐かしいな。おまえが我が元から逃げ出したのは、はて、何十年前だったかな」
ソレが一方的に語る内容とガルセコルトの態度からして、二者が古い知り合いであるということは、何となく察せられた。
「ふふっ、随分と大きく育ったものだ」
人間と言うことで勇王国の手の者かとも思ったが、ガルセコルトと旧交を温めている所からして、そういう訳ではなさそうだ。
私を蚊帳の外に、すっかり昔を懐かしむような雰囲気である。
まあ、懐かしんでいるのは相手だけで、ガルセコルトは未だ、天敵を前にしたかのような態度を崩さずにいるのだけれど。
「うんうん、ここであったのも何かの縁だ。
――殺しておくか」
唐突にソレは、今まで醸し出していた雰囲気とは不釣り合いの物騒な言葉を口にした。
そうして私は、知ることになる。
ソレが今まで潜めていた力を、ガルセコルトがソレを恐れていた理由を、私ははっきりと知覚した。
唐突に人間の形をしたソレから溢れ出す凶悪な程の魔力は、今まで私が感知してきたどんな魔力よりも強大で濃い。いやむしろ、純度が高いというべきなのか。
魔力の純度が高すぎて、もはや別の何かなのではないかと思える程の力を感じる。
その姿は間違いなく人間の形をしているが、溢れ出す魔力と発せられる気配は人間のそれではない。
最近、ずっと人間を知覚していた私には分かる。ソレから感じる力は、明らかに人間が持つものではない。魔物が持つ気配と魔力だ。
しかも、とびっきり高位の魔物。
私が今まで知覚したことの無いレベルの魔物だ。
そうして私は気が付いた。ソレが、私と似た力を宿していることに。
それはダンジョンコアが持つ力。DPにも似た高次元の力。
私にはソレの正体に予感があった。
魔王。
まさか、こうも違うものなのか。ありえないだろう。
それとも、これが噂に聞いた大魔王という存在なのか?
DPブーストを全開で付与した黒牙や、闇夜で本領を発揮したガルセコルトをも超える力。
それを認識した時点で、私の思考はありとあらゆる手段で逃げ出すことを夢想した。
だが、逃げることなど出来るわけがない。たとえ私が自由に動かせる身体を持っていたとしても、あんな常軌を逸した存在から逃げ切ることなど出来ないだろう。
完全に理解の範疇を越えている。
いつの間に腰から抜いたのか、ソレは右手に細い一本の剣を握っていた。
その細剣に、強力な光の魔力が宿っていく。
そうして凝縮した光の魔力は、細剣の刃の外に新たな刃を形作っていた。
その瞬間、ガルセコルトは背を向けてその場から逃げ出そうとし。
次の瞬間、光の刃がそんなガルセコルトの肉体を貫いていた。
凝縮した夜の魔力を身に纏ったガルセコルトの身体を、その光の刃はいともたやすく貫いたのだ。
強大なガルセコルトの気配が、その身に凝縮された夜の魔力が、薄れ消えていく。
ガルセコルトが死んでしまった。
Aランク冒険者のパーティーとも同等以上に戦えていたあのガルセコルトが。
勇王国の騎士団を相手に単独で渡り合っていたあのガルセコルトが。
その一撃で容易く命を落としたのだ。
信じられない。信じたくない。
それほど強大な力を持つ存在が、唐突に私の前へ現れるなんて。
ガルセコルトの巨体が、ソレの細い腕で軽々と放り捨てられる。
あれほど親し気に話していたというのに、もはやソレはガルセコルトの亡骸に見向きもしない。最初の時と同じように、ガルセコルトの事など見えていないかのようだ。
もはやガルセコルトには、興味など無いというように。
その光景を間近で見ていた魔狼たちは、その力の差を理解しても尚、ソレに向けて跳びかかっていった。
あの瞬間、仲間たちを置いて逃げ出そうとしたガルセコルトの仇を討たんとして。
全ての魔狼たちは決死の覚悟で、ソレに戦いを挑んだのだ。
そんな魔狼たちに対して、ソレは一瞥すらしない。
そこに危険など微塵も無いというように、ただ優雅な姿勢でダンジョンの入り口へと視線を向けていた。
ソレは明らかにダンジョンへ興味を持っている。
新たに生まれた魔王の居城。
ソレは確かにそう言っていた。
新たに生まれた魔王、という言葉には覚えがある。そう、人間たちが私の支配領域を感じて、そういう仮説を立てていたのだ。
新たな魔王が生まれたのだ、と。
そもそも、この辺りで魔王と呼ばれるような力を持つ存在を、ソレと同じような存在を、私は感じたことが無い。
だとすれば、その魔王とは、私のことなのだろう。
ソレにとってガルセコルトのことは、単なるおまけでしかなかったのだ。
そうしてソレに襲い掛かった魔狼たちは、ソレの操る無数の魔法によって、その肉体ごと一瞬で消し去られた。
火、水、風、土、闇、光。一瞬のうちに発生した魔力から感じた属性は、六つ。
その全てが強力な威力を秘めており、全てが高次元の技術により操られていた。恐ろしく精密な魔力操作だ。
それらが圧倒的な力で魔狼たちの肉体を粉々にしたのである。
魔狼たちに対してそれは、あまりにも過剰な威力であった。
こうして人間たちの進軍を耐え抜いた魔狼の群れは、あっさりと殲滅されてしまった。
ちなみに魔鹿たちはソレが力を解放した時点で、その力を察知してクリスタルホーンディアーの造り出した岩の要塞の奥深くへと退避している。あのジャイアントディアーの巨体すらもすっぽりと収納できるほどの深さに達する要塞の底で、ただひたすら災害が過ぎ去る時を震えながら待っているのだ。
ソレの力であれば、魔鹿たちのことも既にばれていることだろうけれど、ソレは魔鹿たちに興味が無いらしい。
そうしてソレは、何事も無かったかのようにダンジョンへ向けて歩き出す。




