72.夜襲
あらすじ
魔狼と魔鹿の対立は私が思う以上に深刻だったが、その引き金が引かれる前に、人間の軍団が攻めてきた。
私は『並列思考』で増やした思考を使い、相手の情報を集めつつ、こちらに集う者たちの意思を一つ一つ確認していく。
どうやら人間たちは病魔の森を塗り替えた支配領域と、ダンジョン手前に集まる高位の魔物たちの気配によって、魔王が誕生したと考えているらしい。
ダンジョンから少し離れた地点に仮設の拠点を築き、どのように攻めるかを話し合っている。
一方でこちらは、ガルセコルトが夜を待って人間たちに奇襲を掛けようとしていた。
どうやら先の敗北を加味した上で、勝算があるらしい。
私はガルセコルトの放つ確かな自信に、賭けてみることにした。
夜が近づくにつれて、人間たちの警戒心が高まっていく。
まあそれも、無理からぬことだ。
人間であった頃を想像してみれば、夜の森での野営なんて空恐ろしいことだろう。とくにここは人間たちの侵略にあっているとはいえ、未だ強力な魔物たちの犇めく人外魔境。いわば人間たちにとっての敵地である。暗闇からいつ魔物が飛び出てくるかを想像するだけで、安心など一瞬たりとも出来ぬはずだ。それはいい。
問題はこれからその場所へ、ガルセコルトが夜襲を仕掛けるということだ。
時間が経てば経つ程に、後続の人間たちがどんどん集まってくる。その全てが戦力になるとは限らないが、侮ることは出来ぬだろう。
聞くのと、実際に感じるのとではだいぶ違ってくる。私は今、それを実感していた。
時が経つたびに、不安が私の内で高まっていく。
私は『伝心』を使い、ガルセコルトに人間たちの警戒心が高まっていることを伝えた。
そんなこと、私が伝えるまでもなく、ガルセコルトはとっくに気が付いているはずだ。それを分かった上で、ガルセコルトは行くと決めているのだ。それは分かっている。
分かっているのだが、それでも私は伝えずにいられなかった。もしここでガルセコルトが討伐されてしまえば、私は人間たちに対する強力な戦力の一つを失うことになるのだから。
いくらガルセコルトの得意とする夜を待って仕掛けるとはいえ、たった一匹であそこへ突撃するなど、危険すぎる。
だが、考え直さないかと伝える私に対して、ガルセコルトがその意思を覆すことは一度も無かった。
それが自分の勝利を予見しているからこそなのか、それとも魔狼たちの頂点に立つ者としての矜持なのか、私には分からない。ただ一つ分かるのは、私がどれだけ説得しようとも、ガルセコルトが意見を変えることは無いということだ。
暗く冷たい魔力が世界に満ちる。ついに、夜がやってきた。
それに伴い、ガルセコルトの魔力が周囲に溶けて薄れていく。
弱まっている訳では無い。むしろガルセコルト自身の魔力は、周囲に満ちる夜の魔力と共鳴して、より強く高まっていた。ガルセコルトから感じる魔力が薄まっていると感じたのは、周囲に満ちる夜の魔力と同化し始めているせいだ。
これもまた、夜のガルセコルトが恐れられている理由なのだろう。
気配と魔力の質が、昼間とは全く違った。
これが、Bランクの特殊個体。Aランク相当の力を持った魔物の強さ。
もし今、集結しつつある人間の大軍と、ガルセコルトのどちらかを敵として選べと言われたら、私はどちらを選ぶだろうか?
【大魔王】の残滓と相打ちとなったあの見習い勇者よりも、ダンジョンへ灼熱の業火を振り撒いたあのAランク冒険者よりも、きっと今のガルセコルトの方が強い。
ガルセコルトの内には、未だに闘志が漲っている。むしろ、待つ、という行為を経ることで、闘志がより一層洗練されたようにも感じた。戦意は十分。回復の泉で体力も完全に回復している。つまり、今のガルセコルトは万全だ。
「イク」
ガルセコルトは『読心』を通して私にそう告げると、壁を一足飛びに越えていった。
あの巨体が動いているというのに、生まれる気配は限りなく薄く、ともすれば何処にいるのか、見失ってしまう程だ。あれでは他の魔狼を足手まといと断言するのも納得である。
もう私に、ガルセコルトを止める意思は無い。
今のガルセコルトならばもしかして、そう思えてしまったから。
万が一の可能性を考えて一応黒牙は付近へ潜ませておくが、今はその手並みを知覚スキルにより把握しつつ、人間たちがこれに対してどう動くのかに注意しておこう。
ガルセコルトの姿を捉え続けることができなくなった私は、代わりに人間たちが野営をしている仮設拠点へ意識を集中させた。人間たちの仮設拠点は現在、後続を吸収し続けることによって拡大し、その全てを知覚の範囲内に収める事は、もはや出来なくなっている。
集中すればギリギリで全体を知覚範囲に収めることも出来そうだが、遠くなればなるほどにその細部はぼやけていき、正確な情報は得られそうにない。まるで曇りガラスの向こう側を見ているかのような輪郭だけが薄っすらと感じられるこの感覚は、『魔力感知』を覚えたばかりの頃を思い出す。ガルセコルトが仕掛ける方向によっては、その戦闘をしっかりと知覚することは難しいだろう。
『並列思考』の主思考で人間の仮設拠点へ知覚スキルを集中しつつ、副思考でそんなことを考えていると、仮設拠点に異変が起こった。
どうやら副思考の悩みは杞憂だったらしい。異変が起きた場所は、私が正確に知覚できる範囲内であった。
唐突に夜の闇が形を持ち、警戒していた多くの人間たちを薙ぎ払う。刃のように鋭く研ぎ澄まされた闇の魔力は、その一撃で数十人の人間たちを両断した。
それだけでない。ガルセコルトの鋭利な爪もまた数人の人間を切り裂いており、その口には牙で貫かれた人間の亡骸が咥えられている。
あれだけの数の人間たちがいて、その中の誰一人として前兆の欠片すら感じ取れていない。多くの人間が亡骸へと姿を変えて、ようやく彼らはその異常に気が付いた。
だが、そこからの人間たちの動きは早い。
「魔物だっ! 夜襲の黒狼が出たぞ――っ!!」
一拍遅れた誰かの叫びが、『読心』を通じて流れ込んできた。
それに呼応して、人間たちが即座に戦闘態勢へと移行していく。
ある者たちは同じ言葉を叫びながら仮設拠点の中を駆け回り、ある者たちは『神聖魔法』の魔力を放って人間たちを強化していき、ある者たちは盾を構えてガルセコルトの周囲を囲む。
流れる様なその動きからは、幾度も訓練を積んできた様が伺える。恐らく、あれが勇王国騎士団の騎士たちなのだろう。
ガルセコルトは周りを囲んだ騎士たちへ、闇の魔力を動かし、爪を振るい、牙で噛みつき、攻撃を続ける。だが、最初の一撃と違い、ガルセコルトの攻撃は人間たちの命を奪うまでには至っていない。
『神聖魔法』により強化された騎士たちは、彼らを率いる騎士の指揮に従い、完全に統率された動きでガルセコルトの攻撃を防ぎ続ける。
彼ら一人一人の強さは、ガルセコルトの情報通りそこまで恐ろしいものではない。私の知覚スキルで感じるその強さはDランクからCランク程度だ。単体であれば、ガルセコルトの敵にすらなれないだろう。
実際のところ『神聖魔法』で強化され、騎士を率いる者の指揮により動き、複数人でガルセコルトの攻撃を防いでいても、体力は削られ、小さな傷は蓄積していた。
だが、それが致命傷へと至る前に後ろで控えた騎士とその位置を交代することで、常に陣形全体を完全な状態に保っている。そうして後ろに回された騎士たちもまた、ポーションや『神聖魔法』により回復し、前線へと復帰していく。
ああ、これは何とも厄介だ。
だが、ポーションも、『神聖魔法』へと使う魔力も、いつかは尽きる時が来る。
騎士たちの攻撃はガルセコルトに大したダメージを与えられていないが、ガルセコルトの攻撃はどれも防ぐのに失敗すれば致命の威力を発揮するはずだ。
前線に立つ騎士たちのたった一人が一瞬でも気を抜けば、そこが穴となって騎士たちの陣形はあっさりと瓦解するだろう。
全てが、このままであれば。
「道を空けろ、騎士共っ!」
騎士たちとは違う動きを見せる五人組の集団が、荒い声を上げて騎士たちの間に割り入ると、ガルセコルトの前に躍り出る。
ガルセコルトには到底及ばぬまでも、騎士たちと比べれば強い気配と濃い魔力を纏う者たちだ。あれは恐らく、高ランクの冒険者たち。
Bランクか、もしくはAランクだろうか?
たった一人でダンジョンにやってきた【Aランク冒険者】イグニスほどでは無いにしても、その強さは警戒に値する。
冒険者の一人が巨大な剣を勢いよくガルセコルトへ振り下ろす。ガルセコルトはそこで初めて、闇を操り本格的にその攻撃を防いだ。それはガルセコルトがその一撃を脅威と判断した証拠だろう。
さらに冒険者らしき人間たちは増えていく。現在進行形で『読心』を通じて収集した情報によると、今の今まで冒険者たちは仮設拠点の奥で休息をとっていたようだ。
騎士たちに見張りを任せていた理由は、この軍団の主力として体力を回復させるという目的や、防衛は騎士たちの領分だという騎士団の矜持、冒険者と騎士団の確執などが複雑に絡んでいるようなのだが、それはさておき。
ガルセコルトに不利な要素がどんどんと増えていく。
途中参戦してきた冒険者たちは五人から六人程のパーティーが三つ。最初に参戦してきたパーティーに比べても、遜色のない強さを持つ者たちだ。
恐らくこれまで病魔の森で、高位の魔物を狩っていた冒険者たちだろう。きっとガルセコルトの情報に合った、ガルセコルトを追い込んだ戦力というのも彼らの事であっているはず。
前線で戦っていた騎士たちは、冒険者という異物が加わったというのにその動きを鈍らせることは無く、むしろ自由に暴れまわる冒険者たちへ向かうガルセコルトの攻撃を巧みに防ぐことで、冒険者たちの損傷を防いでいる。
騎士一人一人の働きもあるが、これは恐らく指揮をする者の技量だろう。
私もただ、ガルセコルトの活躍を傍観していただけでは無い。複数の副思考により『読心』と知覚スキルを併用することで、既に騎士たちを率いる者の居場所は割り出してある。騎士たちを率いる者からは騎士たちの中でも頭一つ、いや二つは飛び出した強さを感じた。今は騎士団の指揮に集中しているようだが、彼らが参戦するとなれば、あれもガルセコルトと戦っている高ランク冒険者たちと同じくらいには厄介だろう。
感じ取る力だけで言えば、ガルセコルトの方が遥かに上。
数の事を足してもまだ、ガルセコルトの方が強い。
そう感じていたのに、あっという間に形勢はガルセコルトの不利となった。
多勢に無勢。そんな言葉が思考を過ぎる。
だが、そんな私の思考を余所に、ガルセコルトからは一切の焦りが感じられない。
ついには防戦一方となった状況にあって、その魔力からは余裕すら感じられた。
魔力。そう、魔力だ。
気が付けばガルセコルトの内には、夜の闇を連想させる魔力が集中していた。
周囲に満ちる夜の魔力が、その事実をこれまで隠していたのだろう。
あまりにも深く、濃い闇夜がそこにある。
次の瞬間、私はガルセコルトが嗤ったような気がした。
空を見上げて空気を揺らすガルセコルト。恐らく『咆哮』のスキルだろう。同時に周囲へ『威圧』をまき散らしている。それをもろに受けた人間たちは、皆が皆、一瞬その動きを恐怖に縛られた。
刹那の停止。
だがそれは、ガルセコルトが切り札を切るのに、十分過ぎる時間。
ガルセコルトの内に渦巻き、凝縮されていた闇の魔力がその瞬間、人間の仮設拠点を覆うように展開した。
その魔力から感じたイメージを言葉にするならば、真闇。
真なる闇。一切の光が届かぬ、闇の領域。
それがかなりの範囲に広がる人間の仮設拠点の全てをすっぽりと包み込む。
闇の魔力が濃すぎて、『魔力感知』では中が見通せない。
『気配察知』もあの中では機能していないようだ。
恐らくこれが、ガルセコルトの用意した策なのだろう。
ただでさえ闇の深い夜の森の中に、さらなる魔法の闇が加われば、そこはもはやガルセコルトの独壇場だ。『超嗅覚』や『超聴覚』、『暗視』など、ガルセコルトには闇の中でも相手を認識出来るスキルが充実していた。
明かりの一切が闇の魔力に塗りつぶされたあの場所で、人間たちがガルセコルトの攻撃から逃れ続けることは不可能だろう。
そう思われた――――の、だが。
次の瞬間。
ガルセコルトの生み出した真闇の内側から、全ての闇をかき消すような極光の魔力が、戦場全体に拡散した。
「ルミネスコンフィニオ」




