幕間.黒牙1(三人称視点)
普段は目立たない“私”の右腕、黒牙のざっくりとした物語。
全体的に短めです。(全4話)
ブラックラットとしてダンジョンに召喚された時から、黒牙の中にはまるで熾火のように心の端で燻るある感情があった。
生きたい。
それは本能とは別のところから湧き出してくる謎の感情。
普段は黒牙にすら気付けないほど小さく、しかしいざという時には内に潜める熱が黒牙の行動にすら影響を与える。その感情は言うなれば死への恐怖であり、危険への警戒心だ。
その感情はブラックラットという種族の持つ性質と非常に相性が良く、時に子供らしい黒牙の好奇心を抑えてくれた。
生きたいという感情とブラックラットとしての性質が、黒牙に慎重さを与え、子供らしい好奇心とマスターへの忠誠心が黒牙の行動に大胆さを与える。
それらは混ざり合い、溶け合って、黒牙が得意とする暗殺という戦闘スタイルを確立するきっかけとなった。
そんな熾火のような感情に変化があったのは、初めてダンジョンに人間が侵入してきた日だ。
その日の事を、黒牙はあまり覚えていない。
必殺の一撃があっさりと破られ、致命傷を負ったという所までは覚えている。だが、その先は朧げな記憶しかなく、気が付けば全てが終わっていた。
ダンジョンで目覚めた黒牙を迎えたのは、自らの問いかけに答えてくれぬマスターと、人間の亡骸が一つ。マスターに関しては、たまにこのような状態に陥ることもあったので、特に気にはしていない。
問題は自分に致命傷を負わせた侵入者のものらしき、亡骸だ。
その亡骸を目にした瞬間、黒牙の中で黒い憎悪が燃え上がった。
それは黒牙には全く覚えのない憎悪。その憎悪は亡骸の事を人間と呼んだ。
何もかもが不可解であった。
ダンジョンに侵入されて、マスターの命を狙われた時点で、その人間は敵である。だがそこから先、不覚を取ったのは黒牙であり、しかも次に気が付いた時にはもう全てが終わっていた。
それらは、ここまでの憎悪を抱く程の切っ掛けにはならない。
黒牙の意識の冷静な部分はその違和感に気が付いていたが、黒牙の心に宿った憎悪は、一向に消えてはくれなかった。
こいつらを滅ぼさねばという衝動が、急速に黒牙の中で育っていく。衝動は暴走し、その敵意はこの世の全てへと向かいかけていた。何もかもが自身を害する敵と思える程に。
その衝動に身を任せてはいけないと感じた黒牙は、冷静な部分でそれを抑える。
暫くの間、黒牙はその場に留まって意識の内の攻防に集中していた。少しでもその場を動こうとすれば、憎悪に呑み込まれてしまいそうだったから。
すると憎悪は次第に黒牙の心の底へと沈んでいき、最後には消えてしまった。
まるで最初から、そんなものはなかったというように。
落ち着いた黒牙は、そこで初めて己の内に宿るもう一つの感情に気が付く。
初め熾火のようであったその感情は、黒牙が気が付いた時には渇望として意識の中に強く存在していた。
生きたい。生きたい。生きたい。
死にたくない。もっともっと、生きたい。
それはまるで何者かの残した断末魔のように、強く強く黒牙の心に刻まれていた。
こちらは人間への憎悪のように、消える気配は一切ない。
黒牙はこの時初めて、その不可思議な感情が己の内にあることをはっきりと理解した。
とはいえ、こちらは人間への憎悪のように黒牙の意識を呑み込もうとはしてこない。
そのため黒牙は、一先ずその感情に対する疑問を置いておき、ダンジョンの外の様子を見てくることにした。
黒牙が急激に成長した己の力に気が付くのは、それから程なくしてのことだ。




