61.戦いの行方
あらすじ
魔王の力をダンジョンコアの力で模倣した、一時的な配下の強化はうまくいった。
“私”の作戦で、イグニスへと戦いを挑む配下たち。
稼いだDPを注ぎ込んだ強化だったが、イグニスの強さにはまだ及ばない。
イグニスの魔術で全滅しかかった配下たちだったが、黒牙による咄嗟の機転で少数が生き残る。
残った配下たちは命がけでイグニスに襲い掛かり、生み出された僅かな隙。
そして黒牙はイグニスの隙をつき、必殺の一撃を放つ。
そして――イグニスの左腕が手にした火竜の盾と共に宙を飛んだ。
イグニスは触れるか触れないかというタイミングで黒牙の不意打ちに気が付き、咄嗟に左腕を己の首と黒牙との間にねじ込んでいた。さすがに盾で受ける程の余裕は無かったらしく、首の代わりとして左腕を犠牲にしたのだ。それを成した一瞬の判断力と速度は尋常のものではない。あのタイミングから死を免れるなど、誰が思おうか。
これでイグニスの戦力は大きく削れた。しかし、その代償は凄まじく大きい。
「鼠の、魔物?」
そんなイグニスの呟きが、『読心』を通じて読み取れた。
戦力は確実に削れたが、こちらの手の内も完全にバレてしまったか。
まずい。どうする? どうすれば?
バレてしまえば、黒牙の戦力はがくっと落ちる。あちらの戦力も減ってはいるが、それは一時的なことだろう。イグニスの左肩に、魔力が集中している。魔力は癒しの力を伴って、少しずつイグニスの左腕を『再生』していた。これがイグニスの持つ『再生』のスキルの効果なのだろう。あれほどの欠損を何処まで再生出来るのかは分からないが、少なくとも傷口からの血は既に止まっている。あの傷がそのまま死に繋がることは無いだろう。片腕を失った事でバランスは悪くなったが、炎剣はまだ手の内にあり、頑強な鎧による防御も健在だ。
分が悪い、気がする。嫌な予感がひたすらに、私の思考を占拠していた。
ひたひたという死の足音が、間近に聞こえる。勿論、幻聴だ。幻聴のはずである。
イグニスから炎剣に火の魔力が流れていく。炎剣の中で火の魔力は、灼熱の魔力へと変換されて貯まっていった。貯まった魔力が多すぎて、炎剣から周囲へ溢れ出している。
「イラ、ドラコニス!」
次の瞬間、イグニスの足元に巨大な魔法陣が展開された。
爆炎が部屋の中を埋め尽くす。今度は一片の隙間すらなく、完全に部屋の中を炎が占領していた。それはまさに煮えたぎるマグマの如く、部屋の中にあり続ける。先ほどのフレイムバーストと比べても桁違いの威力だ。
実にフレイムバーストの倍程の時間を掛けて、部屋を埋め尽くす炎の魔力は、ようやくダンジョンの魔力に押し流されていった。
サンとの絆から死が私の心を浸食し、そして喪失感が去来する。ゴブリンたちとダイアウルフは全滅。炭の欠片すら残っていない。黒牙は己を全力の闇で覆ったお蔭で、何とか生き残っている。だがそれも、何とか生きているという状態。むしろ死にかけているという方が正しいだろう。
それ故、先ほどのように他へ気を回す余裕は一切無かったようだ。配下の全滅は、私の死に直結する。幾度も感じた死の感覚が、余計に死を明確化させる。
そんな中で肝心のイグニスはというと……何故か部屋の何処にもその姿は無い。
ダンジョン内を意識的に走査してみれば、第三階層を走るイグニスの姿が確認された。イグニスは第二階層に繋がる階段を目指し、走り続けている。
イグニスはあの攻撃を囮として、逃げ出したのだ。
その事実に私はほっとし、次いで事態の深刻さに気が付いた。
ダンジョン内でのイグニスの行動が、次々と『記憶』の中から引き出されていく。
全てが混ざり合い、幾つもの推測が思考の中を高速で流れていった。
〈スキルの習熟度が一定値に達しました。スキル『加速思考LV1』を獲得しました〉
何か文字が流れたが、それを無視して『記憶』を漁る作業に戻る。
思考が加速して、数多の閃きが、それぞれの事象を繋げていく。
そうだ、イグニスはずっと何かを調べていた。このダンジョンで、何かを。
何をだ? 勇者のことを? いや、何の脈絡もなく、それはさすがに不自然だ。
ならば、直近で関係がありそうなことといえば、ただ一つしか思い浮かばない。
先日のスタンピートである。ああ、逃がした元複製体のゴブリン数匹だ。
あれは通常のゴブリンたちよりも強化されていた特殊な個体だった。
もし、あれを発見した事によりスタンピートを人間たちが嗅ぎつけたら?
強化された魔物たちが大量に湧き出てくるダンジョンなんて、危険以外の何物でもない。
人間たちはきっと、スタンピートを引き起こしたダンジョンを調査しようとするだろう。
この辺りにダンジョンは、私一つしか存在しない。
イグニスはスタンピートを起こしたダンジョンを探りに来ていたのだ。
そして、そのダンジョンの事前情報からはかけ離れた強力な魔物を発見した。
それもその魔物は、鼠型。
イグニスの放ったあの一言は、この病魔の森で魔鼠系統の魔物がどんな意味を持つか知っている風だった。イグニスはこの情報をどうするだろうか? 恐らく冒険者のギルドへ伝えるだろう。そうなればその情報は、そのまま勇王国にも伝わる可能性は高い。
勇王国にこの情報が渡ったら、確実にこのダンジョンは標的とされる。
最悪、病魔の森の他の魔物たちを、差し置いてでも。
不味い、不味い、不味い。
ここでイグニスを止めなければ。でも、それが出来る配下はもう残っていない。
ダメだ。どうしようもない。せっかく、猶予があったのに。
これでそれが、ゼロになってしまった。
せめて黒牙の姿を隠せていれば、もう少し違っていたかもしれないのに。
黒牙の姿を見られてしまった。それが、何よりの失敗だ。
イグニスの姿はまだ、第三階層にある。
その動きは私が予想していたよりも酷く緩慢だった。
それでも、こちらにはもう奴を仕留める手立てがない。
むしろ逃げられることで、命拾いをしたほどだ。
ああ、ああ。ならば、そちらはもう仕方がない。バレることは諦めよう。
諦めて、次を考えるのだ。
思考がそこまで辿り着いた時、私はようやく黒牙の容体に意識を向けることが出来た。
黒牙の傷はかなり酷い。闇で幾重にも己の身体を覆ったにも関わらず、それを貫通して熱気が黒牙の身体を焼いている。これでは己で立つことすら出来ないだろう。それどころか、今この一瞬にも黒牙の生命は着実に死へ近づいている。
致命傷さえ癒すダンジョンの施設、回復の泉は現在、第五階層に移動させていた。ダンジョンコアがある部屋だ。瀕死の黒牙にそこまで歩けというのは酷だろう。
気が付けば、ダンジョンの床には魔石が幾つも落ちている。殺された配下たちの魔石だろう。身体は炭さえも残さず焼き尽くされてしまったのに、そんな高温の中でも魔石は欠けることなく残ったようだ。急いでそれらを吸収して、DPに変換する。
そのDPでゴブリンを二匹通常召喚して、黒牙を回復の泉まで運ばせた。
ゴブリンたちの動きが遅々として見え、苛立ちが募る。
貯めた戦力の殆ど全てを失ってしまった。
だからこそ、ここで黒牙まで失う訳にはいかないのにっ!
いや。落ち着け、落ち着くんだ。黒牙はまだ、ギリギリ死んではいない。回復の泉に辿り着けさえすれば、どんな瀕死の致命傷も必ず治る。まだ間に合う。まだ大丈夫なはずだ。
意識を落ち着けると気のせいか、ゴブリンたちの動く速度も早まってきた。
そして黒牙は、生きたまま回復の泉の中へと落とされる。
ああ、これで安心だ。黒牙の気配が回復の泉の中で強まっていくのが分かる。
黒牙は何とか生き延びたが、他の配下はほぼ全滅だ。
黒牙を除けば残っているのは、蘇生待ちの各階層の複製体と守護者たち。そして、先ほど新たに召喚したゴブリンが二匹のみ。ゴブリン部隊も、ウルフ部隊も、ゴブリンたちに提供した装備類まで何もかも、イグニスが最後に放った炎で焼き尽くされた。
だが、そんな中に唯一残っていた物がある。イグニスの持っていた火竜の盾だ。あの大火の中にあって、びくともしていない。どうやらイグニスは左腕ごと切り飛ばされた盾を回収せずに逃げたようだ。もう宝図鑑には登録されているし、一先ずこれはダンジョンコアのある部屋へ、他のアイテムと同様に置いておこう。
DPはどれほど残っているんだ? 私は己のステータスを確認する。
名前:――――
種族:ダンジョンコア
年齢:16
カルマ:+6
ダンジョンLV:5
DP:36354DP
マスター:無し
ダンジョン名:病魔の森のダンジョン
スキル:『不老』『精神的苦痛耐性LV9』『空想空間LV8』『信仰LV7』『地脈親和性LV8』『気配察知LV7』『魔力感知LV8』『伝心LV7』『読心LV7』『記憶LV6』『土魔法LV1』『加速思考LV1』
称号:【異世界転生者】【□□□□神の加護】【時の呪縛より逃れしモノ】【聖邪の核】【鼠の楽園】【惨劇の跡地】【E級ダンジョン】
あまり多くは無い。イグニスと配下たちの戦いでもDPは生成されていたようだが、それらはイグニスを討ち取るための強化に使ってしまった。そのため、今残っているのは、最後まで残ったDランクのゴブリンたちとダイアウルフの魔石を吸収して変換した分だけだ。他の配下たちの魔石は残念ながら見つかっていない。
どうも魔石は魔物の体内にある間はかなりの強度を保っているが、体外に摘出されて暫く経つと、脆くなってしまうようだ。
最初に放たれたフレイムバーストでやられた魔物たちが落とした魔石は、次に放たれたイラドラコニスによって燃えてしまったらしい。
あとは、見慣れないスキルが一つ増えている。『加速思考』だ。
逃げたイグニスの動きや、黒牙を運ぶゴブリンたちの動きがどうも遅いと感じたのは、このスキルのせいだったのか。どうやら無意識のうちに、スキルを使っていたらしい。
自らの意思で動く肉体があれば、身体の遅さを感じたのだろうが私にはそれが無い。そのため、気付くのが今になってしまったようだ。
恐らく死が間近にある状態で、必死に思考を動かし続けたのが切っ掛けとなって覚えたのだろう。便利そうなスキルではある。私がずっと覚えようとしていた『並列思考』とは違うが、使い方によっては近い事も出来そうだ。ただ、今は素直に喜べない。
今までは少しずつ積み上げてきたダンジョンの戦力を、早急に強化する必要がある。
もはや、なりふり構ってはいられない。
危険な手であっても、どんどん手を出していかなければ。
心に余裕を持てない状態は出来れば作りたくない。
でも状況は、そうもいっていられない地点まで来てしまっている。
幸か不幸か、危険な手は幾つか思い浮かぶ。
出来れば触れたくない、頼りたくない危険な手段。
まずは、ダンジョンコアの力の応用。ダンジョンコアの機能を支える根源となる力をうまく扱えれば、魔王が使うダンジョンコアを破壊して得た力の模倣も可能だろう。何せ二つは、元々同じ力なのだから。
次にダンジョン外の魔物たちに渡りをつけること。病魔の森にはまだ、勇王国の侵攻に抗う強力な魔物たちが残っている。奴らを味方につけるのだ。
それから、黒牙のレベルアップ。いい加減に、黒牙をダンジョンの外へ向かわせるべきだろう。少しの間でも切り札を手元から離すのは恐ろしいが、今回のような黒牙の力を凌駕する侵入者がやってきたとき、対処できないでは元も子もない。黒牙には病魔の森にて、さらなる進化を目指してもらおう。
魔鼠系の魔物の召喚も解禁する。黒牙の存在をダンジョン内で見られ、それも見られた相手に逃げられてしまっては、もはや隠す意味もない。魔鼠系の魔物たちは、その小ささとすばしっこさから、情報の収集に向いている。逃げ隠れするだけならば、ランクもそれほど高い必要は無いので、召喚時の消費DPも抑えられるだろう。そんなラット系の魔物たちを大量に召喚して森中へ放てば、きっと今以上に情報が集まるはず。
あとは、繁殖の解禁。魔鼠系が増える速度は、初めの頃に体験済み。ゴブリンたちの繁殖速度だって、魔鼠系に比べれば一段落ちるが、それでもかなり早い。その目的はDPを消費しないで、魔物たちを配下に加えることだ。もし多くなり過ぎたら、強制的に魔力供給から除外して、ダンジョン外に放出してしまえばいい。ダンジョン内は魔物たちにとって快適な環境のようだから、嫌がる者たちもいるだろうが脅してでも追い出そう。『繁殖』によるDP消費の削減は魅力的だが、もう魔力供給率の異常によるスタンピートはこりごりだから。追い出した魔物たちに恨まれようとも構うものか。そんなことよりも喫緊の防衛力の方がずっと大事だ。
やることは大量にある。その全てがそれなりの危険を孕んでいるが、私にはもう安全を選んでいられる時間は無い。抗わなければ、私は簡単に死んでしまう。
死ぬのは嫌だ。その瞬間が意識に垣間見えるだけで、私は思考はどうしようもない程の恐怖に陥る。逃げなければいけない。もっと遠くに。
死の予感は恐怖を呼び、恐怖は意識を絶望に染め上げる。
絶望してしまえば、もう私は何も出来なくなってしまう。
そうなる前に、この恐怖からもっと遠く。
この場から動けぬ身だとしても、恐怖から逃げる方法はある。
その方法を私は知っていた。
丁度いい事にそのための材料は、ここに沢山ある。
ダンジョンコアの持つ力の応用。病魔の森に住まう高位魔物との交渉方法。黒牙が出かけている間のダンジョンの防衛方法と緊急時の連絡手段の確保。大量に召喚するラットたちの運用。魔物たちの繁殖とその個体数の管理。
恐怖から逃れる方法は色々あるけれど、今はこれらに没頭する事が何よりの逃走手段となろう。他の事を考える余裕が無いほどに、これらの作業で思考を満たす。
ここで立ち止まっている余裕はない。
とにかく前に進むことだけを考えるのだ。
ああ、この感覚。まるで前生の頃のよう。
私はまた、アレに追われている。
私はまだ、アレから逃げ続けなければならない。
時は今もなお、私を苛み続ける。




