107.色々な問題
あらすじ
道の先に設置した宝箱の中のポーションで回復したゴブリン二匹は、さらに探索を続ける。それからも戦いを続け、五度の死闘を繰り返したゴブリンたちは明確に強くなり帰っていった。
それからも猪丸のお蔭で多くの魔物がやってきたが、未だに再訪してくれる魔物たちは出ていない。そこで私は魔物たちが望むダンジョンを目指して改装を行っていくことにした。
その甲斐あってか、初の再訪者がやってくる。
あれからまた、三十日が過ぎた。最近ではわざわざ追い込まずとも、ダンジョンへ自発的にやってくる魔物が増えてきたため、今はストロングベアの熊吉と同様に、ジェットボアの猪丸にも狩りへ集中するよう伝えている。ちなみに狩場はダンジョンから離れた場所を指定しておいた。くれぐれも、ダンジョンへ侵入してくる魔物たちを狩ることの無いように。
現在、私のダンジョンへ一日にやってくる魔物の数は、平均して十匹前後。警戒しているのか、未だダンジョンで魔物たちが鉢合わせという状況は無いけれど、少しずつではあるけれど、確実にダンジョン利用魔物は増えている為、もうそろそろ、そのようなことも起こるかもしれない。そうなったらどうなるのか気になるところではあるが、結局はなってみないと分からない為、そこには常に注意を払っている。
やってくる魔物のランクは大抵が、EランクからDランク。たまにゴブリンのようなFランクの魔物もやってくるが、大抵は複製体ゴブリン一体にすら勝てず、死ぬか、逃げ帰るかでもう一度来ることは無い。やはり、Fランクの魔物には、成長しきったゴブリンやゴブリンファイターの記録から複製した複製体の相手は厳しいようだ。一応、魔物図鑑から直接複製体を生み出すことで、さらに弱い複製体ゴブリンを配置することも考えたが、回収できるDP的にもそこまでする利点が無いため、今のところその方法を試すのは保留としている。もしどうしても、Fランクの魔物を呼び込む必要が出来たら、また試してみることにしよう。
そんなわけで、この方法により現在、一日の内に回収できるDPは、大体三千DP前後となっている。
一方で、魔物狩りに集中する猪丸と熊吉の二体が一日で回収してくるDPは、大体千DP程。二体も順調に成長してはいるけれど、やはり二体だけではどうしても一度に狩れる魔物の数が少ない。狩りに有効なスキルを獲得するか、次の段階へ進化でもしない限り、狩れる魔物の数がこれ以上増えることは無いだろう。
ちなみに、二体が狩ってくる魔物の傾向としては、猪丸が速度を生かして小物を多く狩るのに対して、熊吉はあくまで大物狙いで少量だけ狩ってくるといった感じだ。大物を狩れた時は熊吉の方が稼いでくることもあるのだけど、下手をすると一匹も狩れずに終わる時もある。それを考えると、安定した狩りが行えている猪丸の方が総合的には稼げているのかもしれない。まあ、あくまでこれは傾向なので、逆の場合もたまにあるが。
そんなわけでDPの回収に関してはダンジョンにやってくる魔物たちから回収できるDPの方が多いというのが現状だけど、この二体に課している課題はそちらが本命ではない。大切なのは二体の成長だ。こちらに関しては、どちらも順当にレベルやスキルは成長させている。レベル上限に到達するのはまだ先だが、私の安心感はさらに増した。
つまり、今のところどちらも順調に進んでいるということだ。
しかしそんな中、別の所で幾つかの問題が発生していた。それらは全て、私が召喚して病魔の森中に放ち、病魔の森の中で起きる情報を収集する役目を与えていた魔鼠情報網のケーブラットたちに関係したことだ。
魔鼠情報網を構築するケーブラットたちの一部には現在、トレントの種を病魔の森に開かれた道へ植える作業を行わせている。そのせいで最近、ケーブラットたちに被害が出始めたのだ。
今まで私はケーブラットたちを徹底的に森へ潜ませ、ただひたすら情報の収集だけに集中させていたからこそ、ケーブラットたちが病魔の森に住まう魔物たちから襲われることは殆どなかった。しかし、種を抱えた大規模な移動や、道に種を植えるというような目立つ作業が増えた結果、病魔の森の魔物たちに見つかる確率が上がり、狩られるようになってしまったのだ。最初の種植え遠征で、名前付きのケーブラットたちが被害にあわなかったのは、不幸中の幸いだろう。実際、被害にあったケーブラットたちの中には名前付きの個体もおり、絆を通じて私にも死の感覚という被害が出ている。やはり、僅かであろうとも死を感じるのは恐ろしい。
とはいえ、今のところ被害と言える被害はその程度だ。『精神的苦痛耐性』のお蔭で、私は死の恐怖をどれだけ感じようとも、それで心が壊されるようなことは無い。さらに、ケーブラットの召喚に消費するのはたったの百DP。そこへ現在、ケーブラットたちに運ばせているトレントの種の召喚に必要なDPを足しても二百DP程度だ。今の稼ぎであれば、ケーブラットが数体やられた程度では、大した被害とは思えない。名前付きのケーブラットにしたって、補充はそれほど難しくは無いわけで。
しかし、それでもまあ、被害が無いに越したことは無いのだから、トレントの種を運ぶケーブラットたちには、多少の時間が掛かっても良いので、いつも以上に周りへ注意して種を運ぶよう伝えておく。幸いなことにトレントの種植えは、多少の被害が出たこと以外は順調に進んでいる。そもそも、一番重要だった道の入り口付近を塞ぐ為の種が植え終わっているので、今はもうそこまでの緊急性も無く、後の作業はゆっくりやってもらった所で全く構わないのだ。
そんなわけで、この問題に関しては一先ず、これで様子見としておく。
次の問題は、魔鼠情報網を構築するケーブラットたちが、減少している原因についてだ。これに気が付いたのは以前、ダンジョンに開かれた道へトレントの種を植えるべく、病魔の森中に放っていたケーブラットたちの一部をダンジョンへ呼び戻したときの事だった。集めたケーブラットが私の予想した数よりも、妙に少なかったのだ。
最初は森の魔物に狩られたのかと大して気にはしていなかったが、よくよく考えてみれば、それはかなり不思議なことだった。隠れているケーブラットたちが、病魔の森の魔物に狩られることが不思議なのではない。私の召喚したケーブラットが死んだことに、気が付かなかったことが不思議なのだ。
通常、私と私が召喚した魔物との間には、特殊な繋がりが作られる。私が絆と名付けたこの繋がりは、どれだけ離れていようとも常に切れることなく繋がっていた。そうしてどうやら、私はその繋がりを通して僅かな力を常に魔物へ送っているらしい。
絆が細いものには僅かな力を、絆が太いものには強い力を。だからこそ、私が召喚した魔物は、病魔の森に住まう他の魔物たちと比べると、多少なりとも生存の確率が高いのだろう。
とまあ、それはともかく。この絆には、もう一つ重要な特性がある。それが、魔物の死を絆で繋がった私へ知らせるという特性だ。私と絆で繋がった魔物が死ぬと、絆を通して私にその魔物が感じた死の感覚が流れ込んでくる。死を何よりも恐れる私にとって、これは拷問にも似た恐ろしき感覚なのだが、完全にこれが悪い特性だとは言い難い。何故ならこの特性によって、私は私が召喚した魔物の死を知ることが出来るからだ。
だというのに、私は最近、森へ放ったケーブラットが死んだという感覚を感じていない。だからこその不思議、なのだ。
その後、念のために詳しく調べてみた所、そこには意外な理由があった。
それが、森に放ったケーブラットたちの離反だ。
私が呼んでもやってこなかったケーブラットたちは、病魔の森に住まう魔物たちに倒されたのではない。ただ単に私の配下を辞めたことで、私の命令を聞く必要がなくなっただけだったのだ。
私から離反したケーブラットたちとの絆は、当然のことながら途切れている。しかし、死んで絆が消えたわけでは無いので、こちらに死の感触は届かなかった。だからこそ、気が付かなかったのだ。なるほど、今まで絆から流れてくる死の感覚を気にしたことはあったけど、私と繋がる絆の数に意識を向けたことは無かった。そこにあることが、当然だと思っていたから。
改めてよくよく確認してみると、多くの細い絆が人知れず切れていることが分かった。それだけではない。他の絆にしても、最初の頃よりもさらに細くなっている。
私はケーブラットたちを召喚した後、すぐに病魔の森へ向かわせ、それ以降はずっとそこで暮らさせていた。そんな経緯を思い返してみると、確かに召喚したというだけの私をケーブラットたちが見限るのは分かる気がする。
しかし、それでも私は見限られたことに驚きを隠せないでいた。
何故なら、今までダンジョンコアの機能で召喚された魔物たちは、基本的に私の元から去ることが無かったからだ。たとえ、召喚してすぐ使い捨てにするような命令を下したとしても。ダンジョンコアの機能で召喚した魔物は、それほどに強い忠誠心を抱いて現れるのだ。
だからこそ、その事に私は驚いた。ずっとダンジョンから離れていたとはいえ、それだけで、ダンジョンコアの機能により召喚したケーブラットたちが離反したという事実に。
一体、どうしてそのようなことになったのか?
召喚した魔物の離反は、何処をきっかけとして始まるのか?
私は今後の為にもそれを詳しく調べるため、あちこちから情報を集め、自分なりに考えをまとめ、一つの結論を出した。
それは、如何に召喚した魔物であろうとも、あまりダンジョンから離したままにしていると、次第に配下としての忠誠心のようなものが消えていくのだろう、ということだ。また、その際の時間には個体差があり、絆の強さによってもそれは変わってくる。
実際、名前を付けたことで絆を強めたケーブラットたちからは、同じようにダンジョンから離しているにも関わらず、未だ一体の離反者も出していなかった。
ここからは私の想像だが、恐らくケーブラットたちが離反したのは、私に従うメリットを感じられなくなったからなのだろう。
ダンジョンの中というのは魔物にとって住みよい環境という話だ。特にダンジョンからの魔力供給がなされている間、魔物の体調は万全の状態が維持され、精神的にもとても満たされているようだから。
いきなり、ダンジョンから危険な場所へと放り出されて、洞窟に適性を持つ鼠でありながら、森の中で隠れ潜むことを強要され、名付けられることもなく、ダンジョンへ戻ることも許されない。そりゃ、従うことにメリットなど感じられるはずが無いだろう。
それはトレントの種を運ぶ仕事を与えたことで、定期的にダンジョンへ呼び戻しているケーブラットたちから、離反者が出ていないことからも推測できる。
そこで、これの解決策は定期的にケーブラットたちをダンジョンへ呼び戻し、魔力供給を行うということで、様子を見ることにしよう。
既に離反してしまったケーブラットたちに関しては、そのまま放っておくことにする。それに、これも見方を変えれば悪い話ではない。前の問題でも出たように、ケーブラットたちを補充するのは、それほど大変な事では無いし、ダンジョンに属する以外の魔鼠が病魔の森に増えていけば、ダンジョンに属する魔鼠が病魔の森の中を歩いていても、不思議には思われなくなるだろうから。
という訳で、ケーブラットたちが離反していた件は、これで一応の解決とする。
そうして、いよいよ最後の問題。実はこれが一番、私の危険に直結する問題だった。
私がその問題に気が付いたのは、名付けたケーブラットが百を越えた辺りのこと。その頃、私は少しずつ意識の奥底から湧き上がる違和感に気付き始めていた。
最初は僅かな違和感だったそれは、ケーブラットたちへ名付けを行うたびに少しずつ、私の中で大きくなっていく。そうしてある日、確かな形をもって私の意識に影響を及ぼし始めた。
私の精神を侵食する、私とは違う異質な意思の数々。私はすぐさまその原因を探り、そうして分かったのは、その原因が私と配下たちを繋ぐ無数の絆にあるということだった。より正確に言うならば、そこから流れ込んでくるモノ。その正体は、配下たちの意思だ。
元々、死の感覚以外にも、僅かながら絆を通して配下たちの意思のようなものは感じていた。名前を付けた配下との絆からは特に強く。
とはいえ、それは名前を付けた配下であっても、あくまで相手の生存が分かる程度の本当に微かな感覚であり、基本的にはそこまで私へ強い影響を与えてくるものでは無かった。しかし、それも数が増えていけば、違ってくる。特にそれが、似通った意思を持つ同種族の者たちであれば、尚更に。絆から流れ込んでくるケーブラットの僅かな意思も、数が揃えば私の意思にすら干渉しうる力となるのだ。
これをこのままにしておけば、いつかケーブラットたちの集った意思に私の意思は塗り潰される。直感的にそれを理解した私は、そこで名付けを一旦、中止した。
もっと早く気づくべきだったのだ。絆というのが一方的な繋がりでは無いのだと。名付けとは本来、繋がりの出来た双方に影響を及ぼすものなのだ。それが、この世界における名付けという行為の本質。私は名前を付けるという行為を甘く考えていた。その代償が今、私の意識に軽く触れている。
一度そう考えてしまうと、名付けるのに躊躇が生まれた。私の集めた情報が確かなら、大量の同種族に名付けを行ったりしなければ、これ以上、私の意識に軽く触れる感触が強まることは無いはずだ。
しかし、そうと分かっていても、恐ろしい。
私の恐れる死は、何も肉体的な死だけではない。
むしろ、私が何よりも恐れているのは私の意識が完全に何処からも消えることだ。今の私自身の意識が絆から流れてくる意思によって塗り潰されたとしたら、それはもはや死と同義だろう。
ああ、恐ろしい。それだけは絶対に、合ってはならないことだ。
ケーブラットへの名付けは止めたから、もう大丈夫だとは思う。
しかし、それに確信は無い。
念のため、新たに分かった情報を加えて、副思考の一つを使い、名付けに関しての情報を地脈から探しておこう。
探す対象の範囲が広すぎて、暫くは見つからないだろう。
しかし、ほんのわずかな情報でもいい。
殆ど関係のない情報だってかまわないのだ。
これは私が安心するための材料を探す行為でもあるのだから。




