幕間.孤高の炎剣イグニス5
敗戦が濃厚な戦いの中で、それでも火竜の身体に無数の傷を作ることは出来た。致命傷にまでは及ばずとも、確かにイグニスたちの攻撃は火竜の命を僅かながらも削っている。
その事実がイグニスたちに一縷の望みを与えていた。
だが、火竜とて、自身の身体に傷が出来れば、敵に対して警戒は抱く。
イグニスたちが火竜の身体に、もっと深い傷を作るには、命に届く傷を与えるには、どうしても足りていない。
距離が、速度が、溜めが、威力が、隙が、足りていないのだ。
それらを埋めるためには、何かを犠牲にする必要がある。
それに気が付いたイグニスは、捨て身の攻撃へ出ることにした。
刺し違えても、火竜へ致命傷を与える。そうして、他の仲間たちへ後を託す。
イグニスがそう考えるのに、さしたる時間は必要なかった。
大切な仲間たちの為に。
しかし、そう考えたのはイグニスだけでは無かった。
防御も回避も無視して、火竜へと突っ込むイグニスへ、容赦ない攻撃が降り注ぐ。
致命の殺意が籠った一撃必殺の嵐。
しかし、それらの攻撃がイグニスの元へ届くことは無かった。
そうして、全ての力を振り絞ったイグニスによる捨て身の攻撃は、火竜に深い傷を与える。
命にも届く、深い致命傷を。
火竜は苦悶の叫びを上げた後、地に倒れ伏し、イグニスは自らがまだ生きていたことに驚き、仲間たちと喜びを分かち合うべく背後を振り返って――そこに倒れ伏す仲間たちの亡骸を目撃する。
閑話休題。
戦いは魔王レティシアの勝利に終わった。
勇神を宿した国王は、魔王の手により首を刎ねられたのだ。
まだ、王都内での戦いは続いているようだが、それも時間の問題だろう。なにせ、勇王国側の頂点が倒れたのだ。全ての終わりは、すぐ傍までやって来ている。
そしてそれは、イグニスの命にも言えることだった。
魔王の軍勢は勇王国内に住まう人間を誰一人逃がすことなく、徹底して殺し続けている。魔力の流れを追って、外壁の付近を探ると、そこには王都を閉ざす結界も確認できた。どうやら魔王は、この国を完全に滅ぼすつもりらしい。
逃げ道は完全に塞がれている。さらに勇王国国王を倒した魔王が、王宮へやってきた。そして、目についた人間たちを片っ端から片づけている。
魔王との戦力差は、火を見るよりも明らか。あの日の火竜よりもさらに強いのだ。
もはや、イグニスにはどうやっても生き延びる道はない。その事実は、イグニスを絶望させるのに十分すぎるものだった。
絶望に隠れることも忘れ、ただ放心するイグニス。
そうこうしている間にも、魔王はゆったりとした足取りで王宮内を進んでいき、ついにイグニスの番がやってくる。
しかし――
「うん? お前は少し違うな」
――何を思ったのか、魔王はイグニスの前までやってきて、イグニスに手を掛けることなく立ち止まると、イグニスに向けて小首を傾げた。
「イグニスとやら。他国の冒険者が、何故ここにいる?」
しかし、問われたイグニスはというと、魔王の放つ威圧感に息すら忘れ、その場で立ち尽くすのみ。とてもではないが、今のイグニスは言葉など発せられる状況では無かった。
「おやおや、随分と無口な冒険者よな。しかし、悪くない。彼我の実力差を正しく認識できるというのは、冒険者にとって重要な技能よ。――だが、今は会話の時間だ」
そう告げた瞬間、魔王から発せられる威圧感が唐突に消える。
威圧感が消えてしまえば、イグニスの目の前に立っているのは、ただの着飾った美しい女性。気品あるその立ち居振る舞いは、高貴なる生まれであることを感じさせる。線の細いその体型からは、とてもじゃないが先ほどまで勇王国国王を圧倒していた凶悪な力は感じられない。
だからこそ、イグニスはその在り方に寒気を覚えた。
触れれば壊れてしまいそうなその女性は、一見すると少女のようにも見える。しかし、どれだけ威圧感が消えたとしても、彼女が魔王であることに違いはない。イグニスが少しでもおかしな動きを見せれば、次の瞬間にはその圧倒的な力で、彼女の背後に残された無残な姿となった亡骸の数々へ仲間入りさせられることは確実だ。
「答えよ。それとも、死ぬか?」
未だ口を開くことも出来ずにいるイグニスに対して、魔王は笑顔でいつの間にか抜いた細剣をその首へつきつけ、強制的に決断を迫る。
口を開かなければ、魔王は躊躇いなく細剣でイグニスの首を落とすだろう。それが理解できたからこそ、イグニスは全ての力を振り絞って、ゆっくりと口を開く。
「わ、私は、この王宮に、軟禁されていました」
口を開いたイグニスの言葉を聞いて、魔王は笑みを浮かべる。
それからイグニスは、魔王に問われるまま、幾つかの質問に答えていった。
イグニスが王宮に軟禁された経緯。イグニスがこの国に来た経緯から始まり、冒険者ギルドから受けた依頼の事、冒険者ギルドへ報告したことまで。
イグニスは嘘偽りなく、答えていった。このような状況で、イグニスに隠し事をする気など欠片も無い。
魔王は随分と楽しそうに、イグニスの話を聞いていた。
特に病魔の森のダンジョンについては、かなり興味を持ったようだ。ダンジョンでの状況を詳しく聞いてきた。
そして、粗方の質問にイグニスが答え終わった頃。
「久方ぶりに面白い話を聞かせてもらった。その情報に免じて、お前は見逃してやるとしよう。もとより、お前は我の標的ではないようだしな」
魔王はイグニスにそう告げると、その言葉の通りにその場から立ち去った。イグニスに、かすり傷一つ負わせることなく。
魔王と相対して、その身が無事であるという奇跡に呆然とするイグニスをその場に置いたまま。
イグニスはその後も暫く王宮に隠れ続けた。息を殺して、誰にもその存在を悟られぬよう。
魔王は本当にイグニスのことを見逃す気なのか、王宮へ隠れ潜むイグニスがその後、魔王やその配下に襲われるようなことは一度としてなかった。イグニス以外の人間は、一人として生き残りはしなかったが。
そうして数日が過ぎた頃、周囲が静かになった頃合いを見計らって、イグニスは勇王国王都の跡地からひっそりと立ち去るのだった。




