98.死線の先
あらすじ
魔王レティシアは明確に私のことを仇と告げた。
祖国の怨敵である魔鼠の大魔王に繋がる存在として。
レティシアは誰彼構わず復讐している訳では無い。
その証拠に、森の外の魔鼠たちには手を出さないという。
レティシアの仇は、大魔王と繋がりのある私と黒牙の二つだけ。
私は『加速思考』と『並列思考』をフル稼働させ、現状への打開策を考えたが、何一つ思い浮かばない。
分かったのは、自身がどうしようもなく愚かだということだけ。
何もかもが足りていない。
そうして錯乱する私にレティシアは細剣を突き立てるが、
何故かレティシアの細剣は、ダンジョンコアに触れる直前で止まっていた。
魔王レティシアの細剣は、まだ私を砕いていない。
だが、だからと言ってレティシアの殺意が収まった訳でも無かった。
事実、レティシアの右手に握られた細剣は、未だにダンジョンコアへと突き立てられたまま。その間はごくわずか。
ほんの一瞬でも気を抜けば、すぐにでも私は殺されてしまう。
そんな気にさせる状況が続いている。
「お前に僅かな時間をやろう」
そんな雰囲気の最中、レティシアの口から濃厚な悪意を含んだ言葉が発せられた。
救いのようにも思えるが、さらなる絶望のようにも感じられる。
私はレティシアの伝えようとしている言葉を確実に読み取ろうと、レティシアへと向けた『読心』に意識を集中させた。
「百年だ。百年の後に、我はまたここへとやってくる。次はおまえを確実に壊すため。だからその間、おまえは死に物狂いで力を蓄え続けるがよい。我という終焉を退ける夢でも見ながらな」
「まあもちろん、何もしないでいるという選択肢もあるぞ。百年後も弱いまま、ただ我に破壊されるでも構わない。強くなり我が力の糧として破壊されるのも、お前の自由だ」
「とはいえ、猶予はたったの百年。この僅かな時間の間で、おまえに一体何が出来るのか、楽しみにしているぞ」
その言葉と共に、ダンジョンコアへと突き付けられていたレティシアの細剣が離される。
レティシアの発したイメージが、グルグルと私の思考を巡っていた。
率直に言って、怖い、と、思う。
私はまた時間を定められたのだ。命が終わるまでの時間を。
それはまさに、私が前生でずっと恐れていた寿命そのもの。
本来ならば、これは絶望して然るべき状況だ。
ただ、何故だろう。前生の時ほどの明確な怖さを感じられない。
加速した思考が、その不可解な感情の原因を分析していく。
そうして、一つの答えに辿り着いた。
その理由は恐らく、抗う術があるというこの状況と、人間としての感覚が残る私にとって、なかなかに長い、百年という制限時間が理由だ。
だがその答えは、新たな疑問を生み出す。
レティシアは一体、何を企んでいるのだろうか。
発せられたイメージから考えて、レティシアが私を絶望させようという意図を持っていることは理解出来る。しかし、それにしては随分と遠い期限だ。
直前に与えられた恐怖は真に迫っていたというのに、それと相反するような百年という妙に長い期間のせいで、恐怖が心の何処かで迷子になっている。
レティシアはそれを僅かな時間と表現したが、百年という歳月は元人間である私にとって、僅かとは到底思えない。
レティシアとて私と同じ元人間。百年という歳月が人の一生を越える程の長さであると、理解しているはず。
むしろ、危険に満ちたこの世界に住まう人間にとって百年は、私が感じる以上に長い歳月と言えるだろうに。
では何故、レティシアは百年という期限を、さも絶望的な短さとして語るのだろう。
いや、もしかして。
同じ元人間とはいえ、三百年以上を生きるレティシアと、まだ前生と合わせて五十年にも満たない時間しか生きていない私とでは、時間に対する感覚が違うのか?
正直なところ、私は百年もあれば何でも出来そうだと思えてしまう。
そんな私自身の感覚と、レティシアが言葉に込めた悪意の差が、何処か戯言めいた雰囲気を醸し出しているのだ。
どちらが正しいのかは分からない。もしかしたら、レティシアの感覚が正しくて、百年というのはレティシアという強大な存在へ対抗するには、あまりにも短い時間なのかもしれない。だが少なくとも、今の私には的外れな脅し文句としか言えないだろう。
あれだけ私の思考を読み切っていたレティシアが、この瞬間の私の思考に対してだけは反応しない。そんなレティシアの態度が、私とレティシアの時間に対する感覚の違いを肯定しているような気がした。
レティシアは何一つとして、嘘をついてはいない。
レティシアは確かに、百年という月日を僅かな時間だと感じている。
レティシアは確かに、百年の後、私を壊そうとしていた。
その全てが、真実だ。
レティシアの細剣がダンジョンコアという私の弱点から離れたことも、私が現状に明確な恐怖を抱けない理由の一つかもしれない。
我が事ながら、なんて刹那主義な思考になってしまったのだろう。
私は百年後に、この怪物と戦わなければならないのに。
まあ、ただ単に大きすぎる恐怖で心が麻痺しているだけという可能性もあるけれど。
「これと共に、百年後のこの日がやってくる事を恐れ続けるがよい」
そう告げたレティシアは左手の黒牙を適当に投げ捨てると、ダンジョンコアに背を向けて第四階層へと続く階段に足を踏み出して。
そこで止まった。
「いや。これだけなら、今すぐに消しておいても構わぬか」
ゆっくりと振り返るレティシアの姿。
その視線の先にあるのは、投げ捨てられた黒牙の身体。
レティシアの本気が伝わってくる。
一瞬先にある黒牙の死を思わず思い描いてしまいかねない意志が、そこには宿っていた。
多少は回復したようだが、その身体には深い傷が残されており、そのまま放っておけば、いずれはまた死に傾きかねない程度には重傷だ。そのせいか、床へ強かに打ち付けられたというのに、未だ黒牙はピクリとも動かない。
黒牙がここで死んでしまったら。
加速した思考が、この先の百年で黒牙のいない事により不利となる事柄を一つ一つ上げていく。
私が自由に動かせる強力な切り札。
黒牙を失うことは、この先を生きる私にとってあまりにも厳しい。
だが、それ以上に、私は、黒牙を、失うことが――。
強い感情が心の奥から染み出して来ようとした所で。
「いや。いや? ふむ、ふむ。まあ、良い。止めておこう」
何やら一人で思案した後、レティシアはあれだけ強固に見えた意志を覆し、そのまま第四階層へと続く階段を上っていった。
何が起きたのか、全く分からない。
それほどに唐突な心変わり。
だが、それを言うのであれば、黒牙を殺そうとしたことだって、心変わりだ。そういう性格なのか、それともあの瞬間に何かを思いついたのか。
どちらにせよ、黒牙は助かったのだ。
今はそれでいい。
それよりも、レティシアは何処にいった?
私がダンジョン内に意識を向けると、レティシアのいる場所はすぐに分かった。
レティシアは来た時と同じように、ダンジョン内を悠々と歩いている。
そうして何事も無くダンジョンの外まで出たレティシアは、そこで背に翼を生やすと、それを羽ばたかせ、空の彼方へと消えていった。
レティシアという脅威がダンジョンから完全に消えたことで、ゆっくりと私の内に語られたレティシアの言葉が染み込んでいく。レティシアの姿が完全に私の知覚から消えた瞬間、私の中で死への秒読みが静かに開始されたような気がした。
再びレティシアがやってくるまでに、私は力を蓄え続けなければならない。
配下を増やして鍛え、ダンジョンを増築し、私自身のスキルも増やしていく。
だが、それだけに注力する訳にもいかない。
レティシアから聞いた情報は全てが事実だろう。ならば、人間側の動向にも注意を払わなくてはいけない。私の敵はレティシアだけではないのだから。
たったの百年とレティシアは言った。
だが、私からすると百年はかなり長い歳月だ。
前生に暮らしていた国では、一般的な人一人の一生よりも長い。
だが、あの時の私はそれでも尚、その日を恐れ続けていたのだ。
幼い頃からずっと、変わらず。
あの頃の気持ちを思い出し、出来ること一つ一つに着手していこう。
最終目標は言わずもがな、レティシアを相手に生き残る事だが、まずは最初の十年を目標とする。そこを目安として、戦力を高めていくのだ。
差し当たって、最初に行うべきはレティシアが齎した被害の確認だな。
ならば、まずは何よりも気になっていた黒牙のことから。
ダンジョンコアのすぐ近くに打ち捨てられた黒牙からは、未だ微弱な気配が感じられた。
死んではいない。だが、さすがに一人で起き上がるのは難しいだろう。そうなると、同じ小部屋内にある回復の泉を使用することも難しい。
たった数歩の距離だというのに。
黒牙に使ったDPブーストにより、ダンジョンに残るDPは0。これでは黒牙を運搬するために、新たな魔物を召喚することも出来やしない。
ゴブリンどころか、ベビーラット一匹すら召喚出来ないなんて、さあ困った。
ダンジョン内にも、黒牙を運べるような配下はいないし……。
いや、いた。
レティシアがここにやってくる少し前から、付近の森へ採取に向かわせていたゴブリンとゴブリンシャーマンたち。色々とありすぎて、すっかり忘れていた。
まあどうせ、あの状況に呼び戻したところで、レティシアが相手では何の意味も無かったはずだ。ならば、下手に呼び戻した挙句、DPの足しになるよりは良かっただろう。
私はすぐに知覚スキルを駆使して、ダンジョン周辺の森の中から彼らを探し出した。
黒牙の運搬に必要なゴブリンの数は二匹で足りるだろう。『伝心』でその中から二匹のゴブリンにすぐダンジョンへ帰ってくるよう伝えた。その後、残ったゴブリンたちには、ゴブリンシャーマンたちのペースに合わせて焦らず戻ってくるよう伝えておく。
これでゴブリン二匹はすぐにダンジョンへと戻って来てくれるだろう。
黒牙の容体も暫くは持つだろうから、こちらは一先ずこれで良しとする。
次はダンジョン前に放置されているガルセコルトの亡骸について。
その他の魔狼たちの亡骸は、レティシアの魔法攻撃により跡形も無く消し飛ばされてしまったけれど、ガルセコルトの亡骸はダンジョン手前に放置されたまま。DPが枯れ果てた現状で、これをそのまま放置しておくなんて勿体ない。
早急にダンジョン内へ運び込み、DPへと変換してしまうべきだ。ガルセコルトはBランク特殊個体の魔物。しかも多くのDPへと変換できる魔石も体内に宿したままだ。これで少しは、レティシア戦で使用したDPブーストの消費分を埋め合わせることができるかもしれない。
ただガルセコルトの大きさは相当なものだ。ゴブリンたち程度の力では、数十匹集まっても持ち運ぶのは難しい。ならば、ガルセコルトの亡骸の運搬は、回復の泉で傷を癒した黒牙に頼むとしよう。
つまりこちらも二匹のゴブリンの到着待ち。
ならば、これも一応は解決として、次。
病魔の森の状況はどうなっているだろう。
レティシアという魔王がやってきた事で、何か変化は起きていないか。
レティシアは病魔の森に放ったケーブラットたちを、攻撃していないと言っていた。
その言葉に嘘は無いと感じはしたが、私自身でも確認はしておくべきだろう。
名前を付けたケーブラットたちについては、絆を通して生存くらいは確認できる。一応は皆、無事なようだ。
ついでに支配領域の範囲内にいる名前付きのケーブラットたちへ、情報とそれぞれの生存確認を至急、ダンジョンまで届けるように命令を送っておく。
これで数日もすれば、魔鼠情報網を駆使して病魔の森中で集めた情報が、名前付きのケーブラットたちを経由してダンジョンに届けられることだろう。
最後にダンジョン近くの岩場に住まう魔鹿たちの様子も確認しておこうか。
こちらはレティシアが力を露わにした瞬間から、ずっと要塞のような岩場の最奥に潜んでいたようだから、直接的な被害は無さそうだ。だが、魔鹿たちの抱く恐怖は、ヒシヒシと伝わってくる。
あれほど恐ろしい存在の気配を間近で感じてしまったのだ。さすがに魔鹿たちもこの地から縄張りを移す可能性が高いだろう。まあ勇王国という直近の脅威が消えた以上は、もう魔鹿たちと同盟を組み続ける意味も無い。
逆に魔鹿たちがここへ残ることを選んだとしても、基本的に穏やかな気性の魔鹿たちであれば、早々危険なことも無いだろう。
魔鹿たちがどちらを選んだとしても、私としては一向に構わない。
とはいえ、どのような結果になるにせよ、一度は話し合った方が良さそうだ。
しかし、これも今すぐという訳にはいかない。
まずは彼らが落ち着くのを待つべきだ。
そこまで考えた私は、一度そこで『加速思考』を切った。
何をするにしても、まずは黒牙を回復させる事が必要だ。
他のゴブリンたちよりも先行しているとはいえ、二匹のゴブリンたちがダンジョンまで戻ってくるのにはもう少し時間が掛かる。
その間、少しだけ思考を休めて、気持ちを落ち着けておこう。
今夜は本当に、色々と大変だったから。




