王の束縛から彼女を解放するために婚約破棄をしたのだが……
書き忘れていた所があったので再投稿です。申し訳ありません。
「リゼリット・ラ・ファイエス!あなたとの婚約を破棄させていただく!」
卒業パーティーの会場に声が響き渡った。その声に反応するように、周りの人間は口を閉じる。威厳のある声、オニキスのような黒い髪、燃えるような赤色の瞳の彼は人目見ただけで威厳を感じさせた。
「い、一体どういうことですか? ローラン殿下……」
「それは君が一番理解していることではないのか? ファイエス嬢」
怒りを露わにしてローラン・ルイ・アスカリドは言葉を続ける。
「君はこの男爵令嬢……アネットにいじめを行っていただろう!」
その発言に会場全体が再び喧騒に包まれた。公爵令嬢であり、貴族の鑑であるリゼリット嬢がいじめを行っていたというのは信じ難いことであったのだ。美しいプラチナブロンドの髪、そして見ていたら吸い込まれるようなサファイアのような瞳、滑らかで肌荒れのない色素の薄い肌、誰をも魅了する美しく、聖母のような微笑みを浮かべる彼女がいじめをするなど誰も想像ができなかったのである。
そして、何よりもローラン殿下は男爵令嬢を家名ではなく、名前で呼んだことがなによりも自体の深刻さを示していた。
「私は神に誓っていじめなんてしていません! 何かの間違いです殿下!」
リゼリットはローランの正装の服の裾を掴んでいる令嬢へと目線を移した。ローズブロンドの髪に同色の大きな瞳、可愛らしくフリルとリボンのあしらわれたドレスを着こなしていた。
「私、アネット・ロッシュはいじめをされていたことを証言します!」
そう彼女が宣言すると二、三人の令嬢たちが現れリゼリットが行った悪事を証言し始めた。正確に時刻から犯行の手筈までこと細かく説明する。そしてアネットもいじめで壊されたものや失くしたものを物的証拠として提示した。
「そんな……嘘です殿下! 私はそんなこと……」
「残念だがこの証拠はもう私の父上に提出してある。君との婚約破棄は既に成立している」
「えっ……?」
リゼリットは膝から崩れ落ち、まるで糸が切れたマリオネットのように項垂れた。涙も流さず唐突な婚約破棄を受け入れられていない様子だった。
「……悪質ないじめもあったからな、貴族としてのお前の生活も終わりだ。公爵家で処分を待つんだな」
その言葉をローランが言い終わると同時に、会場の外で控えていた兵隊がリゼリットを捕らえた。震えながら俯いた彼女の表情は見えないが、きっと絶望の色で染まっていることだろう。
会場の外へと連行されるのを見届けたあと、ローランは目元を手で押さえた。
――すまない、リゼリット! お前を守るにはこれしかなかったんだ……!
どういうことか分からないと言う人もいるだろう。しかし、こうでもしなければあの王……父上からは逃げられないのだ。そう、この婚約破棄騒動はこの国の王子である私が仕組んだ嘘なのである。
アスカリド王国は男尊女卑の国の代表と言っていいほどに女性の扱いが酷く、その王も例外ではなかった。私の父上は色欲魔であり、あらゆる女性に手を出していた。側室の人数は二十人もおり、後宮は寵愛を手に入れるための争いで地獄と化した。しかも父上は子供を作りにくい体質であったため、なかなか子供を授かることができない側室たちの争いはさらに激化した。その争いに巻き込まれ、優しく争いが嫌いであった私の母も亡くなっている。
私が産まれ後宮での争いが落ち着き始めた頃、王は暴走を始めた。なんと新たに何人もの未婚の令嬢を後宮に招き入れたのである。ある程度歳をとった側室たちはもう王の目には適わなかったのだ。
そしてその目は私の婚約者にも届いてしまった。
『……リゼリット嬢といったか? 彼女は随分と具合が良さそうだ』
この言葉を聞いた瞬間、私は気づいた。この男は彼女にも手を出そうとしていると。
初めて会った時から恋に落ちた。あの瞳に、あの表情に。どんな時でも私を支えてくれた。
小さい頃に話した言葉は覚えているだろうか。
『……どんなことがあっても、私を信じてくれるかい?』
その言葉に彼女は優しく微笑んだことを私は忘れない。
私は彼女に追放処分を下した。そうでもしなければあの王はどこまでも追いかけてくる。隣国で彼女が幸せであればいい。公爵家とも協力し、隣国で安心して暮らせる環境を用意することもできた。
もう、何も心配することは無い。
もうなかったはずだった。
数日後に父上が暗殺され、その犯人にロッシュ男爵令嬢が捕まるまでは。
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私は今、牢に入れられている。
――どうして、こんなことに?
ローラン王子の計画に参加したアネット・ロッシュ男爵令嬢は今、牢屋に入れられていた。
理由なんて分からない。リゼリット様が婚約破棄されてから二日経った後、なぜか私が王暗殺事件を起こした犯人として捉えられて問答無用で牢屋の中に入れられてしまったのだ。
王は強力な毒で暗殺され、その毒が何故か婚約祝いで献上したワインから検出され、学園の寮の私の部屋から見つかった。勿論身に覚えなんてない。無実をいくら訴えても看守や兵士には冷たい目を向けられるだけだ。私が結果的に貶めてしまったリゼリット様は人望のある方だった。そんな彼女から婚約者を奪い、ありもしない罪を着せた私の立場はとても危うい。
――男爵令嬢であり、他の貴族に比べて身分の低い私が買ってでたけど……こんなの聞いてない!
私はローラン殿下の仮初の婚約者となったがそれは家に支援をしてくれると彼が約束してくれたからに他ならない。
牢の中で頭を抱えていると石畳をヒールで鳴らす音が響き渡ってきた。そちらの方へ目を向けると牢屋ににつかわない天使のような容姿の女性が近づいてきた。
「リ、リゼリット様!」
「あら、御機嫌ようアネットさん」
彼女は優しく微笑むと看守達と共にアネットの入れられている牢屋の前に立った。
「ど、どうしてここにリゼリット様が……?」
国外追放の処分を受けた彼女は身支度のために公爵家に待機していたはずだ。なのに、どうしてここにいるのか。
「王があなたに殺されて、国外追放の罰がなくなることになったのです。……ローラン殿下の寵愛を手にした貴方とは一度話してみたくて」
「リゼリット様、私、私!」
私は牢屋にしがみついた。嘘とはいえ彼女を傷つけてしまったのだから謝らなければいけないと。
「貴様!ファイエス様に無礼だぞ!」
「ひっ!」
看守が私に槍を向ける。この看守の行動にリゼリット様はとても人望のあるお方だと改めて思わされる。
その行動を見たリゼリット様はため息をついて片手を上げた。
「私は大丈夫です。……我儘になってしまうかもしれませんがアネットさんと二人きりで話をさせてください」
「ですが……」
「何かあれば大声で叫びますので、せめてこの廊下の角に待機してくださいませんか」
「……分かりました」
看守は彼女の言葉を聞くと私を睨みつけてから立ち去って行った。看守の姿が見えなくなるとリゼリット様は膝立ちをしている私に目線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「リゼリット様……申し訳ございません……あんなことをするつもりはなかったのです」
「あんなこと……まさか婚約破棄のことでしょうか」
「これは全てローラン殿下の嘘なのです。あの王からリゼリット様を逃がすために……」
私は説明しながらハラハラと涙を流した。
「……そうでしたのね……私のために……」
「はい! ですが計画にないことまで起きていて!」
「計画にないこと?」
「私が王を暗殺したことになっていることです!」
私は涙を流しながら訴える。公爵家の令嬢である彼女ならば、私の無実を訴えてくれれば疑いの目は多少であれ晴れるだろう。
「リゼリット様! 信じてください!」
その言葉を聞いてリゼリットは優しく微笑み、鉄格子に腕を通し、両手でアネットの頬に触れる。
「あぁ、可哀想に自分の罪を受け入れられないなんて……主よ哀れな彼女をお救い下さい」
リゼリットはアネットの言葉を戯言だと切り捨て、彼女を罪人として扱う。
「リゼリット様! 私はやっておりません!」
「……貴方には王を殺す理由があります。それがある限り貴方の罪は覆ることはありません」
「理由ってなんですか!」
「……貴方はあの王と寝たくなかった。王子の婚約者である以上あの王からは逃れることはできない」
「えっ? はっ?」
まるで言い聞かせるようにリゼリットは続ける。心做しかアネットに触れている手も強ばっているように感じた。
「貴方はそうでなければいけないの、王から逃れるために王を殺した哀れな男爵令嬢。優しい公爵令嬢から婚約者を奪い取った女狐なのよ」
「な、なんのことですか?」
「まさか気づかないと思いますか? こんなリスクのある役割を引き受けるなんて貴族の中にはいません。貴方は私を国外追放した後に彼を慰めて本物の王妃になろうとしていたのでしょう?」
思いもしない言葉が彼女から出てきた。全てを知っていたと、すべてお見通しだと彼女の目が告げる。
アネットは邪な気持ちを持ちながらこの計画に参加していた。もしかしたら私が王妃になれるかもしれないと、彼を癒せるかもしれないと、彼を密かに思っていたことを。
「貴族ならば理解していたはずです。あの王のことを、そして貴方は王と寝てまで婚約者になろうとしていたことも知っています」
「な、なんで」
「私、彼のことを信じていますもの。あなたみたいなアバズレに手を出そうとするような人ではないことを誰よりも知っています」
アネットは全てを知られていたという恐怖で言葉を返すことができなかった。確かに、王と寝るだけで王子と婚約できるなら安いものだと心の隅で考えていた。まさかそんなことまで知られているなんて。
「貴方を王を始末するための道具に仕立て上げるには丁度いいと思いまして。利用させて頂きました。商売で栄える男爵家でなければ貴方はここまで使えませんでした」
くすくすと彼女は笑う。いつもの彼女からは想像できない小悪魔のような、悪女のような微笑み。
「東洋から王の耐性の無い毒を仕入れて、ワインに混ぜる……大変でしたが成功してよかったです。アッシュ家は東洋から薬と一緒に毒になるものも仕入れていたので動機をでっち上げやすかったわ」
「まさか、王はあなたが……!」
「えぇ、私が殺しました」
アッシュ家が婚約祝いとして王に捧げたワインに毒を混ぜ、その毒を誰にも気づかれないように寮に持ち込む。まるで本当の暗殺者のような手口にアネットは驚愕した。
「あぁ、本当に哀れな方。あなたみたいな尻軽は殿下の好みじゃありませんのに、結ばれるなんて叶いもしない理想を抱いて計画に参加するなんて」
リゼリットは恍惚とした表情で話す。
「彼の瞳を髪を身体を心を愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して、ローラン様に群がるハエ共を駆除して、やっとここまでたどり着けました……貴方がローラン様にしがみついている時は気が狂いそうなほど嫉妬しましたが、貴方の絶望した顔を見れたからそのことは許してあげます。私、パーティーで捉えられた時は必死に笑いを堪えていましたのよ? あまりにもお粗末な証言をするんですもの! お陰で貴方には名誉毀損の罪で訴えることができました」
あの時震えていたのは笑いを堪えていたのよ、とリゼリットは語る。
「ロ、ローラン殿下は私を庇ってくれるはずよ!彼を呼んでください!」
「貴方は彼に計画していない罪まで被せました。庇いきれない所までね。王を暗殺した悪女としてもうローラン殿下には報告がいっているはずよ」
「お父様やお母様は!? 私はこんなことしないって訴えてくれているに違いないわ!」
「あぁ、そのことなら安心してください。王を暗殺した娘はいらないと早々に縁を切ったそうです。良かったですね!」
リゼリットは清々しい笑顔で答えた。
今まで私を育ててくれた親が、縁を切った。アネットは呆然とする。
「ローラン殿下に協力しなければ、貴方が夢を見なれければこんなことにはならなかったのに……本当に愚かね」
「……ふざけるんじゃないわよ!!!!!!この悪魔!!!!!!!!」
アネットは頬に触れていたリゼリットの手を思いっきり引っ張った。リゼリットの身体が鉄格子に力強く打ち付けられた。
「きゃあああああああああああああ!!!!!」
リゼリットの声が響き渡る。その声が聞こえると同時に看守が駆け足で牢屋に集まった。
「わ、私は悪くないわ! この女が!」
「貴様! ファイエス様になんてことを……彼女は罪を軽くしようと動いていたのだぞ!」
リゼリットは顔を手で覆い肩をふるわせた。
――嵌められた。
そう理解するにはもう遅かった。
私にはもう何も残っていない。私にあるのは断頭台で命を散らす未来だけだ。
アネットは殿下に恋心を抱いたこと、そしてリゼリットを敵に回したことを後悔することしかできなかった。
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父上が暗殺されて数日後、アネットは罪を受け入れ処刑されることとなった。リゼリットが彼女の減刑を訴えたが聞き入れられず、刑は執行された。
リゼリットを貶めようとしたということが後に分かり、強制労働の処罰も加わった。家から縁を切られた彼女には慰謝料を返すにはこの方法しかない。まさか協力を得たのがそんな恐ろしい人だとは思っても見なかった。自分は人を見る目がなかったのだと反省をしている。
結果的にはリゼリットと私の婚約破棄はなかったことになり、結婚することが決まった。今は王宮で仲直りと評したお茶会が開かれている。
「ローラン殿下が私を守って下さる為にあんなことを計画されたのですね……」
「あぁ、すまなかった……幻滅したか?」
「いいえ、私は殿下のことを信じていましたもの。あんなことをするのには理由があるのではないかとずっと思っていたのです……あの約束を私はずっと覚えていました」
彼女はあの時と変わらない微笑みを私に向ける。リゼリットはあの約束をずっと守っていたのだ。
「君は……本当に優しいんだな」
「そんなことありませんわ。私はまだ怒っていることがありますのよ?」
「それはなんだ? 言って欲しい。どんなことをしてでも君に償うよ」
リゼリットは耳を真っ赤にしながら少し間を置いてから口を開いた。
「わ、私も貴方に触れたい、です」
そういえば私とリゼリットは触れ合ったことがない。アネットに裾を触れられたことを彼女は不満に思っているのだろう。
「君は私にいつだって触れていい。だってわたしの妻じゃないか」
そう言うと彼女は席から立ち上がり私に抱きついた。大胆な行動に驚くと同時に彼女の温かさと幸福に包まれる。
「あの、こんなことしてはしたない、ですよね? ごめんなさい……」
「構わないよ。君には我慢をさせてしまったね」
「よかった……私のこと、絶対に離さないでくださいね?」
「勿論だ。絶対に離さない」
「……………絶対にですよ」
彼女のいつもの声音とは違う低い声で最後の一言が聞こえた。思わず彼女の顔を見たがいつも通り優しく微笑んでいた。
――気の所為だろう。
彼は再びその幸福感に身を委ねた。
リゼリットは優しく微笑み続ける。アネットが触れていた所を特に強く抱き締めた。
――幼少期から私だけを見つめてくれるその瞳が好き!私のために無茶をしてしまうそんな所が好き!
リゼリットは小さい頃から彼のことが好きだ。どうして好きになったのかというと、もう存在自体が愛おしくてたまらないのだ。少し愚かな所も、容姿も、匂いも全て。だから彼に近づく者には容赦はしなかった。あの男爵令嬢を泳がせている間も思わず手が出そうになったが自分の幸せのために必死に我慢していたのだ。邪魔なものであれば王でも暗殺してしまうような異常性をリゼリットは秘めている。
後にこの事件は暴君から婚約者を守ろうとした美談として語り継がれていく。少し愚かで真実を知らない王子様は彼女の心の奥深くを知らないまま幸せな時間を過ごすだろう。けれどもし、彼が選択を間違えば彼女の全てを知ることになる。
――貴方はあの王の血を引くのだから、もしかしたら間違いを犯すかもしれません。その時は私と一緒に××ましょう。それが一番の幸せに違いないのだから。
副題『束縛していたのは婚約者の方である』
fin