表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AとK  作者: 東久保 亜鈴
2/29

Kの巻(その一)

中学三年生の薫

幼いころから雑誌のモデルの仕事をしている美少女。

その薫が4月のある日曜日の昼間、大学生っぽく化粧や服装をして街角に立つ。

薫の目的は、自分の欲求を満たす男を物色すること。

なぜ、そんなことをしなければいけないのか、そんなことはお構いなしに、後腐れなく、邪な欲望を持っていなそうな男、あとは自分の好みに少しでもマッチする男を探す。

そして、街中を歩く大勢の男の中で気になった男性、裕樹に目を付けると、自分の直感を信じ、薫は裕樹の腕を取ると路地に引っ張り込む。


葵が翔太に声を掛けた同じ日曜日。

場所は全く離れているが、同じように晴れた穏やかで温かい日曜日。


とある都市の百貨店や専門店が立ち並ぶ繁華街。

ワイヤレスではない有線のイヤホンでYOASOBIの「怪物」を聞きながら歩いている高橋裕樹(たかはし ひろき)(26歳)は本屋の帰り道、いきなり手を掴まれ路地に引っ張り込まれる。

裕樹は、身長が170㎝中肉中背。

文学青年のような顔立ちで、今どきのネット文化に興味がなく、ひたすら活字を愛する性格で、スマートフォンは持っているが、ゲームもSNSもやらず、電話としか使用していない一風変わった性格の持ち主だった。


「な、なんだ?」

耳からイヤホンが外れ、垂れ下がる。

いきなりのことで動転する裕樹の前に一人の少女が燃えるような目をして立っていた。

ウェーブの掛かった長い髪に大きな奥二重の眼、顔の半分は隠れるマスクをしていた。

少女は顔を見せるようにゆっくりとマスクを外す。

体形は高校生のような体つきをしていたが、マスクを外すと、整った顔立ち、美少女コンテストに出てくるような美少女だった。


「おじさん、私を買わない?」

「おじさん?

 俺のこと?

 買わない?

 君を?」

目の前の美少女がいきなり『私を買わない?』と顔に似合わない台詞を口にするのに、裕樹はますます、動転する。

「もう。

 私の体を買ってと言っているの。

 自分で言うのも可笑しいけど、こんな可愛い女の子を抱けるなんて機会は、そうはないわよ」

「な…」

(何言っているんだ、この子は?

 確かに、美少女コンテストに出ても優勝間違いない美人だし、モデルと言っても可笑しくない。

 そんな子が、売春するのか?)

「2時間3万円でいいわよ」

戸惑う裕樹に少女は畳み込むように言う。

「さ、3万円?

 無理、無理。

 そんなお金、持っていないよ」

裕樹は小説家希望で、大学卒業後、昼間はバイトや文書校正のアルバイトをして生計を立て、空いている時間で執筆作業と、決して、余裕のある生活ではなかった。

「じゃあ、2万5千円

 2万5千円で私が相手をして上げるっていっているのよ。

 一生の思い出に、高くないでしょ?」

「無理だって。

 俺は、フリーターだから、手持ちのお金に余裕なんてないんだ」

(え?

 フリーター?

 もう、仕方ないわね)

少女は渋い顔をする。

「じゃあ、いくらなら出せるの?」

「5千円かな」

「ご、5千円?!

 どこの世界で、5千円で女の子を買えると思っているの?」

「そうだろ?

 だから、無理だって言っているんだ。

 他を当たってくれ」

(でも、確かにもったいないな。

 こんな、美少女が相手をしてくれるなんて、金輪際ないだろうが、ないものはない。

 無い袖は振れない)

後ろ髪をひかれる思いで、裕樹は少女に手を振って大通りに戻ろうとする。

「いいわ。

 5千円でいいわよ」

「だろ?

 じゃあ…え?」

「だから、5千円でいいって」

裕樹は聖人君子でもなんでもなく、どこにでもいる普通の若い男。

しかも、大学を卒業してからは女っ気が一切なかったので一気に舞い上がる。

「いいの?」

「しつこい!」

少女は少し怒ったような口調で言うと、マスクをはめなおす。


「君は?」

「名前はどうでもいいでしょ」

「歳は?

 若そうに見えるけど」

「女性に歳を尋ねないの。

 失礼よ。

 現役女子大生よ。

 いいでしょ!」

「あ、ああ」

少女にぴしっと言われ裕樹はたじろぐ。

「じゃあ、行きましょう」

少女は裕樹の手を握り歩き出す。

「行くって、どこに?」

「ホテルに決まっているでしょ」

「だから、そんなお金はないって」

「え?」

(確かに、5千円て値切ったんだから、お金は持っていないわね。

 さて、どうしようか)

「俺のアパートでよければ」

「一人暮らしなの?」

「ああ」

裕樹は頷く。

(一人暮らしの男の、しかも、アパートに行くなんて、何されるかわかったもんじゃないわ。

 だから、ホテルの方がいいのに…

 でも、折角人の良さそうな人を見つけたのに、それに少し私の好みだし。

ええい、選り好みなんてできないか…)


少女の名前は、宮崎薫(みやざき かおる)(14歳)。

裕樹とは15cm位の差がある150cm中程の身長。

背中まで伸びた黒髪。

奥二重瞼でぱっちりとした目、すっきりとした鼻立ち、可愛らしい口と、口元左下の小さな黒子がチャームポイントの美少女という言葉がぴったりするような少女だった。

実際、小学生の時から、その容姿でスカウトされモデルの仕事をしていた。

しかし中学2年の時、あることをきっかけに男の肌の温もりがないと落ち着かない、セックス依存症に陥っていた。

裕樹に声を掛けたのも、心とは裏腹に、強い性的な欲求からだった。


「家は?」

「ん?

 アパートは、ここから1駅先。

 市民病院のある駅だよ」

「駅からは?」

「歩いて10分ほど。

 住宅街だよ」

「ふーん」

(あの駅なら、結構栄えているし、住宅街ならいざという時、大声を出せばいいか)

薫は裕樹のアパートに行くことを決心する。

「じゃあ、いいわ。

 あなたのアパートに行きましょう。

 でも、アパートって綺麗?」

「ああ。

 一応、新築で鉄筋コンクリート、バストイレ付きのワンルームタイプだよ」

「部屋の中は?」

「ん?

 大丈夫だって。

 そうでなければ、誘わないよ」

(嘘。

 お金がないからって、さっき言ったじゃない。

 汚かったら、早々に逃げ出そう)


二人は駅に向かって歩き出す。

「ねえ、おじさん」

「“おじさん”て、言うな。

 これでも、まだ二十代だ。

 高橋裕樹。

 裕樹と呼んでくれ」

(わ。

 ひょっとして、本当の名前?

 それに二十代って、立派な“おじさん”よ)

「高橋秀樹?

 役者さん?」

「ちゃう。

 裕樹だ」

「冗談よ。

 裕樹は、SNSとかやっている?」

「SNS?」

「ツィッターやフェイスブック、インスタグラムとかのことよ」

「ふーん。

 一切やっていないよ」

その一言に薫は目を輝かせる。

(やったぁ。

 私の見立て通りだわ。

 後でこっそりと撮られた写真を拡散されたり、リベンジなんとかに使われたりされたら冗談じゃないもの。

 でも、もうひと押しっと)

「ほんと?

 LINEやブログ位はやっているでしょ?」

「それも、やっていないよ。」

「えー、うそー?!

 スマフォ、見せて」

「な、なんで?」

「今どき、SNSも何にもやっていない人なんて見たことないもの

 どんな画面なのか見てみたい」

裕樹は電車に乗ると躊躇なく鞄から自分のスマートフォンを取り出し、薫に渡す。

(この人、本当に純朴な人ね。

 疑うこともしないのかしら。

 …

 本当に、何も入っていないわ。

 LINEもゲームもまったくない…)

()()は、連絡手段は何を使っているの?」

「電話だよ」

「そうだ!

 パソコンは?

 パソコン、持っているでしょ?」

「ああ。

 持っているよ。

 ワープロ代わりに使っているし、調べ物で使っている」

「そうなんだ」

(じゃあやっぱり大丈夫ね)

薫は安堵で胸を撫で下ろす。


電車を降り、しばらく歩くと子供の遊ぶ声が聞こえる住宅街に入っていく。

街路樹の葉の間から陽の光がきらきらと薫の顔を照らす。

眩しそうな顔で上を向くと、綺麗な青空が目に入った。

(私、一体何をしているんだろう…。

 普通に中学生として生活したいのに。

 まるで、バンパイアみたいに体が勝手に男の人を欲しがるなんて)

薫は胸がきゅっと締め付けられる思いをした。


「どうしたの?」

「え?」

いつの間にか裕樹は綺麗な鉄筋3階建てのアパートの前で立ち止まっていた。

「ここだよ。」

「え?

 ここ?」

裕樹が目の前のアパートを指さす。

「どうした?

 やめとく?」

裕樹が優しく言うと、薫は俯き首を振ると、顔を上げ、まるで人が変わったように笑みを浮かべる。

「なんでもないわ。

 行きましょう」

(どうせ、私はこんなもん)

薫は自分に言い聞かせていた。


部屋は1階の角部屋だが、日当たりはよかった。

ドアを開け、薫に先に入るように勧めるが、薫は裕樹の後から部屋に入り、裕樹がドアにロックをしようとすると、その手を押し止める。

「鍵は掛けないで。

 私、閉所恐怖症みたいなの。

 鍵を掛けられると、閉じ込められたみたいで、怖くなっちゃって」

(疑っているわけじゃないけど、念のために逃げ道を確保しないとね。)

そう言われて裕樹は特に気分を害すことなく、頷いた。

中に入ると1DKの広めの部屋で、ダイニングキッチンが広く、テーブルの上にはワープロ代わりと言っていたノートパソコンが置いてあった。

横にはシングルベッドが置いてあり、全体的に裕樹が言ったように部屋の中は綺麗に整理整頓されていた。

「へぇ~。

 裕樹って綺麗好きなんだ」

ベッドも綺麗に整頓されていて、ミノムシのようにベッドから抜け出したままにしている薫にとっては、感心するほどだった。

「そうだね。

 自分がいるところは、ある程度綺麗にしていないと落ち着かなくてさ」

「ふーん。

 そうなんだ」

(まったく、想像していた通り。

 性格も良さそうな人。

 この前のおじさんなんて、終わった後もしつこく付きまとわれて、大変だった。

 この人なら、後腐れなく出来そう。)

「何か飲む?

 コーヒーとかあるよ」

「ううん。

 いらない」

(人は良さそうでも、睡眠薬やなんかのクスリ入りの飲み物を出してくるか、わかったものじゃないもの)

「そうか」

飲み物を薫に断られ、裕樹は手持無沙汰だった。

「ねえ。

 いいから、しようよ」

「え?」

たじろぐ裕樹を後目に、薫はコートを脱ぎ、セーター、ブラウス、スカートを脱ぎ、下着だけになる。

薫の身体は、まだ成長途中のように、少女と女性の間の様だった。

その格好のまま、ベッドの布団に潜り込む。

布団の中は、定期的に洗濯しているようで男臭くなく、洗濯洗剤の匂いがした。

(わぁ、いい感じ。

 布団もふかふかしているに、シーツやカバーも綺麗。

 ラッキーだわ)

ふと裕樹の方を見ると、裕樹は固まっているように薫を見つめていた。

「ねえ、早く。

 早く来て」

薫が甘い声で裕樹を誘うと、裕樹の中の若い男が目を覚ます。

裕樹は学生の時に彼女がいたが、卒業の前に別れ、それから女っ気が一切なかっとので、目の前の薫に我を忘れるのも無理もなかった。

裕樹は誘われるままに服を脱ぎ、布団の中に入ると、薫のつけているオーデコロンの仄かな香りか、それとも薫の体臭なのか良い香りが欲望を沸きたてた。


ことが終わると、裕樹はもそもそと布団から這い出る。

「先にシャワーを浴びてくるから、僕が出たら、入ればいい」

「薫。

 私、薫っていうの」

(え?

 私、何で、この人に名前を名乗っているの?

 どうしちゃったの?)

薫は、体を売って交えた男に名前を名乗ったことはなかったので、自分でも驚いていた。

「わかった。

 じゃあ、僕が出たら、薫ちゃんもシャワーを浴びてね」

「はい…」


薫はバスルームに入っていく裕樹を見送ると、布団の中で仰向けになり、伸びをする。

(あの人、男のくせにいい匂いがしたな。

 それよりも、何て優しく私を抱いてくれたんだろう。

 今までの男は、私の痛がる顔を見るのを喜んで、荒々しくするだけで、全然気持ちよくもなんともなかったのに。

 凄く優しくて、なんとなく気持ち…良かった…な…

 満足…)

薫は、精神的な緊張がほぐれたのか、眠気に襲われ、いつの間にか眠っていた。

「薫ちゃん、シャワー空いたよ」

裕樹はバスルームから出ると、薫に声を掛けるが、薫から返事はなかった。

裕樹がベッドに近づくと、薫は先ほどまで見せていたどこか大人びた顔ではなく、十代半ばの少女のような顔をして眠っていた。

(寝ているのか。

 よく見ると、子どものような顔をしているな。

 体つきも子供のようだし、大学生っていうのは嘘だな。

 高校生?

 もしかして、中学生?

 まさかな)

裕樹は改めて眠っている薫の顔を見ると、薫は気持ちよさそうな顔をしていた。


(え?

 私、眠っていた?

 ここは…)

薫は目を覚ますと、しばらく自分の状況が理解できなかった。

(ここは、裕樹のアパート。

 私、あの後、眠っちゃったんだ)

「裕樹?」

薫は上半身を起こし、裕樹を探したが、部屋には裕樹の姿も気配もなかった。

(どこに行っちゃったんだろう)

枕元には裕樹が薫のために出したと思われる大き目のバスタオルが置いてあった。

薫は立ち上がり裸体にバスタオルを巻き、辺りを見渡すと、テーブルの上にメモが置いてあった。

メモには、買い物に行ってくるので、起きたらシャワーを浴びるようにと書かれていた。

(ふーん。

 買い物に行っているんだ。)


時計を見ると、午後四時を回っていて、窓の外の陽の光は、黄色に変わっていた。

(私、どのくらい眠っていたんだろう。

 (セックスを)した後に眠っちゃうなんて、初めてだわ。

 写真やビデオに撮られたかしら…

 でも、そんなことする人じゃないよね)

室内を見渡しても、ビデオやカメラは一切なかった。

それに裕樹のスマートフォンがテーブルの上に無造作に置かれていた。

(そうだ、私の荷物は。

 中を見られたかしら)

バッグを探し、中を開けたが、裕樹が開けて、中身を漁ったような形跡は一切なかった。

(本当に、良い人ね。

 お人好しもいいところね)

薫は心配がすべて取り越し苦労だとわかると、顔をほころばす。

体がだるかったが、不快なだるさではなく、心地良いだるさだった。

(さてと。

じゃあ、遠慮なくシャワーを浴びさせてもらおうかしら)

バスルームも綺麗に整理整頓されていて、明るく気持ちよかった。

(本当に、綺麗好きな人なんだ。

 私も見習わなくっちゃ

 でも、私…)

男に弄ばれ、それでも男を求めてしまう、14歳の薫には厳しい現実だった。

バスルームから出て、服を着て、椅子に座る。

裕樹が帰ってくる前に、出て行っても良かったのだが、薫はその気にならなかった。


少しして、裕樹が戻って来る。

手には、飲み物が入ったコンビニの袋と、駅近くにあったケーキ屋の箱を下げていた。

「おっ、起きて、シャワーを浴びたか?」

裕樹の問いかけに薫は小さく頷く。

「大丈夫?」

裕樹は、アパートの入る前、立ち止まった時の薫が、儚げに透き通って見えた気がしたのと、実際に抱いてしまい体に痛みがないか心配だった。

「え?」

(なに?)

いきなり、薫の眼から涙が一粒流れ落ちる。

「え?」

「ううん。

 大丈夫。

 何でもない。

 さっき欠伸したから」

(下手な嘘。

 でも、なんで。

 何で涙が)

薫自身もなぜ涙が出たのか見当が付かなかった。

「そうか。

 飲み物買って来たよ。

 カフェオレにミルクティ、抹茶オレと何がいい?」

裕樹はそう言いながら、缶やペットボトルをテーブルの上に並べる。

「甘いのばっかり」

「え?

 甘いの嫌いか?」

「ううん。

 好きよ。

 でも、裕樹がダメじゃない?」

「いや、結構好きだよ。

 頭を使った時とか、甘いものが欲しくなるし」

「あの後も?」

「え?」

「ううん。

 なんでもない」

薫は自分が馬鹿なことを言ったと顔を赤らめる。

「わ、私、ミルクティがいい」

(ペットボトルで封が開いていなければ大丈夫)

薫はミルクティのペットボトルを手に取り、こっそりと、封が開いていないことを確認する。

「それと、駅前でケーキを買って来たんだ。

 食べない?

 今、皿を持ってくるね」

「あっ」

薫は“いらない”と言おうとして思いとどまり、代わりにケーキの箱をチェックする。

(シールをはがした形跡はないわね。

 大丈夫そう)

「どうしたの?」

皿とフォークを持って裕樹が戻って来る。

「ううん。

 何でもない」

(お皿やフォークに薬品が塗り込んであるかも…)

「大丈夫だよ。

 綺麗だから」

裕樹は薫が皿を見て汚れていないかを心配しているのかと思った。

「どっちがいい?」

皿を置き、裕樹はケーキの箱を開け、中に入っているケーキを薫に見せる。

箱の中は、イチゴがたくさん乗ったショートケーキと薄く削ったチョコレートがふんだんに乗り、真ん中にチョコレートで花の形に盛り付けてあるチョコレートケーキが入っていた。

「裕樹は、どっちがいいの?」

「ん?

 どっちでもいいよ」

「美味しそうだから、どっちも食べたいな。

そうだ。

半分ずつにしましょう。

お皿貸して」

薫は裕樹から皿とフォークを受け取ると、2本のフォークで上手にケーキを皿にのせる。

「はい、どうぞ」

上手に皿をチェンジして、自分のところにショートケーキを残、チョコレートケーキを乗せた皿を裕樹の前に戻す。

「あれ?

 半分ずつじゃないの?」

「うん。

 お互いに半分まで食べたら、交換ね」

「わかったけど、半分て難しいな」

「じゃあ、ここまで!」

戸惑う裕樹を後目に薫は身を乗り出し、フォークで裕樹の前のチョコレートケーキに線を引き、自分の前のショートケーキにも線を引く。

「いただきます」

「召し上がれ」

薫の笑顔に裕樹が答える。

「美味しい!」

薫は一口ケーキを頬張ると、蕩けそうな笑顔を見せる。

(普通でも可愛いけど、この笑顔はもっと可愛いな)

ケーキを食べながら裕樹は、薫の顔を見惚れる。

「あら?

 裕樹、食べないの?」

しばらくして薫は裕樹のフォークが動いていないのを見て尋ねると、裕樹はフォークでケーキを指し、笑顔を向ける。

「あ、もう半分食べたんだ。

 早いなぁ。」

裕樹は目の前のケーキを薫が付けた線まで食べ終っていた。

薫は急いで自分のケーキを線まで食べると、皿ごと裕樹のケーキと交換する。

(これで安心ね。

 お皿に薬品が付いていたら、これで、二人とも食べることになるんだから)

薫はちらりと裕樹の顔色を窺う。

裕樹は、表情を変える訳でもなく、笑顔で薫が食べた残りのケーキを食べ始める。

(心配し過ぎね。

 安心して残りのケーキを堪能しましょっと)

口にしたチョコレートケーキは、チョコレートの甘さとほろ苦さで美味しかった。


「ねえ、裕樹は何の仕事をしているの?」

ケーキを食べ終わって一息つくと、薫は興味津々の顔をして尋ねる。

「フリーター。

 ほら、駅を超えたところにある図書館でバイト…、契約社員で働いているんだ。

 それと、自宅でこれを使って文書校正の仕事」

「えー?

 なんで、会社勤めしないで、フリーターしているの?」

「俺、小説家志望なんだ」

「小説家?」

「そう、小説家。

 バイトで生活費を稼いで、空いている時間で、小説を書いているんだ」

「へぇ~。

 小説家さんなんだ。

 どんな小説書いているの?

 時代物?

 恋愛もの?

 それとも、SF?」

「いろいろ。

 その時、頭にひらめいたものを書いているんだよ。

 定期的に投稿しているんだけど、一向に良い返事がもらえなくて」

裕樹は自重気味に笑って見せる。

「えー?!

 面白そう。

 ねえ、私に見せて」

「え?」

「見せて、見せて」

裕樹は、どうしようかと少し考えたが、頷くと、テーブルの上のノートパソコンを開いて見せる。

(ラッキー!

 パソコンのチェックも出来ちゃう)

裕樹のノートパソコンのデスクトップには、裕樹が書いた小説と思われるワードの文書ファイルが、これでもかと並んでいた。

(わ!

 ワード文書以外は、何もないわ)

薫は安心するより、ワード文書の量に目を丸くする。

裕樹は、その中のあるワード文書を開いて見せる。

「これは、社会人になった男が、毎日の通勤電車で妄想を描くっていうやつだよ。

 短編だから、直ぐに読み終わるよ」

「いい?」

「ああ」

薫は裕樹に確認すると、裕樹が開いた文書を読み始める。

最初は真面目な顔で読んでいたが、途中からニヤニヤし始める。

「面白い。

 男の人って、通勤電車の中でこんなこと考えているんだ」

「フィクションだよ、フィクション。

 実際じゃないからね」

「でも、ありえそう」

そしてニヤニヤしたまま、最後まで読み終わる。

「これ、絶対に面白いわ。

 応募したの?」

「ああ。

 でも、二次選考で敗退」

「なんで?

 こんなに面白いのに」

「自分でもいい線行くかなと思っていたんだけどな」

「審査員の眼は節穴よ。

 絶対に面白いって」

いつの間にか、薫は夢中になっていた。

それからしばらく二人は小説の話で盛り上がる。

裕樹の話は面白く、また、裕樹の人柄か、薫に対し“上から目線”ではなく対等に話しかけるのと、随所で見せる優しさで、薫は裕樹の傍にどんどんと居心地の良さを感じていた。


「あ!

 いけない。

 もう帰らなくっちゃ」

時間の経つのを忘れ、気が付くと外は真っ暗で午後の7時近かった。

「薫ちゃんの家は?」

「私の家は、電車でもう二駅いったところよ。

 ここからだと、4、50分っていうところかしら」

その頃になると薫の心から裕樹に対する警戒心は綺麗に無くなっていた。

「そうか。

 途中まで送るよ」

「じゃあ、駅までお願い。

 方向音痴だから、慣れていない道は自信がないの」

「ああ、いいよ」

「ねえ、裕樹。

 裕樹はいつ休みなの?」

「休み?

 シフト勤務で毎週水曜日と日曜日」

「じゃあ、今度また遊びに来ていい?」

「え?」

驚く裕樹に薫は上目遣いで少し怒った顔をする。

「迷惑?

 私といると嫌?」

「そんなことないよ。

 そ、そうだ。

 5千円」

裕樹は思い出したように、財布から千円札5枚だし、薫に渡す。

薫は一瞬、何とも言えない顔をしたが、直ぐに、笑顔で受け取る。

「安かったでしょう」

「え?

 う、うん」

裕樹は薫に、もう、こんなことは止めるようにと諭そうと思ったが、お金が欲しいからではなく、何か訳がありそうだと薫の態度を見て来て思ったので、口をつぐむ。

「でしょ?

 だから、また来るね」

薫に強引に押し切られたように裕樹は苦笑いして頷く。

二人は夜道に肩を並べるようにして、駅に向かって歩いて行った。


それから1週間たった火曜日の午後。

いつものように、裕樹は図書館で働いていた。

「高橋君。

 ちょっと、窓口をお願い」

「はい」

書庫の整理をしていた裕樹は、マネージャーから声を掛けられ、受付カウンターに座る。

受付カウンターは、図書の貸し出しカードの新規発行や継続手続きを行うのが主な仕事だった。

「あのぉ、すみません」

裕樹がカードのチェックで下を向いていると、若い女性の声で話しかけられる。

「はい…い?!」

目の前には学生服を着て、ストレートの髪、顔半分隠れるほどの大きなマスクをしていたが、目元などは、確かに薫だった。

「か、薫ちゃん?」

思わず裕樹が声を上げると、周りの人々がうるさいというような顔で裕樹を見る。

しまったという顔をする裕樹を見て、薫はくすくすと笑う。

「裕樹、だめじゃない。

 図書館の中では静かにしなくっちゃ」

「ああ」

落ち着いた裕樹は、薫をまじまじと見つめる。

髪形以外は、この前会った時の薫と一緒だった。

そして、着ている制服は紺色のブレザー、その下は、同系色のベストと、膝下丈のスカートの質素だが品のある中高一貫の有名女子校の制服だった。

(高校生だったか)

制服姿を見て、裕樹は思った。

「図書カード、作りたいのですが」

薫は澄ました声で言う。

「はい。

 じゃあ、この紙に住所、氏名などを記入し、学生証などの身分証明の提示をお願いします」

裕樹は少し落ち着きを取り戻し、事務的な口調で、受付用紙を薫に渡す。

「はい」

薫は用紙を受け取り記入すると、学生手帳方学生証を取り出し、裕樹に用紙とともに渡す。

裕樹は本人かの確認作業に入ろうと受け取った学生証と用紙の記載に目をやった途端、思わず声を上げる

「ちゅ、中学3年生!!」

「しっ」

近くにいた他の職員が裕樹に注意を促す。

(お、俺、中学3年生を買ったのか?

 は、犯罪だろうに…)

茫然とする裕樹を見て、薫はくすくすと笑う。

「お兄さん。

 手が止まっていますよ」

薫は芝居掛かった声を出す。

「あ、ああ。

 すみません…」

裕樹は、動転しながらも手続きを済ませる。

それから、小1時間ほど、薫は本を選び、閲覧用の机で選んだ本を読んでいたが、裕樹は、薫が気になって、常にちらちらと薫の方を眺めている。

(だけど、本当に綺麗な子だな)

姿勢よく真剣な顔で読書する薫の横顔は、マスクをしていても品のある美少女そのものだった。

それを裏付けるように、近くの男子学生や大人の男性まで、ちらちらと薫を見ているようだった。

薫は帰りがけに裕樹に寄って来る。

「すみません。

 この本をお借りして帰りたいのですが、どうすればいいのですか?」

口調までも澄ましていた。

「その機械の上におくと、確認画面が表示されるから、間違えなければ確認ボタンを押してくれればいいですよ」

「まずは、ここにおいて…

そうしたら、確認ボタンを押す…と」

薫は操作をしながら、こっそりと裕樹にメモの切れ端を裕樹に渡す。

「ありがとうございました」

薫は操作が終わるとにっこりと笑い、裕樹にお辞儀をして、図書館を出て行く。

(あんな可愛い子が、しかも中学生が売春かぁ…

 でも、値切れたし、お金目当てではないようだしなぁ。

 何が目的なんだろう)

裕樹は、薫の後ろ姿を見送ったあと、渡されたメモを開いてみる。

『明日、お休みでしょ?

 学校帰りに行くから、家にいるように。』

メモには綺麗な字で、内容は命令口調のような文書だったが、最後に絵文字でウィンクしている顔が掛かれていた。

(また、5千円?

 そのうち、生活費に響いて来るなぁ)

裕樹は、明日、薫に会える喜びと、生活費を考え、小さくため息をつく。


セックス依存症。

この言葉は、学術用語にないそうで、『性嗜好障害』が正式名のようです。

要は性に対する考え方が一般的な常識から逸脱していることと定義されていますが、難しく意味が分かりづらいです。

しかし、異性に異常な執着心がある男が、女性を襲う事件は後を絶ちません。

その加害者の男は何度も繰り返すのであれば、やはり依存症なのでしょう。

そして、依存症は何も加害者だけに限りません。

被害者である女性もなりえるということです。

偶然聞いた話ですが、その人の知り合いの奥さんは結婚する前、性嗜好障害だったそうです。

なんでも、昔付き合っていた彼氏に虐待のように性暴力を受け続けられたことが原因で、そして、優しい知り合いの男性と付き合うようになり、次第に障害を乗り越え幸せな結婚生活を送ることができたとのことです。

ただ、成功例だけとは限らないのが人の心です。

次回、薫は初めて自分が「セックス依存症」と裕樹に告げます。

なぜ、裕樹に告げる気になったのか、聞いた裕樹の反応は。

お楽しみに。


あ、次回は葵の巻きでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ