Aの巻(その七①)
葵の通う高校は時節柄、休校が続いた遅れを取り戻すために土曜日の授業があります。
そのため、アルバイトも土曜日は学校のあと、日曜日は朝からです。
数年前、今の状況が流行る前は高校の授業は土曜日休みだったのですが、いろいろなところに影響が出てます。
早く以前のような状態に戻ればいいと願うだけです。
前書きが長くなりました。
翔太のところで暮らし始め、何でも翔太に揃えてもらうのは流石に気が引ける葵は、スーパーでレジ係のアルバイトを始めます。
翔太としては、バイトが大変じゃないか、嫌な目に合っていないか気になってしかたがありません。
気になって覗きに行きますが、それが事件に。
6月に入り、鬱陶しい雨の日が多くなった頃。
葵の通う高校の教室で葵と楓花が机を挟んで話をしている。
「もう、雨の日は嫌い。
湿気で髪の毛が広がっちゃうし、匂いも気になるし」
「へ?
楓花ちゃん、綺麗なストレートヘアじゃない。
それなのに広がっちゃうの?」
「そうよ。
一生懸命、朝、ドライヤーで整えても、家を出たとたんにジャバラララって」
楓花が可愛らしい口を尖らす。
「“ジャバラララ”?」
「そうよ。
扇子を下に向けて広げたように横に広がっちゃうの」
そう言われると確かに毛先が広がっているように見えるが葵にはそんなにひどく見えなかった。
「葵ちゃん、ショートにしたから平気でしょ?」
「ま、まあね。
でも、油断するとすぐピョンピョン跳ねちゃうよ」
「そうなんだ。
やっぱり大変よね。
でも、葵ちゃん、ショートも可愛いよ。
ほら、女優の“はまみー”みたい
…
ちょっと違うか。
葵ちゃんのフェイスラインはシャープだもんね
でも、可愛いわ」
「本当?
ありがとう」
葵は嬉しそうな顔をする。
1週間前、葵は茜の勧めでこの界隈で人気の出てきた美容院で髪をショートにした。
それまでの葵は、たまに安い美容院で髪をカットするかあとは自分で挟みを使って切り揃え、よく言えばウルフカットのような髪型だった。
「葵。
その髪型じゃモテないよ。
ほら、最近出来た美容院あるじゃない。
結構腕もいいし、人気もあるよ。
学割でカットも半額の3千円だって。
そういうところに行ってお洒落しなさいよ」
「3千円かぁ」
「バイトやるんでしょ?
今回は出してあげるから、気に入ったらバイト代で次も行けばいいじゃない。
3千円ならたまに行っているおばちゃん相手の美容院よりいいって。
それに、綺麗になれば翔太も喜ぶよ~」
「お姉ちゃん、また、翔太さんのことを呼び捨てにして」
「まあまあ。
葵は素がいいんだから綺麗にすれば、翔太イチコロよ」
「そ、そうかな」
(翔太さん、喜んでくれるかなぁ)
茜におだてられて葵は勧められた美容院でカットする。
「え?
これ、私?」
「そうよ。
可愛くなったでしょ?」
カットが終わり仕上がりを鏡で見た葵は思わず嬉しくなる。
鏡に映った自分の顔は、なんだか数倍大人びたようだった。
「ただいまー」
「おう、おかえ…」
帰ってきた葵を見て翔太も思わず息をのむ。
(な、なんだ。
めちゃ可愛い…。
首筋も、綺麗な首筋も丸見えだし、最近唇もピンクがかってきて、その髪型だと一層映えて可愛いこと。
髪型でも随分と印象が変わるなぁ。
うぉー、たまらん)
「翔太さん?」
黙りこくる翔太を葵は怪訝そうに見つめる。
(似合わなかったのかしら。
どうしよう)
「え、あ、ああ。
いや、凄く可愛くなって。
凄くいいよ!!」
心配そうな葵の顔を見て翔太は大慌てで答える。
「本当?
本当に?」
「ああ」
「お世辞じゃなくて」
「ああ」
「えへ。
えへへへへへ」
翔太に褒められ、葵は体が熱くなる。
それに比例して葵の香りが翔太の鼻をくすぐる。
「や、やべーって。
葵ちゃんのいい匂いが、たまらん」
「え?」
つい口に出た翔太の言葉に葵は反応する。
(なに?
匂いって?)
慌てて葵は自分の着ている洋服の匂いを嗅ぐ。
「あ、いや、なんでもないよ。
雰囲気がいいなって。
そ、そうだ。
シャンプー、いい匂いだなって」
慌てて取り繕う翔太。
「そうですか。
初めてだからサービスって言ってシャンプーしてもらったから、その匂いですね。
そう、高級そうでいい匂いがしてました」
「そうだよね。
こ、今度、そのシャンプー何かって聞いてみたら」
「はい!」
その時の翔太の反応を思い出し、葵はニヤニヤする。
「葵ちゃん、なにニヤニヤしているのよ。
何を思い出したの?
もしかして、彼氏?」
「え?
彼氏?」
「そうよ。
彼氏ができたなら教えなさいよ」
一瞬翔太のことを言われたのかとドキドキしたが違うみたいだと分かり、ほっとする。
「楓花ちゃん、コロンつけているでしょ?!
いい匂いよ」
葵は一生懸命話を逸らす。
「わかる?
そうなのよ。
これからの季節は、妙に汗臭くなったりするから、デオドラント付けているの。
葵ちゃんも何か付けているでしょ?」
「え?
私?
ううん、何も付けてないよ」
「ええー?!
それでそんないい匂いなの?」
「え?
いい匂い?」
「うん。
何もつけていないなんて、いいなー!
私、葵ちゃんの匂い、大好きよ」
楓花は葵に抱き着く。
「えー?!
何だか恥ずかしいよ」
葵は翔太が口走った『いい匂い』という言葉を思い出した。
(私って、どんな匂いなんだろう。
気になるなぁ。
でも、翔太さん、嫌がっていないからまあいいかぁ)
その夜。
夕飯を食べながらいつものように学校での出来事を楽しそうに報告する葵。
翔太もその嬉しそうに話す葵を見るのが好きで、聞き上手に回っていた。
「それで楓花ったら、私の…」
自分の匂いのことを言われたのを思い出し躊躇う葵。
翔太がどう感じているのか聞きたい反面、恥ずかしくて聞けなかった。
「そうそう。
明日からバイトだよね」
「はい。
初日なので早く来てって言われて。」
「そうなんだ。
でも、あのスーパー、店も大きくて結構繁盛しているって。
レジ、結構大変じゃないの?」
「ううん。
お金は自動精算機なので、品物のバーコードを読ませるだけですよ。
それに、感染対策もしっかりしているって」
「ああ、知っている。
ちゃんと大きなビニールみたいので分けているんだよね」
「え?
翔太さん、知ってるんですか?
確かあのスーパーに入ったことがないって」
「い、いや。
たまたま寄っただけだよ」
(葵ちゃんがバイトするからって、わざわざ見に行ったなんて言えないし、な。
それにあそこ、スーパーなのに可愛い制服なんだよな。
でも、年配のおばちゃんにはちょっときついわな)
「翔太さん?」
「え?
あ、いや。
そうそう、そのスーパーには行かないようにするからね」
「なんでですか?」
「だって、恥ずかしくないか?
俺が行って、『よっ!』なんて言ったら」
「『よっ!』は確かに恥ずかしいかも。
普通に来て買い物をしてくれればいいですよ。
おまけは出来ないけど来てくださいね」
「おー、何だか宣伝しているみたいだな。
売り上げに協力してくださいみたいな」
「そうですね。
売り上げが良ければ、バイト料も上がるかも。
えへ」
葵は舌をぺろりとだし、笑って見せる。
(何が『えへ!』だ。
可愛いじゃないか)
翔太は思わず目尻を下げる。
食後、葵は風呂上がりのいい匂いをさせながら部屋に戻っていく。
翔太は葵を見送ったあと風呂に入り、冷蔵庫からロング缶のハイボールを取り出し、ソファに寄り掛かり、ハイボールのプルトップを開け、ゴクゴクと美味しそうに飲む。
(ふう。
明日からは一人の時間が増えるぞ。
バイトに送り出したら、どうしようか。
誰かを呼び出して、ホテルへ直行も悪くないな。
というか、行くべきだ。
なんてね)
若手漫才の真似をして苦笑いする。
(でも、いきなり昼間からホテル行こうと誘って付いてくる娘なんかいやしないよな。
やっぱり大人しくまずは映画か…
少し前なら大ヒットしたアニメやっていたけどな。
そう言えば葵ちゃんはアニメを見ないのかな。
高校生くらいだとみんないろいろなアニメを見ていると思うけど。
そっか、ネットで見ているんだろうな。
何が好きなんだろう…
いやいや、今は明日の予定だって)
翔太はハイボールを二三口飲み込む。
(遊園地…。
葵ちゃん、水族館が好きだけど、遊園地はどうなんだろう。
ジェットコースターとか好きかな。
俺は苦手だけど…
って、いかんいかん、何を考えているんだ。
大人の女性とのアバンチュールはどうした?
どうした翔太?
いくら高校生になったからって、ガキんちょだろうに。)
一気にハイボールの残りを飲み干す。
(大丈夫かな。
初めてのバイトで。
明日、見に行ってみるか…)
そして夜も更けていく。
翌日、学校から帰ってきて昼食と着替えを済ませアルバイトに行く葵。
「翔太さん、大丈夫ですか?」
「え?
な、何が?」
「い、いえ。
一人で寂しくないかなと思って」
「大丈夫だよ。
いつも平日は一人だし」
「そうですが…」
(少しは寂しいなって思ってくれないかな)
ちょっと失望する葵。
「じゃあ、いいです。
行ってきます」
少し怒ったように家を出て行く。
「ああ、頑張ってね」
(なんか怒っている?
いや、初めてのバイトだから気が立っているだけかな)
葵の気持ちがわからない翔太。
(さてと、寝直すか。
たまにはゴロゴロと。)
結局、翔太はどこにも行かずに家でゴロゴロすることにした。
少しして翔太は葵の部屋のドアをノックする。
「葵ちゃん、おやつ何か食べる?」
いつもの癖で葵の部屋に向かって話しかける。
(おっと、葵ちゃんはバイトでいなかったんだな)
一人でいると、何となく物足りなく感じる。
平日は仕事をしているので感じなかったが、休みの日に一人でいるのが不思議だった。
それにおしゃべりが好きで明るい葵がいないと煌々と明かりを点けていても驚くほど部屋が暗く感じた。
(葵ちゃん、どうしているかな。
ちゃんと仕事で来ているかな。
おばちゃんたちにいじめられていないかな。
クレーマーに絡まれていないかな…
…
…
見に行ってみよう)
翔太は立ち上がると外着に着替え、大きなマスクと野球帽を深々と被りサングラスを掛けると部屋を出る。
管理人室の前を通ると管理人が“ぎょっ”として不審者を見るように翔太を見る。
その視線に気が付き翔太はサングラスを外して挨拶をすると、管理人は翔太だと認識したように笑顔になり会釈をした。
(よしよし。
これなら葵ちゃんに見られても気が付かないな)
翔太は自分が不審者に思われていると気が付かず、変装が上手くいっていると悦に浸っていた。
周りからの訝しがる視線を気にせずに葵のバイト先に歩いていく。
スーパーに入りレジから遠くに立つと、レジの方を眺める。
レジの列の一番端に初心者マークの札が貼られたところで葵が一生懸命品物を籠から出し、バーコードを読ませ、レジが済んだ品物を入れる籠に移していた。
(やってる、やってる。
頑張っているな。
そうそう、スマイルを忘れないように)
周りの客や従業員の奇異の目で見られながら翔太は15分くらいそこに立って葵を見ていた。
そして、テキパキと仕事をこなしていく葵を見て、安堵で胸をなでおろし、何も買わずにスーパーを後にする。
夜、19時前に葵は元気に帰って来る。
「ただいまー!」
「お帰り」
スーパーに見に行ったことを気取られないように、何事もなかったかのように振舞う翔太。
「疲れたろう?
お風呂入れておいたから、入って休憩してな」
「え?」
今まで一人の家に帰ってきて誰からも気遣ってもらった記憶がない葵は驚いて自分の耳を疑う。
「ほら。
店の中って言っても埃だらけだろ。
それに立ち仕事なんだし、ゆっくり温まってリラックスせにゃ」
「せにゃ?」
翔太の言い回しが葵のツボに入る。
しばらく笑いを噛み堪えていた葵は、凄く嬉しくなり笑い涙と感動の涙がごっちゃになっていた。
「じゃあ、折角だからそうします」
「うんうん」
葵は部屋に向かいながら翔太の方に振り向く。
「翔太さん。
ありがとうございます」
「お、おう!」
飛び切りの笑顔を見せる葵に翔太は照れくさくなった。
ちゃぽん
湯船に浸かりのんびりする葵。
葵にとって湯船に浸かってのんびりするなんて翔太のところに来てからだった。
それまでは、アパートに風呂はなく、銭湯に行く金もなく、アパートの中で盥にお湯を入れ浸かりながら体の汚れを流すことしかできなかった。
中学になり年頃になって来るといろいろな匂いが気になり、毎日大変な思いをしていた。
夏はまだいいが冬になると凍えるような寒さとの戦いもあり、今こうして肩まで温かなお湯に浸かれるのは天国にいるようだった。
良い香りのするシャンプーに石鹸。
すべて翔太が揃えてくれ、葵は不自由なく使え、友達と会っても何も心配することが無く、思えば、それも理由の一つで、中学の時は自然と友達を遠ざけていたのを葵自身、気が付いていなかった。
「お風呂っていいなぁ。
気持ちいい…」
葵は風呂が大好きになっていた。
しかも、アパートの時はやはり部屋の中とはいえ覗かれていたらとか周りが気になっていたが、翔太のところは脱衣所兼洗面所と廊下のドアに鍵、また、バスルームのドアにも鍵があり、翔太が覗くことはないとわかっていたが安心でき、いつしか葵は長湯をするようになっていた。
「翔太さん、お風呂先にいただいてすみません。
いいお湯でした」
葵は丁寧にお礼を言う。
「お、おう」
葵の顔はお風呂でゆっくり温まったのか上気した顔をしていて、それがほのかに色気を醸し出していた。
また、部屋着代わりに着ているピンクのスェットの上下が丸みを帯びてきた葵のシルエットを映し出し、それも翔太を刺激する。
「なんだか翔太さんたら、さっきから『おう』としか言わないみたい」
葵が面白そうな顔をする。
「お、おう。
い、いや、そうかなぁ。
それより、風呂上りは牛乳か?
それとも冷たいお茶がいいかな」
翔太はわざと葵の方を見ないようにして、冷蔵庫のドアを開けて、中を覗き込む。
「私、牛乳で。
自分でやりますよ」
小柄な葵は冷蔵庫と翔太の間に入り込み、牛乳パックを手に取る。
風呂上がりの洗い立ての髪のいい匂いが翔太の鼻をくすぐり、目眩のような感覚を覚える。
とん
「あ、ごめんなさい」
牛乳パックを手に取り後ずさりしようとした葵のお尻が翔太のズボンの前に当たる。
「お、おう。
だ、大丈夫」
翔太は慌てて後の下がり、葵が自由に動けるスペースを開ける。
「また言ったぁ」
葵はケラケラ笑いながら食器棚から自分のマグカップを取り出し牛乳を入れる。
(何を興奮しているんだ。
しっかりしろ。
相手は、まだ子供だ)
下半身に血流が集まり始めるのを感じ、翔太は慌てて自分に言い聞かせる。
「?」
もじもじする翔太を葵は不思議そうに眺める。
「な、なんでもない。
それより、ご飯にしよう。
今日はウナギのかば焼きを買ってきたから、レンチンすれば出来上がり」
「わー!
ウナギ?!」
「え?
葵ちゃん、ウナギは嫌い?」
「ううん。
食べたことがないの。
一度食べてみたいなって思っていたんです」
葵は明らかにウナギで興奮していた。
「それとチョレギサラダも買ってきたよ」
「チョマギレサラダ?」
「チョレギ!
チョレギサラダ」
「なんですか?
そのチョンマゲサラダって」
「そこまでボケてくれると感謝しかないな」
「ご、ごめんなさい。
でも、チョレギ?
サラダも初めてで」
「ほら、これ。
ごま油のドレッシングをかけるんだよ」
「………」
興味津々だが想像もつかないという葵の顔を見て翔太は笑いを堪える。
「まあ、百聞は一見に如かずというし、ご飯も炊けているから、夕飯にしよう」
「はーい!
じゃあ、私、ご飯をよそいますね」
「ああ、頼む」
テキパキと二人で夕飯の準備をして食べ始める。
葵はウナギのかば焼きが余程美味しかったのと一日働いてお腹を空かせていたのとで珍しくおしゃべりする暇も惜しんでパクパクと美味しそうにウナギとご飯、それにサラダを夢中で食べる。
途中何度も「美味しい」「美味しい」を連呼し、本当に美味しそうに食べる葵を翔太は微笑んで見つめる。
(美味しそうに食べること。
それに、まあ、若さも手伝ってか気持ちいいくらいによく食べるなぁ。
本当、可愛いこと)
「今日はどうだった?
大変だったんじゃない?」
「大丈夫でしたよ。
皆さん、優しくて、いろいろ親切にしてもらいました」
「お客さんは?
うるさく文句言う客はいなかった?」
「はい、全然。
初めのうち戸惑って上手くできなかったのですが、『いいよ、いいよ』って」
(そうか、初心者マークののぼりが立っていたもんな)
裕樹は納得する。
「あ、そう言えば…」
「?」
「不審者が出たそうですよ。」
「え?
スーパーに?」
「はい。
夕方ごろ大きな野球帽を被って大きなマスク、真っ黒なサングラスをした男の人が何も買わずにお店の中に立っていたんですって。」
「へぇー」
自分のことだと気が付いていない翔太。
「商品を選ぶわけでもなく15分くらいずっと立っていてどこかをじっと見ていたんですって。
それから、ふと出て行ったそうですよ。
皆、気味悪がって」
葵は眉を顰める。
「葵ちゃんは大丈夫?」
「私も気味が悪い。
でも、明日は店内の巡回を強化するって店長が言っていたから大丈夫です」
「そうか。
でも用心に越したことないよな。
危ないと思ったらすぐに大声を出して、周りに助けを求めること。
携帯で電話くれればすぐ行くよ。
そうだ、行き帰り送り迎えしてやろうか?」
「そ、そんな、大げさな。
大丈夫ですよ。
他にも大学生の素敵なお姉さんもいるし、私なんて相手にされませんよ」
(や、やったー!
翔太さん、私のことを心配してくれている)
葵は自分のことを心配して送り迎えをしてくれると言った言葉がうれしくて仕方なかった。
その後、食事の後片付けも終わり、翔太はリビングでソファに座り、ゲームをしていた。
「翔太さん」
「?」
声の方を向くとパジャマ姿の葵が立っていた。
「ゲーム…
声かけてくれなかった」
葵は膨れた顔をしていた。
夕食後、特に土日は二人で対戦ゲームすることが常態化していた。
「だって、疲れているんじゃないの?」
「でも、少しはやりたいもん」
葵にとっては翔太の傍で、翔太を感じながらゲームで遊べる一番楽しい時間だった。
「じゃあ、今日は?」
「カートゲームがいい。
あれなら負けないもん」
「お、言ったな。
じゃあ、俺も本気出すからな」
「いつもそう言うくせに」
葵はクスリと笑うと翔太の横に滑り込むようにして座り、コントローラーを手に取る。
風と一緒に葵のいい香りが翔太の鼻をくすぐると、翔太は俄然元気になる。
「よーし、じゃあやるぞ。
カートを選んで」
「私はいつものキノコ!!」
「おー、じゃあ俺は…」
二人できゃあきゃあ言いながらゲームを始める。
何回ゲームをしたか、時間的には30分もかからずに、葵の手が止まる。
「?」
翔太が葵の方を見ると、葵は目をつぶり舟を漕いでいた。
「ほら、葵ちゃん。
眠るなら部屋に言って寝ないと」
「ふあー…い…」
返事はするが葵は一向に微動だにしなかった。
(気を使ったり、体力を使ったり、いろいろで疲れ切ったんだろう。
仕方ない)
「葵ちゃん。
コントローラー、貰うよ」
翔太は葵の手からコントローラーを取り上げるとテーブルに置く。
そして、葵の脚と背中に手を回すと、そのまま抱き上げる。
葵は一瞬身動きをしたがすぐに大人しくなり寝息を立てる。
「さあ、ベッドに行こう。
ちょっと部屋に入るけど勘弁してな」
翔太が葵の耳元で囁くように言うと、葵は頷いたようだった。
腕の中の葵は、柔らかく温かかった。
(やっぱり女の子だし、小柄だから軽いなぁ。
あれだけ食べたご飯はどこに行ったんだろう)
何となく面白くなって微笑む。
(それに随分と綺麗になったな。
出会った頃はギスギスしていて、髪もぼさぼさ。
顔もニキビだらけで、何といっても目つきがおっかなかったのに)
しげしげと腕の中で気持ちよさそうに眠っている葵の顔を覗き込む。
(まあ、洗顔せっけんの効果もあったか、綺麗な顔になって。
ガサガサの肌もしっとりしてきたし。
それに一番は、目つきが温和になって可愛くなったことかな。
良く見ると鎌倉なんとかの映画に出ていた高校生のスズちゃんみたいだ。
…
ちょっと違うか
…
でも、可愛い)
そして、葵を抱き上げたまま、翔太は葵の部屋に運んでいき、ベッドの上に寝かせる。
“う~ん”
葵が小さな声を漏らす。
掛け布団をかけて顔を覗き込む。
しばらく葵の顔を眺め、一瞬、躊躇った後、顔を振って「お休み」と言って立ち上がり、部屋を見まわす。
部屋は、可愛らしい小物などがあり、すっかり女の子の部屋になっていた。
(ふーん。
イッツア ガールズ ルームっていうところかな)
部屋も綺麗好きな葵の性格からか、小綺麗に片付いていた。
「じゃあ、お休み」
そう言って翔太は電気を消し、部屋を出て、そっとドアを閉める。
リビングに戻り、冷蔵庫からハイボールの缶を取り出し、ソファに座り一人ゲームをする。
葵の座っていたところから葵の残り香のいい匂いが鼻をくすぐる。
コントローラーを置いて、ハイボールの缶を一口飲む。
(何を考えていたんだろうか。
寝ている葵ちゃんにキスをしようなんて。
最近変態度が上がってきたな。
気を付けないと。
…
やっぱりそうだ。
最近、女遊びをしていないからいけないんだ。
真剣に彼女を見つけないと。
でも、出会いの場がなくなったもんな。
会社の女の子、結構、彼氏持ちだし、結婚もし始めているもんな。
飲み会もないし、合コンなんてないしな)
ハイボールの缶を飲み干し、冷蔵庫からもう一缶取り出す。
「?」
缶に赤いマジックで何か書かれているのが目に留まる。
(なに、なに?
『飲み過ぎに注意してください』だって?
葵ちゃんか)
その缶には翔太の飲み過ぎを気にした葵のメッセージが書かれていた。
翔太は苦笑いしながら缶を開け、ハイボールを飲む。
(可愛いこと)
葵が缶に落書きをしている姿を想像しながら、顔を崩す。
(でもな。
いくら何でも一回り違うし、まだ、高1だしな。
やっぱり、一緒に酒を飲んで、楽しく遊んで、ベッドインができる娘がいいよな。
はぁ)
翔太はため息をつくとハイボールを飲む。
(可愛いよなぁ。
最近、特に胸やお尻が丸くなってきて。
…
いかんいかん、自制心!!)
翔太は一人で変身物のヒーローのようにポーズをとる。
(だいたい、独り者の若い男の家に住まわす茜が悪い!
これで手を出したら茜の思うつぼじゃないか。
…
前途ある葵ちゃんじゃないか。
二十歳過ぎて世間が分かるようになってからだな)
モニターの画面をゲームから地上波に切り替える。
ちょうどドラマをやっていて、綺麗なフリルの付いたワンピースを着ている30前後の美人の女優が映っていた。
(やっぱり、抱くのならこういう女性だよな。
ワンピースが似合い大人の色気のある女性だよな)
食い入るように画面を眺め、ハイボールを飲み干す翔太。
夜は更けていく。
翌日、目覚ましの音で目が覚める葵。
ぐっすりと眠れたせいか、気分は上々だった。
しかし、急に疑問が湧き上がる。
(え?
私、なんでベッドに寝ているの?
確か、翔太さんとゲームをしていて、でも、眠くなって…
自分でベッドに戻った?
それとも翔太さんが…)
ベッドの上で半身を起こし、パジャマを確認したり、部屋の中を見回す。
しかし、何も変わりがなかった。
(ともかく起きなくっちゃ。
バイトの時間もあるし)
葵は急いで着替え、リビングに行く。
リビングの厚手のカーテンは閉まったままで、翔太はまだ寝ているようだった。
その厚手のカーテンを開けると、朝陽が部屋の中を明るく照らす。
その日も晴れていい天気だった。
葵は急いで洗濯機を回し、キッチンに行く。
キッチンの流しにはハイボールの缶が5缶からになって伏せてあった。
(わ!
5本も飲んで、大丈夫かしら。
せっかくメッセージ書いておいたのに。
もっと強く書こうかしら。
でも、鬱陶しいと思われたらいやだな)
そう考えているときに翔太がリビングに入って来る。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
「今日もバイトだったよね。
疲れは大丈夫?」
いつもの翔太の顔を見て、飲み過ぎを心配していた葵はホッとする。
「はい。
ぐっすり寝たので元気いっぱいです
でも…」
「うん。
ゲームの途中で眠っちゃったでしょ。
何度も起こしたんだけど、葵ちゃん、起きなかったんで、部屋に運んだんだよ。
勝手に部屋に入って、ごめん」
「えー?!
やっぱり。
部屋のことはどうでもいいです、気にしていません。
それよりも運んでくれたんですね。
ご、ごめんなさい」
葵は恐縮し、深々とお辞儀をする。
「それで…」
「それで?」
「い、いえ、何でもないです」
葵は何かしたのかと期待して聞こうとして、恥ずかしくなり顔を真っ赤にする。
「?」
「何でもないですって。
それより、具合は大丈夫ですか?」
「え?
具合?」
葵は頷いて見せる。
「昨晩、5本も飲んだんでしょ?
飲み過ぎは体に良くないです」
そう言ってから出過ぎたことを言ったと葵はしまったという顔をする。
「あ、そうか。
大丈夫だよ。
それに、そうだね、気を付けるね。
心配してくれてありがとう」
「はい!」
そう言われ葵は嬉しそうな顔をする。
「朝ごはん、パンでいいですか?」
「ああ、いいよ。
でも、家事はやっておくから、葵ちゃんは少しゆっくりしていたら」
「いえ、大丈夫です!」
それから一緒に朝ごはんを食べ、片付け、洗濯干しと心配する翔太を尻目に二人で家事をして、葵はバイトに出て行く。
(うーん、やっぱり飲み過ぎたかな。
頭が少し痛いや)
葵を見送り、冷たいお茶をコップに入れ、翔太はソファに座り、頭を振る。
(そう言えば、昨日、スーパーに不審者が出たって言っていたよな。
…
あとで見に行くか)
昼過ぎに翔太は昨日と同じように野球帽にマスク、そして真っ黒なサングラスを掛け、家を出る。
スーパーに入ると昨日と同じようにレジが見えるところに陣取るように立つ。
(ふむ。
不審者の影はないな。
葵ちゃんも頑張っていること)
裕樹はマスクの下で口元を緩めるが、近くで店員たちが話している声は聞こえていなかった。
「あ、また昨日の不審者がいるわよ」
「まあ、ずうずうしく、また来たのね」
「店長に連絡しなくっちゃ」
店員の一人が隠語になっている案内放送を館内に流す。
それは不審者が現れたことを伝えるものだった。
「また、例の不審者だって?」
「ええ、ほら。
もう、10分くらいあそこに立っているのよ」
店員の一人が店長と呼ばれる男性社員に翔太の方を指さす。
「あいつか。
確かに怪しいな。
でも、店の中で暴れられると他のお客さんの迷惑になるからな」
店長は困った顔をする。
「ともかく、念のため、警察に連絡するか」
「大丈夫かしら。
急に暴れださないかしら」
「そうだな。
主任を呼んで、遠巻きに監視しよう」
「店長、僕が何をしているのか聞いてみましょうか?
で、暴れようとしたら二人がかりで押さえつけるというのは?」
いつの間にか主任の男性社員が店長の傍に立っていた。
「いや、やはり他のお客様に迷惑になる。
大人しく外に出るまで見張ろう」
「はい」
二人は示し合わせた場所に品物をチェックするようなふりをしながら翔太を見張り始めた。
翔太の周りでは、翔太を訝しがる客がじろじろと翔太を見て避けるように通っていく。
その時、客に一人が翔太の前に立ち、まじまじと翔太の顔を眺める。
「て、店長。
客の一人が不審者に近づいています」
「ああ、こっちからも見える。
仕方ない。
うちらも行こう」
店長と主任が翔太の方に歩き始める。
「翔太?」
正面には不思議そうな顔をして翔太を眺める茜がいた。
「茜か」
「“茜か”じゃないわよ。
あんた、いったい何て恰好をしているのよ。
いかにも不審者ですって言わんばかりよ」
「失礼な。
それよりなんで茜が?」
「あら、何が失礼よ。
私は買い物よ。
それに可愛い妹がバイトを始めたんだから様子を見に来た…。
あ、あんたもひょっとして心配になって見に来た?」
「いや、そ、そんな。
買い物だよ、買い物」
「何言っているのよ。
買い物かごも持っていないで、ぼーっと突っ立っていて。
それに、室内でそんな真っ黒なサングラスをしていないで、取りなさいよ。
おかしいでしょ。
サングラス外しなさいよ…。
もしかして、変装しているつもり?」
茜にすべて見透かされ、諦めたようにサングラスを外す。
「まったくもう」
茜が呆れたようにため息をつく。
その時、二人に近づいてきた男たちが声を掛ける。
「お客様、すみませんが、ちょっと事務所に来ていただけませんか?」
「はぁ?」
話しかけたのはスーパーの服を着た店長で、いつの間にか逃げ道をふさぐように翔太たちの背後に同じスーパーの服を着た主任が緊張した面持ちで身構えていた。
「なに?」
「俺たち?」
翔太は続けて何かを言おうとしたが、男たちのただならぬ雰囲気に言葉をつぐむ。
「翔太」
茜も気配を感じたのか翔太を突っついて、大人しくついて行こうと合図する。
「わかった」
そう言うと二人の男に前後に挟まれるように翔太と茜は事務室に入って行く。
「はぁ?!
廣瀬さんの様子を見に来た?
その格好で?」
店長は呆れたような声を上げる。
「そうなんですよ。
この人心配症で」
「いや、お姉さんのあなたが見に来るのはわかるのですが、同居人?」
「え、ええ。
ちょっとプライバシーもあるので詳しくは勘弁してほしいのですが、この人、決して怪しい人ではありませんよ」
翔太は、帽子とマスクを外し、顔を見せ、頭をかく。
翔太の照れくさそうな顔を見て店長と主任は緊張をほぐす。
それを見て翔太は帽子を取ったまま再びマスクをする。
「わかりましたが、しかしですねぇ。
他のお客様が不審がられて迷惑ですし、他の店員も怖がっていたんですよ。
変な噂が立って、売り上げに影響が出たらどうするんですか」
そう言っている最中、女性の店員が事務室に入って来て主任に話しかける。
「え?
警察が来た?」
「あ、さっき連絡してそれっきりだった」
主任が声を上げる。
「し、仕方ない。
ここに通して」
それから30分くらいたって、翔太と茜はスーパーを出る。
「まったく、あんたのせいで私まで巻き込まれて」
二人はスーパーの主任と警官からさんざん注意をされたが、茜が葵の実の姉であること、茜が翔太のことを自分たちの縁者で訳があって今は葵が翔太の家に下宿していることを説明し、納得してもらったこと。
一番大きかったのは、翔太が以前葵を襲った痴漢の逮捕に協力したことだった。
しかし、何はともあれ、行き過ぎた変装で周りに迷惑をかけたということで厳重注意を受け、スーパーからは出入り禁止は免れたが、一切、変装は禁止とくぎを刺されていた。
「まあ、とりあえず、今回のことは葵には内緒にしてくれるって言うから良かったけど、入学式の件といい今回の件と言い、いい加減にしてよね」
「へいへい、面目ない」
翔太は肩を落とし、しょんぼりしてうなだれ気味に歩いていた。
その姿を見ながら茜は笑いを堪える。
(まあ、何というかこの人に葵を預けて正解だったかしらね。
こんなに心配してくれて、大事にしてくれて。
とっととくっ付いてくれればいいのに)
「まあ、いいわ。
この貸は今度しこたま飲ませてもらうから」
「わかったよ」
「じゃあ、ここで。
今度スーパーに行くときは普段通りの格好で。
それと店長さんと約束したようにちゃんと買い物をするようにね」
「ああ、そうする」
「そうそう。
それと、葵のこと、ありがとうね」
「え?」
うつむき加減だった翔太が顔を上げると、すでに茜は背を向け違う方向に歩きだしていた。
「ま、いいか」
翔太は茜と別れてマンションの方に歩いて行った。
ただ、その時、スーパーの中で葵のことを食い入るように見つめている男がいたことを気が付いていなかった。
翌日、学校の教室で昼休み、葵と楓花が仲良く弁当を食べている。
「ねえ、葵。
スーパーのバイト始めたんだよね?」
「うん。
土曜日から。」
「あそこよね。
駅から少し離れた住宅街にあるお店」
「うん、そうよ」
「じゃあ、今度、買物に行くからおまけして」
「ちょっ、ちょっと楓花ちゃん。
おまけなんかできるわけないじゃない。
お菓子屋さんじゃないんだから」
「残念」
楓花は大げさにがっかりしたポーズをとる。
「もう、楓花ちゃんたら」
葵は笑いだす。
「そうそう、レジ係なんでしょ?」
「?」
「じゃあ、レシートに名前が印刷されるでしょ。
苗字だけじゃなくて名前まで」
「ううん。
苗字だけよ」
「良かったぁ」
「なんで?」
「うん。
以前、ママが言っていたんだけど、レジ係で綺麗な女の人がいたんだって。
でも、レシートにその人の苗字と名前が印刷されていて、変な男に付き纏われる事件が起きたそうよ。
その女の人、襲われて危うく大変なことになりそうだったみたい。
だから苗字だけになったのかしら。
いっそのことニックネームにすればいいのにね」
「ニックネーム?」
「うん。
絹さんとか木綿さん、納豆さんとか」
「納豆さん?
それは嫌だな。
みかんちゃんとかいちごちゃんがいいな」
「アジさまやサンマさま。
タコちゃん、イクラちゃんなんかどうかな」
「もう…
でも、面白いかもね」
「そうでしょ!」
「そう言えば、初日から不審者が出たんですって。
私気が付かなかったんだけど」
「えー?!
危ないじゃない。
とっとと辞めちゃったら?」
楓花が心配そうな顔をする。
「うん。
でも、昨日も現れて、店長と主任さんが捕まえて警察を呼んで解決したんだって。
だから大丈夫よ」
「へぇー、店長さんたちって凄いんだね。
でも、いざとなったら大家のお兄さんに守ってもらえば?」
「え?!」
翔太を抱き上げられベッドに連れて行ってもらったことを思い出し、葵は顔を赤らめる。
“へーくしょん”
その頃マンションでは、翔太が大きなくしゃみをしていた。
葵がバイトを始めて数週間経った7月のある日曜日。
夕飯を食べながら葵が不思議そうな顔で話し始める。
「そう言えば変なお客さんがいるんですよ」
「変?」
「はい。
土曜日は夕方。
日曜日は昼と夕方とで日に2回、多くて3回スーパーに買い物に来る人で、必ず私のいるレジのところに来るんです」
「必ず?」
「はい。
他のレジが空いていても、わざわざそれを通り越して私のところへ。
また、私のところが混んでいても並んで、空いたレジの人が声をかけても一切無視して並んでいるんです」
「で、葵ちゃんに何か言ったりするの?」
「いいえ、何も。
でも、私のことをじっとじゃないですがチラチラ見て。
そうそう、今日なんかスマフォを手に持ってカメラを私の方に向けたりしていたの」
「え?
写真、取られたの?」
「うーん、わからない。
スマフォ覗いて操作している訳じゃなくて、ただ単にスマフォのレンズを私の方に向けていたんです。
“なんだろう”と私が見ると、すぐに他に向けたり。
そうそう、たまたま手に持って買い物をしているというふりをしているみたい」
(ビデオだ)
翔太は瞬時に頭に浮かんだ。
「レジが終わっても、なかなか商品をレジ袋に入れたりしないで、ちらちら私の方を見て。
気になって、たまたま傍に来た他のバイトのおばさんと話していたら、そそくさと商品を入れてお店を出て行ったんです」
「なんか気味が悪いな」
「そうなんです。
他のバイトの人たちも変なことをしたら注意してあげるって言ってくれているんですが」
葵はそう言いながら楓花が話した変質者のことを思い出し、背筋が寒くなる思いをしていた。
「そこまでしてバイト続けなくてもいいんじゃない?」
「うっ。
でも、折角始めたバイトで、やっと慣れてきたんです。
それに高校生を雇ってくれるバイト、特に土日だけっていうバイトはあまりないんですよ。
帰りもそんなに遅くなる訳でもないし」
葵は困った顔をしていた。
(確かにあのスーパーはバイトさん同士、それに店長さん含め連携良いからな)
翔太は自分のことを不審者だと店長たちにとっちめられたことを思い出す。
「そうか。
じゃあ、俺が送り迎えをしてあげようか?」
「え?!」
葵の顔がぱっと明るくなったがすぐに首を横に振る。
「嬉しいけれど、それじゃ、翔太さんの負担になっちゃう。
大丈夫ですよ。
急いで帰ってきますし、スマートフォンを肌身離さず持っていますから」
「じゃあ、せめて自転車で通わないか?」
「自転車?」
「ああ。
その方がぴゅーんって帰ってこれるから。
そうだ、自転車買ってあげる。
明日の明日の夜、仕事を定時で切り上げれば、ギリ、ちゃりんこ屋が開いている時間に間に合うから」
「そ、そんな。
いいですって」
「もしかして、ちゃりちゃり乗れないの?」
「ちゃりちゃり?
自転車、乗れます。
お姉ちゃんがお友達からもらったって、自転車に乗っていたので、私もたまに乗らせてもらっていたんです」
(かつあげか?)
翔太の脳裏に一瞬よぎった。
「違います!」
「え?」
「え?
私、なんで?」
二人とも顔を見合わせ笑いだす。
「でも、自転車なんていいです。
高いし」
「買ってやるよ」
「えー?!
そんなの悪いです」
「じゃあ、二人で使うっていうのはどうかな?」
「翔太さん、乗れるんですか?」
「当たり前だろ!!」
翔太は鼻の穴を膨らます。
「ご、ごめんなさい!
「じゃあ、そういうことで。
明日、買いに行くよ」
「翔太さーん」
申し訳ない思いとともに、翔太が自分のことを気にかけてくれていることで嬉しかった。
その頃、スーパーを挟んでマンションと反対側の住宅地の一角。
一軒家に一人で暮らしている40歳くらいの男の家の一室で、その家に住む男が何かを見ながら興奮したように息を切らしていた。
その部屋の壁には隠し撮りしたスーパーの制服を着てレジを打っている葵の写真が何枚も貼られている。
また、男が見ているモニターには、やはり隠し撮りした葵の動画が映っていた。
「いらっしゃいませ」
動画から葵の声が漏れ聞こえる。
それを何度も繰り替えに再生し、男は興奮して体を動かしていた。
「ヒロセっていうのか。
ヒロセなにちゃんだろう。
下の名前も知りたいな。
どうせなら、名前もレシートに印刷すればいいのに」
男はレシートに鼻をつけ、まるで葵の匂いを嗅いでいるようだった。
誤字、気を付けてはいるのですが、指摘ありがとうございます。
特に今回は2つの物語を同時に書いているので、人物の名前が途中で混乱し、「あ、まずい!」と言うことがままあります。
さて、最初の変質者は翔太でしたが、翔太以外に葵に興味を持った変質者が現れます。
葵の危機に翔太は…。
続きをお楽しみ。