Kの巻(その六)
「え?
薫ちゃんのところ?」
「うん。
うちの敷地内にある社宅。
今、修繕中だけどもうじき終わるから」
住んでいるアパートが大家の都合で立ち退きを命じられ、裕樹が困っているところに薫から誘いがあった。
また、同時に薫の母親の会社に就職するという条件付きだった。
安定した収入、安定した住居が手に入ることで裕樹は二つ返事でOKします。
そして、薫は高校に、裕樹は新しい環境に進んでいきます。
3月も後半に入り、暖かい日が増えてきたある日の夜。
薫は裕樹のベッドの上でうつ伏せ寝で上半身を起こし、雑誌を読んでいる。
裕樹はその横の机に向かってパソコンを打ち込んでいたが、ふと手を止める。
「だけど、本当に立派な部屋だよな。
前住んでいたところも結構綺麗だったけど、ここは別世界だな」
「別世界なんて、そんな大げさよ。
前の部屋とそんなに変わらないじゃない。
私は前の部屋も好き」
薫も読んでいた雑誌を置き、裕樹の方に笑顔を見せる。
裕樹が引っ越してきたのは薫の家の敷地にある鉄筋2階建ての社宅だった。
社宅と言っても内装外装ともにリホームし新築同然。
8畳と10畳の2DK、バストイレ付の部屋が各階に3部屋。
台詞のレッスンもできるように、部屋間の防音はしっかりしていた。
また1階には共有の食堂とキッチンがある。
各部屋キッチンが付いているので不要かと思うが、薫のような若いモデルやタレント、女優の卵、マネージャーが夜遅くに帰ってきて疲れて食事が作れないとき、薫の母か最近では、もっぱら父親が食事を作って食べさせるために用意したスペースだった。
今は時節柄、また、たまたま自立し出て行ったのが重なったため社宅には裕樹以外誰も住んでいなかった。
裕樹の部屋は1階の奥の部屋。
1階はマネージャー、2階はタレントが住むことになっている。
「部屋は広いし、建物は静かだよな」
荷物もあまりない裕樹にとって8畳間だけで事足りていて、10畳の部屋はがらんとしていた。
「テレビやオーディオ。
そうだ、ベッドにもなるヨギボーの大きいのを買えばいいじゃない?」
「テレビはあまり好きじゃない。
それとヨギボーなんて買ったら、そこから動けなくなるんじゃないか?
でも、ヨギボーか」
裕樹はヨギボーが気になったようだった。
「ね、いいでしょ?」
「あ、薫ちゃんが狙っているのか?」
「違いますよーだ。
部屋にあるもん。
でも、裕樹。
テレビや雑誌は目を通すようにならないと。
私だけじゃなく、うちの会社に所属している子たちのことを知っておかないと」
「そうだね。
今は薫ちゃんの他に11人だっけ」
「うん。
私みたいな中学、高校生のモデルが5人。
大学生のモデルさんが3人。
20代後半のモデルさんが3人。
中高校生の子たちは皆、実家から。
大学生の人もそうね。
学生じゃないお姉さんたちは皆マンションで一人暮らし」
「マネージャーがお母さんを含めて2人。
僕を入れて3人。
多いのか少ないのか、まったくわからん。
男性社員も経理のお父さん一人だけだし」
「うち(会社)は女性主体の会社だから。
社員は一番多い時で、30人くらいいたのよ。
その時はマネージャーさん、4、5人くらいだったかしら。
移籍したり、結婚したり、廃業したり。
そろそろまた増やさないとって、二人が言っていたわ」
「そうなんだ。
?!」
裕樹は話を止めて、改めて薫を見る。
「?
どうしたの?」
「薫ちゃん。
最近、肌が荒れてカサカサしているようだけど、どうした?
どこか具合でも悪いの?」
「え?」
いきなりのことで薫は驚いたが、すぐに裕樹がいつも自分のことを見て、心配してくれるとわかると、何だか嬉しくなり、そわそわし始める。
「具合なんて悪くないわ。
ただ…」
薫は思い当たることがあった。
「ただ?」
「うん。
春休みになって学校に行かなくなったし、仕事も土曜日くらいだから太らないように食事制限しているの。
肌が荒れているのは、そのせいかしら」
うん、たぶんそうだと思う。
食事の量を減らして肉やお米を食べないようにしているから」
裕樹は怪訝な顔をする
「それは栄養士の指導を受けている?
それともお母さんやお父さんに言われたの?」
「ううん。
本を読んで」
それを聞いて裕樹はため息をつく。
「?」
「だめ。
薫ちゃん。
それじゃ健康にも美容にもよくないよ」
「え?」
裕樹はパソコンをつけ、何かを検索すると頷き、薫に見せる。
「ほら、これを見てごらん」
「なに、なに?」
裕樹と頬がくっつく程近づいて、一緒に裕樹の映し出した画面を見る。
「太らないようにするには基礎代謝を上げることが一番なんだ」
「基礎代謝?」
「うん。
人間の生きて行く上で必要最低限のエネルギーのこと。
それプラス運動とか合わせてエネルギーを消費させているんだ。
基礎代謝を上げると消費エネルギーが増え太りにくく、また、新陳代謝が活発になるから美肌効果もあるんだよ」
「太らない?!
それに美肌効果も?!」
薫の声は1オクターブ高くなった。
(おお、さすがに女の子。
太らないという単語と美肌効果という単語に食いつきがいいこと)
薫の反応に、裕樹は心の中で笑う。
「そう。
それにはダイエットするよりもバランスのいい食事と適度な運動が大事なんだよ。
だから、栄養も足らずにじっとしているのは逆効果だよ」
「へぇ~!
じゃあ、何を食べたらいいの?
お肉とかはだめでしょ?」
「いや、タンパク質は大事。
肉、魚、あとは大豆…、豆腐とかかな。
薫ちゃんはまだ若いから基礎代謝も高いし、よく食べて運動すればスマートできれいな肌が取り戻せて、その可愛さも倍増するっていうとこかな」
裕樹は最近薫の肌もだが、体の線もぼやけ始めているような気がして、心配していろいろな情報を調べて研究していた。
「裕樹…」
『可愛さも倍増』という言葉に嬉しくなり、体の芯が熱くなるのを感じる。
「運動する?」
「うん、する」
「スポーツクラブに通ったら?」
「え?
…」
薫は考え込んでしまう。
「どうしたの?」
「うん…。
インストラクターって男の人が多いでしょ?
私…
笑わないでね」
思わず真剣な顔をする薫に裕樹は頷いて見せる。
「私、最近、男の人が苦手なの。
あ、裕樹は別よ。
裕樹やお父さん以外の男の人は、傍に来ただけで『ちょっと』って感じなんだ」
薫は手で突っぱねるような仕草をして見せる。
(まあ、あれだけ大変なことがあったから当然だろう)
裕樹は内心頷いていた。
「困ったね」
「そうだ。
裕樹も一緒に運動しない?
きっと裕樹がいてくれれば大丈夫だから」
「え?
僕?
…」
今度は裕樹が口籠る。
「裕樹?」
「ぼ、僕は運動が苦手で…」
「も、もしかして運痴(運動音痴)?」
「ち、違う
苦手なだけだって」
薫は玩具を見つけたような顔になる。
「ふふ~ん。
跳び箱、何段跳べた?」
「3段、いや2段…」
「懸垂何回出来る?」
「1回」
「逆上がりは?」
「出来ない。
…
そ、それがなんだ!」
逆切れする裕樹を薫はお腹を抱えて笑う。
「そこまで笑うことないじゃないか」
「あはははは。
ごめんなさい。
でも、それなら一緒に運動しよ!
私、裕樹と一緒なら頑張れるから。
ね、いいでしょ?
ねぇ~」
「そ、それほど言うなら」
(より綺麗な薫ちゃんになるならいいか。
あとは食事だな。
栄養のバランスを考えないとな)
裕樹は育成ゲームのように薫を綺麗にすることを考えていた。
「やったー!」
裕樹と一緒だと小躍りして喜ぶ薫を楽しそうに見ている裕樹はふと気になった。
「薫ちゃん。
食事はいつもどうしているの?」
「え?
食事?
ママは仕事で忙しくて、以前はお手伝いさんが作ってくれていたの。
でも、その人辞めてしまって、最近はもっぱらパパが作っているわ。
作っているって言っても、おかずは出来合いのものを取り寄せているの。」
「じゃあ、栄養バランスはちゃんとしているか」
裕樹はよく栄養バランスを考えたデリバリーのおかずを想像していた。
「ううん」
薫は首を横に振る。
「パパは昔からこってりした中華や肉料理が主体だから、それが中心だし、私に対しても若いんだからって肉中心で、さすがに辛くなることがあるの」
「な、なんだって?!」
(こんなに可愛い薫ちゃんが壊される!!)
裕樹は美容と体形に気を付けなければいけない仕事をしている薫が壊されていくようで気が気ではなくなっていた。
(かと言って、僕が3度の食事の用意をするわけには行かないし、どうしよう)
「?」
渋い顔をして考え込む裕樹の顔を薫は何事かと眺める。
(これから栄養学にトレーニングに、薫ちゃんをサポートしていかないと。
これもマネージャーとしての仕事の一つだ。
たいへんだぞ。
のんびりなんてしていられないぞ)
「??」
一人盛り上がっている裕樹を薫は不思議そうな顔をしていた。
本来なら4月から正式に社員になるのだが引っ越しとともに今までやっていた仕事も切りよく終わり、早期出社さながら裕樹は加津江に付いて仕事を覚えていた。
最初は専属運転手として会社の車、大型高級車のエルグランドという車の運転に慣れること。
ペーパードライバーだった裕樹は何度も冷や汗をかきながら運転する。
しかし一週間もすると加津江が驚くほどスムーズに運転できるようになった。
それから加津江の傍らで顔を売るためにクライアントに挨拶をする。
これも顔を覚えるのが早いうえに加津江が舌を巻く程会話が達者な裕樹はすぐにクライアントに好印象を持たれ顔を覚えられる。
なにより加津江が喜んだのは裕樹が親身になって薫の面倒を見ていることだった。
食事については裕樹からの提案で専属の栄養士をつけ、また、裕樹は栄養士に任せっきりにしないで常に献立のことを確認し自分でも栄養学を学び始めていた。
また、毎日のようにボディガードさながら薫をスポーツジムに連れて行きインストラクターとその時の体調に合わせ入念な打ち合わせをして最善なカリキュラムを立て、一緒に体を動かす。
当然、薫は裕樹と一緒の時間が多くなるのと、自分のことを気にかけてくれているという気持ちが伝わり、毎日が楽しくて仕方がなかった。
そして、その生活が2週間ほど続き、4月に入った薫の高校の入学式の前日、薫はいつものように裕樹のベッドの上で寝転び雑誌を読んでいた。
「そうだ、裕樹。
明日の入学式、車で私やママとパパを連れて行ってくれるんだよね」
「そうだよ。
ちゃんとスケジュール説明してあるだろ?」
「えへへ。
わかっているって。
確認よ、確認」
「しかし、いいのか?
車で学校に乗り付けたりして」
「いいの、いいの。
皆、立派な車で来るわよ。
この日だけ、校庭が臨時の駐車場になるのよ。
やって来るのは立派な車ばっかり」
「ふーん」
(やっぱ、お金持ちのお嬢様学校だな)
裕樹は学校に車で来る学生を見たことがなかった。
「裕樹も一緒に式に出ればいいのに」
「バカ言っていないの。
そんなところに家族以外の運転手が参加できるわけないだろ。
僕は、車の中でゆっくりしているよ」
「ぶーぶー。
つまんない」
「でも、高校の制服、可愛いね」
裕樹は話を逸らすように薫の新しい制服に話を向ける。
「えへへ。
そうでしょ。
同じブレザータイプだけど、中学部とデザインが変わって明るく可愛いのよ。
スカートも中等部は無地だけど、高等部は可愛い柄が入っているの。
ブラウスも白だけどレースの柄入り、リボンはオレンジ色の…
あ、この前見せたじゃない!
忘れたの?!」
「い、いや、忘れていないって。
だから可愛いねって言ったんじゃないか」
「本当にそう思っている?」
「ああ、本当だよ」
薫の学校は中高大学と一貫教育だが、高等部の制服は有名なデザイナーが手掛けただけあって明るく可愛らしい制服で、雑誌やテレビにも紹介されるほどだった。
「ねえ、裕樹…」
薫が潤んだ瞳で裕樹を見ながらにじり寄って来る。
「明日は大事な日だろ?」
「だから、ね」
裕樹は薫の肩に手を置くと、そのまま引き寄せ抱きしめると薫は嬉しそうに自分から裕樹の腕の中に納まっていく。
(あれから2週間。
肌もきれいになったし、艶も張りも良くなったな。
しかし、この子は何て白いきめ細かな肌をしているんだろう。
髪の毛も艶がある黒髪、綺麗なストレートでさらさらなロング。
美人で可愛いし、胸もマシュマロみたいに柔らかい…)
裕樹は全裸になった薫に触れながら、まじまじと全身を眺める。
「裕樹?
どうしたの?
じろじろ見て、何だか恥ずかしい」
「いや。
薫ちゃんは本当に可愛いなって思って」
「えへへへ、嬉しいな。
そうだ!
いくらくらい貯まったのかな」
「へ?
まだ続いているの?」
「当然でしょ。
こんなに可愛い子が相手をしているんだから、ね」
薫と裕樹は出会った時から、肌を合わせるごとに1回5千円で契約をしていた。
お金を払う払わないは二人にとってどうでもよく、ゲームのようなものだった。
「はいはい、わかっていますよ」
(本当にこんなに可愛い子と付き合えるのだから、つくづく僕は運がいい)
(優しい裕樹。
私は裕樹がいれば、他に何もいらない)
二人はそれぞれの思いを胸に秘め肌を合わせていく。
翌日、薫の高校の入学式。
朝から雲一つない快晴で天気も薫の入学式を祝福しているようだった。
裕樹は朝早くから車の埃を大きな毛はたきで払っていた。
車自体は前日、念入りに外側も車内もいつも以上に綺麗にしていたのでピカピカだった。
「裕樹―!
お待たせ!!」
万遍の笑顔を見せ薫が自宅から出てきて小走りに裕樹に近づいてくる。
真新しい制服姿で可愛らしい笑顔を振りまく薫を裕樹は思わず見とれてしまう。
「裕樹?
どうしたの?」
「い、いや。
ただ、可愛いなって。
思わず本音を口に出す。
「えへへへ。
惚れ直したでしょ!」
「そうだ!
写真撮らせて」
裕樹は、ごそごそとポケットからスマートフォンを取り出す。
「え~?!
この前、撮らせてあげたじゃない」
言葉とは裏腹に嬉しそうな顔を見せる薫。
「まあ、まあ。
この前は、この前。
普通でいいからね。
普通ににっこり笑って」
「もう。
モデル代、高いからね」
そう言いながら照れくさそうに笑顔を見せる薫。
(やっぱり、可愛いな)
スマートフォンのレンズ越しに微笑む薫を見とれる裕樹。
「薫ちゃん、なんていうことを言っているの?
裕樹君、困った顔をしているわよ」
薫の後ろから正装した薫の両親が苦笑いしながら近づいてくる。
「あ、宮崎さん。
本日はおめでとうございます。」
裕樹は姿勢を正し、薫の両親に挨拶をする。
「まあまあ、ありがとう」
きちんと襟を正して挨拶をする裕樹に加津江は満足げに答え、その横の薫の父の優作も嬉しそうに頷く。
「それと、薫ちゃんもね」
「あー!
とってつけたような言い方。
主役は私なんだからね」
薫は拗ねたそぶりをする。
(まあ、そうだろうけど、ご両親のおかげでもあるんだから)
裕樹はそう思いながら薫に笑顔を向ける。
「さ、では、主役のお嬢様。
お車にどうぞ」
裕樹は後部座席のドアを開け、薫に恭しく頭を下げる。
「ありがとう」
薫は小声で裕樹に耳打ちするといそいそと車に乗り込む。
薫の『ありがとう』は入学祝いの言葉に対してなのか、車のドアを開けたことに対してなのか裕樹には一瞬わからなかったが、たぶん両方のことだろうと勝手に解釈をしていた。
薫の車の後部座席は、大の大人が3人並んで座ってもゆったりしているうえ、偏光ガラスで外から車内を見ることはフロントガラスからでないと出来なかった。
後部座席に薫と薫の両親を乗せ、裕樹は車を滑らすように発進させる。
車のサスペンションはもちろんのこと、腕を上げた裕樹のドライビングで薫の学校に着くまで快適だった。
「薫ちゃん。
そう言えば最近外で飲んだり食べたりしなくなったでしょ?」
加津江が話しかける。
「え?
そう?」
「そうよ。
この前の撮影の時、現場が寒かったからって、スタッフさん、気を使って温かいホットチョコレート出してくれたじゃない。
でも、一口も口を付けなかったって。
お菓子もそう。
今度、好きなもの教えておいてって言われたわよ」
「そ、そう…」
歯切れの悪い薫。
(そう言えば、スポーツクラブでも運動後、インストラクターがお茶を進めてくれたけど、薫ちゃん飲まなかったな。
その代わり、僕にペットボトルを買って来いって言ってたっけ。
あとでインストラクターに『わがままそうで、大変ですね』って言われたっけ。
でも、なんで外で出されて物を飲まないんだろう…
あ!)
話を聞いていて裕樹は思い当たることがあり、納得した。
薫を強姦した男の手口が飲み物や食べ物に薬を入れ体の自由を奪うことだった。
(あれがトラウマになって、外で出されて物には口を付けられなくなったんだ。
無理もないな)
「そうだ、薫ちゃん。
駅近くに新しく洋菓子屋さんできたの知っている?
マカロンみたいなお菓子が美味しいって」
「知ってる!!
間に生クリームとフルーツがたくさん入っているお菓子でしょ?
食べてみたいなって狙っているの」
「あ、それ、ママも知っている。
今日、おやつに食べようか」
「うん。
ねえ、裕樹。
買って来て~」
「おう。
任せて」
「裕樹君、いいの?
頼んじゃって。」
「いいですよ。
僕も食べたかったから」
「当然、裕樹の分も一緒ね」
「当然よ。
お使い立てするんだから」
「遠慮なく、ゴチになります」
一瞬社内の雰囲気は重くなり始めたのを、裕樹の一言で和んだ。
学校に着くと校門を少し入ったところで、薫と両親を下ろし、裕樹は案内に従って校庭の臨時駐車場に車を動かす。
臨時駐車場にはすでに半分以上の車が止まっていた。
駐車している車はベンツやBMW、アウディといった外車やシーマ、レクサス、センチュリーなどの国産車、どれも高級な車たちだった。
(ひゅう。
さすがお嬢様学校だな。
親も上流階級の人間ばかりか)
ため息つきながらも車を綺麗にしておいて良かったと安堵する裕樹だった。
駐車場から校舎の方を見ると薫が着ていたのと同じ真新しい制服を着た可愛らしい学生達が両親と一緒に式を行う講堂の方に歩いて行くのが見えた。
(おー、確かに美人が多いと噂の女子高だけあって、本当に綺麗な子が多いな)
しばらく眺めてから時間つぶしに車内でゆっくりしていようと車のドアに手を掛けた時、近くで学校の関係者と思われる若い女性と父兄と思われる年配の女性が困った顔で話をしていた。
「どうかしましたか?」
暇も手伝い、裕樹は声をかけると若い女性はぱっと顔を輝かせる。
「実はこちらの方が急用で家の戻らなければならなくて、車を出そうとしたのですが前後の車間が狭くて出すのが難しいと。
私も式が始まるので戻らなければならなくて」
見ると車は大型の外車で、確かに車を出すには前後の車間が狭く、出すのはぎりぎりそうだった。
「早く家に戻らないといけないのに困ったわ」
年配の女性は困った顔をしていた。
「運転は?」
「私しかできないのよ」
「そうですか」
裕樹はもう一度車と前後のスペースを確認する。
(2,3回切り返せば出られるかな)
「もしよろしければ私が出しましょうか?」
「本当?!
助かるわ」
「念のため、お二人とも前後を見ていてくれますか?」
「はい」
裕樹は年配の女性に断るとその女性の車に乗り込みエンジンをかける。
車は左ハンドルで勝手が違う上、視線が薫の家の車より低かった。
(やれやれ、ちょっと安請け合いしたかな)
そう思い前を見ると教師だった女性が期待に満ちた目で運転席の裕樹の方を見ていた。
(ま、仕方ない。
じゃあ、やりますか)
それから二人の女性があっけにとられる程スムーズに、2回切り返しただけで女性の車を車路の方に出すことができた。
年配の女性は大喜びで裕樹に礼を言うと名刺を差し出す。
裕樹も加津江の会社の名刺を渡すと、その女性は名刺を見て一瞬『ん?』と言う顔をしたがすぐに仕舞い、車に乗り込むと裕樹に会釈をすると走り去っていく。
若い女性の教師も裕樹に何度も頭を下げていた。
改めてよく見ると、小柄でショートヘアだがスタイルが良く、可愛らしい美人だった。
「あの、今日入学式の生徒さんのお兄さんですか?」
「え?」
「いえ、ご父兄の方にしては“お若い”ので」
「そうですね。
でも、僕は運転手です。
雇い主のお嬢さんが今日入学式なので、運転を頼まれて」
そう言って裕樹はその女性教師にも名刺を渡す。
「そうなんですか。
失礼しました」
この学校では父兄以外が運転手をやることは珍しくないのか、女性教師は名刺を見てから裕樹に笑顔を向ける。
「それより、早くいかないと式に間に合わないんじゃない?」
「あっ!
そうですね。
早くいかなくっちゃ。
私、昨年まで補助教員だったんですが、今年から1年生の教室の担任をするんです。
あー緊張する」
女性教師は裕樹に打ち解けたように話をする。
「へえ。
じゃあ、もし、薫ちゃん、いえ、雇い主のお子さんの担任になったらよろしくお願いしますね」
「生徒さんのお名前は?」
「宮崎薫です」
「宮崎さんですね」
(聞いた気がする)
「先生のお名前は」
「南、南遥です」
「いい名前ですね」
裕樹が言うと大空と名乗った女性教師は顔を赤らめ笑顔を見せる
「あ、早くいかないと。
本当にありがとうございました。
失礼します」
何度もお礼を言いながら、南は講堂の方に小走りで向かっていった。
(ふーん。
素直で良さそうな人だな。
生徒に美人が多いだけじゃなく、先生も美人だな。
あの先生、意外と好みかも。
薫ちゃんの担任になればいいな)
裕樹は運転席に乗り込み、少しリクライニングにしてから先ほどの車の女性から受け取った名刺を取り出す。
名刺には日本の演劇界で10本の指に入る劇団の代表取締役の肩書がついた『浅倉真紀子』という名前が書かれていた
(劇団春夏秋冬の代表取締役?
へえ、あの日本でも屈指の劇団のか。
すごいな)
あの女性が大物であることに驚くのと、気になったのは名刺に手書きで携帯の番号が書かれていたことだった。
(そう言えば名刺を出して、何かを書いて渡してくれたんだ。
プライベートな番号なんだろうか。
何かあればここに電話しろということかな。
ヘッドハンティング?
一目会っただけで?
ないない)
いろいろな事を考えながら裕樹は車の中から青空を眺めていた。
それから1時間くらいすると講堂から生徒が出てきて校舎に入って行く。
生徒は各クラスで、父兄はそのまま講堂で説明を受け終わるとクラスごとに生徒と父兄と集合写真をとり、解散するのはお昼ごろになっていた。
「裕樹。
いい子で待っていた?」
車の外で待っていた裕樹に戻ってきた薫が声をかける。
「もう、薫ったら裕樹君になんていう口の利き方?」
薫の後ろの加津江が窘める。
「いいんです。
薫ちゃん、お疲れ様。
加津江さんも優作さんもお疲れさまでした」
優作はそう言いながら車の後部座席のドアを開け、薫たちに乗るように促す。
3人は疲れたそぶりも見せずに車に乗り込む。
「薫ちゃん、担任の先生は何て言う先生?」
走る車の中で加津江が話しかける。
「南先生。
南遥先生よ」
「若そうよね」
「うん。
去年まで補助だったの。
今年から担任に大抜擢。
元気で明るくて、それに可愛いでしょ?!」
「そうね。
良さそうな先生ね。
ちょっと若くて心配なところはあるけど」
「いいんじゃないか?
若い可愛い先生なら」
横から優作が話に割り込む。
「なによ、あなたったら鼻の下伸ばしてデレデレして」
「そ、そんなことないって。
ぼ、僕には加津江が一番だと」
「そう?
お世辞でも嬉しいわ」
(あの人が薫ちゃんの担任か。
まあ、良かったんじゃないかな)
そんな会話を聞きながら裕樹は駐車場で顔を上気させ何度もお辞儀をしていた南のことを思い出していた。
その夜、薫とその両親は一流料亭で薫の入学祝。
当初、裕樹も誘われていたが、さすがに親子水入らずでと丁重に辞退する。
帰って来ると早速薫は料亭で用意してもらった弁当を持って裕樹の部屋にやって来る。
「裕樹、ただいま。
お腹減ったでしょ?
お弁当作ってもらったから食べてね」
「ああ。
薫ちゃんがお弁当持って来るって言ったから何も用意しないで待っていたんだ」
薫から渡された弁当を開けると一流料亭らしい懐石弁当だった。
「うまそうだ」
「このお店の料理はすごく美味しいのよ。
さあ、食べて、食べて」
薫に促され裕樹は弁当のおかずを一欠片口に頬張る。
「うん、うん。
確かにうまい」
「でしょー?!」
裕樹の反応に薫は満足げだった。
「ねえ、裕樹」
しばらく弁当を食べていると薫が声をかけてくる。
「ん?」
「南先生とどういう関係?」
「へ?」
薫の顔は真面目だった。
「帰りがけに南先生が裕樹によろしくって言っていたわ。
しかも、嬉しそうな顔をして。
いつの間に先生と知り合ったの?
関係は?」
「へ?」
「『へ?』じゃないわよ。
ちゃんと説明して」
加津江との会話では何事もなかったが、薫は裕樹と二人っきりになるのを待っていたのだった。
(あんなに可愛らしい先生だもの。
男の人に人気があってもおかしくないし。
でも、いつ、どこで裕樹が知り合ったんだろう。
もしかして、私と会う前から?
恋人同士?
私、玩ばれている?
もし、そうだったら私気が狂っちゃう)
「…」
「え?」
「ほら、聞いていない。
せっかく話したのに」
裕樹の声に薫は我に返る。
「ご、ごめん。
もう一度話して」
「嫌だ、ぺー!」
「そんなこと言わないで」
泣きそうな顔になる薫を見て、薫の情緒が不安定になるのを心配して、裕樹は揶揄うのをやめる。
「今日学校の駐車場で会ったんだよ」
「今日が初めて?」
「そうだよ。
それが?」
「ううん。
続きをお願い」
「駐車場から車を出せない父兄がいて南先生が応対していたんだ。
だけども、にっちもさっちもいかないようなので、僕が手助けしてその車を出してあげたんだよ。
それで感謝されて、少しだけ話をしたんだ」
「そ、そうなの」
薫は体から力が抜けていくようだった。
「今年からクラスを受け持つって言っていたから、薫ちゃんのクラスならいいなと思って」
「本当にそれだけ?」
「え?」
「それだけの関係なの?」
「ちょっちょと待てってば。
朝駐車場で会って、向こうはすぐに講堂に行って何もする暇がないだろうに」
「な、何をする暇?
何をする気だったの?
もしかして抱き合うとか?」
「え?
バカな…。
西洋でもないんだから、すぐにハグなんて。
…?!
あっ!!
何か変な事考えた?」
「え?
ううん、そんなこと…」
今度は薫が焦る番。
「なんか変な事考えたんだろう」
「…」
「先生と恋人同士なのか、とか」
(ドキ)
「もしかして、男女間の関係がある、とか?」
(ドキ)
「本命は南先生で、薫ちゃんのことは遊びだとか?」
(ドキ)
何か言われるたびに薫は冷や汗が出てきているようだった。
「阿保かい!
そんなことある訳ないだろうに。
さっきも言ったけど、今日が初めて」
「本当ね…」
薫が探るような声を出す
「あほー、あほー。
アホウドリが集団組んで飛んでくるわい」
「も、もう!」
薫はアホウドリに囲まれて一斉に『アホー』と叫ばれている自分の姿を想像して思わず笑う。
「さて、濡れ衣は晴れたかな」
「うん、ごめんなさい」
「いや、許さない」
「え?」
「そうだな…
うん。
巫女さん姿で」
「え?」
「巫女さんのコスプレあったろ?
その姿でがいいな」
「も、もう。
でも、探さないと…
今度でいい?
今日はこのままでいい?」
「え?」
(今日もあり?
ラッキー!)
「いいよ、今度で」
「良かった」
そう言うと薫はにじり寄って裕樹に抱き着く。
裕樹としても今日の可愛らしい制服姿の薫を思い出し、興奮していた。
数日後。
「ねえ、ママ。
巫女さんのコスプレ、どこにある?」
薫はリビングで加津江に尋ねる。
「え?
今度の仕事は巫女さん姿じゃないでしょ?」
「そ、そうだけど。
ちょっと着てみたいかなと思って」
「ははーん、裕樹君ね?」
「え?
ち、違うわ」
薫は真っ赤になって否定する。
「まあ、いいわ。
若いっていいわよね。
そう言えば、薫ちゃん。
食事と運動で最近綺麗になったわね。
体も、そうメリハリが出てきたし、肌もツヤツヤでスベスベ。
裕樹君のおかげね。
仕事の口も多くなってきそうよ」
「え?
そうなの?」
「そうよ。
この前のお仕事のクライアントさんが他にも紹介したいって」
「えー、でも」
「わかっているわよ。
土曜日だけでしょ?
でも、高校生になったんだから、もっと稼いでもらわないと、ね。
それに裕樹君がマネージャーなんだから四六時中一緒になれるからいいじゃない」
「私はいいけど、裕樹が…」
「他の日に休日を振り替えればいいじゃない?」
「そうかも…」
「それより、今度は私から報告があるの」
「ん?」
「出来ちゃった!
私のお腹の中に、あなたの弟か妹がいるのよ~」
「ふーん、よかった…
え?
ええー!!」
急なことで薫は絶句する。
「あなたたちが刺激になってか、パパも元気になって。
この前の巫女のコスプレが良かったかしら」
「マ、ママも着ているの?」
「大丈夫よ。
あなた用のとは、また別だから。
あなたのだと胸とかお尻とかきつくて。
ピンク色の巫女さん服よ。
大人に色気がないと着れないわね。
まあ、あなたも最近綺麗になったけど、まだまだかしら」
ちらりと薫の全身を眺める。
「そんなことより本当なの?」
「巫女さんのコスプレのこと?」
「違うわよ。
赤ちゃんのことよ」
「ええ、今更『嘘ぴょーん』なんて言えないでしょ」
「でも、私と年の差16,7じゃない。
私の子供と言ってもおかしくないわよ」
「何言ってるのよ。
大家族だったら…そうね、8人子供がいると思えばおかしくないわよ」
「へ?」
(どういう計算しているの?)
唖然とする薫に加津江は畳み掛ける。
「おかしい?」
「う、ううん。
おかしくなか…」
「薫は嬉しくない?」
「え?」
薫は小さい頃から兄弟が欲しかったので急に嬉しさがこみあげてくる。
「嬉しい!!
それに素敵!!」
「でしょ?」
「それで、どっち?」
「まだ、もう少ししないとわからないみたい。
私としては男の子がいいかな。
薫はどっちがいい?」
「女の子。
妹がいい。
でも、どっちでもいい。」
「双子は無理よ。
心音一つっていっていたから」
「大丈夫。
また作ればいい」
「あのね、まだ、この子も生まれていないんだから」
まだ膨らんでもいない腹をさすりながら加津江は笑う。
「それでね。
お仕事があまりできなくなるの」
「そうよ。
仕事なんかしないで、大事にしなくっちゃ」
「ありがと。
それでマネージャーを一人増やすことにしたのよ。」
「マネージャーを増やす?」
「そう。
あなたのマネージャーは裕樹君だけど、他の子もいるでしょ。
今、私を含めて3人で回しているけど、裕樹君は始めたばかり。
そろそろ薫ちゃん以外の子のマネジメントもやって欲しいし、だから、このタイミングでマネージャーを増やそうと思ってあっちこっちに声を掛けたらいい人がいて、即決したの」
「へえー。
で、女の人?」
「当たり前でしょ。
うちの会社は女性中心なんだから。
年は28歳。
裕樹君と同じくらいかしらね。
モデル上がりで業界も精通しているし、有村架純似の美人さん。
で、今住んでいるところを追い出されるって言うから、社宅に住んでもらうことにしたわ。」
「え?
独身なの?」
「そうよ。
大当たりぃ。
その子が着たら薫も裕樹君にも気を付けてもらわないと」
「う、うん…」
加津江が気をつけろと言ったのは、当然、裕樹と薫の関係を今までのように開けっぴろげにしないようにという注意だった。
現時点でマネージャーは加津江、裕樹以外にもう一人、40代前半の松田文枝という既婚の女性が一人。
薫は裕樹を取られる心配をしていなかったが、裕樹と同年配で元モデルをやっていたと聞き不安の影が忍び寄ってくる。
(どうしよう。
有村架純似?
本当なら凄い美人じゃない。
もし、その人が裕樹に興味を持ってしまって、裕樹も魅かれたら私はどうしよう。
可笑しくなっちゃうし、生きていけない。
それに私以外の子のマネージャーもやるって言ってたわ。
その子たちと魅かれあったら…。
もっともっと綺麗になって、裕樹の目を私にだけ引き付けなくっちゃ)
高校生になって、だいぶポジティブ思考になった薫だった。
薫が自分の部屋で心の葛藤に明け暮れているとき、裕樹は部屋でポツンとテレビを見ていた。
(あの子が会社の子か。
可愛いけど薫ちゃんの方が綺麗だな。
司会は有村なんちゃらか。
やっぱり紅白出るくらいだから美人だよな。
こんな子に言い寄られてら…)
目じりを下げてテレビを見つめる裕樹だった。
さてさて、裕樹を取り巻く環境が大きく変わっていき、薫の心配は増えていきます。
可愛い美人の担任教師、新しいマネージャー、裕樹の心はときめき(?)ます。
そんな中、薫はモデルから女優になりたいという気持ちが強くなっていきます。
さて、薫の高校編はどう動いていくでしょうか。
その前に、次回はAの巻(その七)です。
スーパーのレジ係りのバイトを始めた葵。
ストーカーの影がちらつき始めます。
お楽しみに