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AとK  作者: 東久保 亜鈴
15/29

Aの巻(その六)

「えー!?

 このアパートを引き払うの?」

電話口で葵は驚いた声を上げる。

「そうなのよ。

 今日の昼間、母さんから電話があって、何でも今の彼氏と本格的に暮らすんだって。

 今住んでいるところが狭くて彼氏が可哀想だし、生活費も厳しいからアパートを引き払って浮いたお金でもう少し広いところに引っ越すそうよ」

「それはいいんだけど…」

(いいんかい!)

電話の向こうの茜は、内心舌打ちをする。

(どこまでも優しいというか、お人好しというか、我が妹ながら毎回母親とは違った意味で驚かせるわ)

「でも、私はどうしたらいいのかしら」

「そうねぇ。

 私のところか彼氏のところに行きなさいって言っていたわ。

 なんでも3月中旬には引き払うって言っていたからゆっくり考えている時間はないわね」

「へ?

 か、彼氏?

 もしかして翔太さんのこと?」

「そうよ。

 我家でもいいけど、やっぱり狭いし。

 彼氏の家なら葵の一人や二人、全然平気じゃない?」

「そうかも知れないけど、翔太さんがいいと言わないわよ」

「大丈夫。

 お姉ちゃんに任せなさい!」

それから数日後。

「え?

 葵ちゃんをマンションにおいてくれって?

 無理に決まっているだろ!!」

翔太が取り乱す。

(中学卒業したばかりの女の子を、見ず知らずの男の家に住まわせろってか?

 何考えているんだ)

「あら、だめ?」

「ダメに決まっているだろ!!」

「葵、可愛くない?」

「え?

 そ、そりゃー可愛いけど…

 …

 それとこれとは話が違うだろう」

「あら?

 可愛い初心な妹を手籠めにしようとした獣は誰?」

「え?

 い、いや、あ、あれは…」

(ち、違う。

 確かに一線は超えそうになったけど、あれは俺が葵ちゃんの足を踏んで、葵ちゃんが『痛い』って叫んで)

その時、気が動転していて、記憶も定かではない翔太。

「いいわよね!」

畳みかける茜の前に翔太は頷くしかなかった。

3月。

葵の引越し、高校入学手続き等で(あわただ)しく過ぎて行く。

「住民票は、翔太さんのところに移した?」

「うん、お姉ちゃん」

「学生服の準備は?」

「大丈夫よ。

 この前採寸測ってお願いしているから。

 学生服、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。

 私が葵にしてあげられることはそれしかないから。

 あとは全部、翔太さんがやってくれたのだから、よ~くよ~く、お礼を言うのよ。

 それと、これからもどうぞ宜しくと付け加えるのを忘れないようにね。」

「はーい」

翔太は最初、自分のところに葵の住民票を移すのに、結婚した訳でも血縁でも無いのにと違和感があった。

しかも、葵との仲が悪くなり、一緒に住むのが苦痛になったらどうするのか。

家族ならそれでも成り立つと思うが家族でも無い葵の場合、どうするのか。

葵の友達が来たらどう対応すればいいか、もっと言えば、もし葵に好きな男の子が出来たらどうすればいいのか、悩みは尽きなかった。

それを茜は、笑い飛ばす。

「一緒に暮らしたくなかったら引き取って、私の旦那の2号さんにするから深く考えなくていいよ」

その言葉で翔太は、深く考えるのをやめて、住民票を移すことに、首を縦に振った。


「翔太さん、これから、どうぞよろしくおねがいします」

「いえいえ、こちらこそ、よろしく」

葵が引っ越して来たその日の夜、一段落して葵が改めて翔太に挨拶をする。

「まあ、ゆっくり片付ければいいから」

「いいえ。

 もうほとんど片付きました」

「へ?」

葵の荷物は少なかったのと、少しずつ事前に運び込んでいたので、ほとんど片付いていた。

「そうなのか」

(まあ、あの量ならばそうだな)

引っ越しは、翔太の車を使って2往復くらいで済んでいた。

洋服ダンスなどの家具は一切なく、衣服や本、雑貨など段ボールに詰め込み、それを運ぶだけ。

運び込むとすでに用意してあるタンスや本棚に整理するだけだった。

あとは、使っていた食器を翔太と同じ食器棚にしまってお仕舞い。

一緒に暮らし始めるにあたって、翔太は特に規則を作らなかった。

全て葵の好きなように、その代わり、自分も今まで通り好きに暮らすと。


しかし、実際には女の子と言うことで家の中の身なりや風呂、洗濯物には気を使う。

葵も始めて男と暮らすので最初は身構えたが、すぐに普通に振舞い、洗濯物も当然のように翔太の物と一緒にしていた。

食事の支度や掃除などの家事一般を楽しそうにするのを見て翔太も裸で家の中をふらふらするのに気をつけるだけで、後はずっと一緒に暮らしていたかのような感じだった。

ある時、入学手続きの書類を書きながら葵の手が止まる。

「どうしたの?」

「保証人なんですが、連絡が取れる人。

 一人は、お姉ちゃんでいいんですが、もう一人…」

「いいよ、俺で」

「いいですか?

 やったー!

 でも、間柄はどうしよう」

「同居人でいいんじゃない?」

「はい!

 そうします」

葵は楽しそうに答え、手を動かす。

(しかし、こんなに事がトントンと進んで良いのだろうか?

 俺はどうする?

 夢に描いた俺の華麗な人生は?

 大人の女とのアバンチュールは?

 良い女、金髪含め美女を、また性格の良い大人の女性と一緒に暮らすという夢は、いったいどうなる?)

自問自答、答えは無いが、自問自答する翔太。

(だけど、やっぱり葵ちゃん、良い子だな。

 気はきくし、機転はきくし、物覚えもいい。

 笑顔も絶やさなくて可愛いし、それに良い匂いだしな。

 香水でも化粧品でもなく、ましては柔軟剤のような甘い花の香りでもなく、なんて言ったらいいんだろう。

 女の子の香り?

 いや、待て、待て、それじゃ単なるロリコンだ。

 て、俺は鼻のきく犬だな。

 大分、慣れて来たけど気をつけないと)

思いとは裏腹に翔太は、葵との生活を満喫し始めていた。


4月に入り、入学式前日。

入学式の用意が全て済み、デリバリーの寿司と翔太が買って来たケーキで細やかなお祝いをする。

葵は明日があるからと翔太に言われ風呂に入り、スエットの上下で肩まで伸びた髪を後ろに縛っていた。

スェットの上下になると、だいぶ女性らしい丸みを帯びた体つきが目立っていて、翔太は無意識にワクワクしていた。

「わーい!

 翔太さん、ありがとうございます。」

(翔太さん、やっぱり優しい。

 一緒に暮らしていて、居心地がすごくいいな。

 何だろう…

 私の望んでいた、私の居場所…

 ただ、翔太さんが私のことをどう思ってるかが、気がかりだけど)

「明日の入学式だけど、お姉さん、くるんだよね」

「え?」

夢見るようにぼやっとしていた葵は、いきなり翔太に話しかけられ現実に戻る。

「入学式だよ。

 お姉さんは来るんだろう?」

「いいえ、来ません。

 仕事で忙しいんですって」

「お母さんは?」

「さあ、知らないんじゃないかな。

 半月くらい前に、お姉ちゃんが連絡を取って、私が高校に通うこと、ここに住むことを話したそうですが、『ふーん』で終わりだったそうです。

 それから私にも、お姉ちゃんのところにも一切連絡が入っていないです」

「さ、さよか…」

(聞くだけ無駄だったな)

「でも、あれ?

 お姉さん、明日、お祝いにここに来るって言ってたよな」

「はい。

 夜にお祝いに…飲みに来るって…言ってました」

心なしか小声で体を小さくする葵。

昼間、茜から言われていたことを翔太に言いそびれていた。

「なっ!?

 飲みに来る?」

「は、はい。

 やっぱり、ご迷惑ですよね。

 遠慮するように言っておきます」

「いや、いいよ。

 折角のお祝いだし、次の日は休みだし。

 日本酒でも買っておくか」

「いいんですか?」

心配そうに翔太の顔を覗き込む葵に、翔太は笑顔で頷いて見せると葵は顔を輝かせ嬉しそうな顔をする。

(まあ、嬉しそうな顔をすること。

 そりゃー、肉親がお祝いしてくれるとなると嬉しさも倍増だろうな。

 でも、あの酒の強いねーちゃんの相手か…)

翔太は何度か茜と飲んだことがあるが、陽気な茜の酒にいつも悪酔いし、翌日二日酔いと後悔の念に駆られることしきりだった。

「式は一人か」

「はい。

 でも、慣れているので。

 中学の卒業式も一人でしたし」

「そうだったね」

卒業式が済んだ後に葵一人で出席した話を聞き、その時の葵の寂しそうな顔を思い出していた。

「式は何時からだっけ?」

「え?」

「い、いや。

 ここを何時に出るのかなと思って」

「いやだぁ。

 昨日も話したじゃないですか。

 忘れちゃいました?」

(まあ、私個人のことだから、興味ないのも仕方ないのかな。

 でも、寂しいな)

「忘れていないよ。

 式は9時半からで、9時までに登校するんだよね。

 だからここを8時20分ごろに出るだったよな」

「はい!」

(覚えていた!?

 嬉しいな)

葵はつい口元をほころばせると同時に体が熱くなるのを感じる。

それと同時に葵の香りが翔太の鼻をくすぐる。

(風呂上がりの女の子は、また格別だな…

 いい匂いだし、上気した顔が何とも言えん。

 いかん、いかん。

 烏賊(いか)だからいかん、なんてな)

寿司ネタの烏賊を見ながら一人でボケと突っ込みをする

「そ、そうだ。

 葵ちゃん、烏賊、好きだっただろう?

 海老もあるし、好きなだけ食べな」

「翔太さんの分は?」

「いいから。

 今日は前祝だし、好きなだけ食べな」

「じゃあ、遠慮なくいただきます。

 私、ここの烏賊や海老、大好きです」

「マグロよりも?」

「はい。

 あと卵も」

(やっぱり、お子ちゃまか)

嬉しそうに烏賊を食べる葵を見ながら、翔太はかっぱ巻きをつまみながらビールを飲む。

「おやすみなさい」

食事が終わり、片付けも終わると葵はエプロンを外し、寝る支度をしてから翔太に挨拶をする。

「ああ、おやすみ」

「…」

何か言いたげな葵を翔太は怪訝そうな顔で見る。

「あの…

 体に悪いから、あまり飲み過ぎないでくださいね」

葵が寝た後、翔太は寝酒をしているのを葵は知っていて、心配していた。

翔太としては、可愛い同居人が寝た後、何となく物足りなく、ウィスキーやバーボン、日本酒とその日の気分に合わせ飲んで寝るのが習慣化し始めていた。

「ああ、わかった。

 大丈夫だから、おやすみ」

「はい。

 じゃあ、おやすみなさい!」

飛び切りの笑顔を見せ、部屋に戻っていく葵を翔太はにこやかな顔で見送っていた。

(さてと)

翔太はしばらく考えた後、冷蔵庫から缶酎ハイを一本取り出し、ソファに座る。

部屋の中にはさっきまでいた葵の香りが残っていた。

缶酎ハイを開け、一口飲む。

(俺の体のことを心配してくれるんだ。

 可愛いな。

 なんて優しい良い子なんだろう。

 最近、体つきも大人っぽく…

 いかん、いかん。

 烏賊にマグロに鉄火巻きときたもんだ。

 何考えているんだろう。

 やっぱり成熟した大人の女がいい!)

また、缶酎ハイを一口飲む。

(そう言えば、入学式、誰も来ないっていっていたな。

 俺の場合は親が来るのは当たり前だと思っていた。

 そうじゃない家庭もあるんだな。

 いくら慣れているといったって、やっぱり寂しいよな。

 きっと。

 明日は会議予定もないし、仕事も一段落しているか…。

 …)

翔太は、何かを決めたように残った缶酎ハイを一気に飲むと、自分の部屋に戻っていく。

一方、部屋に戻った葵は、ベッドの中からハンガーに吊ってある真新しい高校の制服を眺めていた。

葵の高校の制服は質素で、濃紺のブレザーにベスト、スカートと中学とあまり変わらないようだが、スカートにチェックの模様が施されていた。

そして、可愛らしい赤いリボンが唯一のお洒落な感じだった。

(明日から新しい高校生活のスタートか。

 私はここに住むという新しい生活に加えて、新しいことだらけ。

 どうなっていくんだろう。

 でも、ふかふかなお布団。

 温かなご飯がお腹いっぱい食べられる。

 何よりも翔太さんと一緒)

期待と希望に胸を膨らませる葵。

しかし、その顔が曇る。

(翔太さん、どんな人が好みなんだろう。

 ニキビがぽつぽつあって、髪の色が栗色で肌も浅黒い私のような子は好みじゃないのかな。

 やっぱり、白いすべすべした肌で、日本人形にように黒い髪の女の人が好きなのかな)

小さく息をつくと、再び、制服に目をやる。

(明日の入学式。

 去年参観は親一人だったらしいけど、今年は二人OKって言っていたな。

 他の子は皆、両親が来るんだろうな。

 私はいつも一人。

 仕方ないけど…

 やっぱり、寂しいな)

葵は布団を被って目を閉じる。

温かくやわらかな布団が、そんな葵をあっという間に眠りに誘う。

葵は、すぐに可愛らしい寝息を立て始める。


翌日。

雲一つない青空と綺麗に晴れ上がり、温かな春の日差しが降り注ぐ、絵にかいたような入学式に絶好な良い天気。

マンションの前で真新しい高校の制服を着た葵の写真を撮っている翔太の姿があった。

「もう、翔平さんたら。

 恥ずかしいです」

マンションから出て会社に行く人、用事で外に出る人が葵の姿を微笑ましそうに見ていく。

翔太はお構いなしに、葵に渡してあるスマートフォンや自分のスマートフォン、そして、翔太が持っている一眼レフのデジタルカメラで盛んに葵を被写体にシャッターを切る。

「あと一枚。

 ほら笑って」

「もう、遅刻しても知らないから」

恥ずかしいながらも、何か嬉しく感じた葵はにっこりと笑って翔太の注文に応じる。

「さあ、本当に遅刻しちゃうから、そろそろ行きますね」

「ああ、行ってらっしゃい。

 帰りはお昼頃だっけ?」

「はい。

 でも、翔太さんのお昼時間には間に合わないかもしれないので、私に構わずにお昼ご飯食べてくださいね」

リモートワークがあるときは、会社の就業規則に合わせ、翔太は12時から13時が昼食時間だった。

「わかっているよ。

 行ってらっしゃい」

「行ってきまーす」

明るい日差しの中、翔太に見送られ葵はご機嫌だった。

それもそのはずで、つい最近の卒業式の日は、一人で誰にも見送られずアパートを出たのだが、今日は翔太に見送られ、また、マンションの住人にも何だか祝福されているような温かな目で見られた気がしたからだった。

「葵!」

学校に近づくと葵を呼ぶ声が聞こえ振り返ると、そこには中学の時の同級生で唯一、葵と仲の良かった楓花(ふうか)の姿があった。

「あ、(ふう)ちゃん。

 おはよう」

「また、葵と一緒だね。

 良かった。

 クラスも一緒になると、もっといいんだけどね」

「そうだね」

「きっと一緒だよ。

 ほら、初めのうちは同じ中学出身者でクラスを固めるって噂だよ」

「本当?

 それだと嬉しいな」

葵は中学時代、姉の影響で同級生から遠巻きにされ、ほとんど友達らしい友達ができなかったが、その中で楓花だけは葵と仲が良かった。

楓花は、黒髪で白い綺麗な肌、愛くるしい顔立ちの可愛らしい女の子で、葵は自分に持っていないものを持っている楓花が好きだった。

「入学式、後から父兄が来るんだよね。

 うちのパパやママ、張り切っちゃって。

 葵のところは、お母さんやお姉さんが来るんでしょ?」

「え?

 …

 ううん、今日は二人とも忙しいんだって。」

「ええー?!

 そうなの…。

 ごめんね」

「楓ちゃん、謝ることないって。

 その代わり、今晩、お姉ちゃんがお祝いしてくれるって言っていたから大丈夫」

「そうなんだ」

楓花は、ほっとしたように笑顔を見せる。

「さ、行こう」

「うん。

 でも、葵ちゃん、最近少し変わったね」

「え?」

「よく笑顔を見せるようになったし、明るくなったみたい」

「そうかな」

「さては、彼氏でも出来たの?」

「か、彼氏?

 いない、いない。

 そんな人いないよ」

そう言いながら葵は翔太の顔を思い出し、顔が熱くなる。

(翔太さんが本当に彼氏だったらいいのにな)

「やっぱりおかしい。

 いるでしょ?」

「いないってば。

 それより早く行ってクラス分け見ようよ」

「そうね。

 今は、そっちの方が気になるわね」

葵と楓花は仲良く高校の正門をくぐっていった。

その頃、翔太は余所行きの一番のお気に入りの背広を着て、肩から一眼レフのデジタルカメラを提げ、いそいそと葵の高校に向かっていた。

(全く、身内の入学式だっていうのに、母親も姉も来ないなんて。

 一生に一度の高校の入学式だろうに。

 どういう神経をしているんだろう)

翔太は、茜も来ないと聞いた時から葵の入学式に顔を出すつもりで会社に休暇届を出していた。

(なんで俺は会社を休んでまで、葵ちゃんの入学式に行くんだ?

 いや、やっぱり可哀想じゃないか。

 あんな可愛い子が寂しい入学式なんて。

 でも、俺が行ったら葵ちゃん、どんな顔をするかな。

 驚いて嫌がる?

 まあいい。

 誰もいかないよりはましだろう)

自問自答をしながら、それでも歩みは軽かった。

「もうすぐ入学式が始まります。

 ご父兄の方は、早く受付をお願いします」

翔太が正門をくぐると父兄の受付と思われるテントから声が聞こえる。

テントには生徒の両親と思われる着飾った大人たちが受付をしていて、終わると胸に父兄だとわかるようにリボンを着けていた。

列に並び、翔太の番がくる。

「ご入学、おめでとうございます。

 生徒さんのお名前を伺っています」

「え?

 あ、ああ。

 葵ちゃん…

 廣瀬葵です」

「廣瀬葵さんですね。

 失礼ですが、ご関係は?」

受付の教師と思われる女性は翔太に疑いの目を向ける。

まれに父兄に混じって女子生徒の写真を撮るマニアがいて、翔太はまさに肩からカメラを提げ、しかも、親とは思えない若さだったので尚更警戒しているようだった。

「関係?」

(やべぇ、なんて答えればいいんだ?

 同居人でいいのかな。

 でも、なんか変かな。

 うわ!

 疑いの目で見ている。

 変質者と思われているのかな。

 まずいぞ。

 こっそりと入って写真撮ってと思っていたし受付なんか考えていなかったから、なんて答えたらいいんだ)

十分に怪しいことをしようとしていた翔太。

「あの、ご関係は?」

「か、関係…」

「どうしました?」

しどろもどろになっている翔太を見て、近くにいた警備員と思われる男性が寄って来る。

「あ、あの…」

(やばいよ、やばい。

 デガワじゃないんだ!

 でも、やばい)

翔太は額に汗を滲ませ、パニックになり、そんな翔太を周りの父兄は胡散臭そうな目で見ていた。

「お兄ちゃん、何やっているのよ」

「え?」

いきなり聞き覚えのある声に翔太は思わず振り返ると、そこに笑顔の茜が立っていた。

「すみません。

 廣瀬葵の姉ですが、今日は親が来れないというので、私と私が頼んだ知り合いのこの人とで駆け付けたんです」

「そうなんですか。

 葵さんのお姉さんですね。

 その方はお知り合いの方ですか。

 改めて、おめでとうございます」

茜の登場に緊張した雰囲気は一気に元の和やかな雰囲気に変わる。

そして、二人は受付を済ませ、リボンを着け、入学式が行われる講堂に向かっていく。

「なんだ、来れたのか。

 じゃあ、なにも俺が来なくても良かったか」

「そりゃーそうよ。

 可愛い妹の入学式なんだから。

 と言いたいところだけど、ぎりぎりまで来れる状況じゃなかったの。

 でも、急に仕事にキャンセルが入ったので来れたようなものよ。

 それよりあなた、葵が一人だと思ってきてくれたんでしょ。

 しかも会社、休んだんでしょ?

 わざわざ、ありがとう。

 葵も喜ぶわよ」

茜は嬉しそうな顔をして翔太に話しかける。

「いや、たまたまだよ。

 前から予定していた休みで、おれも用事が無くなって暇だったから。

 まあ、今どきの女子高生はどんな感じかなと見に来たようなものさ」

「変態」

「うるせぇ」

翔太の下手な噓に茜は吹き出しそうになっていた。

(この人と葵が結婚したら、私の弟になるのかな?

 なんか変なの)

茜は他愛のないことを考えながら一人笑いをかみ殺していた。

式が始まり生徒が講堂に入って来る。

「葵!」

茜は生徒の中に葵を目ざとく見つけると、声をかける。

「え?」

葵は一瞬キョロキョロして声の主を探し、その目線の先に茜とカメラを覗き込んでシャッターを切っている翔太を見つける。

(お姉ちゃん。

 しかも翔太さんまで!)

驚きと嬉しさで、葵は思わず眼がしらが熱くなり、涙をこぼしそうになったが、気を取り直し、翔太たちに笑顔で小さく手を振る。

(翔太さんたら、また、写真撮ってる。

 恥ずかしいなぁ。

でも、何だか嬉しいな)

「あれ?

 葵ちゃんのお姉さん来ているじゃない」

葵の横にいた楓花が葵の手の振った方を見て囁く。

「うん。

 仕事の都合がついたのかな」

「その横の男の人。

 もしかして、葵ちゃんが下宿しているマンションのオーナーさん?」

「え?

 う、うん」

 葵は唯一信じられる友人の楓花にだけ本当のことを話していた。

「“オーナーさん”て言っていたから、もっと年配の人かと思っていたわ。

 若くてカッコいい人じゃない。

 今度、遊びに行っていい?」

「う、うん。

 でも、いいかどうか聞いておくね」

「お願いね。

 あの人、私の好みだわ。

 私って年上好みなんだ。

 しかも働いている大人って素敵だし、ルックスも私好み」

「もう、楓花ちゃんたら」

楓花が自分の好みだと言った言葉を葵は複雑な思いで聞いていた。

(楓花ちゃん、可愛いし、胸の大きいし、女の子っぽいし…

 翔太さんも好みかしら…)

入学式が終わり集合写真を撮るとき、さすがに翔太は辞退しようとしたが、半ば強引に茜に連れていかれ他の父兄と同様に写真に納まる。

それで入学式は終わり、葵たち生徒はホームルームで説明を受けるため教室に戻り、翔太たちは学校を後にする。

「じゃあ、夕方…

 そうね、6時過ぎくらいに行くわね」

「わかった。

 でも、旦那は?

 一緒に連れてくればいいのに」

「旦那?

 うちの人は、今日は別の飲み会があるんだって。

 もう、しょっちゅう飲み会だって家を空けるわ。

 まあ、飲み会だって言っても早くに返ってきて、家で私と飲みなおしって。

 私とじゃないとお酒も美味しくないって!

 きゃっ!!」

「おーおー、仲のよろしいことで」

「当たり前でしょ。

 それより、後で撮った写真見せてね」

「ああ。

 気に入ったのがあればあげるから、SDカード持ってきて」

「SDカード?

 良くわかんないから、スマフォに転送してくれればいいわ」

「はいはい

 それじゃ、また、夜に」

「あ、そうそう。

 今日は、本当にありがとう」

茜は嬉しそうに手を振って、翔太とは別方向の自分の家に歩いていく。

(さてさて。

 今晩は何でお祝いするかな。

 寿司は昨日の晩に食べたからな。

 しゃぶしゃぶ…

 すき焼きにでもするか。

 奮発して良い牛肉を買って、あと、茜が来るから日本酒でも買っておくか)

葵の入学式を自分のことのように喜んでいる翔太だったが、それに自分自身気が付いていなかった。


「ただいまー!」

お昼過ぎに葵は学校から帰って来る。

同居した当初は遠慮して葵は敬語を使ったり、立ち振る舞いに気を付けていたが、翔太から「息が詰まる」「敬語はやめる」「いつものように振舞うこと」と注文を付けられ戸惑いはしたが、翔太の遠慮しない振る舞いを見ているうちに、葵も遠慮しなくなっていた。

「お、お帰り。

 お腹減っただろう。

 今、焼きそばでも作るから、着替えておいで」

「はーい。

 やったー、焼きそば、焼きそば。

 でも、翔太さん、私手伝うから待っていてね。

 それから…」

「ん?」

キッチンで冷蔵庫から食材を取り出していた翔太の傍に近寄り、翔太の顔を見上げる。

「あの…

 今日は、ありがとうございました。

 翔太さんまで来てくれるなんて。

 それも、会社を休んだんでしょ?」

「ああ、たまたま予定があって休暇届を出していたんだけど、その予定がキャンセルになったからね」

「そうなんですか。」

(嘘、嘘。

 お休みなんて聞いていなかったもん)

二人はその月の予定を必ず共有するようにしていたので、今日の休暇のことを葵は聞かされておらず、すなわち事前の予定でないことは明白だった。

「でも、嬉しかったです。」

顔を上気させ笑顔を見せる葵。

真新しい制服が良く似合い、可愛らしさの上に妙な色気を感じ、翔太はどぎまぎする。

「さ、さあ。

 制服を汚さないうちに、着替えておいで」

「はーい」

葵は笑顔で返事をすると、部屋に戻っていく。

その後ろ姿、スカートに揺れる腰からお尻のシルエットに翔太は視線をくぎ付けにし、思わず生唾を飲み込む。

(い、いかん、いかん。

 ついこの間まで中学生だった子供に、何を欲情しているんだ。

 いかんぞー!

 俺はロリコンじゃねーぞ。

 20代の女がいい。

 コジルリ、若くてスズちゃんがいいな。

 そうそう、スズちゃん。

 可愛いし、最近は胸やお尻も大きくなったしな。

 うん、うん、俺は正常だ)

翔太は勝手にうなずき、納得する。

着替えて戻ってきた葵は、髪は学校に行った時と同じポニーテール、ピンク色のセーターにブルージーンズというラフな格好だったが、要所要所が女性っぽく丸みを帯びてきたのを感じたのと、葵のいい香りが翔太を惑わす。

(いかん、いかん。

 俺の好みはスズだって)

知らず知らずのうちに、好みが20代後半から前半へと若年化してきていることに翔太は気づいていなかった。


「おめでとー、葵!!」

「ありがとう、お姉ちゃん」

その夜、茜を交えた三人でのすき焼き鍋を囲んでの入学祝。

余程嬉しかったのか、茜は始めからハイペースで日本酒を飲み上機嫌だった。

「葵、高校の制服姿、超~可愛かったよ。

 おい、翔太!!

 写真、今日撮った葵の写真。

 見せて~」

「お、お姉ちゃん。

 翔太さんを呼び捨てにして!」

「まあ、まあ。

 葵ちゃん。

 いいから」

驚いて茜を叱りつけようとする葵を翔太が制する。

「ほら、お姉さん。

 葵ちゃんの写真」

翔太はデジカメのモニターで撮った葵の写真を茜に見せようとする。

「小さくて、見えないわよー」

酔いが回ってきているのか、茜は駄々をこねる。

「お姉ちゃんたら」

「いいんだよ、葵ちゃん。

 じゃあ、このモニターにつけてと」

翔太はデジカメといつもゲームで使っている大画面のモニターを繋げて画面に葵の制服姿を映し出す。

「なんか、恥ずかしいな」

葵は大きく映し出された照れくさそうな制服姿の自分を見て、顔を赤らめる。

「おーおー!

 わが妹ながら、いや、わが妹だから別嬪さんだわ。

 真新しい制服姿で、可愛いこと。

 高校生にもなると、お色気も出てきて」

「お姉ちゃん!!」

「私も高校に行きたかったな…」

「お姉ちゃん?」

真顔で葵の写真を眺めている茜が呟く。

「せめて葵だけでも寂しい思いをさせたくなかった。

 良かったね、葵…」

茜の目から涙がこぼれる。

「お姉ちゃん…。

 お姉ちゃん、本当にありがとう。

 この制服、とっても気に入っているんだ」

「よかったね…」

(葵。

 良かったのは、制服だけじゃないのよ…)

茜は涙を拭きながら葵を見て微笑む。

「さあ、私は飲むけど、葵はすき焼きを食べなさい。

 この肉、結構いけてるから」

「もう、お姉ちゃんたら。

 これ全部、翔太さんが用意してくれたのよ」

「まあ、いいから。

 葵ちゃんは飲めないんだから、たくさん食べて」

「翔太さん…

 ありがとうございます。

 本当に美味しい。

 こんなに美味しいすき焼きなんて食べたの初めてです」

「そうだね。

 すき焼き自体、食べることがなかったものね。

 すき焼きのたれと、お麩、白菜ですき焼きもどきはよく食べたけどね」

「うん。

 覚えている。

 お姉ちゃんと『すき焼きだ』ってよく食べたよね」

「まあ、そんなことより、本物のすき焼きはやっぱり美味しいわ」

「うん、うん」

日本酒を飲みながらすき焼きに舌鼓を打ち、茜はご満悦だった。

(しかし、父親が違うと言っても仲の良い姉妹だな。

 なんだかんだ言っても、お互いを思いあっているし、明るく素直だし。

 こんな家庭環境だったら、俺なんか一発で愚れて何しでかしているかわからんのに)

翔太は仲のいい葵と茜を酒の肴にお酒を飲んでいた。

5時ごろから始まった葵の入学祝は9時前にお開きとなり、茜はいいご機嫌で帰っていく。

「お姉ちゃん、大丈夫?

 ちゃんと帰れる?

 送っていこうか?」

かなりお酒を飲んだ茜を葵は気遣って声をかける。

「大丈夫よ。

 このくらいの量で酔っぱらう私じゃないわ。

 それに駅のところまで旦那が迎えに来てくれるって」

「じゃあ、大丈夫ね」

「心配ご無用。

 それより、翔太…

 翔太さん、葵のことをよろしくお願いしますね」

「ああ、大丈夫だ」

翔太は不思議な気持ちで答える。

「じゃあね、葵。

 あんまり翔太さんに迷惑かけちゃだめよ」

「はい、わかっています」

茜は手を振りながら翔太の満床を後にする。

「翔太さん、今日はいろいろとありがとうございました。

 入学式にも来てくれて、そして、お祝いまでしていただいて。」

後片付けが終わると、葵は、改めて翔太に礼を言う。

「いいって、いいって。

 それより、お姉さんが来てくれてよかったじゃない」

「はい」

葵が嬉しそうな顔で頷く。

その笑顔を見て、翔太は思わず心が落ち着かなくなる。

(やばい。

 飲み過ぎたかな)

その夜、葵は幸せいっぱいの気持ちで布団にくるまる。

(嬉しかったな。

 お姉ちゃんが入学式に来てくれて…

 しかも、翔太さんまで!

 嬉しいな。

 勉強も家(翔太のマンション)の家事も頑張らなくっちゃ。

 それとお姉ちゃんが言っていたように翔太さんに負担をかけないようにしないと。

 でも、やっぱり楓花ちゃんが言っていたように、翔太さん、素敵だな。

 うふふふ)


入学式から2か月たったころ、葵は高校生活にもしっかりと慣れていた。

その日曜日の夜。

食事が終わり、二人でゲームを楽しんでいた時、葵が切り出す。

「え?

 バイトをする?」

「はい。

 ほら、ここから15分ほど歩いたところに、生協があるじゃないですか。

 そのレジ係のバイトです。

 土日で、土曜日は学校の後、15時から18時の3時間。

 日曜日は11時から18時までで、途中休憩が1時間があるので6時間。

 今日、面接があって“来週からいいよ”って」

(そうか。

 それで今日、昼間に出かけて行ったんだ)

葵が一人で出かけることは珍しくなかった。

たいていは本屋や100円ショップで買い物をして帰ってくるくらいだったが、今日はどことなく余所行きの格好をしていたような気がしていた。

「そうなんだ。

 土日か。

 土曜日は一旦帰って来るのかな?」

「はい。

 さすがに制服で行くのは考えものですものね」

「学校には影響しない?

 土日までバイトしたら体が休まらないじゃないか。

 それに好きなこともできないよ」

「はい。

 用事があったら事前に言えばいいって言ってくれました」

「そうか。

 でも、無理はしないようにね。

 しかし、なんで急に?

 何か欲しいものでもあるのかな?」

翔太は日用雑貨品を含めすべて葵に買い与えていた。

お小遣いはさすがに茜が葵に渡していた。

「いいえ、特にないです。

 でも、翔太さんにこれ以上ご迷惑をおかけしたくないので、出来るだけ自分のことは自分でと思って」

(でも、確かに週9時間。

 時給1000円として9000円かける4だとして3万6千円か。

 高校生なら十分な金額だな。

 好きなものを買えるし、それに、本人がやりたいというからいいか。

 こっちとしては、土日の昼間は自由な時間になるな。

 誰かに電話して…昼間だけか?

 はぁ、無理だな)

翔太は簡単に計算し、納得する

「葵ちゃんがやりたいというなら特にいいけど。

 勉強に差し障りが出ないように。

 あと体を壊したら元も子もないから、それだけは気を付けてね」

「はい。

 ありがとうございます♪」

(わは!

 翔太さん、私のこと心配してくれている。

 うへへへ)

他愛もなく喜ぶ葵だった。


前回からずいぶんと時間が空いてしまいました。

前の仕事の現場はマネジメント管理がしっかりしていて無理のないスケジュールで残業もほとんどない所だったので小説を書く時間が取れたのですが、現場が変わって今のところはマネジメントが滅茶苦茶。

納期は短いし、スケジュールは滅茶苦茶、しかも仕事量は2人前以上。

残業しなくては終わらないし残業を強要されるのですが、手当てが一切なし。

全くのブラック企業です(怒)

と言うことで前のようなペースでは書けませんが、細々と続けていくつもりです。


葵は高校生活が慣れ、アルバイトをし始めます。

順調かと思った生活に事件が。

その前に、次回はKの巻です。

高校生活のスタートを薫はどう切ったか。

裕樹にマネージャーは務まるでしょうか。

私は過労死していないでしょうか…(笑)

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