注文の多い魔神
休日、A氏は秋葉原を歩いていた。
特に目的もなくぶらぶら歩いていると、ジャンク屋の店先に古いランプが置いてあった。
「なんだこれ、アラジンの魔法のランプみたいだなあ」
値段を見ると、ランチ1食分くらいの値段だ。
「なんか面白そうだから買ってみるか」
A氏はランプを買うと家に帰り、汚れた表面を布で拭いてみた。
「お呼びでしょうか、ご主人さま」
全く想像どおりのアラブ風の魔神がランプから出て来た。
「なんというベタな話だ。お前は俺の願いを3つかなえてくれるのか?」
「話が早いな、そのとおりだ」
魔神は腕組みしながら答える。
「それじゃあ、俺を魔法使いにしてくれ」
「それは出来ない。魔法という非科学的な能力を与えることはできない」
お前が言うな。
A氏は心の中で呟いたが出来ないと言われたので仕方ない。
「んー、そうしたらベタなところでお金もちにしてくれ」
「お金を出してやることはできるが、一生お金持ちにすることはできない。それでもいいか?」
「それって金額を言ったらその金額を出して終わりってこと?」
「そうだ」
A氏は考えた。
それを元手に商売や投資をして儲けていけばお金持ちになれるかもしれないが、いったいいくらくらいあればそれは叶うのか。
頭の中では、国家予算規模の金額を思い浮かべる。それくらいあればどうとでもなるだろう。
「言っておくが、今までいろんな人間の願いを叶えてきた。山ほどの金貨を出すことも多かったが、そいつらは全員不幸で終わった」
さすが何千年にも渡って世界中を旅してきたであろう魔神だ。
言葉に重みがある。
願い事は3つかなえてくれるのだ、お金は最後で良いだろう。
「それじゃあ、有名女優と結婚がしたい」
A氏はある有名女優の名前を言った。
「結婚させることは出来るが結婚したあとの生活はお前次第だ。その女がお前に魅力を感じたままで居させる自信はあるのか?」
A氏はむっとした。
なんだよ願いを叶えてくれるはずなのになんでこんなに説教みたいなこと言われなきゃならないんだよ。
「おまえたちは、俺が折角願いを叶えてやっても最後には俺に恨みを言う。だから最初に断っておくようになったのだ」
魔神は俺の心を見透かしたように言う。
何千年もクレームを受け続けていればそうなるか。
「それじゃあ、お勧めの願い事ってなんだ?」
「マメに働いても苦にならない、とかかな」
「ずいぶん地味な話だな」
「だがこの願いを叶えてやって文句を言ってきた奴はいない」
「うーん」
確かにそうかもしれない。俺はその願いを叶えてもらうことにした。
翌日から、A氏は人一倍気配りして働けるようになった。もともとそつなく仕事はしてきたが、例えば書類を提出するときにもう一度見返してミスを発見したり、根回しやフォローをこまめにやってうまく仕事を回したりすることがうまくなっていた。
「最近仕事に脂がのってきたな」
同僚や上司、取引先からの評判もよく順調に出世していき、収入も上がっていった。
そしてそのマメさから同僚の女性からも評判がよく、結婚したいランキング1位よ、などと言われるようになった。
が、言われるだけで誰も付き合おうとはならなかったのだが。
「仕事も順調だし女性受けも悪くはない。しかし合コンに呼ばれたり誰かに告白されたりっていうのがないのは寂しい。年も年だしそろそろ結婚もしたいしな」
A氏は久しぶりにランプを取り出すと、布でこすった。
「お呼びでございますか、ご主人さま」
「ああ、お前のおかげでうまくいってるよ。ありがとう」
「それはよかった。あのとき俺の言うことを聞いてよかったろう?」
「ああ、それは間違いない。だが最近困ったことがあってな。結婚したいのだが女性に全くもてない。もてるようにしてくれ」
「もてるようにすることはできるが、前にも言ったとおりそのあとはお前自身の素質で付き合いが続くか終わるかが決まる。しかももてて良いことばかりではない。その願いを叶えた奴らはあとで取り消してくれと必ず言ってくる」
「またそれか」
A氏は渋い顔をした。
「それならお勧めの願いはなんだ?」
「女性の気持ちをわかるようになる、というのはどうだ?」
「なるほど。それならもてるようになるし、つきあいを続けていく間も何が不満かとかわかるから対処できるな。それでたのむ」
「その願い、かなえてやろう」
翌日から女性の考えてることがわかるようになった。わかると言っても”なんとなくどういうふうに考えてるか”といった雰囲気がわかるというものである。世の中の男は魔法に頼らなくてもわかる奴がたくさん居て、いわゆるもて男として生きているのだろうが。
自分がどう思われているのかがわかると、ファッションだとか話題なども勉強するきっかけになった。前の願いでマメさは身についたので、自然と合コンに呼ばれるようになり女性と知り合う機会も前よりは増えた。いい雰囲気になる女性も居たが、A氏の考える結婚像と違う雰囲気だったりしてうまくいかなかった。
ある日、仕事で有名女優と一緒になった。以前結婚したいと願った女優である。一緒に仕事をしていくうちに、なんとその女優がA氏に好意を持っていることが雰囲気でわかった。
仕事が終わる日に、思い切って告白してみた。彼女はOKをした。
それからA氏の生活は一変した。
芸能人であるからデートなどはおおぴらに出来ないという制約はあったが、彼女は家庭的であった。高いレストランやリゾートよりもふたりで部屋にいて料理をしたりするほうを好んだ。
不思議と週刊誌に交際をすっぱ抜かれることはなく、彼女も芸能の仕事が減ってきて世間からは”過去の人”といった感じで見られるようになっていた。
「少し芸能の仕事はお休みしたいの」
彼女はそう言って仕事が減ったことを笑った。事実オファーはそれなりに来てるようだし、有名な演出家や監督などからも仕事を口説かれてるようであったが、断っているらしい。
「そろそろ結婚したいわ」
彼女がそう言ったのは、それからまもなくのことだった。
記者会見の内容が週刊誌の片隅に載った。結婚に伴う休業宣言ということで惜しむ声が多いと好意的な内容であった。
結婚式は地味にした。だが彼女はそうとう慕われていたようで、友人として招かれた人たちは誰もが知っている有名な俳優や演出家、監督などであった。
やがて子供が生まれ、彼女とA氏は子育てに追われる。二人目も出来ていよいよ戦場のような忙しさになったがそれはどこの家庭でも起きていることである。
長男が反抗期を迎え、A氏はあたふたしたがなんとか乗り切った。下の長女が反抗期になったときは、女性の考えがわかるため黙って見守るほうがよいのか一言言ったほうがよいのかわかり、スムーズに乗り切った。
「さすがにふたりめともなると慣れたのね」
長女の気持ちにぴったり寄り添うA氏に、彼女がよくそう言って笑った。
「まあね」
A氏は心の中で苦笑いしながらそう答えるのが常だった。
その後もちょっとしたトラブルや危機などもあったが、ふたりで乗り越えていった。
やがて子供が大きくなると女優の仕事もぼちぼち再開した。派手な売り出しではなかったが、仕事を楽しんでいるのがA氏にはよくわかった。
子供も独立する頃になるとA氏も定年を迎える頃になった。会社ではそこまで出世しなかったが、マメさとうまく仕事を回すスタイルが周りに好評で、取引先から再就職のオファーが何件も来るほどであった。
彼女とふたりきりになった家で、A氏は第2の人生をスタートさせた。彼女も年輪を重ねた魅力で再び仕事も増えてきた。幸せな日々を過ごしていたが、ある日彼女が体調不良から病院に行くとガンを宣告された。余命1年である。
全身に転移し手のほどこしようがなかった。ただ医者は”普通こんな状態なら痛みやだるさでこんなに元気なはずはない”と首をひねっていた。
A氏は悲しんだ。まだ死ぬなんて早い、なんとか出来るものならしたい。だが彼女は”十分楽しんだ、幸せだった”という雰囲気だった。
悩んだ末に、数十年ぶりに魔法のランプを取りだした。
「お呼びでございますか、ご主人様」
「ああ、彼女がガンになってな。なんとか助けてやりたい」
A氏は思い詰めた表情で言った。
「病気を治すことはできるが、これが最後の願いごとだ。その病気が治ってもいずれは別の病気や老衰で死ぬ。そのときはどうするんだ?」
「少しでも長生きをさせたい。そうだ、彼女を不老不死にすれば」
「不老不死はやめたほうがいい。永遠に生きるということは思ってるほど楽しくはないぞ。それをかなえてやった奴らも最後は殺してくれと願う。しかもこれが最後の願いだ。そうなったらもう誰にも止められない」
A氏は苦悩した。彼女を助けたいが魔神の言うとおりだ。病気を治したとしてもいつかは死ぬ。彼女の気持ちはどうなんだ。
「お前は自分の苦しみから俺に願いを叶えてもらおうとしている。それならお前の気持ちを素直に叶えたらどうだ?」
A氏ははっとした。
俺の素直な気持ちか。彼女は人生に悔いはなく死を受け入れているのがわかる。ならばそのまま送ろうではないか。それが自然だ。
「俺も悔いなく幸せに死にたい」
「わかった。その願い叶えてやろう」
最後の望みを叶えると、魔神は消えた。
翌日、彼女は記者会見を開いて余命1年を告白した。それ以来、家にはひっきりなしに来客が来た。
「しかし全然そうは見えないな。ぴんぴんしてるぞ」
数十年来の仕事仲間である有名な演出家が言った。妻の手料理を囲みながらの楽しいひとときだった。
「ほんとにね。ちょっと具合が悪いときがあるくらいで、先生もなんで痛くないんだって不思議がってたわ」
「なあ、最後になるかもしれないがお前のために1本映画を撮りたいんだが」
「えーうれしい!でも撮影の途中で死んでしまったら意味がないわよ」
「大丈夫だ、短めの作品にしてぱっと撮ってしまおう」
あっというまに彼女のために映画を撮ることになった。演出家があちこちに声をかけると有名な脚本家があっというまに台本を書いた。有名な監督がぜひと名乗り出た。大手の会社が何社もスポンサーに手を上げ、とんとん拍子に話しが進んでいく。
彼女もすごく楽しそうに撮影に望んだ。
半年後、映画のクランクアップがありたくさんの花束に囲まれて幸せそうな彼女の写真が週刊誌などに載った。
それから1ヶ月ほどで編集を終え映画として上映された。
初上演のステージ挨拶で彼女が冗談っぽく言った。
「余命あと2ヶ月なんですけど、これで死ななかったら恥をかいちゃうわ」
彼女は明るく笑った。
映画はその話題性だけでなく内容も素晴らしく人気になった。短編映画なので小さなシアターで1ヶ月くらいの上映を予定していたが、異例の延長上映とシネコンなどの全国の大きな映画館での上映も決定された。
そんな中、ついに彼女が倒れてしまった。病院にはたくさんのお見舞い客がやってきたが、さすがに日に日に弱っていった。
「本当に幸せな一生だったわ」
ベッド際で手を握るA氏に彼女は言った。女性の考えがわかる能力を持たなかったとしても、それは心底思ってることがわかった。
「あなた、ありがとう」
そういうと彼女はにっこり笑いながら息をひきとった。
葬式を終え、お墓は彼女が好きだった海が見える小高い丘に作った。月命日には欠かさずお参りに行き、墓前で日が暮れるまで彼女と語り合っていた。
ひとりになり気落ちしてるであろうA氏を元気つけるために今は結婚した子供達夫婦が週末などに遊びに来た。
やがて再就職先も定年し、A氏は家を引き払った。彼女や子供たちの思い出が詰まった家だったが、第3の人生を始めなければならないと思ったからだ。俺も悔いのない人生を送らないと彼女に申し訳ないと思ったからだ。
老人ホームに入った。子供たちは一緒に暮らそうと言ってくれたが、つかず離れずのほうがうまくいくと考えた。
やがて同じ老人ホームの入居者たちと仲良くなって楽しく暮らしていた。
さすがに高齢になり、A氏も弱っていった。老人ホームの仲間がひっきりなしにやってきては励ましてくれた。休日には子供達夫婦が孫を連れてやってくる。A氏のまわりはいつも笑いが絶えなくにぎやかだった。
やがてA氏は死期を悟った。その晩、今までの人生を振り返りながらふと思った。
「あの魔法のランプのおかげで良い人生を送れたのかな。いや、魔神はいつも地味な願い事しか叶えてくれなかったよな。どちらかというと説教ばかりしてた気がする。だがいつも悩みを聞いてけつを叩いてくれた。やっぱり魔神のおかげなのかもしれない」
ふーっと息を吐くとA氏は静かに息を引き取った。
薄れていく意識の中で思った。
「悔いの無い人生だったな」
休日、若い男が秋葉原をぶらぶらしていた。
ふとジャンク屋をのぞくと店頭に古いランプが置いてあった。
「やあ、昔話に出てきそうな魔法のランプみたいなものだな。面白そうだから買ってみるか」
その若い男はランプを買うといそいそと家に帰っていった。