鬼隠し 2日目 たった1つの希望
「うわっ!」
雄一郎はギリギリのところで首を曲げる。
ナイフは雄一郎の耳と目と鼻の先ほどの距離をおいて壁に刺さっていた。
雄一郎はそのスキを見計らって横へ飛び前転をし、絶対的危機から逃れた。
だが足が恐怖心からか力があまり入っておらず立ち上がる力が無いようだった。
足に何度か力を入れるが、その力は筋肉まで届かずに何かに吸収された。
自分の意思で動けないというのはとても嫌なものだ。
楓はさきほどの一撃によほど自信があったのかナイフを抜くのにてこずっている。
雄一郎は足が恐怖心で動かないことを逆手にとって1つ深呼吸をした。
そして口を少し開くと舌を出し、思い切り口を閉じた。
舌に痛みが伝わり、一時的に恐怖心が薄れる。
その瞬間雄一郎の床にくっついていたのを開放されるように動き出した。
雄一郎は明美と夜魅のところまで行くとパッと振り返り楓を見る。
楓は少し不満そうな顔をしてナイフを力強く抜き取った。
そして雄一郎を怒った顔でにらむ。
雄一郎は少し怯えながら楓をにらみ返した。
楓の赤い瞳が雄一郎をギョロリと見る。
雄一郎はにらんでいるつもりだろうがあまり怖く見えない。
楓はにらむのをやめ無感情な無表情をする。
その表情の変化の理由を知ってか明美と夜魅は突然構えた。
そのままナイフを構えようとしたがナイフを持っていた手がピクリと動く。
するとと楓はナイフをおろしてチッと舌打ちをした。
雄一郎は少しまゆをひそめながらも楓を見つめている。
楓の肩の力が抜けて方が落ちた。
「その表情されるとこっちがしけるんだけど?」
と少しおもしろそうに苦笑いするとくるりとターンをして雄一郎たちに背中を見せる。
雄一郎や明美、夜魅もそれを不思議に思って驚く。
雄一郎はにらむのをやめて明美と夜魅は構えを解いた。
楓はそのまま3人に背を向け逆方向へ歩き始めた。
足音が3人の耳に響く。
雄一郎はなぜ自分たちを見逃したのかを聞きたく思って口をひらこうとした。
そのとき楓が足を止めて言った。
「これは見逃しじゃない。今オレの理性が利いているうちに逃げろっていう忠告だ」
それを聞いた雄一郎は言おうとした言葉をやめて楽しそうに微笑む。
「でもそれって・・・結局見逃してくれてるんでしょ?」
楓は雄一郎の言ったことをどう思ったのかおもしろそうに微笑んだ。
「そうかもしれないな・・・。でも早く逃げないともうオレ結構限界かも」
微笑が不吉な笑みへと変わってゆく。
「そろそろ逃げてくんないと本気で殺しちゃうよ・・・?」
雄一郎より先に夜魅は本気だと気づいたようだ。
パッと明美と雄一郎の隙間に入りこんで2人の手をつかんだ。
「えっ?」
明美と雄一郎がまったく突然の出来事に声をそろえて夜魅の方を振り返って言う。
夜魅はマジメな表情で2人を見つめた。
なかなかないマジメな表情を見てこの状況をある程度把握する。
夜魅が明美を見ると明美は何も言わずコクリとうなづいた。
だが雄一郎はこの状況でもまだ楓が心配でいた。
顔を下げて夜魅を見ようとしない。
楓は3人がまだ逃げてないことを分かっていたのか大声で言った。
「早く行け!死にたいのか!!」
自分の理性をふりしぼって言った。
雄一郎は楓その一言にやっと顔を上げて夜魅の表情を見る。
自分を心配し、残念そうな表情。
夜魅は雄一郎を見つめた。
雄一郎は今どうするべきかやっと理解できたようだ。
ゆっくりと、深く、うなづく。
「わかった・・・」
雄一郎は楓にそう小さく言うと夜魅と明美に手を引っ張られて楓から離れていった。
楓は悲しそうに、だが満足そうな笑みをうかべる。
そして楓の理性は何か別の「本能」のようなものに支配された。
「ククッ」
楓はそう不吉に笑うと怪しげな笑みをうかべる。
楓の赤い瞳は今になって闇の中でもはっきりと分かるほど、輝きを増していた。
そして楓は何かをこらえるように3人とは逆方向へ走り始める。
その表情は楽しそう、なのにどこか悲しげな表情だった。
悲しそうに顔をさげ、雄一郎はただひたすらに走っていた。
今3人のなかの沈黙はより激しさを増している。
会話など出てくることは無く、そんなのが嫌な夜魅も会話を考える余裕は無かった。
今は3人にできることはただ逃げることしかできないのだ。
楓を救うことなどできやしない。
雄一郎はそれを頭で理解しても心では実践しようと考えていた。
だがその考えに冷静な「無理」という考えが牙をむく。
そのたび雄一郎は頭をなやませた。
明美もできることなら楓を救ってあげたいとは思っているものの・・・
あの場で恐怖に負けてしまった自分へ挫折と後悔の念がこみあげてきていた。
明美は自分があの場で何もできなかったことに怒りを感じていた。
それは誰のせいでもない。
自分のせいだと理解している。
だが一番心を痛めたのは夜魅なのかもしれない。
2人の先輩でありながら鬼に気絶させられて・・・
そのまま雄一郎を危機から護ってあげることができなかった自分にひどく悲しんでいた。
だがそれが表情にでることはなかった。
今の自分には逃げることと、2人を護ってあげることができる。
いや、2人を護る義務がある。
そんな状況で悲しんでいられないという夜魅のかたく、強い覚悟だった。
3人とも今決して楽しいとかそういう感じではなかった。
いや、こんな状況でなくとも楽しくはないだろう。
そもそも同級生で雄一郎のたった2人の信じあえる仲間。
それが1人、今たくさんの生徒を殺している。
ナイフは血にまみれ、それでも楓は殺すことをやめない。
もうその姿からは鬼隠しの始まる前の楓の姿は無い。
たださっき一度だけその頃の楓を思い出せた気がする。
雄一郎は楓を助けたいと再び思った。
まだ間に合うかもしれない。
楓にも希望があるかもしれない。
そして雄一郎は突然立ち止まった。
2人ともそれに気づいて雄一郎の少し先で足を止める。
「転校生君・・・」
夜魅は雄一郎が何を思っているか大体理解できていた。
明美は心配そうに雄一郎を見つめている。
雄一郎は左足を後ろへ下げた。
「オレ・・・楓を助けに行ってきます!」
雄一郎はその言葉と共に右足を前へ出し左足で回る。
その勢いを利用して右足は左足を通り過ぎて逆走の一歩となった。
そして左足を前でふみだし二歩目をふむ。
「ちょっと!待って!」
夜魅が雄一郎を止めようとするが雄一郎に夜魅の声は聞こえていなかった。
雄一郎は楓のために己の身も覚悟のうえなのだ。
死ぬ気の覚悟をした者にそれを妨げる者の声など届くまい。
タッタッタッタッタッタッタ・・・
雄一郎の姿は2人の視界からすでに消えていた。
だがその足音だけは見えなくなった今でも2人の耳に聞こえてきた。
夜魅は少し微笑むと明美を引っ張る。
明美は少し顔を下げてどうしようか悩んだ。
2人にできることはもう雄一郎の無事を願うことだけである。
明美は雄一郎が心配でついていきたいくらいいだった。
だがそれと同じほど夜魅は明美を心配した。
明美は雄一郎を信じ、夜魅と共に先へ進んだ。
雄一郎は必ず生き残る!必ず!
明美はまるで一生の願い事のように繰り返し繰り返し強く思った。
雄一郎は2人の不安をおしのけ楓を追っている。
確立だってないにひとしい、いまにも消えてしまいそうなほど弱い輝きのほんの一筋の・・・
――――希望を求めて・・・