第十話:ガベル・ドルガン
どれほど時間が経過しただろう。
気がつけば室内はすっかり濃い目の橙色に染められている。
窓の外を見ると徐々に橙色の空は黒に侵食されはじめているではないか、室内の時計を見ると時刻は夕方の五時半……か。
多少なりとも。
こう、目が覚めたらいつもの退屈な日常で、ああ、あれは夢だったんだなあって少し残念そうに呟く自分を期待していたのだが、そうはならないらしい。
夢落ちは禁止のようだ、嬉しいような悲しいような。
「アリア……」
俺の顔を見て横になっていたのか、顔は俺のほうを向いたままソファの肘掛に顔半分を沈めたまま眠っていた。
「涎垂らしてる……」
しかし、心地良さそう。
起こすべきか、このまま眺めているべきか。
ベッドから降りてそっと彼女に近づいてみる。
「悠斗様……むにゃむにゃ……」
「むにゃむにゃって寝言呟く奴いるんだなおい」
そんなの創作物の登場人物だけかと思った――って、そうだったな。
改めて彼女の観察をしてみる。
主人公のサポート役にしとくにはもったいない美貌だなあ。
軽く揺さぶってみるも、アリアは中々起きない。
意外と疲労が溜まっていたのかな? もしや今日、俺がオルランテに到着するまでずっと港で待ち伏せしていたのでは……? 考えられるな、彼女の設定を思い返せば。
「悠斗様、お時間になりました」
ノックと共に、扉越しからミネリルルの声が届いた。
「今行くよー」
「お連れ様とお楽しみ中でございましたら、少し時間をずらしますが」
「そ、そんな事してないって!」
慌てて扉を開けて、何もない事を証明する。
ミネリルルは中の様子を確認して本当に何もないと知るや、どこかつまらなそうに小さな溜息をついていた。
何を期待していたのやらこの子は。
「ほら、アリア。起きて」
「うぅん……」
「アリア様は私にお任せを。お先にお支度くださいませ」
「ああ、頼んだ」
シャワーと着替えを済ませて、一先ず廊下でアリアを待つ事数分。
……結構時間が掛かってるな。
おめかしやらで時間を使ってるのかな。
「お待たせしました悠斗様。どう、でしょうか?」
「ヒロイン枠に入り込める、かな……」
「ヒロイン枠?」
「ああいや、綺麗だよ!」
登場人物の立ち位置的な視点でいくと、ヒロイン候補として入ってもおかしくはない。
その青を基調としたドレスにも負けず、むしろドレスを着たからこそ彼女の元々持っている美貌が映えていると言っても過言ではない。
俺の言葉にすっかり気を良くしたアリアは抱きつくように寄り添っては腕を絡めてくる。
「お、おいっ」
「悠斗様に褒められると、嬉しいです! 会場まで一緒に行きましょう!」
まあ……俺も悪い気はしない。
むしろ異性とこうしてエスコートするだなんて、気分が高まる。
その反面で、こういうのは疎いから一体どんな態度でいればいいのか、分からない自分もいる。凛として先行したほうがいいのかな? どうなんだろ、ええい、どうにでもなれ!
「よ、よし! 行こうか!」
ここは堂々と、彼女を連れて行こうじゃないか。
「悠斗様、そちらはバルコニーでございます」
「ありゃ?」
「こちらへどうぞ」
我ながら締まらないものだ。
余計な背伸びはしないほうがいいかも、失態しか生まない気がする。
いよいよ城へと入る時がきた。
多くの貴族や王族、騎士団関係者などが城へと入っていく、いくつもある松明は火の色を変える特殊な素材を使用しているためまるでオーロラのような輝きを空へと伸ばして幻想的な空間を作り出していた。
本当に。
ああ、本当に異世界に来ている、今更ながらそんな実感を改めて受け止めて、俺は感動している。
「大勢おりますね、これも悠斗様目的です?」
「王族主催の食事会だからこれくらい人が集まって当然なんだよ、俺の事なんて知ってるのはほんの一部に過ぎないさ」
一応刺青は隠しておこう、注目されるのは嫌いではないものの、注目されすぎるのは困る。
「食事会といっても、実際は会議みたいなもんでもあるんだけどね。そうですよね? ミネリルルさん」
「よくご存知で。この食事会は他国との交流や親睦を深めるに加え、国と国との付き合いをする上での話し合いの場でもあります」
「そ、そんな場所に私達が行って本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫大丈夫。招待されたんだし堂々と行こうよ」
とは言ったものの、少し緊張している。
そもそも食事会というイベント自体経験がないんだ、何をすればいいのか検討もつかない。
現実じゃあ食事会なんて全然ないし似たような集まりはあっても俺は部屋で過ごしていたほうがいいタイプなんだ、そんな俺が食事会なんて……ねえ?
物語の流れからして何人かに絡まれるのは決まっているとはいえ、どういった立ち振る舞いをしておくべきなんだろう。
主人公はどういう振る舞いをさせてたっけな。
確か、こう……そわそわしたような感じで、って今の俺とあんまり変わらないな。
ありのままの自分でいこう。
大広間に到着すると老若男女が一堂に会していた。
最初はバイキング形式で皆自由に料理や酒を味わいながら談笑をするのだが、少しすれば国を代表する者や代理は別室で会議だ。
刺青の者に関しては一先ず伏せておくはず、今日はロルス国の襲撃から話と支援が主に話し合われるだろう。
「国王はこの場に来られるのですか?」
「はい、いつも現れては挨拶をしてまわりますよ。機会が巡れば直接お話できる可能性も十分にございます」
「そ、それは楽しみですねっ」
国王も来るとあってアリアも緊張は隠せない様子だった。
ちょっとアリア、頼むぜ。俺も緊張してるんだから、二人して緊張しちゃうのはいかがなものか。
「お二方」
「「は、はいっ」」
「肩の力を抜いて、ええ、そうです。いいですよ、はい、次は深呼吸してお飲み物」
さっと俺達に飲み物の入ったグラスを渡してくる。
柑橘系の香りがするほんのり甘めの飲み物、お酒ではないようだ。
飲みやすくて、落ち着かせてくれる。今の俺達には最適な飲み物だった。
「どうぞ食事会をお楽しみください」
「そ、そうだね、楽しもうか」
「楽しむといっても……何をすれば良いのでしょう?」
「悩んだら、食べるのです」
彼女は皿とナイフ、それにフォークを用意して俺達を長テーブルへと誘う。
食べる――それは単純ながら、確かに食事会という場では楽しめる要素の一つだ、堪能すべきであろう。
「こちらのヴァミリオン豚はいかがでしょう?」
「美味そうだね」
「見てください悠斗様、スープにパン、サラダやパスタと何でもございますよ!」
アリアはこれら豪華な料理を前にして目を輝かせていた。
一般市民には到底見慣れぬ光景、そしてそれを自由にしていい特権は二重の喜びを与えてくれている。
「ヴァミリオン豚を食べようかな」
「大皿をお願いできます!? 一通り食べたいです!」
「かしこまりました」
アリアが大皿にいくつもの料理を乗せていく中、俺は肉をぱくりと一口。
――極上。
その時、たった二文字が俺の頭の中を駆け巡った。
どれくらい美味しいのかを説明するのに原稿用紙一枚、いや二枚は軽く埋めてしまうかもしれない。
こりゃあ他の料理もきっと……。
並べられている料理を見渡すだけで涎が出て、胃袋が次の料理をと急かし始めた。
異世界……いいね。
この美味しさの秘密は、ああ、あの設定だ。
各国との交流も多いために香辛料なども多く手に入るからだ、味付けはどれも満足どころか感動を与えてくれるほどに仕上げられているであろう。
香辛料のみならず素材も高級だしね。
「はふぁ……悠斗様、私は今……幸せです」
「食べすぎないようにね」
「ふぁい」
食べ過ぎるだろうなあ。
口の中が既に食べ物でいっぱいだ。
アリアは置いといて。
そろそろ、かな。
「失礼」
おっと予想通り、やはり話しかけてきた。
まるで獅子の鬣みたいな髪型の男性が俺の隣へと並んだ。
頭一つ分高いその巨躯、隣を見ても当然視点が合わず俺は見上げる。
「オルランテ第一聖騎士団団長、ガベル・ドルガンと申す」
存じておりますとも。
男性の登場人物の中では割りと好きだよこの人は、良い人の設定にもしてあるし。
「最上下悠斗です。どうもガベルさん」
間近で見ると、実に迫力のある人だ。
強面であり目を合わせているとちょっと臆してしまう。
「緊張しなくてよい、取って食うのは飯だけだ」
俺の頭ほどはある肉の塊をその大きな口で豪快にかぶりついていた。
三口ほどで食べ終えてしまうんじゃないだろうか。
「ジュヴィから話を聞いた。君が……例の」
「ふふん、噂が広まるのは早いものですね! そうです彼こそが――」
「アリアー、声が大きいよぉ。ほらこれお食べ」
「むふぉっ」
ヴァミリオン豚はさぞかし美味かろう。
こんな人の集中している場で刺青の者と大声を上げたら一体どうなる事やら。食事会どころじゃなくなるのは避けねば。
「君が刺青の者というのはなるべく広められたくないようだな」
「注目されるのは苦手で……」
「その力がある限りどう足掻いても注目されてしまうんじゃないか? 今日だってそうだったのだろう?」
「それはもう大活躍でしたよ! 聖騎士団なんて目じゃないです!」
「言ってくれるねえお嬢ちゃん」
笑っている顔もとても怖いガベルさん。
アリアは俺の背中に隠れてしまった、俺を盾にされても困るんだが。しかも咀嚼音は途絶えていないとなると食べるのは何があってもやめないというどうでもよく固い意思を感じる。
「だが今日は謎の青年に遅れを取る聖騎士団――と記事も書かれ、嘘偽りのない事実であるのも確かだ。是非ともうちで働いてもらいたいもんなんだがなあ? どうだ? 給料も満足のいく額を出すぞ?」
「協力……程度なら」
「協力程度か……どうしても、駄目か? 特典、そう、特典もつけるが!」
本来ならあの魔物退治もあんなに派手にやるはずじゃなかった。
おかげで聖騎士団への勧誘も力が入ってしまっているな。そりゃあ聖騎士団が梃子摺る魔物を容易く倒せる力の持ち主とあれば何が何でも引き入れたいってなるのは無理もない。
「ま、気が変わったらいつでも声を掛けてくれや。ちなみにその腕の刺青、見せてもらっても?」
「はい、構いませんよ」
神妙な面持ちで彼は刺青を見る。
時にはその太い指で刺青に触れてみたりもして。
「この刺青に英雄の力が宿っているのだな」
「そうですね」
「そうか。悠斗よ、ギガルガントスの死体を見たがあの破壊力、凄まじいものだったな」
「あ、ありがとうございますっ」
「動きもよほどの手練れではないかと皆が話していたぞ、どこで鍛えたのだ?」
「鍛えたっていっても……特には」
この刺青の力が発動されていれば不思議と自然に体が動いてしまうし、自分の想像した動きも叶えてくれる。
過去の、英雄の身体能力は戦闘技術は全て再現できるわけだ。
「何? ならば天性ではないか。素晴らしい」
「いえ、この刺青のおかげでして」
「そうか、しかしそれも含めて君の力ではないか? 刺青のおかげ、刺青の力、刺青あってこそ、そのような控えた言い方はせず堂々とせよ」
「は、はい!」
「そうですよ悠斗様、胸を張っていきましょう!」
でもね、ズルしてる感じがして引け目を感じちゃうんだよね。
何も努力もしてない上に、刺青の力がどういうものかも、分かった上で取り込んだし。
「背中を丸めて縮こまっていては格好がつかんぞ?」
背中をバンバン叩かれた。
「けほっ。そう、ですね」
背筋を伸ばして、姿勢を正す。
どうだろう、少しはマシになっただろうか。
「我が国の現状については知っているか?」
「ええ、ロルス国と紛争中だとか」
「昔からあの国とは何度か領土を巡って争いが絶えぬ。今日の魔物による襲撃も彼らによる犯行と報告がきている、魔物には特殊な手術を施された形跡があった」
「標的を俺達にするように作り替えられたホムンクルス――ですね?」
「そうだ、戦いも徐々に厳しくなっている、国王も長年頭を悩ます種となった」
溜息をつき、彼はジョッキにたっぷり入った酒を喉に流し込んだ。
酒に関しては相当強い人だ、会話が終える頃にはジョッキは空になってるだろう。
「オルランテがよほど欲しいようだなロルス国は」
「土や水など環境が恵まれていますし、漁業もできて食用の魔物が周辺に多く生息しているのも大きいですからね。それに魔力が大量に摂取できる土地ですからロルス国じゃなくてもこの国は――この土地は欲しいと思いますよ」
この世界では大地から魔力が湧き出る。湧き出る魔力を魔力石に宿らせれば高値で売れるし、生活する上でも魔力石は火を起こすなり光を灯すなりで重宝する。
今日浴びたシャワーも魔力石を動力として動いている。
魔力が大量に沸く領土は生活水準も高まる上に、金持ちの近道でもあるわけだ。
「この国についてよく知っているな」
「く、来る前に色々と調べまして」
それどころか色々と設定を考えた本人でして。
「ジュヴィの報告によれば、君がオルランテを訪れた理由はロルス国による襲撃の警告、だとか」
「そ、そうです」
「その根拠は?」
「勘……では駄目ですか?」
「悠斗様のありがたいお言葉は信用に足ります!」
ガベルさんの目が点になる。
無理もない、根拠もなく警告をしに来ただなんて、誰が聞いても理解は出来ないだろう。
「ふははっ、面白いな君は! いや、すまん。だが勘も時には重視すべきだ。強者たるもの、勘も一つの武器であろうよ」
「は、はあ……」
あれ? 勘でうまく通せそう?
「あの防壁を破れるとは到底思えんが、刺青の者がそう言うのならば警備強化を防壁に回せたら回すよう伝達はしておこう」
「お願いします!」
「悠斗様の言う通りに素直に従うのです」
「あんまり期待せんでくれよ、今夜はまた忙しいのだ」
防壁の守りが強化されていなくても、少しでも皆に防壁や襲撃の話を意識させられるだけでも違う。
どうにもならないなら、あとは……俺が直接動くとしよう。