決意、始動
異世界クロワール。
この世界に転移転生して、もう1年が過ぎた。
二人はあの後、特にトラブルも無く王都にたどり着く事が出来た。
というのも、途中で旅の行商人の馬車に乗せてもらえる事が出来たからだ。
行商人は、最初二人を訝しげに見ていたが、アネモネが交渉に乗り出し、誠次郎がアネモネの姉から渡されていた道具袋に入っていた物の中の塩を取引材料にする事で無事乗せてもらう事に成功した。
この世界で調味料や香辛料は貴重らしく、誠次郎が持っていた塩も、元の世界では一般的な物ではあるが、この世界で真っ白な塩と言うのは大変に貴重らしく、王都まで乗せるだけで少量とは言えそんな純度の高い塩がもらえる事に、商人は首が折れるのではと思うくらい激しく首を縦に振った。
無事王都に着くと、商人は、誠次郎が持っているものが塩だけではない事を察知し、これ幸いと誠次郎に商いを持ちかけた。
貴重な香辛料や調味料を買い取れるうえ、王都への道すがら、誠次郎と会話をする事で、彼が高い知識を持っている事に気づいたのである。
ここでもアネモネの交渉術が誠次郎を助け、この行商人と誠次郎は今後長い付き合いとなる。
そして、二人がこの世界に転移してきて1年。
この世界に一緒に転移してきたアネモネも今ではすっかり慣れて、今では誠次郎の事を兄と呼んでいる。
二人は、王都に来る時に乗せてくれた商人「ダグラス」の協力を得、小さいながらも喫茶店を営んでいた。
喫茶店の名は『アミーゴ』誠次郎がもし喫茶店をするならこの名前と決めていた名前だとアネモネに嬉しそうに話したのをアネモネは今でも幸せそうに語る。
そんな喫茶店アミーゴには今、冒険者と呼ばれる若者が3人と、店員である誠次郎とアネモネ、そして、アネモネの姉「エウレカ」が居た。
アネモネの姉、エウレカがやってきたのは半年ほど前、店も軌道に乗ってきたと思い始めた頃に店の玄関を叩く音が聞こえ扉分けたら、そこに彼女が立っていた。
彼女曰く「誠次郎様の件が上司にバレてアネモネ同様、自分の担当世界に反省する様に」と転移させられたそうだ。
アネモネも同様だが、彼女たちの力はあの職場と言うか彼女たちの働いている世界でしか適応されないらしく、ある程度の魔法が使える以外は、誠次郎と全く一緒の人間との事らしい。
そして、エウレカはこの世界に転移させられた事をこれ幸いとスキップ交じりに誠次郎の所へ来たというのだ。
曰く、一目惚れだったらしく、誠次郎の対応などが更に彼の株を上げ、別れ際アネモネに本当は自分が行きたいと言っていたのはそう言う意味もあったとの事。
アネモネ曰く、バレたと説明していたがエウレカは、妹の自分が言うのも恥ずかしいが、それはそれは優秀で証拠を残す訳などないので、あえてバレるように動いたのではないかと言っていた、それを聞いた誠次郎は少し引いた。
―閑話休題
それはさておき、アミーゴ内では三人の冒険者が世間話宜しくそれなりの音量で会話をしている。
誠次郎としては盗み聞きする気はないのだが聞こえてしまう為仕方ない。
そんな彼等の会話だが…
「聞いたかよ。南の辺境地ボロスが魔族に侵攻されたらしいぜ?」
「マジかよ… ってこたぁやばい方の魔王復活ってのも眉唾じゃなさそうだな。」
「マジも大マジだってよ、国王が、今、勇者召喚の儀式の準備を始めてるらしいぜ。」
「勇者召喚って、あの異世界から戦える奴を呼び出すって奴か?」
「おう、なんでも、他の世界で死んだ奴をこっちの世界で蘇らせて召喚するんだとさ。」
そんな冒険者の話を聞いて誠次郎はアネモネを見る、アネモネはブンブンと首を横に振り、エウレカは静かに誠次郎に近寄ると耳元に口を寄せ、ヒソヒソと話し始める。
「アネモネの後任なんですが… あなた様の世界のサブカルチャーに影響を受けてまして…」
「俺の元の世界のサブカルチャー?」
「はい、何でも異世界転生とか異世界転移物が流行っているとの事で、貴方様の世界で死んだ年若い少年達を記憶継承状態維持で転移させて要るみたいなのです。」
「それって…」
「はい、職権乱用、越権行為です。さらに厄介な事に、私がこの世界に行く事が決まってすぐに人事の異動がありまして…」
「上司がそのアネモネの後任の関係者って訳か…」
「はい、父親です…」
「どこの世界にも居るんだなぁ。」
そんな風にエウレカと話している間も、冒険者達の会話は続く。
「でもよ、勇者っても聞いた話じゃガキなんだろ? 戦えんのか?」
「ガキっつっても、この国を作った初代国王と同じ世界の人間らしいぜ?」
「ノブナガ様と?」
「おう、少なくとも森国シャザで召喚された勇者が言うにはノブナガ様は勇者達と同じ世界の人間らしいぜ。画家が描いた絵を見てそう言ったって噂だ。」
冒険者達の言葉は本当で、転生時エウレカが言っていた前例の二人、その一人が、かの有名な「織田 信長」その人であった。
出産転生を望んだ彼であったが生まれた瞬間に自分はノブナガだと名乗ったらしく。
悪魔付きと捨てられ、そこから成り上がり、以前、暴政を繰り返した王族を滅ぼし、第六天魔王を名乗りこの国を興したという。
だから冒険者達も魔王が生まれると、良い方の魔王、やばい方の魔王と言い分けるらしい。
ちなみにもう一人もすぐに解った。というのも、この世界で初めて知り合った商人ダグラス・サカモトは、この世界に商いと貿易の概念を生み出した人物、坂本 龍馬、その子孫だったのである。
そりゃ、本能寺の燃え盛る炎の中だったり、暗殺者がひっきりなしに襲ってくる毎日を送ってた彼等なら、自分の死もそれなりには納得するだろうなと誠次郎は笑うしかなかった。
それよりも誠次郎が気になったのは、既に森国シャザと言う所に勇者として召喚された日本人が居るという事であった。
「エウレカ、どうにかできないのか?」
「無理ですね… 私も、アネモネも既にそんな権限はありませんし…」
「だよなぁ…」
そんな会話をしていると冒険者の話題は別の話題に切り替わる。
「それよりも今はこの王都の問題だろ?」
「まだ捕まってねぇらしいぜ… 例のヴァンパイア…」
「昨日もスラム街で女の死体が見つかったらしい…」
「また貴族か?」
「あぁ、スラム街には似つかわしくないドレス着てたってよ。」
「これで3人目… その勇者ってのをこっちに回して欲しいもんだぜ」
「だな、遠くの魔王より近くの魔族だ。正式にギルドに依頼が貼り出されりゃな。」
「でもよ、犯人は貴族の中に隠れてるって話だろ? ただ働きもご免だが、貴族に関わるのもご免だ」
「ちげぇねぇ。おう、兄ちゃん! 相変わらず美味かった、最近物騒だ、夜は出歩かないようにな! 嬢ちゃんも姉さんも気を付けろよ!」
そう言うと、テーブルの上に代金である銅貨数枚を置いて、厳つい顔には似つかわしくないほど爽やかな笑顔を誠次郎たちに向けると冒険者達は店を出て行った。
気が付けば、日も暮れかけているようで、街並みはオレンジ色に染まり始めている、件のヴァンパイアのせいか、他の営業している店も次々に閉店作業に入っている様だ。
同様にエウレカも店じまいを始めると、ふと考えこんでいる誠次郎に気づく。
「如何なさいました? あなた様?」
「いや、女性ばかりを狙うヴァンパイアか… ってな」
「気になります?」
「そりゃな、エウレカもアネモネもオレにはもったいないほどに美しい女性だし、そんな脅威がこの王都にあると思うとな…」
「セージ兄様…」
誠次郎の言葉にアネモネは頬を朱に染めるがエウレカはただじっと誠次郎を見つめている。
「何とかしたいと?」
「あぁ… だが、オレは勇者なんかじゃない、ただの喫茶店のマスターだ。魔法だって使えないしな…」
そう、この世界、クロワールは殆どの人間が魔法を使用する事の出来る世界だった。しかし、誠次郎は一切の魔法を使用する事が出来ず、その結果、冒険者登録も出来ないのである。
そんな、誠次郎にしてはネガティブな発言を聞いたエウレカは、静かに誠次郎に近寄り隣に腰かけた。
「あなた様、お忘れですか? この世界に来る前に私としたやり取りを?」
「エウレカとのやり取り?」
「はい、あなた様は確かに魔法は使えません、ですがある筈です。あなた様にも“戦う為の力”が“どんな脅威にも立ち向かう勇気”が。」
「!?」
確かに、誠次郎はこの世界に来る時に、一つだけ好きな物を持ち込めると言われ持ってきた物がある。
しかし、それは元の世界で撮影時に使っていた小道具だ、それが何の役に立つ?とエウレカの顔を見ると、そこには誠次郎を信じる瞳があった。
「信じて下さい、あなた様の本当の力を、あなた様は知っているはずです、私よりも、そして、誰よりも。」
「出来るのか?」
「信じる心が…」
「力になる… か。そうだな…」
アネモネは二人のやり取りを訳も分からず、ただ、邪魔をしてはならない事だけは解ったのかじっと見つめていると、誠次郎は、この世界に来る際に持ってきた唯一つの自分の所持品を掴んだ。
「セージ兄様、どこ行くの?」
「アネモネ、俺はさ、万人を助けられる様な、そんな人間じゃない。」
「うん」
「人一人が救える命なんてたかが知れてる。」
「うん」
「でもな、目に見える範囲の、それこそ手を伸ばせば助けられる命がそこにあるなら、俺はこの手を伸ばしたいんだ、それがたとえ危険な事でも、それが俺に出来る事なんだったら…」
「うん、うん!」
「ガラじゃないけどさ、俺、正義のヒーローになるのが夢だったんだ。」
「あなた様なら、なれます。」
「あぁ… 何せ俺には勝利の女神が二人も付いてる、一人はちょっとおっちょこちょいだけどな。」
「もぅ! セージ兄様!」
「ハハハっ、うしっ、行ってくる。」
「ご武運を…」
そう言って、夕日のオレンジが差す中、出入り口に向かって静かに歩き始める誠次郎の背中を、エウレカとアネモネはじっと見つめ見守る。
「お姉さま…セージ兄様ってめっちゃ格好良いね…」
「今更ね。」
夕日に向かってまっすぐ歩く誠次郎の背中は、どんな名画よりも美しく、そして男らしかった。