私は護る
「ラリファ、大丈夫か?」
目から色が消え半分意識を失ったようになったラリファに、思わずそう声を掛けた。
「ラーリア、大丈夫に決まっている。
私はラミア全体を守らなければならない最上位グループ・ラーリアの一人。 たとえどんなことがあろうと、それによって心を揺るがせて、自分のしなければならない事に影響を与えるような事はしないと固く決心している」
ラリファは目に色は戻ったが、顔色はまだ真っ白だ。 青褪めているのではない、全ての表情が抜け去って真っ白なのだ。
今まで、こんな風になったラリファを、私は見たことがない。
私たちラーリアは、悲しいことだが親しい者の死など何度も何度も経験している。 その死がどんなに悲しくとも、私たちはそれによって取り乱すことなどない。 と、思っていた。 しかし、今、私は、こうしたラリファの姿が、呆然として、悲しみに潰されそうになって、それに耐えようとしているけど、色々と混乱して、自分でも訳が解らなくなっている、そんな姿のラリファの内面が簡単に理解出来て、自分だって同じ立場になれば、こうなってしまうだろうと感じている。
私はこんなラリファに何て声を掛けて良いのか分からなくて、周りにいる他の者に視線を走らせたのだが、誰もが沈痛な面持ちをしていて、沈黙している。 逆に私に「頼む」という視線を送ってくる。
「ラリファ、少し混乱しているな。 私たちラーリアは、もう最上位グループは引退しただろ。 もうそんなに無理矢理自分の感情を切り捨てるように押し込める必要はないんだ」
ラリファの両眼から、涙がゆっくり頬をつたっていったかと思ったら、それで堰が決壊してしまったのだろうか、滂沱のごとく涙が溢れ、床にポタポタと落ちていった。 ラリファは両手をきつく握りしめ、腕を下に伸ばして固まっているので、涙は頬を流れ、少しだけ下を向いているので、そのまま床へと落ちているのだ。 ラリファはそれでも口を固く結んで、声を漏らさなかったので、静寂の中、床にシミだけが広がっていく。
誰も声を掛けられない。 それよりも何よりも、自分の目にも浮かぶ涙を堪えるのに懸命になっている。 ラリファが声を出さずに堪えようとしているのに、私たちが泣き出してはいけないと思ったのだ。
私はなんとか自分の涙を堪えると、ラリファになんとかもう一度声を掛けた。
「ラリファ、とにかく一度少し休め。
しかし、そうは休んでいられないぞ。 お前はケンの正妻なんだからな。 きっと、しなければならないことや、考えねばならないことが山ほどあるだろうからな。 子どもたちだっているんだ。 一番上の母親がそれでは子どもたちも困ってしまうぞ」
私は悲しみに飲み込まれているラリファに、あえて厳しいことを言った。
ラーリドがラリファを優しく促して、家に向かわせた。 とりあえず一度寝かすつもりだろう。
残された私たちも、誰も言葉を発することなく、それぞれの家にと向かった。 ラリファが少しだけ復調したら、まだこれからケンたちの死を子どもたちなどにも告げねばならないという、悲しいことをしなければならないのだ。
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ラリファは私と同い歳のラミアだ。
私は飛び級で上位になってしまったので、同い年のラミアよりも、どちらかというと自分よりも年上のラミアとの付き合いの方が多い。 その最たる人がイクス様だが、イクス様やイクス様と同じ時にラーリアだった人たちは、やはり上司という意識が強いのだが、歳はイクス様と同じなのだがラーリアとしてはイクス様の後輩になる「不動岩」の代のラーリアだった人たちとは、ラーリアの上と下だったこともあり、親密だった。
その時にはもう、同じラーリアの下だったり、ミーリアの上としてラリオ、ラーリド、ラリファ、ラーリルも身近にいたのだが、同世代との繋がりの薄い私は、上の人の方が気楽だったのだ。
ラリファは上位になった頃は、なんだか伸び悩んでいる様なラミアだった。 実力がなかった訳ではない。 性格が上位ラミアの仕事を任せて良いと思える様な重さに欠けたのだ。 私は構わないと思うのだが、軽薄な感じが上のラミアに信頼感を感じさせなかったのだと思う。
だが、ラリファは変わった。
私の代とその次、つまりラーリベ・ラーリク・ラリト・ラーリナ・ラーリンの代は、次々と戦いで友を失った代だ。 ミーレナの代と違うのは、一度に失うのではなく、次々と失っていったという所だ。 ま、そのせいで今のラーリアは私とその次の世代での5人づつしかいないのだが。
それはともかく、そういう悲しい状況に置かれた時、急にラリファは変わった。 態度・口調から言動まで、それまでの軽薄さと共に暖かさ・優しさを感じるものから、理性的だけど硬さ・冷たさを感じるモノにと変わったのだ。 私はそれを好ましい事とは思わなかったのだけど、それ以降、時には冷酷に見える冷静な戦いでの指揮や普段の行いは、私以外の上のラミアにはとても評価されて、ラリファは順調にその地位を上げたのだが、ラリファ自身はそれを喜ぶことも無かった。
ラリファがその元の調子を取り戻したのは、ケンの妻となってからのことだ。 何故かケンに対する態度は元のラリファに戻ってしまったのだ。 きっとその元の態度の方が、やはりラリファ本来の姿なのだろう。
他のラーリアと共にだったり、戦いのための会議の時のラリファしか見たことのないアレクやナーリアたちは、ケンに対するラリファを初めて見た時には、その態度だけでなく雰囲気の違いに驚いて、違和感が半端無かったようだが、実はもっと驚いたのが、他のケンの妻たちだった。 家族としてのラリファはひたすら優しく、暖かい存在だったのだ。 それまでラーリアとしての厳しく固い姿しか見てこなかった他の妻たちは、その違いにとても戸惑ったのだろう。
ケンの家庭では、アリファが片手が使えないというハンデがありながら、物品係という特別な立場を持ち、それだけで終わらず「不死身のアリファ」と二つ名付きで呼ばれるような戦士になったので、最も目立つ存在になったのだけど、ケンの仕事を手伝う事などは、やはり他の者が中心だった。
その辺、アリファを庇いながらも、妻の間のわだかまりが起きないようにさりげなく配慮していたのもラリファだ。 ケンが多くの仕事を抱え込んでいても、上手く回っていたのは、ケンの弟の妻になったミーレア世代の2人と人間の妻も含めて、ケンと弟の妻たちを纏めてさり気なく仕切っていたラリファの功績だろう。 これはケンの父の話だ。
話が少し先走ってしまった。
ラリファは、身近な者の死によって、態度や雰囲気が変わり、それからラーリアになるまで上り詰めた。 そして態度や雰囲気が変わってからも、ハーピーとの戦いに代表される様々な戦いで、多くの身近な者を失う事になった。 しかし、ラリファは変わってからは、それらの死に一度として内心の動きを他者に見せることは無かった。 常に冷静に、その時その時の最善の対処に努めるという姿勢しか見せることは無かったのだ。
ラリファの返答に、私は「ああ、ラリファはそういう風に固く決心していたのだな」と、とても納得した。
でも、その固い決心も、ケンたちの死の前には、どうにも崩壊を止めることができなかったのだろう。 友や部下の死は経験してきたけど、自分の夫と同じ妻の立場の者の死は、初めての経験だったのだ。
夫を亡くすということは、他とは違うのかも知れない。 それも不意にというのは、もっと違うのかも知れない。
イクス様が最初の夫を亡くした時は、覚悟していた死だった。 それでもイクス様がそのショックから完全に立ち直るには少し時を要した。
前の領主様が亡くなった時には、奥方様はショックのあまり領主館に居ることも出来なくなり、ラミアの里にいるデイヴを頼って、こちらで暮らすようになるほどのことだった。 それ程の大きなショックを受けたのだ。 ま、奥方様の場合は夫の前の領主様だけでなく、一緒に中の息子のバンタイン殿も亡くし、その直後にバンタイン殿の妻のバーバラ殿の死の報告も受けるという、大きな事が重なったこともあると思っていた。
今私は、それらの事は、やはり自分の事としては感じられていなかったのだなと、つくづく感じている。
より身近なというか、私と同じ立場のラリファに起こったことを聞いて、ラリファの反応を見た時、私はそれが全く他人事とは思えず、茫然自失となり、狼狽えて訳の判らないことを言ったラリファが、私ならもっと支離滅裂になってしまうだろうと、悲しい賞賛の気持ちになったのだ。
きつい、きつい。 夫を不意に失うというのは、自分のこととして感じると、こんなにも悲しく、大きな喪失感をもたらすことなのか。
私はラリファを叱咤するようなことを言ったけど、自分だったら、何時になったら立ち直れるのか、見当もつかない。
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気がついたら、私は自分たちの家の部屋に寝かされていた。 一瞬、何が何だか分からなくて、次の瞬間にケンが死んだと知らされた事を思い出した。
深い悲しみと喪失感が押し寄せてきて、私は押し潰されそうだった。 目が覚めたくなかった、と考えた。 また、眠って、何もかも忘れていたい。
「ラリファ、目が覚めたの?」
ラーリドが気付いて、私にそう声を掛けてきた。 きっと私のことを心配して近くに付いていてくれたのだろうけど、正直、声を掛けて欲しくなかった。 声を掛けられなければ、このまままた眠れたかも知れないし、少なくとも自分の殻に閉じ籠もっていることは出来たはずだ。 でも仕方ない、嫌だけど、私はそれに応える。
「うん、でも、私はなんで家で寝ているの? 何だか記憶がはっきりしていない」
ラーリドは一瞬すごく困ったような、悲しい顔をして、そして意を決したという顔で私に言った。
「ラリファ、あなたは家に戻る途中で意識を失ってしまったのよ。 何で意識を失うような事になったか覚えていない? ・・・・・ケンがなくなったのよ」
少しだけ沈黙の時が流れて、私はラーリドに言った。
「うん、覚えている。 ケンとミーリファ、ミーレファが亡くなったのね」
「そう、理解しているのね」
「うん、でも、それを聞いた時から今までの記憶がない」
「そのくらい、仕方ないわ。 これだけショックな出来事なのだもの」
そう言うと、ラーリドは涙を零した。
「ごめんなさい。 本当に悲しいのは貴方なのに。
私も感情をしっかりコントロール出来る様に訓練していたはずなんだけど、今回のことは自分の事のように感じてしまって、そうするとどうにも感情が溢れてしまって」
それを見たら、私もまた感情が溢れてしまって、今度は後で恥ずかしく思ったのだけと、大泣きをしてしまった。 私はラーリドに縋りついて泣いてしまったのだけど、感情の大波が少し落ち着いて、やっとのことでラーリドから離れてみると、ラーリドの顔もぐしゃぐしゃだった。 きっと一緒に泣いていてくれたのだと思う。
ほんの少しだけ落ち着いた私にラーリドが言った。
「子どもたちには、ラリファの口から伝えないとね。
辛いだろうけど、そうしないと一生後悔すると、私は思う」
私は少しだけ現実に引き戻された。 そうだ、子どもたちに、ちゃんと早く伝えないと。
不意にラーリアの言葉が頭の中に蘇った。
「お前はケンの正妻なんだ。 子どもたちがいるのだぞ」
そうだった。 私はケンの正妻だ。
私はケンの子どもたち、いや子供達だけじゃない、ケンの家族みんなを護らなければならない。
私は悲しい。 私は寂しい。 私は・・・、もう何て表現したら良いかも解らない。
でも、私はケンの正妻だ。 残されたケンの家族みんなを護る義務がある。 それだけじゃない、ケンのしていた仕事をきちんと引き継げるようにして、ケンの死がなるべく悪影響を与えないようにしなければならない。
きっとケンは、そうすることを望んでいる。