中庭?
私の名前はイリヤ。
ラミアが名前をそれぞれに持つことになった時、私が自分で考えて、自分の名前にしようとしたのはイーリアという名前だ。 自分でもとても良い名前を考えついたと思ったのだけど、その名前を私が言った時、みんなから一斉にダメ出しをされた。
「ねぇ、いくらなんでも、その名前はダメだと思うよ」
「うん、絶対にダメ。 やめておいた方が良いと思う」
「あんた、そんな名前考えるなんて、馬鹿じゃないの」
散々な言われ方をして反対された。
何がダメなのかというと、イーリアというのはあまりにミーリアに音が似ていて、声に出したのをちょっと聞いたのでは、どっちを言っているのか判断が出来ないからだという。
「もし、その名前に決めたとして、そしたらあなたに声を掛けて、その時に近くにミーリア様がいらっしゃったら、ミーリア様が自分が呼ばれたと思うかも知れないじゃない。
そんな怖いこと出来る訳ないじゃん。
絶対ダメだよ」
名前を考えた当時、私たちはほんの子どもで、そんな子どもの私たちにミーリア様は優しく接してくださっていたのだけど、それでも私たちはミーリア様を絶対に呼び捨てになんて出来ないということは理解していた。
言われてみると、それは私自身も納得出来る理由だったので、イーリアと名乗ることはやめることにした。
さて、それじゃあどうしようかと「イー」と伸ばすからミーリアと区別しづらくなるのだから、イリアにしようとした。 自慢じゃないけど、アレア様がアーレアからアレアに改称するより先に考えたのだ。 あ、でももうラリオ様はラーリオ様じゃなくてラリオ様だったかな。
とにかく私はイリアにしようとしたのだ。 それなのに
「それでもミーリアと早口に言ったのと聞き間違えそう。
イリアじゃなくてイリヤにしなさいよ。 それなら確実に違って聞こえる」
「うん、それが良いよ。 イリアじゃなくてイリヤね」
私が考えたイーリアという素敵な名前は、無惨にも全然素敵に聞こえないイリヤという名前になってしまった。
でも今は私がリーダーになったから、私の考えた名前にケチをつけて、素敵じゃない名前にした連中はみんな、グループ名で呼ばれる時にはイリヤと呼ばれるのだ。 ふん、ザマアミロと、ちょっとだけ心の中で思ってしまったのは内緒だ。
私たちが正式に見習いとして配属されたのは、エレクさんの、もっと正確に言えばラーリド様が責任者となっている部署、つまり図書館だ。
エレクさんは図書館も管轄に入っているけど、どちらかというと学校といった教育関係を管轄しているはずなのだけど、最近は領政全体に何やら関わっているようで、すごく忙しいらしい。 ま、私たちには、そこはまだ良く分からない。
「あなたたち、良く図書館の仕事なんて選んだわね。
やっている私が言うのも変だけど、地味で目立つことのない仕事よ、ここの仕事は」
「はい、それは解っています。
でも重要な仕事ですよね」
「それはもちろんよ。
今もだけど、元々はラーリア3位のラーリド様が担当していた仕事なのよ。 ラミアの全てを統括する1位のラーリア様、軍事を統括する2位のラリオ様、その次が図書館を統括する3位のラーリド様だったのよ。
それだけでもどれだけ重要な仕事かは理解出来るでしょ」
図書館の仕事が重要であることは知っていたが、ミーレド様にあらためて言われると、なんだかより一層重さが加わった気がした。
しかし、それでも図書館の仕事が地味な仕事であることは確かだ。 図書館に籠って仕事をするので、周りから目立つような事はない。 なんて言うか、華やかさに欠けるのだ。
それでも私は図書館で働くことを希望した。
私たちの世代がどこに配属されるかは、上の人が決めることで、私たち自身に選ぶことは出来ない。 でもある程度の希望は可能ならば聞いてもらえる。 そこで私は図書館で働くことを希望したのだ。
本当の私の希望というか、憧れは、セカンさん、ディフィーさんのような参謀になることだ。
サーラのように上の人に直接訴えて、自分が憧れる人に直接教えてもらう道も、実現可能かどうかは別として、考えない訳じゃ無かった。 でも私はその道は取らなかった。
私たちの世代は、誰もが多大にナーリアさんたちに影響を受けた世代だ。 直接に関わった時間は、その世代でもヤーレアさんたち、ワーリアさんたち、そしてターリアさんたちの方が長いかも知れない。 でも受けた影響は圧倒的にナーリアさんたちの方が強い。
私たちは、これはまあ、みんなアレクさんを常に見ようとしていたからというのもあるだろうけど、ナーリアの人たちのことは一挙手一投足見逃さないように気をつけていたし、自分たちの目に入らない所でナーリアさんたちが何をしているかにも可能な限り気を配っていた。
だから私は、セカンさん、ディフィーさんの2人が、暇さえあればではなく、可能な限り時間を作って、図書館に通い詰めていたことを知っている。 憧れの2人のあの智略は、図書館で知識を得るという地道な努力があってのものなのだと私は思う。 それだから私は図書館で働くことを希望した。
「そうね、あの2人もここで沢山の知識を吸収したわ。 でもそれはあの2人に限る訳じゃない。
ナーリア、サーブ、レンス、それにアレクもここで知識を得て活用しているし、懸命に知識を得ようとしていた。 それだけに限らないわ。 ボブだって、ここに通って来ていたし、今、この図書館だけでなく教育とか全体を管轄しているエレクだって、必要な知識を得ようと必死だったわ。
アン、ヤーレン、エーデル、ダイク、もっとみんな可能な範囲でここに来て知識を得ようと努力しているのよ。
あなたたちは想像出来ないかも知れないけど、デイヴだって色々な本をここに来て読んで努力しているのよ。
あなたたちも頑張りなさい。 努力できる環境は目の前にあるのだから」
私たちがここに来て、私がここを希望した理由を聞いたラーリド様に訓示のように言われてしまった。 私が知らなかっただけで、他の人もみんなここを使って努力していたんだ。
私たちが図書館で働くようになった頃、図書館前の広場は花が色々咲いて、みんなの憩いの場になっていた。 昔は図書館に来れる人はとても限定されていて、いやそれ以前に、今はハーピーの人たちをはじめとした多くの人が住んでいる復興した町でさえ限られた人しか行くことが出来なくて、私たちは図書館の存在さえ知らなかったのだ。 だから初めてここに来た時は、前の広場の花壇にも感激した。 私たちは花をそんな風に鑑賞する為に植えた場所なんて見たことがなかったからだ。
そんな花壇も季節が移り寒くなった今は、花々は枯れて、ほとんどが土をそのまま晒している。
「冬枯れのこの時期に図書館前の広場を見ると、ちょっと昔を思い出すわね。 あなたたちは知らないでしょうけど、ほんの数年前までは、この広場は荒れて酷い姿を晒していたのよ。 花壇のところも雑草なんてものではなくて、薮が生い茂り、通路も場所が判らない位だった。 僅かに図書館に向かう道だけが整備されていただけだったのよ。
あなたたちは図書館の3階に飾ってある、この図書館を描いた絵を見たことがあるかしら。 あの絵を見て感動したナーリアたちが、あの絵のとおりにこの図書館を戻したいと、奮闘して整備したのよ。 特にナーリアとレンスだけど。
知っているかな、レンスはね、ここの花壇に花を植えるために、植物のことを猛勉強したのよ。 そこから父親のように博物学者といえるようになるまで一直線だったわ。
ナーリアはね、まだこの状態は全然元に戻っていないと考えているの。 ナーリアの夢はね、絵に描かれているとおりに、春にはこの図書館がピンク色に包まれるようにすることなのよ。 ナーリアに言わせると、まだまだ図書館の周りに植えられた桜の数が少ないし、木が小さいからということだけど」
冬枯れの図書館前の広場を見つめて、ラーリド様は「ちょっと昔」と言ったのに、確かに私たちでも分かる数年前までのことなのだろう、でもなんだか遠い目をして私たちに語ってくれた。
図書館を描いた絵は、私たちももちろん見たことがあるけど、私は「あ、ここを書いた絵だ」と思っただけで、感動するとか興味を引かれた訳ではなかった。 あ、周りがピンク色に描かれているのは不思議だなと確かに思ったけど、それだけだった。
ラーリド様の言葉を聞いて、私は自分がそんな風にあっさりと絵を見てしまった理由に気がついた。 周りがピンクということを除けば、その絵は今の春先のこの図書館の風景と少しも変わらない。 だから単純に「ここの絵だ」という感想に終わってしまったのだろう。
私たちの世代はみんな、ナーリアさんたちのようになりたいと思って努力してきた。 私はそれほどでもなかったと思うけど、みんな少しでもアレクさんに自分のことを見てもらいたいと思って努力した。 その絶対のお手本がナーリアの人たちなのだ。
しかし、こうして他の上の人からナーリアさんたちの話を聞くと、あの人たちがやっぱりとんでもなく思えてしまう。 私たちの知らないところで、どれだけ仕事をして、どれだけ努力していたのだろうか、と。 サーブさんはよく私たちに「頑張り過ぎだ。 休んだり遊んだりする時間も重要なんだ」と言って、私たちの頑張りすぎを諌めてきたけど、自分たちナーリアの人たちは、いえたぶんきっとだけど、他の上位の人たちも、私たちなんかよりずっと努力していたのだろうと思う。
私たちが今、主にしている仕事は、古くなっている本を正確に書き写して製本し、新しい本にすることだ。
この図書館の本は、今はどんどん新しい本が増えていて、空いていた3階に書架をどんどん増やしている。 それはアレクさんとアンさん、それにミーリア様たちが、莫大なお金を使って王都から最新の知見に関しての本を買っているかららしい。
だけど、この図書館の主体となっている本は、ほぼ全てが大火以前に集められたモノだから、さすがに劣化が激しくなってきているのだ。
ラーリド様とイクス様が紙の製造にとても強く拘っていたのは、劣化してきた本が壊れて読めなくなる前に、しっかりと書き写して新しくするためだった。 残念なことだけど、今の図書館は誰もが閲覧を許される本は数が少なくて、制限がかけられている本が多い。 それは本があまりに脆くなってしまっているからだ。
私たちはそういった本の内容を正確に綺麗に書き写して製本し、多くの人が読めるようにするのだ。
この仕事は実を言えば始まったばかりだ。 今までラーリド様たちは、現在のラミアに起こったことの記録、つまり後に歴史となる記録と、今までのハーピーの同様の記録の書式変えに忙殺されていて、この仕事には手が回っていなかったのだ。
この仕事についているのはもちろん私たちだけじゃない。 ハーピーは今は鳥形ばかりなのでこの仕事には不向きなのでいないけど、人間は騎士見習いの人が何人も来ている。 私たちにとってはあまり分からないのだけど、そういう騎士見習いの人にかなりの女性がいるのが、人間に取っては大きな変化らしい。 これからはエルフやドワーフの過去の記録なんかも図書館に収められるだろうし、そうすればそれら種族の人もここで働くのだろう。
私が今、書き写しているのは、私の希望というか、私の目標を聞いたラーリド様が配慮してくれて、セカンさん、ディフィーさんたちが何度も何度も読んで、2人で議論したという戦術論の本だった。
「その本はね、あの2人は自分で書写したいと願った本なのよ。 でもあの頃はまだ紙を手に入れるのが難しくてね。
アンの父親が襲撃されて、その時一緒にラミアの里に紙を卸してくれていた商人も殺されてしまって、ラミアの里としては入手ルートも絶たれていたのよ。 もっともゴブの活動が活発化して、商人もあまり動けなかっただろうし、それどころじゃなかったんだけどね。
あなたも、その本を書き写しながら、セカンとディフィーが何を議論していたのか考えてみると良いわ。 でも考えるのに夢中になって、書き損なったりしないように気をつけなさい」
私にその本を手渡す時、ミーリド様がそんなことを教えてくれて、また私に勧めてくれた。 私は今、一生懸命、注意深く、その本を書き写している。 1ページ1ページが、いや1行1行が、すごく勉強になる。 私の仕事選びは正解だったと思った。
図書館には、図書館前の広場だけでなく、中庭か裏庭と呼ぶような場所がある。 昔はそこにも花壇があり、長椅子なども置かれていて憩いの場所になっていたらしい。 こっちもかなり広い。
「ナーリアはね、中庭も昔と同じ風に戻そうとしたのだけど、私がそれを止めて、少し改造してしまったのよ。 ダイクに頼んで、花壇だった部分も全て石を敷き詰めて、完全な広場にしちゃったのよ」
一番最初にここを案内された時に、ラーリド様は少し含みのある笑みを漏らしながら、中庭について説明してくれたのだけど、今になって、その意味が深く理解出来る。
机に向かって本を書き写すという作業は、とても地味なのだが、以外に過酷で、身体中が痛くなる。 その凝った身体をほぐす意味もある、との事だけど、図書館で働く者には、しっかりと毎日訓練の時間が設けられているのだ。 その訓練にこの中庭が使われるのだ。
訓練は日替わりで基礎訓練と戦闘訓練になっているのだが、その訓練が厳しい。 サーブさんは私たちの訓練が激し過ぎると言っていたが、ここでの訓練はそんなもんじゃない。 私たちはついていくのもやっとだ。 もちろん戦闘訓練では最も弱い。
この訓練は全員参加だから、ラミアだけでなく、ここで働く人間も混ざるのだが、学校の仕事が主で図書館の仕事はしていないシルクさんも半分以上参加するし、ハーピーの3人と結婚した奥方様のメイドの3人もやって来る。
奥方様のメイドをされている3人は、護衛も兼ねていて、武装メイド部隊として戦場にも出た人たちなのだから、私たちよりも強いのは仕方ない気がしてしまうのだけど、ラミアの里に来たばかりの頃、私たちと一緒に訓練をして、私たちより先に音をあげていた記憶のあるシルクさんが、意外に強い。
ラミアの騎士と呼ばれるラミアの里にいたお兄さんたちの妻になった人間の女性は、ゴブとの戦いの時の最悪時に備えて、徹底的に弓の練習をしたことは私も知っていた。 でもナイフを使った戦闘も、シルクさんがこんなに強いなんて知らなかった。
弓は私たちはボウガンだからちょっと違って比較できないけど、近接戦闘は私たちもきちんと練習していたはずなのに、シルクさんのナイフと剣で戦っても互角だ。 やっぱり私たちは、まだまだだ。
もちろん上位ラミアの人たちは、ずっと強いし、メイドの3人もその人たちとほぼ互角だ。
他の部署で働く同じ代のみんなに、休みの日に話を聞くと、やっぱりどこでも自分たちの実力の無さを痛感させられているようだ。 それはまあ仕方がないことなのだと思う。
で、私は日々の訓練があまりに厳しいので、みんなにちょっと聞いてみた、「やっぱりみんなのところも厳しいの?」と。
「そりゃ、もちろんだよ」
「終わった時には全く動けないよ」
そうだよね、やっぱりどこも同じなんだと思ったのだが、違うところもあることに私は気がついてしまった。
私たち以外のところに配属された同期の仲間たちは、そこまで毎日訓練がないということに。 いやそれは、仕事が忙しくて、訓練する時間さえ作れないからなのだから、それが楽ということではないだろう。
「うん、私たちのところも忙し過ぎて、私たちや騎士たちの訓練時間さえまともに取れないって、サーブさんが頭を悩ましている。
でも私たちは、休みの日でもワーリアさんたちの自主訓練に駆り出されたりもする。 おかげて私も気配消すのも少しは出来るようになったわ」
サーラがそう言って笑ったけど、うーん。
私たちは休日はしっかりともらっているけど、毎日確実に厳しい訓練があるんだよ。 どっちが良いか分からない。
うーん、やっぱり訓練、もう少しだけ手加減してください。 それだけは辛い。
確実に年内最後です。
今年は読んでいただき、ありがとうございました。
来年も、暇な時間がありましたら、読んでいただけると嬉しいです。
それでは、みなさん、良いお年を。
並矢 美樹