決意
「マリ、ちょっと良いかしら?」
「ラーリン様、なんですか?」
私の本名はマリアンヌなのだが、今ではもうマリの方が自分の名前として自分でもしっくりくる。 アンの本名がアンヌで、私がマリアンヌで、何だか紛らわしいので、私はマリと呼ばれるようになったのだが、後にヤーレンの妻とアレクの妹が全く同名のエーデルだったりするので、アンヌのマリアンヌでは違うのだから、そのままでも良かったのかななんても思った。 しかしまあ、マリと呼ばれる方がもう当たり前だから今更だ。
「私と一緒にアルフさんの所に行っての会議だったのだけど、何だかその後、いえ、その少し前からかも知れないけど、キース、何だか元気がなくない?」
うん、それは私も気になっていたことだ。 キースはいつも忙しくそこら中を駆け回っているのだけど、その反動か、家に戻った時は普通はいつも子どもたちなんかと大騒ぎで遊んだりする。 でも、今回は大人しい。
「領主館で、何かあったんですか?」
「うーん、思い当たることはないのよね。
会議の前夜には夕食会という名の簡単なパーティーがあったのだけど、その時は久々に男たちがみんな集まったからか、みんなと同様に久しぶりという感じではしゃいでいたわ。
会議でも、ケンはエレクの提案に抵抗していたけど、キースはこれまでと同様に、ヴェスター家の使者役を主にこのまま担って欲しいとのことだったから、今までと同じだから問題ではないでしょうし。
つまり会議が終わるまでは、私の目からは普通に過ごしていたと思うのよ。 でも、帰って来てからは、なんか静かで、考え込んでいるような気がする。
やっぱり気になって、キースに『どうしたの?』と声を掛けてみたのだけど、なんかはぐらかされちゃって」
「そうですね、子どもたちと大騒ぎしたりもしないで、1人で部屋に居たりすることもあるので、私も気にはなっていたんです。
私は、アルフさんかデイヴから、何か考え込むような案件を持ち込まれたのかな、なんて思っていたのですけど、少なくともラーリン様が知る限り、見ていた限り、そういうのはないのですね。
私の父も、昔、そういうことがあって、その時は仕事上、領主様とフロードとの間で板挟みになるような事案だったらしいのですけど、そういうことを家族には少しも言ってくれなくて、今回のキースも、何か仕事上、考え込むような事を任されたのかと思ったのですけど」
「人間の男って、そういうモノなの?
うーん、私たちラミアは、いや、昔は違ったのかも知れないのだけど、そういう人間の男の心情というか心の機微がわからないから」
「そんな大袈裟なことではなくて、私の父は仕事を家に持ち込まない主義の人だったのと、フロードとのことだったので、少し秘密にしておく必要があったからだと思います。
でも、アルフさんかデイヴに何か頼まれたというんじゃないとすると、何だろう。 キースは元々はデイヴの護衛でしたから、あんな風に1人で考えるというのは、きっとデイヴかその兄のアルフさんに、機密性の高いことを頼まれたのかと私は早合点で思っていたのですけど。 しかしそれだったら、2人ともラーリン様には最低限の事を告げておくでしょうし。 それがないということは、それは考えられないですね」
ラーリン様は、聞いたのに自分がうっかりと軽く聞き流してしまったことがあるかも知れないと心配したみたいだ。
「思い返して考えてみたけど、アルフさんにもデイヴにも、それらしいことを言われてはいないわね。 それに2人にキースだけが個別に何か頼まれたような様子はなかったわ」
ラーリン様がそう言うなら、確実にキースが2人に何か頼まれたということはないのだろう。 私だって妻として、キースが見える範囲に居る時には常に気を配っている。 私がキースが近くに居るのにその存在を忘れてしまうのは、子どもたちの誰かが何かをしでかしてしまったりした時だ。 その時だけは、ついキースの事を忘れてしまう。 だけど、ラミアの妻たちは、そんな時でもキースの存在を忘れることはなく、常に気にしている。 私としては、そこは戦闘訓練による気配察知の訓練の賜物じゃないかと思うのだが、私はどうも子どもに完全に集中してしまうことがある。 これは私だけじゃなくて、ウスベニメもそうだと言うから、ラミアの特徴なのだろうか。 いや、戦士としては、私は当然だけど、ウスベニメもアーリンさん、アーレンさん、ロンさんよりずっと格下だから、本当のところは解らない。
「ねえ、マリ。 少しキースに聞いてみてくれるかな。
あまりないとは思うのだけど、もしかしたらラミアには言い難いことなのかも知れないじゃない。
ラミアだから、というんじゃなくても、私はほら、キースよりも歳上だし、歳上の妻には言いにくいということかも知れない」
「そんなこと、ありますか。 キースにそんな感じは全くないと私は思うのですけど」
「私もキースに、私たち妻を種族で違うように考えるところはないと感じているのだけど、それはともかくとして、マリ、あなたは同じ人間でもあるし、歳は・・・」
「私はアンやエリとは違って、キースと同い年ですよ」
「それに、あなたはキースの幼なじみでもあるのでしょ。
私たち妻の中で、マリ、あなたが一番キースが気楽に話せるのは確かだと思うの。
だから、私たち妻を代表して、キースに聞いてみて」
この依頼をラーリン様が私に言ってきたのは、他の妻たちも知っていたようだ。 妻になる前から親しかったようだからウスベニメでも良いのではと私は思ったが、ウスベニメにも簡単に「マリ、頼むわ」と言われた。
私は機会を見つけて、1人で考え込んでいるキースに声を掛けた。
「キース、ちょっと良い?」
騎士としての訓練を子どもの時から受けてきて、周りに対する警戒を常に怠らないことが常態となっているキースだが、やはり凄く考え込んでいたのだろう、私の言葉に対して反応が遅れた。
「あ、マリアンヌ、何か用かい?」
最近は私のことを周りに倣ってかマリとしか呼ばないのに、昔のようにマリアンヌと呼んだのもかなり怪しい。
「ねぇ、ちょっと、大丈夫?
ここのところちょっと変よ。 何か考え込んでいるの?
私だけじゃなくて、みんな心配しているよ」
キースは一瞬、「あ、しまった」という感じを見せたが、そうだよな、という感じで息を吐いて力を抜いたようだ。
「うん、態度に出ちゃってたよな。 みんなに心配をかけたかな。
あ、ラーリン様にも、『どうかした?』って言われたな」
「うん、『なんかはぐらかされた』って言ってた。
で、どうしたのよ。 『ラミアには言いにくいことなのかも』って、ラーリン様は心配していたわ。 私にも言えないこと」
「いや、マリにもだけど、ラーリン様たちにも当然だけど、言えないということじゃないんだ。
ラーリン様に聞かれた時にはぐらかしてしまったのは、僕がまだ考えがまとまっていなかったのと、ラミアには少し理解が難しいんじゃないかと思ってしまったからなんだ。 もちろんしっかりと説明すれば、解ってもらえると思うけど」
「ラミアでは難しくても、人間の私なら、すぐに分かるのかしら。 それならハーピーのウスベニメだとどうだと思うの?」
「ウスベニメは現実的じゃなく潔癖症なところがあるけど、それでもラミアよりは簡単に理解出来ると思う。 もちろん人間のマリが一番簡単に理解出来ると思うよ」
「で、結局どういうことなのよ。 とりあえず私に話してみて」
私は後から考えてみると、少し安易な気持ちでキースにそう言ってしまった。 キースが1人で考え込んでいたのだから、そんなに簡単な話である訳がなかったのに。
「今回の、と言うには少しだけ前のことになるけど、降格元貴族たちの騒ぎは、もっと僕が警戒して、情報を収集し、その動きを予想すべきことだった。
初動時に降格元貴族たちの狙いを読み違えて、後から考えれば不必要だった様々な迎撃策や動員体制を取らねばならなかったのも、僕がその点を怠ったのが主な原因だ。
事が起こってからも、僕が最も当事者となった子爵家だけでなく、王都の貴族たちとも往来してきたのに、今回はその最初の読み違いから、僕は部隊の編成に追われていて、そのヴェスター家の公式使節として動き回った利点を全く活かす余裕がなかった。 ボブやアレクは貴族の肩書きがあるから、それを利用して使者としての役割を果たしたし、ハライトも命懸けでその役を果たした。 これらは本来は顔を広く売っている僕がまず一番手としてするべき事柄だった。
それもこれも、全ての根本原因は、僕の職務怠慢だ」
ああ、そんなに前からキースは1人で考え込んでいたのか。 でも、私は咄嗟に反論した。
「職務怠慢て、キース、あなたは課せられた役目を忙しくちゃんと果たしていたじゃない。 少しもさぼったりしていないじゃない」
「ああ、その通りだ。 俺は与えられた仕事をしっかりとこなしはした。 だけど、それだけだ。
俺は課せられた仕事はしっかりとやったけど、期待されていること、自分から何かはしようとしていなかった。
今回の、アルフさんのところでみんなと話していて、みんなは自分が任せられた仕事をこなすだけじゃなく、どんどん新しいことを自分たちで考えて実行しようとしていた。 俺は途中から恥ずかしくなってしまった。
確かに俺が任されていたヴェスター家としての外交というか、他の貴族たちとのやり取りなんかは、自由に何か出来る余地はほとんどない。 だからといって、何も考えずに、言われたことをするだけで良い訳はないんだ。 俺はそこをさぼっていたんだ。
降格元貴族の騒ぎのことと、今回恥ずかしく思ったことが、俺の頭の中でピッタリと嵌り込んだんだ。 それまではモヤモヤしていたのだけど、ああ、俺がするべきことをサボっていたんだと、完全にそれで理解したという訳さ」
何となく、キースの言っていることは理解出来た気がするしたけど、それでもまだ解らない。 それに途中から一人称が僕ではなく、俺になっているのは、きっとすごく自分自身に関して深く入れ込んで考えているのだろう。 それも気になる。
「キースにそう言われると、私たちもダメだったのだと思うわ。 他の人の妻、例えばヤーレンのとこなんかは、自分たちで農政を考えて、それをヤーレンに提案していると聞くわ。 少なくとも私はキースのしている仕事に対して、『こうしたらどう?』なんて提案をしたことがないわ。
確かに、何か改善点がないかと考えたりとか、そういうことを怠っていたと思う、私たちは。 でも、どうしてキース、あなたは『俺が、俺が』って言うの?
少なくとも降格元貴族たちの事は、初動時にその狙いを読み違えてしまったのは、あなただけじゃないじゃない。 他のみんなも、そう軍師のセカンとディフィーだって読み違えて作戦を立てたんじゃない。 その作戦を採用したミーリア様だって、読み違えていたということでしょ」
「そう、そこなんだよ。 そこが僕がラーリン様には話を誤魔化してしまった理由なんだ。
ラミアでは、同族の、それも味方に分類される人を攻めるなんて発想は、絶対出てこないんだ。 ラミアは、少なくとも今生きているラミアは同族のために命を捨てても戦いはしても、同族を攻めるような戦いはしない。 だから今回もカドス子爵領を標的にするなんてことを降格元貴族たちが考えているなんて、全く考えてもいなかったのさ。
たぶん、今回の騒ぎで降格元貴族たちの動きが、何だか変だと感じたのは、アレクとボブと、それにストラトさんなんかが最初なんじゃないかな。 そういう可能性もあると思ったんだろう。
それに降格元貴族たちの集団を崩壊させた、アンとアレクの策も、あれはラミアには考えつかない作戦なんだろうと思う。
逆に言えば、王都へも、一回毎の滞在日数はデイヴはもちろん、アレクにもボブにも及ばないけど、最も多く行き来しているのも、最も多くの人と面会しているのも僕だ。 その僕が最も今回の降格元貴族の騒ぎを予想することが出来たかも知れない立場だったんだ。
完全な予想が出来なくとも、こういう可能性もあるかも知れないと、そのくらいなら言えたはずの事柄なんだ。 いや、そう出来る努力をしていなければいけない立場だったんだ」
なるほどそういうことか。
確かにラミアはある意味純粋なところがあって、少なくとも今のラミアは同胞を罠にかけたり、攻めたりなんて考えられない。 そういう純粋さが思考の幅を狭めてしまう。 それは軍師の2人も、ミーリア様たちでもそうなのだろう。
しかし、これからキースがやろうとしていることは、キース1人で出来ることではない。 私たちは全員一緒ではなく順番だったり都合だったりはするけど、誰かしらがキースに常に同行する。 だから私たち妻も、常にそういう意識を持って、キースと行動しなければならないのだ。
それに私はラミアがそういう汚い人間の心の動きなんかを理解出来ないとは思わない。 きっとと言うより確実に、ラミアの今まで置かれた状況が、そういうことをしては変な意味で大丈夫じゃなかったからなのだと思う。 私が降格元貴族たちのしでかしたことの、それをした降格元貴族たちの考えていただろうことが想像できるのだ。 きちんと説明すれば、そういう思考回路を持たないラミアだって、確実に理解出来ると思う。
私は、同じキースの妻のラミアに、人間の汚い心の部分も教えていかなくてはならない。 それはキースの人間の妻、そして騎士の娘でもある私がしなければならないことだ。