母が来た
久々の「ラミアの独り言」です。 またしてもラミアではなくて、今回はエルフの独り言ですけど。
ちょっとだけ長文です。
領主の町の辺境伯邸は、辺境伯という地位にある人の館としては規模が小さいのは、その父親が伯爵だった時のままであるのが一番の理由だ。 しかし、伯爵の館としても、他の同じ地位の王国貴族と比べると、その館の規模は小さい。
私はそう感じるのだが、そんな感想を持つのは身近では私と辺境伯であるアルフさんの正妻であるシルヴィさんくらいのものだ。 シルヴィさんは、隣の領地がまだ伯爵領であった時の伯爵の娘だからか、そういった一般的な常識を持っている。 私も王都近くで育ったので、そういう感覚を自分では一般的と思っている。
ところがアルフさん自身もだが、そのラミアの妻であるエーレアさんとエーレファさんには、そういった常識はない。
「私たち、妻の数が足りてなくて、子どもたちの人数も少ないから、この邸の部屋が余っていてもったいないわね。
あまり使っていない部屋とか施設とか、もう少し有効に活用できないかしら」
エーレファさんなんかは、館が大き過ぎて有効に活用出来ていない部分があると、その遊んでいる部分の有効活用を考えているくらいだ。 最近では元伯爵令嬢だったシルヴィさんまで、そういう考え方に染まってしまい、いつもシルヴィさんや私たちの世話をするために、夫のクラッドさんとともに館に来ている、シルヴィさんの侍女兼妹扱いのアニーさんと一緒に、エーレファさん、エーレアさんと真剣に検討をしている。
クラッドさんは、私と同じで辺境伯の館としては小さいと思ってくれているみたいだけど、もう1人ほとんど何時でも館に詰めているブマーさんは、アルフさんと同じで館の規模なんて全く興味がないようだ。
大体においてこの館にやって来る、アレクさん、ボブさんの爵位を持つ2人にしても、その仲間の人たち、その妻の人たち、そういった人たちも館の規模なんて事には興味がないようだ。
その中には王宮での序列はともかく、この地では私はおろか、領主で辺境伯のアルフさんまでが様付けで呼ぶ方たちもいらっしゃるのだが、その人たちもみんな、館の規模なんていうことは、無駄な事だと思っているみたいで、全く考慮しない。 それよりも古くなっていても、今までこの地を治めていた者が歴代この館に住んでいたという事実の方が重要であるようだ。
そもそもに於いて、この館が何だか閑散な感じを受けるのは、ほとんど使用人と呼ばれる人が存在しないからでもある。
先代がここで暮らしていた時は、他の貴族たちから比べれば少なかった様だが、それなりの数の使用人もこの館で暮らしていたらしいのだが、アルフさんの代になると、日常の事柄は昔は使用人を使って行っていたことも、みんな自分たちで行うことが普通になり、使用人を使わなくなってしまったのだ。
まあそれは、私も結婚前の数年は1人暮らしをしていたくらいで、日常のことは自分で全てまかなえるから問題ではない。 ラミアの2人も当然のこととして大丈夫だ。 アルフさん自身はというと、少し怪しいけど、妻の私たちがする日常の世話で十分に満足してくれている。
貴族のお嬢様だった生い立ちを考えると、十分以上に元から自分の日常のことが出来たのではないかと思うシルヴィさんだけは、少し戸惑ったようだけど、アニーさんの手助けと、エーレアさんとエーレファさんの導きで、今では不自由が無くなったどころか、自分でアルフさんの世話をするということに、とても燃えているというか、喜んで勤しんでいる。 少しでもアルフさんの世話を、自分でもっとできるようにと、その努力を欠かさない。
そう、子育てに関してもそうだ。
アルフさんの子どもたちは、全員自分たちの手で育てられている。 ただし、自分たちというのは、アルフさんの妻である私たちだけでなく、クラッドさんの妻たちとブマーさんの妻たちも含めてだけど。
つまり、アルフさんの子どもたちは、クラッドさん、ブマーさんの子どもたちと一緒に、アルフさんの妻たちだけでなく、その2人の妻たちも一緒になってで育てられているのだ。
その場では、私はちょっと最初は驚いてしまったのだが、人間の子どももラミアの子どもも一緒に分け隔てなく育てられていた。 そこでは、そもそも子どもたちに母乳を与える時にさえもう、人間もラミアも関係無く、与えられる人が欲しがる子に与えていたのだ。 分け隔てなんて最初から無かったのだ。
「人間がラミアの乳を飲んだり、ラミアが人間の乳を飲んだりしても大丈夫なのですか?」
その光景を初めて見た時、私はたまたまその場で、エレンさんの子つまり人間の子に自分の乳をあげているエーレルさんに訊ねてしまった。
「うん、何の問題もないよ。
ちなみにここには居ないけど、ハーピーの子にラミアや人間が乳を与えても大丈夫だし、反対にハーピーが人間やラミアの子に与えても大丈夫だよ。 アレクのところはその3種族がいるから、しっかりと検証済み。
きっと、シトリさん、あなたに子どもが出来たらその子も人間やラミアやハーピーの乳を飲んでも大丈夫じゃないかな。 ボブのところのクリアさんに子どもが出来ても同じだと思うよ。 楽観視なのかも知れないけど、みんな父親は人間なのだから、大丈夫なはずなのよ。
あ、そうだ、話のついでで悪いのだけど、シトリさんはまだ子どもが出来てないから乳をあげることはできないけど、もうアルフさんの妻となった訳だから、アルフさんの子たちの母の1人でもある訳。 つまり母親として、この子たちの世話をするという仕事はしっかりと順番でやってもらうからね」
エーレルさんはニコニコして、そんなことを私に言ったけど、私はそんな近い未来は全く考えていなくて、ちょっと焦ってしまった。
「私、子育てをするなんて、遠い未来のことだと思っていたので、私に子育てなんて出来るでしょうか?」
「そんな丁寧な口調で話さなくても良いよ。 シトリさんと私じゃ、ほとんど歳は変わらないのだから。
子育てなんて、見様見真似でしていれば、すぐに出来るようになるよ。 最初は人見知りされるかもしれないけど、子どもはすぐに慣れて、そうするときっとどんどん可愛く思えるようになると思うな。
それにさ、見てると分かると思うけど、この人数を少ない人数で面倒をみているのだから、何もしないでいられる訳ないよ。
という訳で、この子、ゲップをするまでちょっと抱いてて、私は次の子にも乳をあげないといけないから。
ダフネさん、エーレア、次は私、どの子にあげれば良い? シトリさんと話していたら、分からなくなった」
エーレアさんはその言葉と同時に、私に乳を飲ませ終えた子を渡してきた。 私は、あたふたしながら、初めて赤ん坊の世話をした。
こんな調子で、今では何でも可能な限り自分たちでやるので、館に余計な使用人がいないのだ。 その可能な範囲が、私が想像していた貴族の生活の範囲としてはとても広いので、本当に他の人が必要ない。
人が少ない理由のもう一つは、護衛と呼ばれる人がいないこともある。
ラミアの人たちは戦闘訓練をきちんと受けていて強いので、わざわざ別に護衛を置く必要がないらしい。 直属第一騎士団の先頭で、団員を率いたりするブマーさんの妻のエレオさん、エレドさんの2人は解るが、エーレアさん、エーレファさん、エーレルさんなんかも強いのだろうか。
「エーレアたちは強いぞ。 俺やブマーは訓練で負けたことがあるくらいだからな」
「あの時は、たまたまそういう条件になっただけで、今だったらアルフさんの方が当然強いじゃないですか」
エーレアさんが即座にそう謙遜したけど、かなり強いことは確かなのだろう。 私には分からないが、父のエルリヒトがアルフさんとブマーさんの2人のことも、「良く鍛えている」と褒めていたし、聞いた話では、ゴブとの戦いでは2人とも単に部隊の指揮を執るだけでなく、先頭でゴブとの戦闘に突き進んでいたというのだから、その2人を条件が良かったとはいっても訓練で負かした力量はかなりのモノなのだろう。
「単純に接近戦だとかの武技が上手いだけじゃない。 ラミアの特性で夜目は利くし、気配にも敏感だ」
「エーレアは鈍感だけどね」
エーレファさんが、ちょっとまぜっかえし、エーレアさんと軽く喧嘩をしている。
それに笑いながらアルフさんが言葉を続けた。
「そんなこともあって、護衛だとか、武装メイドとかは必要としないのさ。
ラミアの目を掻い潜って襲うのは難しいってことさ。
それに人間の妻たちも、他の人間の妻たちに倣って、エーレアたちに教わって、自分の身程度ならある程度は守れるくらいに訓練はしているからね。
ま、戦いの場に出すのはどうかとは思うけど」
「私たちは出ますよ」
「いや、ラミアたちじゃなくて、シルヴィやアニーのことだよ。 あの2人を戦いの場には出せないだろ」
「まあ、そうですね。 アンたちと同列には考えちゃ駄目だとは私も思います。
でも2人だって、いざという時には出る覚悟は持ってますよ。 アルフさんも、そこはしっかりと覚えおいてあげてくださいね」
こういう会話をされると、私はちょっと疎外感を味わってしまう。 私以外の妻とアルフさんとは、こういう会話の下敷きとなる過去の出来事を共に乗り越えて来たのだ。
そしてエーレアさんたちは本当に戦いの場に向かってしまった。 アルフさんの護衛かと思ったら、そうでは無かった。
「エーレアさんたちは、本来はナーリアの一員ですからね、今回の事態ではミーリア様はナーリアさんの代を指導役に、アーブとサーラの代に経験を積ませるということですから、エーレアさんたちも出るのは当然ですから」
アルフさんがライマー子爵とトルセン子爵も参加する会議に出るために領主館を離れたり、それと同行して行って、その後の作戦にエーレアさんたちも参加することを聞いても、シルヴィさんは落ち着いていた。 他の人間の妻たちもそうだ。
「今は、子どもたちの世話とあなたを守るのが私たちの役目です。
シトリさん、あなたはお腹にもう1人の私たちの子どもを宿しているのですから」
シルヴィさんにそう言われて、私は嬉しいような、何だかくすぐったいような気持ちだった。
アルフさんが戻り、しばらくしてエーレアさんたちも戻って来た。
「もう私たちが出る作戦はないって言うから、戻って来たわ。
でも、ディフィーに『急の時には呼びつけるから、その時は飛んででも大急ぎで来てね』と釘は刺されたけど」
「エーレファ、私は飛んで行くのは嫌だぞ」
「サーブは飛ぶのは平気なのに、エーレアは駄目なのよね。 私は嫌いじゃないけど。 あ、私もディフィーとは逆か」
実の姉妹でも、やっぱりそれぞれに食い違う所は多いのだろうか。 私はエルフの例に漏れず、一人っ子だから、そういう機微は分からない。
「あ、そう、そう。 シトリさん、エルリヒトさんが『エルフも今回の件の作戦に参加する』って、ナーリアたちにねじ込んでいたわよ。
さすがに辺境伯軍最高指揮官のミーリア様には自分の意見をねじ込む気にはなれなかったらしいわ。 ナーリアたち、って言うか、セカンとディフィーも苦労するわね」
エーレファさんとエーレアさんは笑っていたけど、私は赤面するばかりだ。
そんなことがあっても、書類仕事に埋没するいつもの状態に私たちはすぐに落ち込んでしまう。
私は元々は事務官として、ここで仕事を得たのだから、それが本職と言えなくもないのだけど、アルフさんの妻の1人になったのもあるのだろうか、自分が管轄する書類の量が半端なくなってしまっている。 自分では実力を認められて、仕事を振られているのだと思いたい。
ある時、不意に私はアニーさんに呼ばれた。
シルヴィさん、エーレアさん、エーレファさん、そして私も書類仕事その他に埋もれてしまう日が多いので、生活一般から仕事中の小間使い的なことまで、アニーさんが昔からシルヴィさんの侍女的なことをしていたこともあってか、気が付くとアニーさんに多く依存してしまって、この館の日常は成り立っている。 私たちが忙しいのは重々わかっているアニーさんは、滅多なことでは私たちの仕事の手を止めるようなことはしない。 それなのに、呼ばれた。
「シトリさん、今までにお越しになったことのないエルフの方が訪ねてこられているので、すみませんが応対に出ていただけますか?」
「はい、お手数をお掛けしました。 でも、私だけで良いのですか?」
誰か父以外のエルフの、今までにこっちに来てなかった長老かなんかが挨拶に来たのかと、私は思った。 そんな知らせ、受けてないなぁ。
「ええ、シトリさんを指名なんですよ。 あ、女性でしたからかも知れないですけど」
女のエルフか、余計に誰か来るという当てがないぞ、と私は思いながら、私はアニーさんに指定された応接室に向かった。
一応、扉をノックしてから中に入ると、意外な人が中で待っていた。
「えっ、お母さんじゃない。 一体急にどうしたの? それに来るなら先に連絡くらい入れてよ」
待っていたのは、母だった。 父とは違い、私を育て終えて、父と別れるとふいっといなくなり今まで音信不通だった母だ。
私がアルフさんと結婚したことを知っていたのかしら。 連絡もつかなかったから、私の結婚式にも来てないのよね。
「シトリ、驚いたわよ。 子どもが出来たんだって。
私もエルフでは珍しく、孫の顔を見ることが出来ることになったのが分かったから、本当かどうか確かめに来たのよ」
「お母さん、それなら先に『結婚おめでとう。 それで相手の人を紹介して』が先でしょ。
ま、でも、子どもが出来たのは本当よ」
「確かに、言われた通りね。
『結婚おめでとう』が先だったわね。 それで相手は人間だって。 そこは若いのに思い切ったわね。
それで相手が人間だから、大急ぎで子どもを作ったの?」
「そんな訳ないじゃない。
エルフは子どもが出来にくいということだから、早く出来れば良いなぁ、とは思っていたけど、自分でもこんなに早く出来るとは思っていなかったわ。 嬉しい誤算だけど」
「私なんて、あなたの父親と結婚してから、何年経ってあなたが出来たと思っているのよ。
あなたが出来るまでに、何回そういうことをしたことか。 ラッキーだったわね、ほんの数度で出来たんでしょ」
ん、なんか母の言葉に違和感を感じる。
「ほんの数度って、数十回の言い間違い?
お母さん、私が結婚してからそんなに経ってないとは言っても、もう一年近くになっているのよ。 子どもを作るための行為をそれしかしていない訳ないじゃない」
「ええっ、そうなのかい。 人間は凄いねぇ。
あなたのお父さんなんて、数ヶ月に一回とか、下手したら数年に一回だったからねぇ」
私の母は家を空けることの多い人だったのは知っているけど、いくらエルフが長寿でもそれでは子どもは確かになかなか出来ないだろう。 あくまで確率の問題だ。 母数が少な過ぎる。 エルフの人口が減る訳だ。
ああ、やめやめ、エルフの人口減少の問題は今するべき話題ではない。
「それはともかく、今回ここに来た経緯を教えてよ」
「エルフが戦いに出る人を集めているという話を、たまたまこっちに来た時に聞いたのよ。 驚いたわよ、王都に戻ったら、あなたの家もあなたのお父さんの家も無くなっているのだもの。 それで話を聞いてこっちに来ようとしたら、何だか騒ぎが起こっていて、その話を先に聞いたのね。
それでもう少し詳しく聞いたところ、あなたがここの辺境伯と結婚したと聞いて、びっくりして、ちょうどこの地方の入り口の町にいたエルリヒトを捕まえて、もう少し詳しく聞いて、戦いに参加するどころの話じゃないと、そのままここまで来たのよ」
なんか色々とごちゃごちゃしているけど、なんとなく経緯は解った。 ま、いいや、うちの母はこういう人だ。
「で、泊まって行くのでしょ。 部屋を用意するわ。 一応辺境伯の館だから、来客用の部屋なんてのは余っているから大丈夫よ」
私が一応ドアの外で待っていてくれた人に、アルフさんたちへの伝言を頼み、母を連れて客室へと向かう。 えーと、すぐに使える客室はあそこだったな、なんて考えて歩いていると母が怪訝な顔をして言った。
「わざわざあなたが案内してくれなくても、誰か付けてくれたら、ちゃんとその部屋で静かに待っているわよ」
「いや、そんなことに使う人員、この館に置いてないから」
「えっ、ここ辺境伯邸だよね。 シトリ、あなた辺境伯様と結婚したと聞いたのだけど、違っていたかしら。 辺境伯夫人が自分で客を客室に案内するの? それとも母親だからの特別扱いだったら必要ないわよ」
「別に特別扱いじゃないわよ。
私がヴェスター辺境伯アルフレッドの妻の1人になったのも本当のことだし、そんな余剰の人員を置いていないのも本当のことなのよ」
「もしかして、ヴェスター辺境伯家って、爵位だけは高いけど、凄く貧乏だったりするのかな。 あ、それだからあなたが結婚出来たのね」
「実の娘に対して、なんてこと言うの。
あのね、ヴェスター辺境伯家というのは、この王国でも有数の名家だし、そんなことは私より年寄りのお母さんの方が知っているでしょ、それに今は財政も領内の改革が進んでたぶん他の貴族の領地よりも裕福だと思うわ。
ただ単に、ヴェスター辺境伯家は館の大きさや、召使いの数で見栄を張ったりする必要がないし、そういうことをアルフさんたち、おっとちゃんと言わなくっちゃ、アルフレッド様たちは好まないというだけのことよ」
「ま、それなら良いんだけどね」
うう、実の母親ながら接していると本当に疲れる。
ま、とにかく夕食の席にでも、みんなにも事情を話しておいて、母も同席させればアルフさん以下のみんなにも、子どもたちにも、母を紹介したり、母にも紹介したり出来るな。 それで良いや。
私はふと、ここのところ気になっていたことを、歩きながら母に訊ねた。
「そういえばさ、もう少しすると、さっきも言った通り私にも子どもが産まれるのだけど、その子に私以外、つまりここだとエルフ以外の乳を与えても大丈夫なのかしら?
大丈夫じゃないと、私は子育てに凄く時間を取られることになるから、働き方も考えないといけないし、子どもの養育の仕方も他と違うことになるから考えなければならなくなる」
「えっ、そんな心配しているの?
大丈夫に決まっているじゃない。 エルフの赤ん坊が人間の乳を飲んだって、全く問題はないわ。 その逆も同じことね。
それにこれは私は実際に見聞きしたことはないけど、きっとそれはラミアだってドワーフだって、羽があって姿がすごく違うハーピーだって大丈夫だと思うわ。 あ、小人族もこの地方には多いみたいね。 彼らも大丈夫よ、きっと」
「良かったぁ」
私は心から安堵した。 エルフの私の子だけ、エルフである私の乳しか受け付けなかったり、私が乳が出るようになっても、他の人みたいに他の子に乳を与えられなかったらどうしようと、ここのところ私はとても心配だったのだ。
エルフとしてはまだ年若い私は、他のエルフが子育てをしているのを見たことがない。
父はもう100歳を超えていて、母ももうすぐ100歳になるのに、子どもは私だけで、まだ成人して数年でしかない。 だからエルフとしては私みたいなのが普通で、下手をすれば全く子育ての経験を、他のエルフから得られなかったりするのだ。
そのため手引きのような書物はあるのだが、私は仕事の忙しさと、人間とラミアと一緒の子育てのやりようなんて書かれている書物はないだろうと思って、読んでいないのだ。
その問題が無いならば、子育て経験者は周りのみんなで十分だし、とても心強い。
「そもそもにおいて、私の研究によると、これは過去の色々な文献からもほぼ明らかで事実だと思われるのだけど、エルフに限らず、他の亜人族、これは人間が一番数が多いからこういう言われ方をするのだけど、他の亜人族はみんな人間の突然変異の結果らしいのよね。
突然変異種というのは通常は弱いモノで、すぐに淘汰されてしまうのだけど、元々母数が大きく、世代も重ねているから、生き残って子孫を残すモノも出てくるという訳。 つまり私たちエルフも元を正せば人間だった訳で、人間と同様な子育てが出来ない訳はないのよ。 そもそもエルフなんて、単に寿命が少し伸びただけの人間なんだから。
同様に、他の種族だって、人間から少しだけ変異した種族だから、そんなに変わることはないのよ。 子どもが種族が違う乳を飲んだって、元が同じ種族なんだから、大丈夫に決まっているわ。
ただ、生殖となると、ちょっと話は変わってきて、元種族である人間との混血は、他の種族でも可能だけど、突然変異で変わった者同士だと、その変異がぶつかり合ってしまうのか、可能な例が今までに見つかってないのよね。 唯一、小人族の中では、かなり形態差があって違う種族ではと思われても、混血が可能な例が多くて、それをどう考えて良いかは議論が今のところついてないのよね。
もしかすると小人族と一緒くたに呼ばれることが多いのと同様に主要な変異はみんな同じで、他の差はとても小さいから混血が可能なのかも知れないし、そうじゃなくて他に何かの理由があるのかも知れない」
元々が研究者である母は、自分の研究に通じる部分があったのか、熱心に私に説明してくれているようだが、私は右から左に聞き流してしまっていて、全く聞いていなかった。
私にとっては、自分の子どもが他の子たちと同じように扱えてもらえて、自分も他の母親と同じように他の子どもたちと接することが出来るのだと分かったことが嬉しくて、他はどうでも良かったのだ。
あ、部屋を通り過ぎてしまっていた。