特別な宝物
私がボブの実家に初めて行ったのは、まだ私たちの子どもがラーリア様が産んだシャイナ1人の時だった。
ボブの人間の妻のハンナがラミアの里にやって来て、それからしばらくの時間が経ったのだが、他の人間の妻の家族と違って、ハンナの家族やボブの家族はなかなかラミアの里を訪ねて来る者がいなかった。
ハンナやボブの家族がラミアの里に来たくなかった訳じゃない。 2人の家族はラミアの里に来る時間的な余裕がなかったのだ。
この頃、ゴブとの戦いに向けて全てのことが忙しく、それが最優先だった。
ラミアの里では武器や防具が必要とする数さえなかなか揃わず、ボブやアレクが中心になって懸命に作っていた。
その状況はラミアの里に限ったことではなく、領内全体の問題でもあったのだ。
ボブの家と、その鍛治集団の一員であるハンナの家は、そんな訳で仕事が忙しくて、とてもじゃないが移動時間もかかるラミアの里に来ている余裕はなかったのだ。
何しろボブの父と祖父が中心のボルハンは、このヴェスター領で一番の鍛治集団なのである。
私たちがボブの家に行くことになったのは、一番の理由はボブが武器や防具を作ろうとしても、その素材となる鉄がラミアの里では枯渇していたからである。
鉄鉱石は近くで採掘出来ることは分かっていたが、それを一から精錬している余裕はなかったので、ボブの実家の鍛治集団に鉄を融通してもらうことになり、取りに行くことにしたのだ。
実際は、ハキの商会の荷馬車でも頼んで運んでもらえば、ボブだけでなく私たちもラミアの里から動かずに済むので、その方が都合は良いのだけど、ミーリア様は私たち全員で訪問することを選んだ。
たぶんハンナだけ家族が訪ねて来ることがない状況を、可哀想に思っての配慮なのだろう。 少しだけ自分が忙し過ぎて、ちょっと息抜きというか、気分転換がしたかったのかも知れない。
ラーリア様もそのどちらの意味も分かっていて許していた気がする。
私たちの最初のボブの実家の訪問は、そういった訳で慌ただしい訪問ではあったのだが、とても歓迎された。
ボブの家族にハンナの家族だけでなく、ボルハンの鍛治集団全体で歓迎されたのだ。
歓迎の一番の主役はボブの子どもであるシャイナであるのは当然で、その母親でありラミアの代表であるラーリア様ももちろんもう一方の主役だ。
ハンナはとても嬉しそうに、私たちと家族、そして仲間だった鍛治集団の間を駆け回っている。 宴会の料理や酒を配って回る係を母親から言いつけられたらしいが、みんなに声を掛けられる機会を作る目的だったようだ。
そしてもちろんミーリア様は目立っている。 ラミアの里以外の場所に出てみると、ミーリア様が目立つということが本当に理解出来る気がする。
私とアレアはちょっと難しい立場になっている。
ここではラーリア様、ミーリア様、そしてハンナと同じボブの妻という立場なのだけど、さすがにラミアの代表であるラーリア様や、ミーリア様と同じには振る舞えない。
普段はミーリア様の副官という立場で振る舞うことが、ラミアの里から外に出ると多いのだけど、この場ではそういう振る舞いは違うと思うので、自分がどういう態度をとっていれば良いのかに迷ってしまうのだ。
アレアは結局、やはりミーリア様の世話をするような感じになってしまっている。
何でも出来るラーリア様と違って、ミーリア様は放っておくと何かしでかさないかと心配になってしまうのだろう。
それはとても理解出来るのだけど、その役をアレアに取られたので、私は余計にどうして良いか困った感じになってしまった。
「お前さんもボブの妻の1人なのじゃな」
「はい、私はロアと言います」
そんな私に声を掛けてくれたのは、ボブの祖父だった。
ボルハンという鍛治集団をボブの父と共に率いている祖父だけど、この場はちょっとだけ立場が自分も微妙なせいなのか、私が困っていることに気がついたみたいだ。
「ボブの嫁ということは、儂の義理の孫ということじゃな」
私はそう言われて、ちょっと慌ててしまった。
ラミアの私は自分の父母さえ知らない。 だからそういう目上の人にどう接すれば良いのか分からなくて、色々考えてしまう。
ボブの父と母、それにハンナの父と母に会うのは予想出来ていたので、頭の中で何度も予行練習をして、挨拶のパターンをいくつか考えていた。 でもそれで精一杯で、迂闊にもボブの祖父にどういう挨拶をすれば良いのか考えていなかったのだ。
親世代との関わりというのも、イクス様とレンスの関係しか今まで見たことないのに、祖父母世代ってどうしたら良いのだろう。
「はい、そういうことになります。 お祖父様ですね」
「お祖父様? 儂を呼ぶのに、その呼び方は大袈裟過ぎるじゃろう。
爺さん、いや爺さんでは男の孫たちと同じで面白くないな、そうだ爺ちゃんと呼べ」
「えっ、お爺ちゃんとお呼びすれば良いのですか」
「『お』はいらん。 爺ちゃんで良い。 ほら、呼んでみろ」
「分かりました。 それではその様に。 爺ちゃん」
「うん、良いぞ。 男の孫に爺さんだとか、じじいと呼ばれるのとは違うな。
やはり女子の孫に、『爺ちゃん』と呼ばれるのは風情というか、趣がある」
「そういうものですか?」
「うん、そういうものじゃ」
私は祖父にあたる人となんて、どう付き合ったら良いか皆目見当がつかないのだけど、こんな他愛ない話をして、ボブの祖父とは何だか親しくなった気がして嬉しかった。
それから後、みんなもボブの祖父に呼びかけるのだが、アレアは「お爺ちゃん」、ミーリア様は「お爺様」、ラーリア様は「祖父殿」とそれぞれに分かれてしまった。一番酷いのがハンナで、ハンナは鍛治集団の中での呼び方の「先代様」でしか、どうしても呼べないみたいだ。
それで「爺ちゃん」呼びが気に入られたのか、ボブの妻の中でどういう訳か私が一番ボブの祖父に何だか気に入られてしまった。
それから私は何度もボブの実家を訪ねることになった。 私は、と言うと間違いか、私とアレアはだ。
ミーリア様がラミアと領主家の間で動いていたので、私たち2人もその副官兼護衛として、ラミアの里と領主の館の間、また時には砦の間を何度も行き来した。
その移動のために、私たち3人は最優先でそれぞれに軽馬車が与えられた。 最終的にはミーリア様は一輪の軽馬車も使われる様になったが、最初はミーリア様は二輪の軽馬車、護衛役もする私たちは小回りのより利く一輪の軽馬車だった。
後にそのせいで、アレアなんて長尺の武器を主武器にしていた訳でもないのに、私と共に人材不足で騎兵の指揮官をすることになったりしたけど、それはまあ別の話だ。
ミーリア様が打ち合わせのために領主の館に滞在することになると、私とアレアのどちらかは、ボブの実家を訪ねた。
一つには、ボブとハンナだけではなく、ラミアの里にやって来たボブの弟子の様子をその家族に伝えるためだ。
もう一つ、こちらが本来の重要なことなのだが、ボルハンで作られている武器や防具の進捗具合の確認だ。 武器・防具が揃わねば戦どころではないのは当然だ。その確認は最も重要な事柄であるのは当然だ。
とはいえ最初の用件もあるのも本当なので、その重要な進捗具合の確認に私たちのどちらかが遣わされたのである。
酷い時は、早朝に領主館を出て、馬を途中で替えるだけで、その日のうちにトンボ帰りなんてこともあったけど、大抵はボブの実家で一泊させてもらう。
ミーリア様は早く情報が欲しいので、すぐに帰って来させたい様だったが、実際問題として替え馬なんて、その時にはそうそう用意できなかったからである。
しかし、そのお陰で私とアレアはボブの家の人たちと本当に仲良くなり、行くと家族として扱われるようになった。
特に私は爺ちゃんと仲良くなった。
「ロア、ボルハンがどうしてこの地で1番の鍛冶屋と言われるか。 その秘密が解るか?」
「それはやっぱり、爺ちゃんとお義父さんの腕が良いからでしょ。
私にだって、2人が名人なのは解るよ」
「そう言われると悪い気はしないのぉ」
私がそう言うと、爺ちゃんはデレデレした顔をして、私の頭を撫でた。 小さな子どもにするような行為だなと思ったのだけど、私はそうされるのが嫌じゃない、いや、そうされると嬉しい。
あ、もしかしたら、爺ちゃんからしたら私は孫の歳だから、体の大きさはともかくとして、小さい子どもとそんなに変わりがないように見えているのかな。
「だが、儂が言いたいのは、その儂や息子が名人になっている理由というか、秘密じゃ。
名人と言われるような鍛治職人を褒め称える形容として、『隻眼の鍛治』なんて言われることがある。 隻眼というのは、片目というだけでなく、物を見抜く眼識があることも意味したりする。
つまり鍛治職人の場合、作った物が良い物か悪い物かは少し見識があれば解るが、熱い鉄をどの状態で打てば良いとか、焼きを入れるのに最適かなどを見極められるということだな。 それが出来れば、良い物が作れる訳だ。
実際にはそれだけじゃなく、どんな鉄を使うかや、その製法などにも秘伝はあるが、一番難しいのはそこじゃ。 それをどうやって儂らが判断しているかというと、溶けたり熱して発光している鉄の色で判断している訳じゃ。
ただし、そんな物を常に見つめていたら、目に良い訳が無い。 それが隻眼、つまり片目と言われる所以でもある。 熱い鉄を見つめ続けて、片方の目はもういかれてしまったくらいの名人だと」
なるほど、鍛治という仕事も、そこまで身を犠牲にしなければこなせない厳しい仕事なのだと私はあらためて思った。 仕事のキツさは見てるだけでも十分に理解していたけど、それ以上なのだな。
あれ、でも私たちが思うだけでなくて、広く名人と知られている爺ちゃんとお義父さんは目がダメにはなっていないよね。 どうしてだろう。
「気がついたか、そう、そこがボルハンの秘密だ。
ボルハンでは溶けた鉄や、高温に熱した鉄を扱う時には、このメガネをかけることになっている。 このメガネをかけて眩しさを抑えれば、より良く鉄の状態を観察できるし、目を傷めることが少ないのじゃ。
このメガネを使うことが、鍛治集団ボルハンの秘密じゃな」
私も鍛冶場を見せてもらった時に貸し与えられたし、ボブがここに来て一番にラミアの里にも持ち帰った道具だった。 その黒いメガネという物は。
「うん、それは解る気がする。
そのメガネをかけると、私でも爺ちゃんやお義父さん、それにボブが打っている鉄を見ることが出来るもの。
私は眩しさに弱くて、それがない時には、打っている鉄は眩し過ぎてほとんど見ていられなかった。
そのメガネは色が濃くて、熱い鉄を見るのには良いけど、それ以外の物はかけたままだと暗く見えすぎちゃうけど、それでも私は昼間の眩しい時には欲しい気がするよ。 本当はその時にはもう少し見えるように、薄い色になっていればもっと良いけど」
「なんじゃ、ロアはそんなに眩しいのか?」
「うん、爺ちゃん。
ラミアは夜目が利いて、暗くても結構見えるのだけど、ラミアの中でも私は暗い所が良く見える方。 でも逆に眩しいところは苦手なんだよね」
「ロアは綺麗な目の色をしているが、瞳の色が薄いからかも知れんなぁ」
爺ちゃんに「綺麗な目の色をしている」と言われて、私は何だか凄く照れ臭かった。 綺麗と言われるのはミーリア様の専売特許で、その側に控えることの多い私やアレアが綺麗と言われることなんて、本当にないからね。
「もう、爺ちゃんたら、私の目が綺麗なんて何言ってるの」
「何言ってるのって、ロア、お前さんは目だけじゃなく綺麗だと思うぞ。 ああ、でも綺麗というのはミーリアの方か。 確かにボブの言うとおり、お前さんは可愛いだな」
爺ちゃんとボブは、そんなことを話したりしているのか。 そう思ったら、私は真っ赤になっているのを自覚した。
「それはともかく、単なる昼間でも眩しく感じるのか。
よし、ロア、爺ちゃんがお前に、もっと色の薄いメガネを作ってやるぞ」
爺ちゃんは、そう言ってくれたが、そんな物を作っている暇なんて、ずっと無かっただろうし、私もその場限りの話だと忘れてしまっていた。
それよりも「可愛い」と言われたことのインパクトと嬉しさの方が、ずっと大きかったし。
そうしてゴブとのことが、一応の決着をみて、ボブは男爵に叙爵され、私たちは王都に行って、王宮での叙爵式に出たりした。
そして戻って来て、ボブの実家でもボブが男爵になったお祝いを盛大に行ったりした。
家名をボルハンにしたので、実家の鍛治集団の喜びも本当に大きかったようだった。 私たちも喜んでくれることも、本当にその一員になれたようにも感じて嬉しかった。
その席の途中で、私は爺ちゃんに呼ばれて、簡単な小箱を手渡された。
「ほれ、ロア、約束していたメガネじゃ。
やっとこんな物も作る余裕が出来たからな。 薄い色のガラスを作るのに、ちょっと手間取って遅くなったがな」
私は嬉しくて、爺ちゃんに抱きついて礼を言った。
私のために、私だけのために爺ちゃんが自分で作ってくれたのだ。 自分の親のことだってよく知らない私は、上官になったラミアに物をもらったことはあるけど、それ以外の自分より目上の人に何かをもらったなんてことはない。
爺ちゃんは私だけのために、わざわざ自分で作ってプレゼントしてくれたのだ。
私の特別な宝物になったのは当然のことだ。
でも死蔵はしない、もちろん使うよ。 そのために爺ちゃんは作ってくれたのだから。