ミーリア様の槍は
ボブを夫としているラミアの数は、ラミアの里に暮らす他の人間の男と比べると少ない。
それはミーレア様が亡くなり、アーリアが自ら里を出て行ってしまったからだ。
他の男には、6人のラミアの妻がいるのだが、ボブには4人しかいないのだ。
その上、ラーリア様、ミーリア様だけでなく、私とロアもかなり忙しいのだ。
ボブが受け持っている仕事である鍛冶は、残念だけどラミアである私たちには、あまり手伝うことが出来ない。 ラミアはやはりどうしても人間より肌や鱗が熱に弱いので、鍛冶を手伝いことは難しいのだ。
とはいっても人間だってやはり火は弱点な訳で、鍛冶をして鉄をハンマーで打って火花が飛んだりする訳で、皮の手袋や前掛けで防御をしているといっても、ボブだって時々火傷をしているみたいだ。 だからそんなに変わらないのではないかと私は思うのだが、思いはしても手伝えるかというと、そうはいかず、せいぜい時間があれば吹子を押すのを手伝うくらいのことしか私には出来ない。
そんな訳で、ボブの仕事の手伝いは最初はデイブとキースの2人ばかりがしていた。 最近はボブにも人間の妻のハンナが来て、その後すぐに弟子がボブの実家からやって来て、ボブの仕事を手伝うようになり、少しはボブだけでなくデイヴとキースも仕事が楽になったようだ。
それにまた、待った甲斐があり、ボブの仕事場の鍛冶場と、それに隣接する私たちの家はとても立派な建物となった。 だけど、その弟子たちの食事も、鍛冶場のちょっとした細々とした手伝いも、私たち妻だけの時のシャイナの世話も、ハンナばかりがしているような気がする。 一番後でボブの妻になったハンナが、ボブの妻としては一番役に立っている気がして、何だか申し訳ないような、悔しいような、ちょっと複雑な気分になってしまう。
私とロアとアリファは、この冬をラーリア様たち、ミーリア様たちの上、そしてナーリアたちと共に、ずっと起きていた。
それは一番の理由はアーリアとアーリルを完全に放っておくと、冬を越すことが出来ないからであったのだが、もう一つはアリファに対する配慮だったのだろうと私は思っている。 イクス様はアリファを自分の替りの物品係にするつもりで、最初から冬の間に鍛えるつもりだったみたいだが、アリファはアーリルまでもがラミアの里追放になった後、それまでの自分の行動を振り返っての落ち込み方が酷かったからだ。
アリファは自分の感情をあまり表に出さないタイプなのだが、幼い頃一緒だった私とロアには、アリファのすごい落ち込み様は見ていられない程の酷いモノと映った。
イクス様はそういった感覚に疎いようで、全く気づかないのか気にしないのかというような感じだったのだが、一見そんなことには全く気づかないタイプに見えるミーリア様の方がそんなアリファの精神的な落ち込みに気がついたようで、時々チラッと私たち2人にアリファを手助けするというか、アリファのことを構う時間とか機会を作ってくれた。 ミーリア様は直接には何も言わないから、それが意図的なモノかたまたまそうなったかの判断はつかないのだが、私とロアはミーリア様の温情ある配慮だと確信している。
アリファのために私たちも起きていることになったような気がするのだけど、起きている中で私たち3人は下な訳で、ラーリア様たち、ミーリア様たち、そしてイクス様と常に接しているのは、気を使わなければならなくて、かなり疲れてしまう。
その点、ナーリアたちも同じなのだろうが、彼女たちはその点は妙に慣れているのか、私には出来ない態度で上の人たちに接している気がする。
「あれはね、レンスがイクス様の娘で、普段のイクス様からは考えられないような親子喧嘩を繰り広げたりしているじゃない。
それを見慣れてしまって、上の人に対する尊敬心がない訳ではないのだけど、気遣いというか、構えるところが無くなってしまっているのよ。
だいたい、イクス様とレンスの喧嘩をラーリア様と、『今日もまたやっているのか』と横目に眺めて一緒にお茶しているのだから、威厳を感じるとかじゃなくなるのは当然よね。
それにナーリアたちの家は以前からラーリア様、ミーリア様も入り浸っていたのだから、今更なのよ」
まあ、ロアの言うとおりなのだろう。
とは言っても、私たちが冬の間、気楽に話せるのはナーリアたちだけだったので、私たち3人はナーリアたちとは随分と親しくなった。
最初は私はナーリアたちの監視係をしていたのだから、何だかとても感慨深い気がしてしまう。
監視係といえば、私がナーリアたちを監視していたことに、ナーリアたちはその時最初から気がついていたことを後で知った時には、私は本当のことを言うと、大きく傷ついた。
私は、イクス様の隠密能力は隠されていて知らなかったので、自分の隠密能力はラミアで一番だと自分では思っていた。 それをあっさりと気付かれていたと分かったのだから、平静でいられるはずがない。
その後、レンスの隠密行動を見た時には心底驚嘆した。 到底自分の及ぶところではないと思ったし、普段からレンスの隠密を見ているのなら、私の監視なんて気付いて当然だとも思った。 私があまりに自信喪失していると、イクス様に言われてしまった。
「アレア、あなたの隠密能力も素晴らしいわ。 レンスと比べるとちょっと劣るというだけよ。 レンスは私の娘だけど、隠密能力だけはもう私でも敵わないのよ。
変なところで、先輩としての意地を張らないで、少しレンスに教わってみたら、そうすればあなたも私を超えられるんじゃない」
その言葉で、何だか踏ん切りがついた私はレンスに気配を消す技術を教わろうとした、レンスは私が教わろうとしたことに最初はすごく戸惑ったみたいだけど、セカン、ディフィーも加わって、私にその技術を教えてくれた。
私が悪かったのは、結局気配を消し過ぎるところにあったようだった。 ディフィーによると、その失敗は昔レンスもしていて、それを修正したのだという。 私はレンスとセカンから、2人の気配を消す技術を教わり、逆に私も2人に私の持つ技術を教えた。 私の隠密術、気配を消す技術は完全に独学というか独自のモノだったので、他の人と教え合うというのは、とても新鮮で楽しかった。
そうして私はレンスと同等とまではいかないけど、以前よりずっと隠密が上手くなった。
「ほら、やっぱりアレアは私より隠密行動が上手になったわね」
イクス様にそう言われた時は、私は飛び上がりそうに嬉しかった。
レンスに気配の消し方を教わっていた時に、気付いたのだが、隠密行動という訳ではないのだが、ディフィーも姿を消すのが上手いのだ。
ディフィーの場合は、気配を消している訳ではないので、意識すればすぐにそこにディフィーが居るとわかるのだが、大勢の中でディフィーはすぐに注目を集めないで、居るのか居ないのか他人の意識に乗らないようにすることが上手いのだ。
ディフィーは今では軍師としてラミアの中に大きな影響力をセカンと共に持っている。 だからいつでも他の人の視線を集めていて当然なのだが、それでもスッと他の人の意識から外れてしまうのだ。
ディフィーの外見は小柄だったとはいえ、目立つ派手なピンクの髪をしているのだから、常に他人にその存在をアピールしていて良いはずなのにだ。
気になって見ていると、逆にぼーっとしている風なのに、ナーリアは常にその存在が目立っている。 何もしないで黙っていても、ナーリアは周りの人に、あの時ナーリアも居たなと常に認識させるのだ。
で、大体の時、ディフィーはそのナーリアからほんの少し離れた距離に居たりする。
ナーリアが目立っている近くで、一緒に認識されるような距離には居ないのだが、逆に離れすぎて自分が1人目立つことのない、ナーリアに隠れる絶妙な距離にディフィーはいたりするのだ。 意識して見ている私には分かるけど、他の人にはディフィーは背景として消されているのだろうと思う。
私はこのディフィーの特技も学ばせてもらった。 役に立つかどうかは分からないけど、興味がひかれてしまったのだ。
ラミアが4人だけということは、生まれて来た赤ん坊の世話にも問題が出た。 ハンナが来る前は、ただでさえ他が5人で回していた赤ん坊の世話係を3人で回さねばならなかったのだが、その上ミーリア様は動けないラーリア様に替わってラミアの里のあれこれや、人間・ハーピーとの交渉をしなければならず、本当に手が回らなかった。 ナーリアたちや、ミーレナ様に色々とお世話になり、やっとのことで一番大変な時期を乗り越えたという感じだった。
途中、どうにもならずにナーリアたちの家にラーリア様と一緒に泊まり込みで世話になったりしたのも、迷惑をかけはしたけど、私にとってはとても良い経験になった。 その時はボブから得られる精が沢山になって、危うく脱皮してしまいそうな感じだったけど。
ちなみに私たち3人はいまだにミーレナ様と呼んでしまう。
「もう、あなたたちだけよ。 どうして直らないのかしら」
とミーレナ様には言われるのだけど、どうにもならない。 3人の中で特に私が酷くて、私はミーレナ様をとてもではないが「さん」付けで呼ぶことが出来ないのだ。 1人で戦線を支えてくれたミーレナ様の勇姿は私の瞼に焼きついてしまっていて、どうしても崇める気持ちになってしまうのだ。
同じ勇姿をアーレアたちやエーレアたちも見たのだろうけど、自慢ではないが、あの時のミーレナ様の示した実力、その決意なんかを一番肌で感じたのは私だろうと思う。 エーレアたちはまだミーレナ様の剣の技量が解るほどの腕はなかっただろうし、アーレアたちも自分自身のことで精一杯で、それを感じる余裕はなかっただろうと思う。 たぶんだけど、アレオだけはもしかしたら、私と同じようにミーレナさんの勇姿を見ていたかもしれないけど。
ロアとアリファは、そんな私に気持ちに同調してしまっているのだ。
この冬を起きていたことで一番変わったことといったら、ナーリアたちとの間が近くなったこともあるけど、やっぱりミーリア様との間柄だ。
もちろんミーリア様はミーリア様であって、一度指揮官モードになったりすれば、あの氷のミーリアそのモノで、私なんて直立不動で自分から言葉を発することも出来ない。 きっとそれはロアも同じことだろう。
同じボブを夫としていても、ミーリア様と、私とロアとの間は分厚い壁がある感じだったのだが、それがこの冬でぺらぺらの薄い壁になってしまったのだ。 ミーリア様は普段の事柄に関しては、本当に何をしても不器用で、本当に頼りにならないのだ。 そして、ミーリア様は仕事の部分である公式のこと以外では、全く自分の立場を他人に見せようとはしないのだ。
私たち3人はナーリアの家で、ミーリア様のことをサーブまでが揶揄うことがあるのには心底驚いた。 そしてそのナーリアたちの揶揄いに対してミーリア様が、全く同じ地点に立って、怒ったり拗ねたりしているのだ。
そして、ミーリア様と過ごす時間が増えてくると、日常生活においてのミーリア様のポンコツさが、私にもとても理解出来て、私でさえついミーリア様の行為を怒ったり揶揄ったりしてしまうのだ。
ある時、ラーリア様とシャイナがイクス様とティッタと共にナーリアたちと一緒に先に温泉に入った。
その後で、ミーリア様と私とロアが入ることになったのだが、少しだけ私たちの方が後になった。 私たちが脱衣場で服を脱いでいたら、温泉の中からミーリア様の悲鳴が聞こえた。
「きゃあ、何がどうなったの? なんでこんなことになるの?」
ミーリア様の慌てる声に驚いた私は、駆け込むように温泉の中に入った。 するとミーリア様は温泉の洗い場で槍を持って茫然と立っていた。
「ミーリア様、温泉に敵が潜んでいたのですか?」
私が脱衣場にナイフを取りに戻ろうかとしかけたら、ミーリア様が
「違うの、槍の柄が汚れたから洗おうと思って、持って来たんだけど・・・」
敵がいるのかと瞬間的に身構えてしまっていた私は、その言葉にぶちっと切れてしまった。
「敵がいる訳でもなく、武器を温泉の中に持ち込まないでください。 温泉で槍を洗うって何ですか、それ。 それで悲鳴の原因は何ですか?」
私の怒った声にミーリア様は何だか小さくなって答えた。
「ごめんなさい。 本当にただ汚れたところを洗えば綺麗になるかなと思っただけで、それで洗おうとして温泉のお湯を掛けたら、飾りの金具がみんな真っ黒に一瞬で変わってしまったの」
私のように慌てたりしないで、普通に中に入って来たロアが言った。
「前にボブが言ってたじゃないですか、温泉に武器は持ち込まないようにって。
温泉のお湯には色々な成分が含まれるから、武器をダメにするって」
「うん、だから、槍の穂先には温泉が掛からないように注意していたのだけど、飾り金具がまさか真っ黒になっちゃうなんて思ってもいなくて」
言われて、ミーリア様の槍を見ると、真っ白な槍の柄に銀色に光っていたはずの飾り金具が真っ黒に変色して、真っ白な綺麗な槍ではなく、白と黒の槍になってしまっていた。
「真っ白なボブの自慢の綺麗な槍だったのに、どうしよう」
「仕方ないですね。 ボブにお願いして直してもらうしかないですね」
あわあわしていたミーリア様に、ロアが冷たく宣言すると、完全に消沈してしまった。
私はちょっと可哀想になり言った。
「ミーリア様、槍を貸してください。 後で私がボブにどうしたら良いかを聞いてあげますよ」
「アレア、お願い。 それからボブに先に謝っておいて、もちろん私も謝るけど」
受け取った槍は、柄のいつも手で持つ部分が確かに汚れて色が変わっていた。 きっとミーリア様自身も、この槍が真っ白なのが自慢で、常に真っ白にしておきたかったのだな、と私は思った。 だって、この槍はボブの自慢の一品なのだから。
ボブに黒くなってしまった飾り金具の部分を直すにはどうしたら良いか聞いてみると、地道に磨いて、黒い部分を無くすしかないということだった。 ボブが槍を受け取ろうとするので、私はボブに私にはその作業が出来ないかどうかを聞いた。
難しいことのない単なる地道な作業だと分かって、私のその作業を引き受けた。
磨き終わって、柄の汚れもついでに落としてあげて、以前の白さを槍が取り戻すと、ミーリア様は私にとても感謝してくれたのだけど、私はそれ以上に、ボブの自慢の一品に私も関わっているということが嬉しくてしょうがなかった。 もちろん私の双刀もボブが作ってくれた物だから、とても大事にしていて、常に手入れを怠ってはいない。