何か他に
正気を取り戻したのは、僕が最後だった。
ほとんど覚えていないが、ラリファ様をはじめとするみんなに、すごく迷惑をかけたような気がする。
それでも、まだ僕は時々、狂ったままでいたかったと思う時がある。
「ケン、仕事溜まっているぞ」
「ケン、なんでお前が正気に戻るのが一番遅いんだよ」
「ケン、お前、本当はメンタル弱々なのな」
なんて友たちは僕をからかってくる。
普段ならそれに対して怒るのだが、今はとてもそんな気持ちにもなれない。
それにそんな憎まれ口を叩いてくるお前らの顔が、なんでそんなに心配そうなんだよ。 そんな顔されてたら、怒るに怒れないよ、ば〜か。
でも暖かい気持ちが流れ込んでくる。 口にはとても出せないけど、心の中で「ありがとう」と呟く。
お前たちも同じように傷を負っているだろうに。
ラリファ様から始まって、最近ラミアの里に来た人間のソフィアまで、僕がどうしておかしくなったかについては全く触れてこない。
きっとどこからか事の真相をもう聞いているのだと思うのだけど、確信は出来ないままに時は過ぎている。 それを知っているかどうかを聞くのも怖いし、聞かれたら何て答えて良いか僕にはわからない。
あの恐ろしさ、あの悲しさを僕はとてもみんなに話せない。
みんなはずっと、いつでも僕に優しかった。
でも僕は何だかわからないけど、何かを胸の中に溜め込んでしまっていた。
それがいつ溢れ出すか分からない感じで、溢れてしまったら僕は自分がどんな風になってしまうのか、どんな態度をみんなに見せてしまうのかが心配でしょうがなかった。
溢れてしまったら、泣き喚いてしまうのだろうか、また正気を失ってしまうのだろうか。
そしてまたみんなに心配をかけてしまうのだろうか。
まだ胸の中が潰されそうに苦しいのだけど、もうみんなに心配をかけたくないよ。
一番危険なのが、若い子たちと一緒になった時だ。
同じ年頃の子を殺した僕は、若い子たちを見ると、その殺した子の姿が目の前に浮かんできて、胸の中で溢れそうになっているモノに、また少し何かが注ぎ込まれるのだ。
そして今にも溢れそうになってしまう。
溢れそうになるのが嫌で、僕は若い子たちから距離を取ることにした。
それを物品係になり、若い子たちとも接する機会の多いアリファ様に見られた。
アリファ様は、何も言わなかったが、何だか複雑そうな顔をした。
僕はその複雑そうな顔を見たことに気づかれないように、視線を外し、何も気がついていないふりをした。 そして若い子たちとアリファ様が一緒にいる場にはなるべく近づかないようにした。
それでも僕が若い子たちを避けるのを、アリファ様は逆に僕に悟られないように何度も見ていた気がする。
アリファ様に注意するようになって、僕は少し前のことを思い出した。 ラミアのほとんどが冬籠りをする時期を迎えて、僕は一人ミーリア様に呼ばれた。
「ケン、アリファも私たちはこの冬、起こしておこうと考えているのだけど、あなたの意見を聞きたいわ」
僕は何故、アリファ様を起こしておく事に僕の意見が求められるのか、全く理由が解らなかった。 僕が疑問という顔をして黙ったままでいると、ミーリア様が説明してくれた。
「アリファは、ケンも知っての通り、自ら上位を引退したわ。 そこで私たちは都合が良いのでアリファを次の物品係にしようと考えている。
今年の冬はあなたたちが居ることも理由の一つだけど、ラーリアとミーリアの上は冬籠りを全くしないで、起きていることになった。
それに加えて、アレアとアーロアも起こしておくことが決まっている。 それはその二人に食料を運ばせないと、アーリアとアーリルが冬を越せないだろうからだ。
ただ、アレアとアーロアではアーリアとアーリルが素直に食料を受け取らないかも知れない。 そのためにアリファを起こしておく必要がある。 それを公式な理由としてアリファを起こしておいて、イクス様はアリファを物品係として春までに使えるようにするおつもりだ。
でもここで問題がある。 今、アリファはお前が相手をする順番に入っているか?」
「いえ、入っていません。
アリファ様はゴブとの戦いの後、怪我を治すために僕が半ば無理やりに飲ませたりしたのですけど、傷が一応癒えた後は、『私はもう上位を引退したから、僕に精をもらう訳にはいかない』と言って拒んでしまって」
「そうか。 ミーレナとはまた立場が違うから、そうなってしまうな。
そうすると、冬に起きているラミアの中で、アリファだけ人間から精を得られないことになってしまう。 それはあまりに可哀想だとラリファ様とミーリファが言い出した。 私が考えるにも、アリファだけが冬の間、精を得られないでいるというのは、周りが気を使う。 特に、アリファと共にお前を世話していたラリファ様とミーリファ、それに幼い時に同じグループだったアレアとアーロアは大変だろう。
そんな訳で、私としては、冬に寝ない中に例外を作りたくない。
そこで問題になるのが、お前の気持ちなんだ。 片手が使えないアリファも、ラリファ様とミーリファに接するのと同じように、これからお前の妻の一人として接してやることをお前はしてやれるかという話なんだ」
僕はなるほどと考えた。 片手が全く使えなくなったアリファ様をは、きっとまわりが手助けをしなければならない事柄がたくさん出てくるだろう。 そういうことも踏まえた上で、僕が受け入れる気持ちがあるか、という話だ。
「簡単に答えられる話ではないと私も思う。
受け入れれば、これからずっとケンはアリファを支える必要があるのだからな。 つまりはそういう事だ。
お前が受け入れられないと思っても、私はそれを悪くは取らない。 お前のこれからの人生に関わる事だ、そういう選択もありだと思っている。 その時は、残念だがイクス様にも諦めてもらって、アリファを起こしたままにしておくという計画はなしだ。
お前にしてみれば、このラミアの里に来てからは、自分の意思に関係なく色々と物事が決まってしまったにと思うかもしれない。 でも今はお前たち人間にもう自分たちの意思で物事を決めて欲しいと思っているのだ」
「バンジの所は、ミーレナさんのことをラーリナ様と二人でサポートすることになっているのですよね」
「ああ、ミーレナにも子供を作らせるべきだと、ラーリナ様が強く主張して、ミーレナの希望が通ったからな。 その時、ラーリア様がラーリナ様に『お前が、ミーレナの不自由さを補わなければならなくなるのだぞ』と強く警告した上でのことだから」
「それならバンジより僕の方がずっと有利じゃないですか。 僕の方は一人ではなく、ラリファ様とミーリファ様の二人が起きているのですよね。
それに二人が認められているなら、何の問題もありません。 僕だって、自分が精を与えたことがある人です。 気にならない訳がないじゃないですか。 僕に出来ることならば、なんでも手伝うくらいのことできます」
こうしてアリファ様は冬の間、眠らずに起きていることになったのだが、僕にしてみると、最初はアリファ様を手伝ってあげなければ、庇ってやらなくてはならないと思っていた。
でもそんなのは完全に僕の思い上がりだった。
アリファ様は、利き手であった右手が全く使えないようになったというのに、アレクやボブに相談して、自分の戦闘スタイルを確立し、戦闘でも「鉄壁」とか「不死身」と呼ばれる戦士になって見せた。 その訓練は凄まじく、僕らは「アリファ様が倒れないうちは」と決意して訓練を受けるようになったし、ナーリアたちのアリファ様に対する尊敬心はすごいことになっている。
当初考えられていたアリファ様に求められた役割である物品係としての修行も、アリファ様はイクス様に直接教わるだけでなく、雑貨屋の息子で物の管理に慣れているハキに教わったり、教師の息子で計算だとかの能力に長けているエレクに教わったりして、すぐに完璧にこなせるようになって見せた。
物品係としてもう一つの懸念であった、若い子や子供たちとの関係の構築も、ナーリアたちとの親しくなった関係を足掛かりに、短時間に色々な相談を受けるような親密な関係を作り上げてしまった。
僕が手助けしなければならないことなんて、何もなかった。
若い子たちを正視できないでいたけど、仕事はとても忙しくて、なんとなくそれが隠れ蓑になっている感じだった。
炭の窯出しも、ラミアが行うのは尻尾が邪魔になりやりにくいのだが、他の友たちもそれぞれに仕事を抱え込んでいて、頼む訳にはいかず、僕たちだけでしなければならなくなる程だったのだ。
僕たちが温泉でその汚れを落としていると、かなり遅れてアリファ様もやって来た。 みんなもう温泉から出る寸前だったからというのもあって、ラリファ様に言われてしまった。
「アリファを洗ってやったりして、少しゆっくりと帰ってきなさい」
温泉に入っていると、僕の友たちはそれぞれの妻たちに甘えられて、よく身体を洗ってあげたりしている。 友の妻たちはそれをとても喜んでいて、ラリファ様をはじめとして僕の妻たちも僕に、身体を洗ってくれと良くねだってくる。 でも僕は、自分の妻たちを洗っているところを、友たちに見られるのはなんとなく恥ずかしくて、ほとんどすることはない。 ごくたまに、他に人がいない時だけ、その要望に答えることがあるだけだ。
ただし、アリファ様だけは例外だ。
アリファ様は左手だけしか使えないから、自分で洗おうとしても背中の一部には手に持った糠袋が届かないのだ。 それだから一緒に入っている時は必ず僕がアリファ様の背中を洗ってあげるのだ。
僕に出来る数少ない、ほとんど唯一かもしれない、アリファ様の手伝いなのだ。
これは友たちも当然事情が分かっていることだから、僕も恥ずかしがらずに出来るのだ。
その時はたまたま温泉に他の人がいなくなったので、僕は背中だけでなく、アリファ様の全身を洗ってあげた。 アリファ様はとっても喜んでくれたみたいだ。
喜んでくれたからだろうか、もう半分僕たちの家になっている炭焼き小屋に戻る時、アリファ様は僕の手を握ってきた。 周りに他の人がいないから、僕はそのままアリファ様の手を握ったまま、もう少し暗くなった道を歩いた。
アリファ様の手は、少しゴツゴツしているな、と僕は思った。 僕はそれが嫌ではない。 それどころか、アリファ様の手が少しゴツゴツしているのは片手になって、それでも自分が役に立つようにと努力を重ねた結果だと思うから、それを愛おしく感じるのだ。
僕は少しラミアの手を強く意識しすぎるところがあるかもしれない。 何しろターリアたちの手が荒れてしまったのを全く気付かずにいたことを、ナーリアたちに思いっきり叱られたからなぁ。
僕はアリファ様が身体を洗ってあげたことに喜んで、普段しないような手を繋いできたことに意識が向いていて、ちょっと苦しんでいた戦いでのことを一瞬忘れていた気がする。 だからアリファ様の言葉は不意打ちだった。
「若い子たちを見ると、戦場でのことを思い出しちゃうの?」
このアリファ様の言葉で、僕は一瞬で我にかえり、今の苦しみが蘇ってきた気がした。
僕は驚いた拍子に、アリファ様の目をその正面から覗き込んだ。
僕はそこに、アリファ様が全て知っていて、戦場で僕がしたことを知っていて、その上での言葉で、僕のことをとっても心配しているのがありありと読み取れた。
僕の溢れそうになって困っていた、胸の中のモヤモヤとした熱くてどうしようもないモノが、そのアリファ様の言葉で一気に溢れ出して、勢いを増して、止まらなくなってしまった。
僕はアリファ様に抱きついて、その胸に顔を擦り付けて、完全に子供のように泣きじゃくってしまった。
その時、僕はアリファ様に色々なことを言った気がするが、何を喋ったのか全く覚えていない。 ただただ、溢れそうになるのを抑えていたモノを、溢れるのに任せてアリファ様にぶつけていた気がする。
そんな僕に対してアリファ様は自分も泣きながら、慰めてくれた。
そして自分も女だから、僕に殺された女の子の気持ちが解ると、僕に語ってくれた。
僕にはあの子がアリファ様の言うように、僕に殺されたことを感謝しているなんて、とても思えない。
でも、何故か分からないけど、
「恨んでなんていないよ」
「ケンが自分を責めることなんて望んでいないよ」
という言葉はすーっと胸の中に入ってきた。
僕はその後、何だかとても久しぶりに夢も見ないで眠れた。
そして、次の日から、僕は若い子を見ても、あの子の姿が重なって見えなくなった。 僕は前と同じように、若いこと話したり、接したり出来るようになった。
僕が若い子と普通に話しているのをアリファ様が見かけて、ちょっと嬉しそうにしているのに気が付いた。 僕はそれでアリファ様の方にほんの少しだけ微笑んだ。 アリファ様はそれにも気づいて、僕に軽く動く方の手を振ってくれた。 僕はちょっと嬉しいような恥ずかしいような気がして、少し顔が赤くなりそうな気がした。 それを子供たちに見られるのは恥ずかしいので、僕は急いでアリファ様から視線をそらした。 アリファ様はその僕の気持ちも分かって、あまり顔には出さないけど、ちょっと笑っているな、と僕は見てはいないけど感じもした。
それでも僕はやっぱり考えてしまう。 友たちだけの時についぼやいてしまった。
「他に何かやりようがなかったのかな」
「俺も、そう考えちゃうよ」
友たちも次々と僕の言葉に同意した。
「俺たち、最初からそれをしなければならない、ということだけしか考えられなかったじゃんか。 今頃になって、他の方法はなかったんだろうかって、どうしても考えちゃうよな」
「でも、考えれば考えるほど、他の方法は全てダメだと思ってしまうんだ。
殺してやる方がまだマシと。
殺さないのはもっと可哀想だと」
やっぱりみんな同じことを心の中で考えているのだと思った。
そして、結論はみんな同じで、みんな分かっているのに、それでも僕と同じに考えずにはいられない。
「何か他に」と。
それからもう一つ、僕は「何か他に」と考えてしまうことがある。
僕はもっとアリファ様に何かしてあげたいのだ。
いや、アリファ様だけではない。 僕のことを同じようにラリファ様をはじめ妻になってくれた人たちはずっと心配してくれていたのだ。 みんなにももっと何かしてあげたい。
それだけじゃない、ラミアの里のみんなにも、ハーピーたちにも、アルフさんたちにも僕は「何か他に」してあげられることはないのかと思ってしまう。
僕がアリファ様にしてもらったように、僕もみんなに何かしてあげたいと思うのだ。