まだ出来る
「遅かった。」
私はあまり何かを本気でやったという記憶がない。
でも、あの時は本気で走った。
他の何も考えずに、ただ助けたいと思って、それ以外には何もない状態で走った。
それでも間に合わなくて、私はそれをしたゴブを気がついたら殺していた。
そして私の左手も気がついたら動かなかった。
私は、その時にやっと、周りのことを認識することが出来て、これは駄目だと思った。
周りのことを認識しているのかいないのかもわからない様な、今のこの場では私の足手纏いにしかならない者を、とにかく運ばせて逃すことにして、間に合わなかった埋め合わせとして、これ以上他の者が殺られない様に、自分のできる範囲だけ頑張ってみることに決めた。
片手だし、戦い続ければ、技量的にはゴブに負けなくとも、疲れて体力が落ちれば負ける。
そう長くは保たないだろうなぁ、と思いながらも、慣れない本気になってまで走っても間に合わなかったんだから、ま、その埋め合わせとしては仕方ないね、と漠然と思いながら戦っていた。
そろそろ駄目かなと思ったところに、ラリト様とラーリン様がやって来てくれて、なんとか私は死なずに済んだ。
戦いの後、みんなは私を戦線崩壊を食い止めた英雄と呼ぶ、エーレアたちは命の恩人の様に私を思ってくれている。
でも私は自分で知っている。
私は本気になってさえ、間に合わず、救えなかったのだ。
私にとっては救えなかった事実こそが全てだ。
私が上位を目指したのは、憧れていた人がいたからだ。
小さい私が木から落ちて怪我した時に、私を抱いて本気で走って集落に連れて帰ってくれて、手当てしてくれた彼女は、私と違って、何をするにも本気な人だった。
そんな彼女は小さな私から見ても、どこにも取り柄がなく、とても平凡なごく普通のラミアだった。
ただ、彼女が1つだけ違ったのは、全てに本気だった。
そして彼女はその本気の努力だけで、ラーリアにまで登り詰めた。
私は猛烈に憧れた。
他の才能あるラミアたちが、先に上位になり、それでも上り詰める前に戦死して行ったり、恐怖から上位を辞退していった中、平凡だと思っていた彼女は着実に戦い、恐れにも負けることなく、本気の努力を重ねていって上り詰めたのだ。
私は彼女の、私にはない何事にも本気で物事に当たっていく姿勢に憧れたのだ。
そんな彼女は最後は5人もの子供を産んで、ボロボロになって死んでいった。
「5人もの子供を産めたから、ラミアとしては誇らしいと思うべきなんだろうけど、私の本気とはちょっと違ったのよね。」
彼女は死ぬ前に私とそんな話をした。
「ハーピーと血みどろの抗争をして、やっと手に入れた卵で、そして襲って捉えてきた人間に口移しの水で無理やり出させた精で子供を作るって、確かにラミア全体で考えるなら本気すぎるほど本気なんだけど、ちょっと違うよね。
私は物語でしか知らないけど、本気で愛した男の精で作った子供が産みたかったな。
あ、間違えないでね。 子供はもちろん可愛いよ。」
それから少しして、もう下半身は動かず、子供に乳を飲ますだけの存在になっていた彼女は乾涸びるようになって死んでいった。
ラミアは階級社会だ。
人間の精を得られる機会がとても限られているため、より優秀なラミアを残し増やすため、最も優秀と認められたラミアのみが子孫を残す権利が得られる。
つまり、ラーリアになった者以外、子を持つことは不可能なのだ。
私は彼女の言葉を聞き、彼女に出来なかったことがしたいと考えた。
つまり、愛する人間の男と子供を作るということが夢になった。
だけどその夢も、片手が動かないのでは叶わぬ夢で終わってしまったと思った。
「片手じゃ流石に上位に残ってはいられないよね。
誰かに言われて辞めるのも嫌だから、自分から引退しよう。」
本気になっても助けられなかった私には、それは当然のことの様に思えた。
でもそこで、私は武勲を認められて、上位を辞する時に褒美をもらえることとなった。
私は叶う筈のない望みだと思いながら、子供を産むことを褒美に望んだ。
全く無理な希望だと思っていたのに、その望みは叶えられることになった。
実を言うと、私はそれまでバンジのことをまともに見ていなかった。
戦いの前も私はバンジと一緒になるというか、一緒に過ごす機会はあったのだが、あくまでバンジはラーリナ様に精を与える人間であって、たまたま私が世話をしなければならない状況になっただけだと考えて、好きとか嫌いとか、そういう個人的な感傷が浮かぶ余地がなかった。
それがいきなり、自分が精を得て、子供を作る相手になった。
正直に言うと私は慌てた。
私はバンジには何度も接しているのだが、バンジがどんな人間なのか、どんな男なのか、全く分かっていなかった。
そういう目で見たことがなく、関心がなかったのだ。
関心を持って彼を観察すると、私は彼がとても優しい人であることにすぐに気がついた。
彼は口に出して、色々と気遣うことはないのだが、さり気なく、何も自分ではしていない様なふりをしつつ、私の不自由さに配慮してくれる。
また、一緒に暮らしてみて分かったのだが、彼は私とラーリナ様との間に全く差をつけずに同じ様に接してくれる。
私が不安に思うことも、それを優しく包み込んでくれる感じなのだ。
私は自分でも驚くほど、急激にバンジが好きになっているのに気がついた。
「ラーリナ様、バンジは本当に優しいですね。」
「あら、ミーレナ、あなた今頃そんなことに気がついたの。
バンジは最初からとても優しいわよ。」
「きっとそうなんですね。
私、バンジのことを前はただ世話をしなければならない人間としか見てなくて、バンジのことを全然見ていなかったんです。
でも今はこうしてバンジと暮らす様になって彼を見ていると、今はそれだけで心が温かくなる感じがします。」
「あら、ミーレナもバンジが大好きになっちゃったのね。」
「はい。 ラーリナ様を前にして申し訳ない様な気分ですけど。」
「そんなことはないわ。
私たちは2人ともバンジが好きで、その好きな男の精で子供が産めるのよ。
それって凄い素敵なことだと思わない。」
「はい、夢の様です。」
私の夢は、私がもう無理だと諦めたら、何故か叶ってしまった。
私は本当にたまにしか本気になることがなく、なんとなく日々を過ごしてしまう様なダメなラミアで、たまに本気になっても自分で期待した様な結果を得ることが出来ず、夢を諦めたのに、夢が叶ってしまった。
そんな私が今は自分でも本気になっていると思う。
そう、私はバンジの役に立ちたいのだ。
今の私はただバンジに幸せを与えてもらっているだけにしか思えない。
こんな幸せを与えてくれるバンジに何かしてあげられないかを、私は本気で探している。
人間の好きな料理もアレクたちに教わって少しづつだけど覚えている。
火もなんとか使える様になった。
内窓の紙もどきを作れる様になってバンジに見せたら、バンジはとても喜んでくれて、それまでその課題がクリアできなくて放置していた内窓をどんどん作り、私も負けじとどんどん紙もどきを作って貼っていった。
その内窓が必要分だけ完成した時、私はバンジと2人で作った内窓を見て、今までにない満足感を味わった。
私でもバンジの役に立つことが出来ると。
でもまだまだ足りない、もっともっとバンジの役に立ちたい。
そんな私だから、ミーレアにアーリアを許してやってほしいと言われた時、私に何を許せというのだろうと思った。
アーリアが命令違反をしたことは糾弾されるべきことだが、私に対してアーリアが何かをした訳ではない。
逆に私にしてみれば、アーリアの大事な部下を結局は助けることが出来なかったことを許してほしいと思うくらいだ。
アーリアの命令違反、アーリアの行動は私には関係がない。
私にはアーリアに対する怒りも恨みも何もない、もっと言ってしまうと、アーリアには興味もないというのが本音だ。
だが、エーレアたちは違う。
エーレアたちはアーリアによって、自分が望まない、自分が関与するはずではなかった戦闘に巻き込まれたのだ。
私は自分で決心し、自分で本気になって、ゴブとの戦闘をしたのだが、彼女たちにはそんな自分からの意思は全くなくて、アーリアがその状況に追い込んだのだ。
彼女らは私とは違い、アーリアを怒り、恨む、正当な理由があるのだ。
そんなエーレアが自分たちはアーリアを許すと言った。
その言葉に私は驚いたが、それ以上に、その結論に至った理由を聞いた時に、衝撃を受けた。
自らの経験を元にして、アーリアの心境を慮り、また自らの間違いも見つめ直して、許すという選択肢を選ぶ。
口で言うのは簡単だが、自分たちの命が掛かっていた事柄だ、とてもではないが簡単に選べる選択肢の訳がない。
私は彼女たちと最近は随分と一緒にいる時間が増え、気心も知れてきた気でいた。
その彼女たちが私の知らないところでは、あんな精神的には苦しい戦いをしていたことに私は衝撃を受けたのだ。
言われてから、考えて、その結論に達したというなら、まだ話は分かる。
でも彼女たちは言われる前に、自分たちで考え、あの結論に達していたのだ。
私はまだまだだな、と正直思った。
私は自分の想いからしか物事を見ていなかった。
相手側の気持ちになって物事を考えてみようと思っていなかった。
まずはもっとバンジの側から物事を見て行こうと思う。
もっとバンジの視点で見て、役に立つ私になろう。
それから少しはラーリア様の視点にも立ってあげないといけないかな。
まだまだ私に出来ることはあるはずだ。