1-1 セーラー服と、夕焼け景色
夕日に染まる瓦礫の山。地面に横たわったまま動かない人々。そんな静寂な世界の中で、ひとりの兵士が立ち尽くす。紫紺に染まる空を、幼い頃の光景を胸の奥に響かせて、血に染まった世界に溶け込んだ。
***
はあ、とその青年は重いため息をつく。
緊張が溶けると、どっと疲労が押し寄せて、そして喚くような虚しさに襲われる。
「……また今日も、終わらなかった」
手元の機関銃に、返り血に塗れた自分の姿に、彼はぽつりと呟いた。
毎日毎日、同じ時間に、同じ言葉を繰り返す。その度に、「もう無駄さ」と言うかのように、冷たい風が通り抜ける。
それでもきっと、いつかはこの戦争が終わると信じ、自分の心を支える。そうして青年は今日もまた、一時の平和を噛み締めるように、枯れた街中を眺めながら帰路につく。
この世界は、荒んだこの風景は、きっとひどく美しかったのだろうと何度も思ったことがある。かつての姿は今とは見違える程に賑わっていて、幸せなそうに街の人々は過ごしていただろう。
そんな、今では既に消えてしまった過去の真実の中で、この街でもっとも高いあの廃墟は一体、何の役割を持っていたのだろうか。
まるでバケモノの死骸のように威圧感がありながら、けれど中身はなく、ただ殺される街並みを見下ろす、哀愁漂うあの廃墟。
最上階から広がる景色は殺風景で、けれど悲壮感がむしろ装飾品となり、僅かな美しさを帯びているのではないのだろうか。
だとしたら、一度見下ろしてみたい。腐ったこの世界を別の角度から眺め、少しでも綺麗であると思えるのなら、一目見てみたい。
そんな、自分自身でもよく分からない、混沌とした思いと感情を渦巻かせながら、唯一そびえ立つその廃墟を見上げる。
「え…?」
高く遠い視線の先、思わず彼は声を漏らし、固まる。嗚呼、見てしまったねと、まるでそう笑うかのように冷たい風が吹きつけた。
「ひ、と?」
まるで今にも飛び降りるかのように、誰かがそこに立っている。
軍服、ではない…。だとしたら、一般人か?
どうして、あんな所に人が? いやそれよりも、どうして「一般人」が地上に?
とにかく助けないと――頭の中で響いた時には、既に体は動いていた。
こんなに慌てるのは、いつ振りだろう。日中の殺し合いすら、今では慣れてしまったのに。
「はやく早く行かないと…!」
でなければ、間に合わない。あの子が飛び降りる前に、陽が沈む前にどうにかしなければ。
廃墟の中は薄暗く、埃が充満してかび臭い。外とは異なるその遮断された静けさに、気味悪さを感じた。
崩れ落ちる心配なんて気にもせず、がむしゃらに足場の悪いところを通り抜け、階段を駆け上る。しばらくして、目の前に錆び付いた扉が現れた。
一刻でも早くと手を伸ばし、喚くように古びた音を響かせる。勢いよく流れ込む風に、思わず目を細めた。
「――……」
目の前の光景に、息を呑む。
茜から紫紺に移り変わる、果てのない空景色。静かな廃れた街中に消えゆく夕陽。
「これ、が」
壊れた世界の姿――。
思わず涙が零れ落ちてしまいそうな、そんな物寂しい感情が込み上げた。
哀愁漂う、そんな廃墟の屋上。そこにいたのは、ひとりの少女だった。
振り返った少女の、青み帯びた瞳が真っ直ぐとこちらを見つめている。
「は、早まるんじゃない! 投身自殺なんて、馬鹿な真似はやめるんだ!」
「…は?」
少女は目を丸くさせる。けれどすぐに、この状況を理解したように「ああ」と呟いた。
「別に、飛び降りなんかしないよ」
ただ、この世界を見下ろしていただけ。
乾いた声でそう呟き、彼女は背を向ける。
腰まで伸びた白銀の髪が、静々と風になびく。その少女は黒襟のセーラー服を着ており、膝丈までのスカートがはためいていた。
「……」
沈む夕陽と共に消えてなくなってしまいそうな、そんな儚さを纏った少女だった。
本当に、夜の暗闇に溶けて消えてしまうような…――心の中で呟いたその言葉に、青年はハッと我に返る。
「もう暗くなる。夜が来る前に、早く地下街へ戻るんだ」
ほら早くと、少女を急かす。けれど彼女は何も応えなかった。
いけない、このままでは本当に陽が沈んでしまう…。
「おい、いい加減に――」
腕を掴もうとした、ちょうどその時だった。
くるりとこちらを向いて、少女はにこりと笑みを浮かべる。そうして唐突に、こう言ったのだ。
「今日この世界は消滅します。さあ、あなたならどう思う?」
「…は?」
思いもよらぬ彼女の言葉に、思わず間抜けな声を出す。
「だから、あなたならどう思うの?」
「どうって…」
「悲しい? それとも」
嬉しい?―そう尋ねる少女の口元は笑っていたが、その瞳は笑っていなかった。
「え、っと…そうだな……。俺はきっと、悲しむよ」
青年のその言葉に彼女は少しだけ、目を見開ける。
「ふーん」とつまらなさそうに答え、少女は夕焼けに染まる侘しい街跡を見つめた。
一体何なんだ、この子は。
なんて、そんなことを思いながら、「おい」と彼は口を挟む。
「とにかく、はやく地下に―…っ」
まるで「邪魔をしないで」と言うかのように、冷たい風が吹きつけ、彼の声を遮る。
「もし本当に、この世界が消滅できるなら」
―きっと私は心から喜んで、そして心から嘆くでしょうね。
紫紺に染まる空の下、沈む夕陽に白銀の髪を煌めかせ、その少女は寂しげに笑った。