天使様いわく、世界の危機は外から来るものなんだとか。
えーっと、6つ目の話かな。
盛り上がりとか引きとかはほとんど考えず、だいたい原稿用紙10枚分くらい書いたら、ばっさり投稿しています。
「思い出した、てゆーかー。」
バックスが言った。
「俺、剣を持ってたはずなんだけどさ、どっかになかったかな?」
なるほど、今は丈の短いローブを着ているが、最初に見たとき、バックスは確かに戦う者の格好をしていた。
当然、武器を所持していたことは、想像に難くない。
今に至る何事かが起こった際にその剣を持っていたのだとすれば、そこから記憶の糸を手繰り寄せることができるかもしれない。カルカはそう考えて、その「剣」について尋ねる。
「剣、ですか。あなたがこの場所に現れたときには、すでに何も持っておられないようでしたが」
カルカは、あの夜のことを頭に思い浮かべてみる。バックスの顔を赤く染めていた血がみるみるうちに消えていく高速治癒のイメージばかりが頭に浮かぶが、あのとき、目を閉じて立っていたバックスの、その手には何かあっただろうか。いいや、武器など持っていなかったはず。
それに、あの部屋はすべて片付けたのだ。おおよそ天使宮にはないはずの「剣」なんかがあれば、気づかないわけがない。
「その剣は、どのようなものなんですか。特別なものでしょうか?」
「あー、特別だなぁ、すっごく珍しいやつだよ。あっちでも俺しか持ってないし。」
あっち、とはどっちだ。
「長さは、俺の背と同じくらいかな。色は、真っ赤で。」
それはまた、でかいな。両手剣にしても、でかすぎないか。
真っ赤、というのも珍しい。赤く輝く金属で作られたのか、それとも後で着色したのか。
おそらくは、手練れの戦士の「こだわりの愛剣」というヤツだろう。
「ま、アレはいいか。うるさいし。」
は? 「こだわりの愛剣」じゃないのかよ。
いやまて、「うるさい」ってのはなんだ。剣の話、だろう?
もしかすると、神官の同業者間だけで通じる言い回し、みたいのが、剣士にもあるのだろうか?
「あの、うるさいと言いますと?」
「ん、ああ、気にしなくていいよ。こっちのこと。」
はぐらかされてしまった。剣士のみの符丁だとすれば、突っ込んで聞いても仕方あるまい。
武器を持っていたのであれば、戦闘中にトラブルがあったのでは。今度はそのあたりを。
「ここに落ちてくるまで、誰か、もしくは何かと戦っていたのではないですか?」
「いやー、たぶんそうだろうねー。俺、それが仕事だし。」
バックスは、たははと笑いながら、右手で後頭部を撫でた。
そりゃそうか。剣士にとっての戦いは、ただの日常だ。特別なことではない。
いやいやいや、違うな。いかな戦いの結末とて、天使宮の高い屋根を突き破るなんてそうそうない。
「あなたがここに来たときの状況から考えるに、どこか高いところから落下した、もしくはこの天使宮の屋根を突き破るくらいの高さまで吹き飛ばされた、と思われます。これは相当に特別なことがあったと思われますが、どうでしょう。」
そう、そこだ。ここがまったくわからない。飛行の魔法でも失敗したか、超局地的な竜巻にでもあったか。はたまた、いつか聞いた事件のごとく、ドラゴンバスから振り落とされたか。
「そりゃあ、あれよ。不思議でもなんでもない。俺の仕事場、空の上だから。」
バックスは、顔の横で右手の人差し指をたてて、ちょんちょんと天井を指さす。
不思議でもなんでもあるよ、なに言ってんだこの人は。 空で戦う剣士なんているか。
……いや、竜騎兵なんていう例外もあるが、あれはあれで、かなりレアな存在だから。
そういえば、昨夜も自分のことを天使だとか言ってたし、やっぱりそういう妄想でも抱いているのだろうか。だとしたら、厄介すぎる。英雄伝説の中には、たまにこういう人格の破綻した主人公が出てくることもあって、それはそれで面白いのだが、現実でのそれはホントに勘弁してほしい。
「……それは、昨夜も言っておられましたが、あなたが天使だから、ってことですか?」
「え?」
バックスは一瞬驚きの表情に変わり、すぐにニコニコと笑顔になって続けた。
「そうそう! なぁんだ、わかってくれてたのかー。それなら話が早いよー。」
妄想に囚われた人間の相手をする場合は、相手の言うことを肯定も否定もしないのが鉄則、というのを、どこかで聞いたような気がする。とりあえずは、このまま話だけでも聞いてみようか。
「天使というのは、空で戦うのが仕事なんですか?」
「俺の場合は、だいたいそうだな。ま、天使っていっても、いろいろいるけど。」
まったく考える様子もなく、さも当然という顔で答えるバックス。
カルカは神官だ。神と天使の領域については、神官学校でかなり勉強させられた。
神学上の専門用語とか、学問的な厳密な定義とかを抜きにしていえば、だいたいこんな感じだ。
神は、世界の創造にあたり、完璧な世界を望んだ。
それは、神の手なくしても、正しく永遠に続く世界のことである。
そのためには、神に成り代わり、世界を制し、御する存在が必要だった。
これこそが、すなわち、神の御業の代行者、「天使」である。
そんな、神から強大な力を与えられているはずの天使が、いったい何と戦うというのか。
言ってることがぜんぜんわからない。
「はあ。それで、バックスさんは、いったい何と戦っているんです?」
「それは、この世界の外から来る脅威と、だよ。……あ、知らないか。」
世界の、外? いよいよ意味がわからない。
「あ、あのぅ、それは、魔界からくる悪魔とか、そういうものでしょうか?」
「違う違う、魔界ってのは、この世界の一部分だ。そうじゃなくて」
バックスは、視線を上に、一秒だけ中空を見てから、カルカに視線を戻して、言葉を続けた。
「そうだなー、この世界が、常に外からの攻撃に晒されているってこと、ぜんぜん知らない?」
知らない。ぜんぜん知らない。カルカは、そんな話、見たことも聞いたこともない。
「浅学なこの身ですが、そういったことは、初めて聞きました。」
カルカの静かな返答に、バックスの表情が一瞬曇る。
ヤバい。これ、ひょっとして、人間には言っちゃいけないヤツだったかな。
うーん、うーん。……ま、いっか。
バックスは、面倒なことはあまり考えないタイプだ。だから、問題はないと判断した。
「ま、まあ、とにかく、この世界には、この世界自体の存続すら脅かすようなすごいのがちょくちょくやって来るわけよ。それをとっ捕まえて潰すのが、俺の仕事ってわけ。」
さすが、自称「天使」、話がでかい。この世界を守るために戦っているだなんて。
「その天使様が、なぜ、地上に落ちてしまったんでしょう?」
バックスの正体が実際はなんであろうと、結局は、この問題に戻るわけだ。
「そうなんだよねー。それが俺にもまったくわからなくって。天使が地に落ちるなんて、ありえないよねー。」
手詰まり感。
弱ったなぁとため息をつくカルカをよそに、バックスは食後のお茶をすすり、お、これもおいしいね、地上の飲み物も、思ってたよりずっといい、などと能天気に喜んでいる。世界滅亡レベルのヤバい敵がちょくちょく来ると言っていたわりには、まったく焦る様子もない。おかしくないか?
「もし、もしですよ、あなたがこうしてる間に、その、外からの敵が来たら、どうするんです?」
バックスは、口の上でひっくり返したカップから、残ったお茶の滴が落ちるのを確かめると、カップを机に置いた。エレガンスのかけらもない。
「んー、そうだねぇ、とんでもないことになっちゃうかもねー。」
バックスは、まるで人ごとのように言う。世界を守るという使命があるくせに、危機感はないのか。
カルカはすっかり呆れてしまったが、バックスは悪戯っぽく笑って、言葉を続ける。
「ウソウソ、誰か別の天使が、代わりにやってくれるよ、たぶんね。」
ここまで話を聞いてカルカが感じたのは、驚いたことに「嘘をついているわけではなさそうだ」ということである。しかし、彼女が本物の天使である、というのは論外だ。ならば、どういうことだろう。
そうだ、もし彼女が天使であるならば、当然あるはずの輪っか(リング)と翼がないことについては、どう考えているのだろう。
カルカはすでに、事の真相を明らかにする、というよりも、「私は天使である」というバックスの脳内ストーリーに関心が移ってしまっていた。
「えーっと、天使というのは、頭の上に輪っかがあって、光り輝く翼を持っているものだと思っていたのですが、あなたにはそれがありませんよね?」
「そう、それが一番の問題なんだよねー。端末がないと、なーんにもできやし、わわっ!」
バックスが両手を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに深く体重を預けたとき、ベキリと音をたてて背もたれが折れた。バランスを崩したバックスは、椅子と一緒にバタンと倒れてしまう。
「うわ、大丈夫ですか?」
テーブルをはさんで対面座っていたカルカは、驚いて立ち上がった。
バックスは、倒れたこと自体はなんともないようで、椅子に座った姿勢をそのまま後ろに寝かせた状態で、少しばかり眉をしかめて、言った。
「端末は、神の力を使うために必要な、天使にとっちゃ命みたいなもんでね。」
バックスは、ふうと軽くため息をつく。
「それがないと、ほれ、このとおり。無様なもんだ。」
バックスは、両手を広げて、自嘲気味に言った。だからといって、特に落胆した様子はない。
「はあ。そうなんですか。」
そう答えながら、カルカはテーブルの左側を回り、倒れたバックスを起こそうと手を伸ばした。
「お、ありがと。」
女とはいえ、かなり大柄なバックスである。カルカは下半身に力を入れ、しっかり踏ん張った。
バックスが手をつかんだとき、それでもカルカの腕には、見た目以上の負荷がズシリとかかる。
そうだ、この人、めっちゃ重いんだった!
思わず、あ、と声を出すカルカ。
本能的に腰骨の危機を感じ取ったか、突然足の力が抜け、膝からくずれ落ちる。
いや、ひょっとすると、そう感じたのはカルカだけで、バックスは、差し出されたカルカの手を意識的に引いたのかもしれない。
結果として、倒れたバックスに覆いかぶさる形になったカルカ。
あの長いまつ毛が触れてしまうんじゃないか。
実際そこまでの至近距離ではないのだが、カルカがドギマギするくらいには顔が近い。
カルカの鼓動が早くなりつつあるのを知ってか知らでか、おそらくはそんなこと一切気にしていないであろうバックスは、人懐こそうな満面の笑みを浮かべた。
「でも、俺は運がいい。最初に会えたのが、オマエだったからな。」
運がいい、という理由が、カルカにはわからなかった。
わからなかったが、本人がそう言うのならそれでいいか、と有無を言わさない笑顔であった。
バックスのころころと変わる表情は、本当の天使なら備えているだろう神聖さとか、荘厳さみたいなものは微塵も感じられないが、きっと誰からも好かれるタイプだろうな、とカルカは思う。
思わず見とれてしまったが、ふと、自分の左手が、無意識のうちにバックスの豊かなふくらみを掴んでいることに気付いたカルカは、あたふたと飛び退いた。
「いや、その、し、失礼。そんなつもりでは……」
カルカは、しどろもどろになりながら取り繕おうとするが、言葉が続かない。
一方、バックスはというと、どさくさにまぎれておっぱい触られた! このセクハラ神官! 訴訟だ! 法廷で会おう!……なんてことは、意識の片隅にすらなかった。なぜかカルカが突然赤面し、あからさまに動揺しているのはわかったが、その理由はピンと来ないのだった。
結局、カルカは後ろを向いてしまったため、一人でバックスは立ち上がった。
朝もこうだったな。この神官が、ときどきこうなるのは、いったいなんなんだ?
どうやら天使には、人間なら極めて自然な、性的なあれこれを理解するのが、難しいらしい。
苦労しそうだね、カルカ。
何か起きればいいなと思いながら書いたけど、何も起きませんでした。
次回こそは、何か起きればいいなって、思います。