若い男女が一緒に寝たら、英雄伝説、生まれません。
お色気は、ないよりあったほうがいいですよね。
夢を見ていた。
記憶もあやふやな、ずっと幼いころの自分。
物心ついたころから幽霊が見えた私は、お化けが怖いと泣いて、よく母を困らせたものだ。
そんなとき、母はいつでもやさしく抱きしめて、大丈夫、怖くないと頭を撫でてくれた。
母の胸に顔をうずめ、その温もりを感じていると、不思議と恐怖が和らいでいくのだ。
その暖かさと、柔らかい感触の心地よさが、なぜか今、とてもリアルに感じられる。
なにか奇妙だ。そう思った瞬間に、夢の世界は一気に掻き消え、現実がやってくる。
カルカが目を開くと、柔らかくも重量感のある何かに、思い切り顔を埋めていることに気付いた。
少しばかりの息苦しさに顔を離すと、薄い布に覆われた、二つの丸いふくらみが見える。
っておい!
慌ててその場から離れようとしたカルカは、もんどりうってベッドから落下した。
ガツンと床に後頭部を打ちつけて、目から星が出るという感覚を初めて知る。
「あいたたた……」
ゆっくりと起き上がると、ベッドの上には、なぜかカルカの服を着たバックスが横向きに寝ている。どうやら、二人向かい合って軽く抱き合うような感じで眠っていたらしい。
なんたる破廉恥。状況が呑み込めない。
カルカより一回りも体の大きいバックスには、カルカのシャツは丈が短かったのだろう。さらに、豊満な胸のふくらみが横方向にもシャツの丈を使うので、おへそ丸出しである。
下も、カルカの男物の下着を履いているが、その立派な臀部が窮屈そうに納まっている。
「……ん、うん……」
横向きに寝るバックスの、上側になっている左足の付け根と膝が曲がり、その長い脚がなまめかしくベッドを這う。漏れ出る声と相まって、なんとも煽情的である。
ご婦人のこんなあられもない姿を見てはいかん見てはいかんと念じるカルカだが、どうしてもチラリチラリと目が行ってしまうではないか。ああごめんなさい神様!
何度目かのチラ見で、視界の端にバックスの瞼が動くのを目ざとく発見したカルカは、ドキリとしてベッドの反対側を向く。部屋の隅に、赤い軽革鎧一式とその下に着ていたであろう服やら下着やらが、でたらめに脱ぎ捨ててある。
「朝、か。ふぅわあああああ」
バックスは上半身を起こし、両手を上に伸ばしながら、大きな欠伸をした。
ベッドの一歩離れた向こうに、後ろを向いた寝間着姿のカルカがいる。
「お、オマエもう、起きてたのか。どうだ、体はなんともないか?」
どういうことだろう。なんで、私の体の心配を? 意味がわからなかったが、寝姿を盗み見していた後ろめたさもあって、とりあえずカルカは丁寧に朝の挨拶をした。
「お、おはようございます。体のほうは別に、なんともありませんが……」
「そっか、それならよかった。ふわああああ」
バックスはもう一度、大きく伸びをした。
そうだ、バックスが隣に寝てたせいで失念していたが、昨夜は結局どうなったんだっけ。
確か、私の退魔の奇跡は、あの悪霊にしっかり当たったけど、全然効かなかったんだよな。
もうだめだ、と思ったら、バックスがあの亡霊の頭をつかんで。
いやいや、ありえないことだよ、実体のないはずの悪霊を、素手で掴まえるなんてさぁ!
なんだったんだろ、あれ。しかもそのあと、悪霊はあっさりと消えてしまったし。
そうだ、そのあとだ、あれ、なんだっけ。バックスの顔が見えたんだよな、そして――
ズキリと、カルカの側頭部を刺すような痛みが走る。
あのとき、バックスの瞳が、ほのかに赤い光を帯びていた、ような気がした。
そして、その後の記憶がない。思い出そうとしても、睨むようなバックスの両目だけが脳裏に浮かび、それはひどい頭痛を伴った。
「あ、そうそう、悪いけど、勝手に服を借りたぞ。あと、風呂も」
バックスは、ベッドの上であぐらをかき、欠伸で出た涙を指で拭いながら言う。
「あ、はい、それはけっこうですので、どうかちゃんとした服を着てくださいませんか。私、朝食を準備いたしますので!」
顔面に残る柔らかな感触、露わにされていた胸元、むっちりとしたお尻から太ももへのライン、そういうものが一気にカルカの脳内を巡る。ベッド上でしなをつくり、唇に人差し指を当て、潤んだ瞳で見つめるバックスの姿まで妄想してしまう。そんな姿は見ていない。
いかんいかん、ヨコシマな気持ちに支配されては、いかん!
カルカは、必要以上に体をガチガチにしながら、ぎこちなく部屋を出ていくと、ドアを閉じた。
……なんだ、アイツ。目を合わせようともしない。昨夜のが、そうとう効いたのか?
……それに、服なら着ているぞ?
バックスの頭の上には、疑問符が浮かぶばかりであった。
*
バックスがよく食べることを見越して、自分の分と合わせて五人分の量で朝食をこさえたカルカであったが、それらはすべて、難なく二人の胃袋に入ってしまった。もちろん、その八割はバックスの胃の中、である。
「いやぁ、やっぱうまいわ、オマエの料理。この腕前なら、ケチくさい神官なんてやらなくても、料理屋で食っていけるんじゃないのか?」
悪気はないのだろうが、人の仕事を「ケチくさい」とは、ひどいことを言う。
それに、料理屋で生計を立てるというのは、そんなに簡単なことじゃない。
カルカの実家は料理屋で、身内の欲目もあるかもしれないが、味はいいほうだと思っている。お客もそこそこに入っていたし、家族が食うに困らないくらいの収入はあった。しかし、朝から晩までわりと長い時間働くわりには実入りがいいとはいえず、その仕事が好きでもなければ一生続けるのは難しい、というのがカルカの認識であった。
それでも楽しそうに働く両親の影響で、カルカは料理すること自体は大好きだったし、店を継ぐのだろうとおぼろげに考えていた時期もあった。料理の才能以外に、この世ならざる者への感受性、という生まれ持った才能がなければ、マルージュ家の長男として生を受けたカルカは、順当にそうなっていたはずだ。
しかし、誰もが持てるわけではない素質を活かすために、カルカは学校に入り、神官となった。
神王直属の組織である天使宮の神官ともなれば、体力的にも末永く続けられる仕事だし、不祥事でも起こさない限りは安泰である。商売が決して楽ではないことを知っている両親も、諸手を挙げて喜んだものだ。
――と、まあ、そうはいっても、褒めらるのは、やっぱり悪い気はしない。うれしい。
まったく着替えもせずに、起きたときと同じ、寸足らずの男物のシャツとパンツで胸も尻もパッツパツのバックスが食堂に現れたときは、ちゃんと服を着てくださいと言ったでしょう、と露出された部分をできるだけ見ないようにしながら寝室に押し返したものの、洗濯もしてない一度脱いだ自分の服をまた着るのはいやだと駄々をこねるので、華奢なカルカの服でもサイズ的になんとかなりそうな休日用の紺色のローブを着てもらったら、膝下がまるごとはみ出すのがカッコ悪いと文句を言い出して、コイツ本当に面倒くさいと思ったりもしたのだが。
どうして、こんなに無垢な子供みたいに、飯を食うかなぁ。
……おっとと。そうじゃない、今から、いろいろと聞かねばならぬことがあるのだ。
さて、なにから尋ねたものか。
彼女が落っこちてきた夜の、すさまじい早さの自己治癒術。
そして昨夜の、強力な悪霊を相手どっての対処法。
いずれも、カルカの常識の範疇では考えられないものである。
あれは、この国にも数人だけいるという、「英雄クラス」がやるようなヤツだ。
何事かを成すために神が与えたもうたか、それともただの、神の気まぐれか。
生まれついての体質だったり、弛まざる鍛錬の賜物であったりと、過程はいろいろだが、とにかく、おおよそ人間離れした能力を獲得する者が――ごく稀にではあるが――この世界には現れる。
それはただ単に、神は悪い心を持つものには力を与えてくれないってだけのことかもしれないが、そういう並外れた力を手にする者たちはおおむね善良なので、結果として、世界に多大な危害を及ぼすような敵と戦う羽目になる。だいたいそうなる。
かくして、そういう規格外の人間は、概して「英雄クラス」と呼ばれることになった。
幸い、と言っていいのか悪いのか、この世界は、自ら魔王を称するような強大な悪魔が、ちょくちょくちょっかいを出すような立地となっている。つまり、今のところは何を成したという手柄がなくとも、遅かれ早かれ、「英雄クラス」は「英雄」になってしまうのである。
そんな「英雄クラス」であるから、当然のごとく、広く知られる存在となる。目立つことを嫌い、素性を隠して日々を送るものもいるらしいが、溢れ出る「ただものじゃないオーラ」で身バレしてしまうことも多いんだとか。
そう、「英雄クラス」ともなれば、当然に有名人なのである。誰でも知ってる、ものなのだ。
カルカは、目の前にいる、腰まで伸びる赤い髪と、大きな赤い瞳という実にわかりやすい特徴を持った英雄クラスの存在を知らない。伝説として残る、一昔前の英雄譚に似たようなのはいたかもしれないが。
と、いうことは、だ。ひょっとして、ごく、ごく最近、その力を身に付けたのかもしれない。何かをきっかけに、身体の奥底に眠っていた力が目覚める。英雄譚では、しばしば聞くヤツだ。
もしそうだとすれば、カルカは今、とある英雄の伝説が始まるシーンに立ち会っていることになる。
なんにせよ、まずは魔力枯渇による記憶の一時的な喪失、から回復しているかを確かめたほうがいいだろう。
「ところで、ここに至るまでのこと、何か思い出せましたか?」
「いや、なーんにも。」
うん。この英雄伝説、始まるまでもうしばらくかかりそう。
気が向いたら続き書きます。向かなかったらエタります。
このサイト特有の、「エタる」って言葉を使ってみたかっただけです。