おなかがへるとイライラするし、悪魔がいたら殴りもするさ。
天使VS魔王の顛末、果たしてどうなりますことやら。
まあ前回の話でネタバレしとりますけど。
今後はもっと、構成を考えてから書きますね。たぶんね。いや、無理かな。
魔法も聞かず、渾身の一撃も片手で軽々と受け止める女戦士。
正攻法では無理だろう。しかし、どんな卑怯な手だって使う、使えるのが悪魔ってものなのだ。
背後には、魂の入ったままの死体がある。きっとワケありなのだ、おそらくは、この女戦士にとっても大事なものに違いない。人間の弱点の一つ、それが「情」だ。そこを突く。
ゼクトは、特大戦斧から手を離し、背後のカルカの頭に手を伸ばす。
魔王の鋼のごとき鍛え上げられた肉体に、さらに魔力による筋力のサポートまで使用して、ようやく使いこなせる、そういう重さの特大戦斧である。そんなものが、ゼクトが持ち手を離してもなお、バックスの左手の指三本のみに支えられ、宙に浮いているのだ。
あきれた馬鹿力だな。
魔界で三万の悪魔を従え、魔力だけでなく自身の肉体にも相当の自身を持っていたゼクトをして、そんな風に唸らせる。しかし、圧倒的な力の差は、同時に油断を呼ぶものなのだ。
水面に沈んでいくように、ゼクトの指がカルカの頭にめり込んでいく。
その指が何かを掴み、ずるりとカルカの身体から引きずり出した。
神官衣で寝かされているカルカから、まったく同じ格好の、青白く半透明な分身が現れる。
カルカの魂である。ゼクトはその巨大な手で、カルカの魂の、頭の部分を鷲掴みにして高々と掲げた。
「おい、女。貴様、ちいとばかし強いからと、いい気になっておったのではないか?」
ゼクトはにやりと嗤う。
バックスは、特大戦斧をなんでもなく脇に放り投げ、ゼクトを睨んだ。
ふん、どうやらこの男の魂、そうとう大事なものと見える。さて、取引といこうか。
「そうか。そんなことをやっちゃったか。ならば、最初に、警告してやろう。」
先に口を開いたのは、バックスの方であった。しかも、びっくりするくらい上から目線である。
「大人しく、その魂を肉体に返せ。今ならまだ許してやるから。」
なにをたわけたことを。今や、この男の魂は、まさに我が手中にあるのだぞ。
我が指に少しばかり力を込めれば、この魂を再生不能にできること、ちゃんと理解しているのか?
「威勢のいいことだな、女よ。だが、貴様は今、この状況を飲み込めていないようだ。この男の魂を生かすも殺すも、今や我が手の内なのだぞ。救いたくば、それ相応の誠意を見せてもらわねばなぁ。」
ゼクトは、まったくもって、実にいやらしい笑みを浮かべた。悪魔というのは、悪いことをするとき、もっとも心が躍るものなのだ。
「おい、悪魔。聞こえなかったか? 今すぐ、その魂を肉体に返せと言ってるんだけど。」
右手を腰に当てて、目を閉じて首を左右にコキコキと動かすバックス。ゼクトの言葉にまったく動じていない。
ええー? コイツ、何言ってんの? お前こそ、話聞いてた? 人質とってるんだぞ、こっちは?
「ふ、ふん。何を考えておるかは知らんが、この魔王ゼクトをあまく見ないほうがいい。この男の命、どうなってもよいと申すか。」
「はぁ……おい、悪魔、もう一度だけ言うからな。今すぐ、その魂を肉体に、も、ど、せ。」
最後の「もどせ」が、恐ろしくドスが利いていた。長年、切った張ったの魔界で生きてきたゼクトだが、こんな凄みを感じたことはなかった。
なにこれ。ヤバい。コイツ、マジもんじゃねーか。少しくらい怯めよ、貴様には人の情はないのか!
情を捨て、魔界のトップにまで上り詰めた魔王に、情があるのかと疑問を呈されるバックス。
そらあ、まあね、人じゃないからね、仕方ないね。
ここで、魔王ゼクトは考える。この先の展開を。
逃げようにも、悠長に転移門を開く時間なんて、与えちゃくれないだろう。
いや、下手すると反魔法体質で打ち消してくる可能性だってあるのだ。
ならば、選択肢は二つ。
一つ。見せしめに、男の魂を握りつぶし、良心の呵責に苛ませる。
予想される結果。逆上した女戦士は、あの馬鹿力で我を死ぬまでボコる。我、死ぬ。
もう一つ。言われたとおり、男の魂を肉体に返す。
予想される結果。安堵した女戦士は、約束どおり許してくれる。我、生還す。
……って本当に、許してもらえる? 悪魔である我を? 人質までとっちゃったのに?
いやまて、そもそも、魔王が人間の言うことに屈するなど、あってはならぬことではないか。
魔王としてのプライドを捨てて、この先、一生この屈辱を抱いて生きていく気か。
そんな、そんな……そんな立派な感情は悪魔には不要!命あっての物種だ!
「なるほど、なかなか面白い人間だ。よかろう、その胆力に免じて、今回は見逃してやる。」
それでも、最低限のプライドは守りたかったらしい。ゼクトは内心を悟られぬよう、芝居ががった口調で言い放つ。
「うるさいな。わかったんなら、いいからさっさと戻せ。この、バカ。」
ついにバカとまで言われてしまう魔王。
たかが人間一人、助力など不要と、単身で出てきてよかった。
これほどコケにされてるところを下僕どもに見られたら、魔王の威厳も地に落ちるところだった。
ゼクトが、半透明のカルカの頭を掴んでいる右手を開くと、カルカの魂は音もなく、その肉体へと重なって、消えた。
「さあ、これで満足であろう、女よ。今日のところは、この辺で勘弁してやる。」
ゼクトはいそいそと、右手の人差し指で、空中に円を描き始める。転移門の魔法手順である。
その右手が円を描き終える前に、その手首をバックスが握る。
「まあ、待て。話がある。」
あ? あれ? 許してくれるんじゃないの? やっぱアレ? 悪魔相手なら何をしても許される的な?
「オマエ、あんなことして、お詫びの一つもなしか?」
はあ? 悪魔に謝罪を求めるとか、コイツ、どうかしてるんじゃないのか。
我は魔王ぞ、人間ごときに頭を下げるなど、あるわけなかろう!
ゼクトは、バックスの言葉を無視して、バックスの手を振りほどく。
バックスはムッとして、自分の頭よりも高い位置にある、下向きに曲がったゼクトの右の山羊角を左手で掴むと、ゼクトの頭が自分の肩口より低くなるまで引き下げた。ゼクトは精一杯抵抗したのだが、はたから見る限りは、素直に従ったようにしか見えない。
しかるのちに、バックスは右の拳を握って振り上げると、ゼクトの脳天に打ち下ろした。
ゼクトが、脳天に激しい衝撃を受けたかと思うや、その勢いで顔面が石張りの床に叩きつけられた。
何が起こったかを理解するのに、わずかに時間を要した。殴られたとき、一瞬意識が飛んだのだった。
気がつくと床に這いつくばっていて、打たれた頭だけでなく、顔面までもがひどく痛い。
「こら、無視するなって。話をしたいと言ってるだろうが。」
たぶん、頭蓋骨陥没してる。魔王だからこの程度じゃ死なんけど、素手の一撃で、これだけのダメージって。やっぱりコイツ、マトモじゃない。ヤバい、このままじゃマジ殺される。
何が魔王だ、命をとられたら何もかも終わりじゃないか、さあ、覚悟を決めろ、我!
「は、ははあ、申し訳ございません! 不肖このゼクト、いささか勘違いをしておりました!」
まだいくらか朦朧としている意識の中で、なんとか手足を踏ん張り、美しき最上級の謝罪姿勢、土下座をするゼクト。反省する気持ちなどこれっぽっちもないが、ただひたすら目の前の女が怖かった。
「お、そうか。わかればいいんだ、わかればな。」
バックスはふんと鼻から息を吐くと、床に額を押し付けている魔王の横をするりと抜けて、カルカの安置されているベッドの脇に腰かけた。
*
「ふーん、なるほどねぇ。」
なんで魔王クラスの悪魔が自ら出てきたのか。バックスはそのことを尋ねておきながら、話の途中で飽きていた。正直、そこまで興味がなかった。
……と、いうよりは、もっと違うことがバックスの頭を支配していた。
しっかし、腹、減ったなぁ。
神の力を受けることなく天使の身体を維持するのには、どうもかなりの栄養が必要らしい。
もうすっかり夜もふけた。普段なら、カルカが作ってくれた料理を食べ終えている頃だ。
残念ながら、バックスお気に入りのコックは、現在、息をしていないのだ。料理どころではない。
*
魔王に出くわすちょっと前。
バックスは、グーキュルキュルと空腹を主張する胃袋の訴えにより、自分でなんとかできないものかと厨房に入ってはみたが、食材がどこにあるのかすらわからなかった。
水は出せるので喉の渇きは癒せたが、空腹感まで紛らせるものではない。
貯蔵箱の中にいくつかの野菜があるのを発見したんで、その中で、黄土色のゴツゴツとした、握った拳ほどの何かをそのままかじってみたが、料理せずに食べるものではないと悟った。
穀類、粉、麺もあるが、どれも、そのままでは食べられなさそうだ。
魔法も奇跡も使わずに――実際は、調理用の魔法具は使用しているのだが――、食材を料理に変えてしまうのだから、カルカはホントにたいしたものだと、バックスは改めて感嘆する。
あちこち探してみたが、そのままで食べられそうなものは、ついぞ見つからず、
「ああー、腹減ったなー。ジオっちー、早く戻ってきてくれよー。」
などとつぶやきながら寝室のドアを開けたら、魔王がいたというワケだ。
*
「ま、いいや。ついイラッとして一発殴っちゃったから、今夜のことはなかったことにしてやるよ。それよか、俺、腹減っててさー。オマエさ、人間の飯とか作れないの?」
魔界生まれ魔界育ちの我に、そんなもん作れるわけないだろ。
正直そう言いたいゼクトだが、彼は極めて賢明な魔王である。当然、言葉を選んで、やんわりと。
「やだなぁ姐さん、オイラ、生粋の悪魔ですぜ。人間の食べるものなんて、さっぱりでさぁ。」
「だよなぁ。オマエ、悪魔だもんなぁ。」
バックスは、はーぁと長い溜息をついた。
そして、直後に、察知した。
来る!よかった、やっと戻ってきたか!
魔王ゼクトには、それが突然、目の前に現れたようにしか見えなかった。
黒い服を着た女の背中、だろうか。そこには、光り輝く翼が携えられていた。
「おい、ゴラァ! このデカ女! ワレェ、よくもこのワシをたばかりおったのぅ!」
なんだ、コイツは? 急にどこから出てきやがった? 怒っている、のか?
………しかし、なんだよ、そのやけにかわいらしい声。魔界なら絶対なめられるヤツだぞ、それ。
信じがたい出来事の連続に、すっかり疲弊していた魔王ゼクト。
この状況でとるべき行動の最適解など考えるべくもなく、ただ漫然と、輝く翼に見とれていた。
まあ、死ななけりゃ続きを書きますよ。たぶんね。
断定はできません。それが科学的な態度というものなのです。