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TS100ものがたり 03:インフルエンザ

作者: 私

「佐藤さん、今日人数が足りないんでフロアに入ってもらえるかな?」

「あ…はい」

所長への二つ返事で僕の異常な体験は始まった。僕はある観光施設に勤務している地方公務員。公立の施設で運営は外部委託しているのだが、経理や事務に関する部分は税金が投入されているため僕が本庁から派遣という形で勤務していた。4月から始まりもうすぐ一年を迎えようとしている。出世などを全く考えていない自分に取って、ここにいることはコースとしてどうなのかは知らないが、少なくともあまりやることのない楽な仕事であるのは間違いがなかった。

冬場になりインフルエンザが流行して、アルバイトのフロアスタッフの一人が感染した。なんとかシフトを調整して人員を確保していたのだが、一人、また一人と増え、今回はさすがに回らなくなったようだ。人材難の今、すぐに確保は難しいし、それなりに教育もいる。僕もフロアの仕事はよく分からなかったが、この施設については一年近く勤務しているのである程度は分かる。

「佐藤さん、ありがとう、たすかるわ」フロアスタッフのリーダーである女性、伊藤に連れられて開館前の施設に降りる。彼女は30手前で長身の中々の美人だ。年齢的にも勤続年数的にも能力的にもスタッフの統括にはもってこいの人材だった。「今日は団体のお客さんも多いのに、どうしても人数が確保できなかったの。忙しいのにごめんなさいね」

僕たちは長い階段を下りていく。一般に公開されていない地階の奥にはスタッフ用の更衣室がある。彼女はその女子更衣室の中に入っていった。

何かを持ってくるのだろうか、僕は出入り口の少し手前で待っていた。すると中から声がした。

「佐藤さん、悪いんだけどちょっと手伝ってもらえる?」

女子更衣室に入ることに抵抗はあったが、ある種の好奇心も当然あった。若干の躊躇を示しつつ靴を脱いで中に入った。

一応施設のことは熟知している自分にも初めて入る空間である女子更衣室。香水なのか、男子更衣室とは違う甘い匂いが充満している。それ以外は全身鏡が置かれ無機質なロッカーが並んでいる様子は男子更衣室と何も変わらなかった。ただ奥にロッカーを一部どかし化粧台が置かれているのは女子更衣室ならではかもしれない。

伊藤は一番奥の名札が掛けられておらず誰も使っていない様子のロッカーを開けていた。

「このくらいのサイズでいいかしら」彼女がロッカーから取り出したのはクリーニングにだしたあとのような袋に入ったままの青色の洋服だった。普通の服ではめったにない、鮮やかな青いその服は間違いなくワンピース型のこの観光施設の制服だった。彼女はその服を僕の方に向けながらそう言った。

「じゃあ、これね」

そう言って僕にその服を手渡す。目の前に突き出されたものだから無意識に受け取ってしまう。ロッカーを閉めると伊藤は僕の方を向いた。そしてしばらく無言で見つめる。

「どうしたの?」しばしの沈黙のあと彼女がいった。

「え?」僕はその意図が掴めず聞き返す。「これ、どうするんですか?」

「あなたが着るのよ。今日手伝ってくれるんでしょ?」あたかも当然のように言う。

僕は手で持っていたその制服を目の前に掲げてみる。フロアスタッフは全員女性で皆がこの色と同じ制服を着ていたから、当然女物かと思っていたが、知らないだけで男性用の制服もあるのかもしれない。そう思って見てみたのだが、どう考えてもワンピースにジャケットの、そう、目の前の伊藤さんが来ているのと寸分変わらない制服だった。

「でもこれ、女物ですよね?」一応確認するために聞いてみた。

「そうよ」当然のように彼女は言う。

微妙な空気が流れる。伊藤は僕に女装しろと言っているのだろうか?自分はムキムキの男性的な体型ではなかったが、少なくとも小柄で女性的ではない。こんなワンピースを着て筋肉質で脛毛に満ちた足をさらけ出していたら、それこそただの変態だろう。そういう類の施設ならまだしも、一応ここはまっとうな公立の観光施設だ。下手をしたら苦情は議会に行き大事になる。

「背広のままじゃダメですか?こんな服着られませんよ」彼女は冗談で言っているのかなと思い笑いながら言う。しかし彼女の表情は硬いままだ。

「なんで着られないの?」

「いや、女物だし…」

「ふーん、あなたは男だからそれを着られないってことね」

この女は一体何を言っているのだろう…と不安になる。少なくとも一年近く、一緒に働いてきて、キビキビと仕事をこなし、求められている以上の成果をきちんと上げる優秀な女性であると思っていた。パートではあるが、職場にはいなくてはならない存在だ。勿論、一般常識や理解力はあるものと思っていた。しかし今二人の間に交わされている会話は何なのだろう…。

「僕がこれを着ていたら可笑しいでしょう」あくまで冗談かと思い笑って言う。ただその笑顔も段々引きつってしまう。

「じゃあ、あなたが女ならその服を着られるってことよね」

「まぁ、そうですね」

その答えを待っていましたとばかりに、彼女は「伊藤」と自分の名前の書かれたロッカーからスポーツドリンクのような、茶色い小さなビンを取り出し、それを僕に差し出した。僕は片手でその制服を持ち、その瓶を受け取った。

「なんですか、これ」一応ラベルはあるが少なくとも英語ではない外国語で書いてあり全く読めない。

「女になる薬よ」

「はい?」

「だから、あなたがその制服を着られないのは女じゃないからでしょ。それなら女になれば着られるじゃない」

僕は唖然とする。きっとなにかがあって頭がおかしくなっているに違いない。一先ずここを抜け出し、誰かを呼ぼう…と思って振り返った瞬間…。

「おはようございます。ってあれ、うぁ、佐藤さん何しているんですか?」

更衣室の扉が開き、アルバイトの女性スタッフの鈴木が入ってきた。女子更衣室に入ったら男がいたら当然驚くだろう。明らかに身構えていたが伊藤もいることに気が付いた。

「二人とも何しているんです!?」興奮気味の声で言った。

「今日、吉田さんも三木さんもお休みで人手が足りないから佐藤さんが特別に手伝ってくれることになったのよ。でも自分は男だから制服を着られないって言うの。だから、まずは女になってもらおうと思って」

伊藤は事情をありのままに説明した。ここで『佐藤さんに襲われそうになっているんです』とでも言い出したらどうしようかと若干心配したが、さすがにそれはなかった。逆におかげで味方が出来たと思った。

「それがいいですね。わたしも佐藤さんの女装姿はちょっと見たくないし」鈴木は明るく笑っていった。予想外の伊藤への同調に僕は目を丸くした。

「どうしたんですか?早く飲んで下さい。開館まであと1時間しかないですよ」

「そうよ、早くしてくれないとわたしも準備できないでしょ」

二人で急かす。元来気の弱い自分はこう攻め立てられるとそうせざるを得なくなる。訳の分からない液体を飲むのは恐ろしくもあったが、甲高い彼女たちの声に押されて、蓋を開けて飲んでしまった。

見た目通り、味もスポーツドリンクだった。若干甘く、薬品的な味覚が残る。飲んだ後まさかこれが何かの劇薬だったらどうしようと不安になる。しかしそんな劇物を彼女が持っていることは考えられなかったし、鈴木という目撃者もいる。

「おいしかった?」空になった瓶を伊藤は受け取った。「これで制服を着られるわね」

この女、一体何を考えているのだろう…。唖然とした後、鈴木の方を振り向くと、ロッカーを開けて脱いだコートをかけていた。彼女の着替えの邪魔になったら悪いので、とにかくここから出ようと思い足をドアに向けて一歩踏み出した時、虫歯を知らずに物をかんだときのような、鋭い痛みが股間を貫いた。自律反射でのけぞってしまう。

「そこ、凄く痛いよね。でも最初だけだから」遠くで伊藤の声がする。それに合わせて鈴木も何か言っている。ただその会話を聞く余裕はなかった。するどい痛みを放った睾丸がどんどんと胎内に移動しているのが分かった。それだけではない。人目を気にする余裕もなく、手を股間にやると、男性器が縮んでいくのが分かる。急いで社会の窓を開けて手をやろうとするが、指が震えて上手くあかない。その指も、見る見るうちに細く長くなっていく。そうやって戸惑っている間に男性器の感覚は殆どなくなり、代わりに股間をむず痒さが襲う。股間の間が割れていくような感覚。逃げるように内またになり前かがみになるがなすすべはない。さらに胸部の痒みが追い打ちをかける。すっかり細く長くなった手を一つは股間、もう一つは胸にやる。物凄い痒みが両胸の、それも乳首を中心に広がっている。ワイシャツを脱いで確かめたかったが、ネクタイやボタンを外す余裕もない。掌の中で、乳首が敏感になり、その下の脂肪がどんどんと膨らんでいくのが分かる。

『女になる薬』伊藤の言葉が頭に響く。二人の女性は遠目で僕の様子を見ながらぺちゃくちゃ話している。まさか、本当に…、そう思った時、股間の痒みは収まったが、今度は下腹部がかきまぜられるように痛くなった。それはもう服の上からも見えるようになった胸の膨らみを忘れさせるほど気味の悪いものだった。何もないのに、何かが体の中に挿入され押し広げられていく感覚がある。もし物理的なものなら抜き捨てられるのに、それは当然できない。「子宮」という単語が伊藤の声から聞こえた。まさか、子宮がつくられているのか…。腹部の気味の悪い痛みが治まり違和感だけが残ったころ、はらりと髪の毛が眼の前にかかった。各部の痛みのせいで全く気にならなかったが、確かにさっきから頭皮が痒かった。帽子をかぶった時のように頭が重い。急いで更衣室の前の全身鏡の前に走った。ズボンはずり落ちそうだったが、なんとか膨らんだ臀部に引っかかってとどまっていた。

鏡を見た瞬間、僕は目を疑った。鏡には、明らかにサイズの合わない背広姿の、奇妙な人物が写っていた。確かに自分の顔であることは間違いがない。ただ、全体的に角が取れ、肩までかかる髪が明らかに女性らしさを強調していた。鼻は小ぶりになり顎は優しくなだらかになっていた。また幾分か残っていた無精ひげは家の隅の埃のように吹き飛んだ。

明らかに細くなった体に、背広やワイシャツはやっとひっかかっているという感じだった。しかしそれでも胸だけは、意識して見ると明確な膨らみを示している。震える手で触ってみると、柔らかい触感が体を包む。そして股間。ペニスの喪失感はさることながら、股間の間の割れ目の感覚と、そこから体内に伸びる違和感が何とも言えず気味悪かった。

「なかなか美人になったわね」鏡の横に伊藤が現れた。「これで制服も問題なく着られるわね」

「どうして!!」そういいかけたとき、自分の声の高さに驚いた。ふっと喉に手をやると喉仏のでっぱりが感じられない。何度も咳払いしたが、むしろそれにより澄んだ綺麗な声になった。

「もしかして、女になるのは始めて?」僕の戸惑いを見て鈴木が言う。「股間に変なものがついていなくて落ち着くでしょ」

「それは失礼よ」二人で笑う。彼女たちの会話を聞いていると、性転換する薬が当然のような感じがする。しかし僕はそんな薬を見たことも聞いたこともない。そんなものが開発されれば、新聞やニュースで大々的に報道されるに決まっている。いくらニュースに疎い自分でも知らないはずがない。

「これって元に戻れるんですか?」僕は震える声で聞く。

「戻れない」

「え?」

「うそよ。戻れるわよ」真顔で反応した僕を見て伊藤が笑う。「あたしたちだって何度か男の人になっているけどきちんと戻っているもの」

「何度も?」僕は二人の顔を交互に見る。そのたびに髪が目にかかりとても嫌だった。

「通販で化粧品を買っているところから、試用品として送られてきたんだって。最初はわたしも半信半疑だったけど、使ってみるとその通りなわけよ」鈴木が言う。

「さぁ、無駄話をしている時間はないわ。女性物の下着は・・・、持っているわけないわよね。悪いけど、わたしの替えがあるからそれでいい?新品だから」

「ちょっと待った、待った!!」僕はハンドバックから下着の入った袋を取り出そうとする伊藤を止める。

「戻れるんなら今すぐ戻してほしいんだけど」

「何言ってるのよ。男のままじゃ制服着れないって言ったのはあなたでしょ」若干怒り気味で言う。

「いや、だからこの服のままで手伝おうと…」

「そんな格好していたら可笑しいでしょ」

自分の高い声に戸惑いながらなんとか説得しようとしていると背後から両胸を思いっきり掴まれた。生まれたばかりのそれを凄い勢いで掴まれたその衝撃はこの世のものとは思えなかった。

「もう、男らしくないぞ。無理やりでも脱がしちゃお!」慌てて逃げようとするが、今度は逆から伊藤に押さえつけられる。思いのほか、二人とも力が強いのに驚かされたが、よく考えると自分の筋力が落ちているのだろう。

ネクタイ、背広と脱がされ、何とか腰に引っかかっていたズボンは抵抗により自然とずりおちてしまった。ワイシャツのボタンも外されだすと、反抗する気力も薄れ自分から脱ぎだした。ワイシャツを脱ぎ、シャツだけになると、シャツの白い生地の下に膨らんだ胸と大きく膨らんだ乳頭が透けて見えどきりとした。また、腕や足が露わになり、すっかり筋肉が落ち、見るからに弱々しい滑らかな女性の肢体になっていることにどきりとした。しかしそれ以上にショックだったのはこのような艶めかしい女体を目にしながら、反応する部分がない…というか、股間の奥と胸のあたりがぞくぞくっとしてかえって気味が悪くなった。

そんな感覚に浸って注意が散漫になっていると、後ろから鈴木が僕のトランクスを一気に下ろした。初めからブカブカだったのでいとも簡単に脱げてしまう。抜け落ちた陰毛が宙を舞い、目の前に晒された何もない股間にショックを隠せなかった。勿論感覚的になくなったことは分かっていたが、視覚的に見慣れたものがきれいさっぱり無くなっていることを確認するショックは体験した者でなければ分かるまい。

「はやくシャツも脱いで」茫然とした僕を伊藤が急かす。あまりのショックで考えが及ばず立ち尽くしていると鈴木が無理やり脱がしてしまった。シャツもぶかぶかだったので簡単に脱げたが、胸の部分を押し上げて嫌な感じがした。そして全裸になり胸も眼前に顕になった。

さっきまでのない衝撃がある衝撃に変わる。グラビアアイドルのような大きな胸ではない。しかし間違いなく女性の胸で、それも特に乳首の生々しさは衝撃的だった。

「その服はどこかに隠しておいて」

「了解!」

鈴木が僕の背広や下着一式をいれた紙袋を持って走り出した。まずいと思ったときにはもう遅く、彼女は更衣室にはいなかった。当然全裸で追いかけるわけにはいかない。

「ほら、見ての通りきちんと女になっているでしょ」伊藤が僕に鏡を見るように促す。

さっきまではちぐはぐな衣装を着て、どこか滑稽だった女性が、今は一糸纏わぬ姿で、茫然とこっちを見ていた。紛れもない女性の姿がそこにはあった。筋肉質で固い骨格はすべて取り除かれ、肩幅も細くなり、腰には括れさえあった。そのあまりの劇的な変化に怖くなった。恐怖のあまり、なぜか涙腺が熱くなり涙が出てきた。

「どうしたの?大丈夫よ」伊藤は気が付き励ます。しかしなにが大丈夫なものか。男性らしさがすべてぬぐい取られ、女性に変えられてしまったのだ。

「お願いです、すぐに戻してください」僕は鼻をすすりながら涙声で言った。

「大丈夫よ、なにも可笑しいところはないわ」彼女は肩を寄せて励ましてくれた。しかし正直、おかしいところしかない。胸の重み。股間の喪失感と違和感。そして体中のバランスのおかしさ。その異常さで体が張り裂けそうだった。

紙袋をどこかに隠してきた鈴木が戻ってきた。

「あれ、どうしたの?」鈴木も泣いている僕に駆けよる。「なんにも心配することないよ。誰も変だなんて思わないから」

「変ですよ!!こんな体じゃ!!!男に戻せ!!!」僕はヒステリー気味に叫んだ。荒ぶる感情を抑えきれなかった。

さっきまで同情的だった二人の表情が急に冷ややかになった。

「ふーん、女の体は異常だって言うんだ。知ってる?人間って元々は女性の体が原型なんだってよ」鈴木が冷ややかに言う。

「佐藤さん、分かっているわよね。あなたが男に戻れるかはわたしにかかっているってこと」

僕はどきりとして伊藤の顔を見る。

「あなたはこの薬の入手方法しらないでしょ。わたしは別にあなたをこのまま女性として放置したっていいのよ」

その冷たい表情は、僕の涙を止めた。

「さぁ、もう30分しかないわ。急いで準備しないと」

伊藤は力のない僕の手に、小さくたたまれた薄いピンク色の布を渡した。広げるとショーツとブラジャーだった。

「なにぼけっとしているの。早く着て」伊藤はヒステリー気味に叫んだ。

「こんなの着れない!!」一方僕も駄々をこねる子供のように、渡された下着を投げ捨てた。

「わかった。もういいわ。勝手にしなさい」彼女は自分のハンドバックをロッカーに入れ鍵を閉めると止める僕の腕を振り払い怒りに身を任せて更衣室を出て行ってしまった。

元に戻る薬はこのロッカーの中にあるに違いないと、伊藤というプレートのかかったロッカーを開けようとするが、固く鍵が閉まっていてびくともしない。

「あーぁ、怒らしちゃった」いつの間にか下着姿になっていた鈴木が意地悪く言う。まさか下着姿の彼女を目にするなど思いもよらなかった。男の心が反応して興奮しようとするが、体の違和感がその気持ちを空気の抜けた風船のように萎めてしまう。

「伊藤さん、怒ったら怖いんだから。絶対いまのままじゃ元に戻してくれないよ」鈴木は制服のワンピースを着ながら言う。

「・・・・」僕は観念したわけではないが、少なくともこのまま全裸でいるわけにはいかない。自分で投げ飛ばしたショーツを拾い上げる。大きくため息をついた後、それで自分の股間を包んだ。トランクスと違い、ぴっちりと股間に貼り付くそれは、常に股間の違和感を増幅する役目を果たした。ただ次の下着に比べれば遥かにハードルは低かった。ブラジャー。女性特有のその下着は、あまりにも異質なものだった。拾い上げたが、なすすべもなく立ち竦んだ。

「ねぇ、つけ方教えてあげるから、背中のチャック、あげるの手伝ってくれない?」鈴木は自分の背中を指さしながら言った。この制服、こうなっているんだ…と初めて知った。鈴木はキャミソールを着ていたので背中から地肌は見えなかったが十分に艶めかしい。小さなファスナーを引き上げて一番上のフックを留めた。

「ありがとう」そういいながら床に落ちているブラジャーを拾った。「まずは腕を通して」

言われたとおりに腕を通す。彼女は背中側に立ち、胸をカップの中に入れると背中のフックを留めた。若干垂れていた胸が押し上げられ存在感を増す。また押さえつけられているのでストレスは感じる。しかしぶらぶらと動かなくなったのは救いだった。最後にストラップの長さを調整してくれた。

「うーん、ちょっと小さいかな。これ、伊藤さんのよね」

僕は胸にできた谷間をぞっとしてみた。これが自分のものでなければどれだけよかったか…。体を女にされたうえ、女性物の下着で飾られていく屈辱感は筆舌に尽くしがたかった。

「ストッキングはわたし予備あるから使って」

そう言って肌色をして結ばれた滑らかな物体を渡された。立ったままでは穿けないので奥の化粧台の前にある椅子に座った。すっかり細くなった足にビックリする。ほとんどの脛毛は抜け落ちており、残ったものも軽く払うと抜け落ちてしまった。

「剃る必要はなさそうね」その様子を見ながら鈴木がいった。

未知の衣服なので上にあげるまで酷く苦労した。ツルツルして気持ち悪く、思ったより暖かかったが、なんとも落ち着かなかった。そして鈴木と同じ制服に腕を通し今度は自分の背中のチャックを閉めてもらった。この制服は想像以上に体に吸い付く感じがして胸が強調され腰はきつく絞られていた。その一方でスカートは大きく広がり外気に晒され何とも落ち着かない感じがした。

「はいこれ」

鈴木が毛抜きをポシェットから取り出し手渡した。

「なんですか?これ?」

「ちょっと眉を整えたほうがいいわよ。ノーメイクというわけにはいかないでしょ」

眉を抜く?落ち着かないスカートを押さえながら化粧台に向かった。椅子に座り鏡を見たときドキッとした。ここの制服を着た女性がこっちを見ていたからだ。間違いなくここのスタッフに見える。ただ髪の毛がボサボサで顔も美人だが野暮ったい。確かに眉も女性にしては太く野性的だ。でもだからといってどうしたらいいのか分からない。

「もぉ、手間がかかるわね。このお礼は高くつくわよ」

こっちだって好きでやっているわけではないのに…と思いつつ、彼女に任せただ座っていた。まず髪をとかしてポニーテールにした。後ろでひっぱられる違和感があるが、髪が変に顔にかからなくなり便利だった。またピンのようなものでセットしてくれた。次に眉を抜いたり、変な液体をかけたり、とにかく顔をいじられた。本当は嫌だったが、これ以上抵抗したら鈴木からも見放されてしまう。

「時間がないから、こんなものね」最後に口紅を僕の唇に塗ると終わったらしかった。

鏡を見るとさっきより遥かに女性らしく清潔感の増したスタッフの姿があった。自分から男の要素が跡形もなく取り去られた気がした。口紅が気持ち悪いから舌で舐めたら怒られた。今までに感じたことのない味がした。

「うーん、あと靴ね。大きさは?」

「27だけど…」

「まさか!今のよ」

二人でストッキングに包まれた足を見る。ストッキングを穿いたときも思ったが、かなり小さく細くなっている。

「勝手に悪いけど三木さんのを借りましょう。ちょっと穿いてみて」

更衣室の入り口の下駄箱から取り出したハイヒールを置く。こんな小さな靴穿けるわけがないと思ったが、それこそシンデレラのガラスの靴のようにすっと自分の足に入った。しかしバランスをとるのが難しい。そして色々なところに力がかかるので痛い。

「あと5分しかない!急ぎましょう!!」

鈴木は自分のものよりより高いヒールの靴を当然のごとく履きこなしていた。一方僕は氷の上をスケートで歩いているように、よたよたと必死でついて行った。

エレベーターで一階まで上がると、エントランスに伊藤がいた。僕と目が合うと安心したように顔を緩めた。

「何とか様になったわね」

僕の上から下まで見て言った。

「わたしは映像の解説をやるから、鈴木さんは体験コーナー、佐藤さんは受付と検札をやって」

「え!?受付!!?」そんな人目につくところに…と驚いて言う。

「なに?じゃあ解説やってくれるの?セリフ覚えてないでしょ。それにそのよたよた歩きじゃどうにもならないでしょ」

確かにその通りだった。一応館内の地図は頭に入っているし、イベントの内容や時間も覚えている。

「本当はもう1人いるといいんだけど、今日は三人で回さないとならないから。私が手が空いたら手伝いに来るからその時に休憩に入って。中々持ち場を離れられないからトイレとかも今のうちに済ませておいてね。あとどうしようもならないときはトランシーバーで呼んで」

彼女はそう言い残すと、鈴木と二人で建物の奥へと消えていった。時間を見ようと腕を見たが腕時計が無くなっていた。多分、あの変身の時に細くなった腕から滑り落ちたのだろう。受付のデスクを見るとデジタル時計が置いてあった。あと3分で開館。トイレのことが頭に過ったが、この格好でトイレにいく勇気はなかった。閉館し男に戻るまでトイレに行かずに我慢できるのだろうか…。もう少しはもつ気がしたが、何せ股間の感覚がいつもと違うのでどこまで我慢できるのか分からない。

受付の前は何度も通ったことはあるが、中に座ったのは初めてだった。館内の様子を映し出すモニターと案内用の地図やパンフレット、文房具各種が置いてあった。チケットは確か半分に切るはずだ。開館一分前になり、制服姿の警備員のおじいさんが扉を開けにやってきた。

「あれ、新しい子だね」

彼はしわがれた声でそういった。当然、僕が佐藤だなんて思うまい。曖昧な微笑で返した。

彼はそのまま入り口に行き、閉館中の看板を外し自動ドアのカギを開けた。開館した後、しばらくは落ち着いていた。人の出入りもまばらで特に難しいことを聞かれることもなかった。最初の方は恥ずかしい思いが大きくて検札の時きちんと目も合わせられなかったが、特に異様に見られているわけでもないことが分かると、安心して普通の対応ができるようになってきた。確かに鏡で見た通り、普通の受付の若い女性としか映らないのだろ。建物のガラスに反射して写る自分の姿も、まさに受付嬢のそれ、そのものであった。「ちょっとおねぇちゃん、聞きたいんだけど」と声をかけられたときはさすがに驚いた。金輪際、自分が「おねぇちゃん」等と呼ばれることはないと思っていたので、すぐに反応できなかった。

 言葉も丁寧語で話していれば男女差はないし、自分の声にも若干違和感が無くなってきた。しかし開館から一時間半ぐらいしてから次第に忙しくなってきた。予定外の団体の到着もあったし、券売機の一つが壊れるというトラブルもあった。穿きなれないので座っているときは脱いでいたハイヒールを履いて、よちよちと歩いて何とか機械を見てみるが紙が不足しているようだった。ハイヒールで何とか歩く姿はさすがに異様に見えたらしかった。「足でも痛めてるんですか?」と聞かれてしまった。

何とかそんなトラブルを裁きつつ、二時間が経過したころから、今度は恐れていた尿意が強くなってきた。股間をきゅっと引き締めるようなそんな感覚で我慢していたが、今までとまるで違うのでいつまで我慢できるか分からない。しかしそれ以上にこの姿でトイレにはいきたくない…。

もじもじしながらなんとか正午を迎えたとき、小さなバックを持った伊藤が上から降りてきた。

「わたしが代わるから一時まで休憩入っていていいわよ」隣の椅子に座り小声でそう言った。

「あの…、トイレに行きたいんだけど…」さらに小声で僕は告げた。

「どうぞ、行けばいいでしょ。地階に職員用のトイレがあるの、知ってるでしょ」

「いや、でもこの姿じゃ・・・」

そういう僕を無視してやってきたお客さんの検札をする。

「ようこそお越しくださいました。入り口はそちらの奥になります」にこやかな彼女の対応は、ただ機械的に切っていた僕とは天地の差があった。

僕は脱ぎ捨ててあったハイヒールを履くとよたよたと地階へ続く階段へ向かっていった。

もしかしたら休憩時間は戻してくれるかも…という淡い期待は裏切られ、更衣室の前にあるトイレの入り口にたった。

自分はどっちのトイレに行くべきだろう…。ただこの時間なら誰もいないだろうし、男子トイレに入っても問題ないだろう。そう思い開けると、驚くべきことに小便器の前に建つ所長がいた。最悪目があってしまった。

「ここ、男子トイレ…って、あれ、もしかして佐藤君か?」所長は大きく目を開いて言う。

「お疲れ様です」うぁ…、まさかこんなところでこんな形で会うとはトコトンついていない。

「すっかり美人になっちゃったな。いやぁ、びっくりだ」尿を終えて水を流した所長が歩いてくる。「どうだい、フロアの仕事は?」

「いえ、もう大変です…」泣きそうな声で言った。

「まぁ、今日だけだ。頑張りなさい。それと、その姿の時は女子トイレに行ってくれよ」

そう言われて男子トイレから追い出されてしまった。僕は逃げるように女子トイレに入る。ピンクを基調にしたタイルに包まれ、個室が二つ並ぶ。一つは洋式、一つは和式だった。洋式の方に入り鍵を閉める。どうしたらいいんだろう…と一瞬躊躇したが、スカートだからたくし上げればいいのか…と納得する。

女性であることを痛感させられる放尿が終わりトイレの鏡の前に立つと、すっかりくたびれた顔の女性がいた。顔を思いっきり洗いたかったが、きっとメイクの関係でよくないのだろう。手を洗い、ポケットからハンカチを出そうとしたが、ポケットがないことに気が付き、仕方なくスカートの裾で拭いてしまった。

昼食はコンビニのおにぎりを買っていたが、事務室の自分の机に置きっぱなしだ。この姿で事務室に入る勇気はない。周辺には観光客向けのレストランしかないし、この靴と格好で外を歩く気にはなれなかった。

特に行くあてがなく、すぐ隣の女子更衣室に入った。当然誰も居なかった。伊藤のロッカーを開けようとしてみたが、同じように鍵が閉まっていた。ここで無理やり開けて、中に元に戻る薬があればいいが、違うところにあったら彼女の怒りは計り知れない。とにかくあと数時間頑張るしかない。意気消沈して化粧台の椅子に座った。

人間の体というのは不思議な物で、股間にも胸にもそれ以外にも違和感は勿論まだあるのだが、さっきまで集中して働いていたこともあり、あまり気にならなくなっていた。それよりも足の踵がハイヒールのせいで擦り切れて痛い。なにが楽しくてこんな不便な靴を履くのか理解できなかった。

静かな更衣室ですることもなく座っていると、今まで閉じ込めていた女体への好奇心が疼きだす。勿論健全な男子として、女性への好奇心はあった。そしていま、その好奇心の対象が自らの体としてある。何をしようが自由なのだ。しかし自分の体への興奮を感じる度に、自分の体が女であるという現実に突き当たりそれがすべてを台無しにする。さっきの放尿の時も、自分の女性器をよく見てみようかと思ったが、やはりそれをする勇気がなかった。恐怖がすべてを止めてしまう。

しかし疲れた…。これだけの体の変化を経験したうえに、慣れない仕事を慣れない格好でしたのだから当然かもしれない。椅子に座ったまま、ふぅーと意識が遠くなった。


何となく、股間に湿ったような感じを覚えながら目を開けた。すると目の前に口元からよだれを垂らした知らない女性がいたので驚いたが、よく見ると鏡に写った自分の姿だった。慌てて体を確認する。青色のワンピースに膨らんだ胸。女になったというのは夢ではなかったようだ。時計を見る。幸いまだ一時前だった。よだれを拭くと掌に口紅がついてしまった。

それを洗いたいのとなんか下着が湿っぽいのでもう一度トイレに行くことにした。今度は素直に女子トイレに入った。下着を下ろし触ってみると、ぬめぬめした精液のような液体が付いていた。まさか夢精?いやそんなわけはない。誰かが寝ている間に僕を襲った!?いや、いくらなんでもそれなら目が覚めるだろう。どうも自分の女性器からその液体は出ているらしかった。なんか気味が悪いのでトイレットペーパーで軽く拭くと無視することにした。洗面所でよく手を洗い、受付に戻った。

「お疲れ様です。ありがとうございます」そう言って彼女の横に座った。

「一つアドバイスなんだけど、座る時はお尻をなでるようにしてスカートを正して座った方がいいわよ。めくれ上がっているから」耳元でそう囁く。

僕は下半身を見ると、確かにだらしなくスカートがめくれている。言われたとおりに座り直すがその動作がなんとも女性らしくて嫌だった。

「あとね、座っているときもハイヒールをはいたままでいること。そしてきちんと足も閉じて。前から見えないからって、どこから見られているかわからないわよ」

そう言うと、自分の使っていたひざ掛けを椅子に掛けて立ち上がった。

「それ、借りてもいいですか?」

「いいわよ。女性の体は冷えやすいからね」

確かにスカートのせいでもあるのだろうが、体質的に冷え性なのだと思う。膝の上に駆けると若干落ち着いた。彼女は小さいバックを持って地階の方へと消えていった。

午後の4時間も、とても長かったが何とか乗り切った。言われた通り、ハイヒールはできるだけはいたままでいたが、足の方は意識が行かないとどうしてもだらしなく開いてしまう。閉館30分前で入場は停止、切った半券をまとめて束にする。閉館10分前で蛍の光がなり始めた。何とか平和なまま一日が終わりそうだ。帰っていくお客さんに、ありがとうございました…と頭を下げる。最後までショップで何を買うのか迷っていた親子連れが夕闇に消え本日の営業が終了した。警備員のおじいさんが閉館の看板を立て自動ドアのカギを閉める。僕はへとへとになりながら地階へと降りて行った。

でもこれでやっと男に戻れる…。二度と、どんなに頼まれてもやるものか。踝が擦り切れて血の滲んでいる足を引きずりながらたどり着いた女子更衣室にいたのは鈴木だけだった。

「お疲れ様です」もう私服に着替え終えた鈴木が言う。

「お疲れ様です。あれ、伊藤さんは?」

「実は午後から高熱が出て、途中で早退したのよ。たぶんインフルじゃない?」

「えぇ!!」あまりのショックで更衣室の床に倒れ込んでしまった。「それじゃ・・・、元に戻るのは・・・」

「多分それどころじゃないわよ。多分明日は伊藤さん来られないから、何とか他に来れる人を探さないと!それまで何とか頑張ろうね!」

鈴木は何か用事があるのか、コートを着ると足早に帰ろうとする。

「あ、伊藤さんから、そこの紙袋」彼女の指の先には大きめの紙袋が一つ置いてある。「じゃあ、また明日ね」

彼女はすぐにいなくなってしまった。僕は最後の希望をかけてその紙袋に駆けよる。中には服が入っているようだった。そしてその一番上には、茶色いビンと手紙が一通。

僕は大喜びでその瓶を掴むと蓋を開け飲み干した。なんだ、ちゃんと分かってたんだ。彼女もそこまで鬼じゃない。フルーティな味わいのある液体を飲み干すと間もなく始まるであろう変化を期待しながら、その下にあった封筒を手に取った。

しっかり糊付けされた封筒を苦労してあける。その中の手紙にはこう書かれていた。

「わたしは数日ダウンしそうです。所長の承諾は得たのでもう数日間お願いします。わたしのお古ですが、普段着も必要だと思うのでよかったら使ってください。PS 風邪をひかない様に栄養ドリンクも入れておきます」

「なんじゃそりゃ!!」

怒りに任せてぶちまけた紙袋の中には、ご丁寧にスカートやワンピース等、女性的な服ばかり数着が入れられていた。


仕方なくこの姿のまま数日受付業務をこなした後、明日から伊藤復活という日に今度は僕がインフルエンザに罹患し女性の姿のまま高熱に苦しんだ。出勤停止期間が過ぎて何とか男の姿に戻ることができたのは、一週間もたった日のことだった。


今ではいい思い出…と行きたいところなのだが、その後も人出が足りないとすぐに声がかかるようになってしまった。勘弁してほしい。


おしまい



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