紅い瞳に映る世界
この世界は、つまらないおもちゃ箱の中。
そして私はこの世界から抜け出せない、あの人の人形だ。
「レイカ、おいで」
そう言い、父は手を伸ばしてくる。
その指にはめられた、ただ無駄にでかい宝石がついた指輪が、太った指を主張していて気持ち悪い。
「どうした?」
不思議がる父にはっとなり、慌てて彼のもとへ行く。
ぎゅっと抱きしめられ、ぞっとする。
贅沢で肥えた体、煙草の匂いがする口。
感じている嫌悪を隠すために、私は笑った。その笑みが歪んでいることも分かっているが、必死に。
私は人形、この人の。
飽きられたら、あっさりと捨てられてしまう。
お母様のように。奴隷のユウのように。
怖かったから、私は自分を隠した。ひたすら、本当の心を自分の奥の奥に沈めた。
それでもまだ悟られそうで、私はコートを纏う。
夜の闇のように、深く蒼いコート。
それに加えて、奇抜な形の赤い眼鏡をかければ、私は人形を自然と演じることができる。
父が私のことをおもしろいと喜び、不自由ない生活を与えてくれる。兄も、父譲りの顔を歪ませて笑っている。
私も笑う。強がって、猫のように笑う。
でも、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
捨てられるのは――嫌だ。
私のこの紅い目に映るのは、ひたすら醜悪な父が見せる世界だけだった。
「レイカ、どうしたの? 少し浮かない顔をしているわ」
幼馴染のミユは、変なところで敏い。
子どものように無邪気なくせに、人の悲しみには誰よりも敏感だ。
「なぁに、お父様がまた私に奴隷をくれたからだよ。もういらないって、言っているのにさ。新しく来た彼は足が速くてね。巻いてここにつくまでだいぶかかってしまったよ」
私には六人の奴隷がいた。どれも父が選んだ父の好みの者達だ。
彼らは私を監視している。
学園の裏の、木漏れ日が気持ち良いところ。ごくわずかな友人にしか教えていない心落ち着ける場所。
だったけど……、私は小さく眉をよせる。
視線を感じる。私はその気配に気づかないふりをしていたが、巻いたはずのあの奴隷だということはわかっていた。
結局、ここにも私だけの場所、父からの干渉が全くないところはなくなってしまった。
ここに来るのも、今日で最後にしよう。
わかっていた。いづれはこうなるって。
わずかひと月しかもたなかった自由な場だが、最初から分かっていたから、そんなに辛くない。
感じるのは、胸に静かに広がる諦念だけだ。
そんな私の気持ちなんかまったくわかっていないだろうミユが言った。
「レイカのお父様、奴隷がお好きだものね。もう二十人はいるのでしょう?」
「さぁね、私が把握していると思うかい? 入れ替えが激しいから、数えるのなんてやめてしまったよ」
私は、にやりと笑って答えてやった。
ミユの純粋さは好きだが、少し苛立つ。彼女は何も理解していないから。
私はそれをいいことに、流れるように語りだす。
「お父様も、奴隷を買うお金があれば少しは平民に流してあげればいいのさ。奴隷にしてもらいたかったら働け働けと、そんな気もないことを言って平民の彼らをがむしゃらに労働させて、あげくには搾り取る。奴隷になった奴らはそんな平民の気持ちを知っているくせに、自分たちは選ばれたのだと、高慢なのも腹が立つ。もう自分は平民じゃないと、お父様と同じ目で彼らを見ているのさ。ふんっ、この間の視察の時、お兄様が平民の娘に甘い言葉をかけ、すぐに手酷い扱いをして弄んでいたのを見てしまったときは、こんな男が私と血がつながっているのかと思って虫唾が走ったよ。にやにや笑って見ていたお父様の指を噛みきってやりたかったさ」
自分でも聞き取りにくいと思う速度で、思うがままに喋って少しすっきりした。
こんなこと、ミユのまえじゃなかったら言えない。
彼女はやっぱり少しも理解してないようで、難しい顔で悩みこんでいる。
「よくわからないけど……」
彼女はにっこり微笑んで言った。
「レイカの好きにすればいいじゃない」
私の……好きに?
何をバカなことを言っているのか。
「私が思うに、レイカは我慢しすぎよ。私なんか、お父様に何度も何度も言われても、『彼』以外の奴隷は要らないってわがままばっかり言ってるのよ」
何も知らないミユは言う。
純粋だから、無邪気だから、本当のことを平気で言う。
「だから、レイカも好きなようにすればいいと思うの。お父様のわがままさえ吹き飛ばしてしまうぐらい駄々をこねたら、きっとみんなもレイカが本当に欲しいものをわかってくれるわ。言わなければ伝わらないし、我慢していたって自分の望みは一生叶わないわよ」
ミユが言ってるのは当然のことだ。
できないから、みんなが悩んでしまうコト。
それを平然と、ミユは言って、しかも実践しているのだ。
「……ミユは、あいつのことが好きなのか?」
「うん! 好きだよ」
照れたように笑って言えるのは、その証だ。
「彼だけでいいの、私のそばにいてくれるのは。彼だけいたら、もう何もいらないわ」
奴隷と主の恋は叶わない。
その現実を知らない無知で無垢な少女に、なぜか私は憧憬の念を覚える。
「あっ!」
ミユは誰かに気づいて、手を振る。視線の先には彼の姿があった。
彼も彼女だけを見ている。
私の奴隷のように自分自身ではなく、ただひたすらに彼女のことを。
その誠実な瞳に宿るのは、忠誠だけじゃなく、やさしくあたたかい愛情。
羨ましい……
目の前の美しい世界。
父が私に与えた醜悪な世界ではなく、私はそこに行きたい。
切なくなる。泣きたくなる。憧れが胸を焦がした。
木漏れ日の中、彼と彼女は私に微笑む。私は強がって猫のように笑って応えた。
この胸に静かに燃えだした炎は、私を駆り立たせる。
そんな、予感がした。
彼と彼女の世界が予定調和のように壊れ、虚しく世界が空転し始めたあと、私は彼に会った。
彼は後悔していた。絶望していた。でも、彼女を思う心はみじんも変わらず。
私はそんな彼らを憐れみながらも、それでも未だに強く憧憬の念を感じた。
胸が焼けるように痛む。私は、決意した。
この歪んだ箱庭から出ることを。
自分のやりたいことをするよ。
ミユ、君がそうしたように。
猫のような笑みを顔に張り付け、歪んだ自分を支えに私は立ち上がる。
怖い怖い怖い怖い怖い。
そう、捨てられることを恐れていた自分に久しぶりに会って、私は告げた。
捨てられる前に捨ててしまおうか。
この歪んだ醜い世界を。
そして、望むものを手に入れよう。
胸の内を真っ赤な炎が燃え盛る。
私自身が創りだす。この紅い瞳に映る世界は。