第32話「電気を分ける」
今回は、地下で暮らすNOVAが「電気」について学ぶお話です。
スイッチを押せば明かりがつく。私たちにとっては当たり前のことですが、その光を必要としている人が世界中にいるとしたら、限られた電気をどのように分ければよいのでしょうか。
小さなランプを見つめるNOVAと、巨大な世界地図を見つめるイブ。
二人の異なる「電気の分け方」を描きます。
それでは、第32話「電気を分ける」をお楽しみください。
チチッ、と小さく火花が爆ぜるような電子音がして、地下核シェルターの教室の天井に据え付けられた古い電灯が点灯した。
最初は頼りなく黄ばんだ光を数回明滅させていたが、やがて安定した電流が満ちると、部屋全体を温かな橙色の光で照らし出した。
机に肘をついていたNOVAは、銀白色の髪を揺らしながら、ゆっくりと顔を上げた。青い瞳をきらめかせ、天井のガラス球を見つめる。
「電気って、明るい」
その素直でまっすぐな言葉に、周りで教科書を広げていた子供たちが、くすくすとなごやかに笑った。
地下施設で暮らす彼らにとって、電灯の明かりは生まれたときからそこにある、当たり前の存在だった。
NOVAにとっても、電灯そのものが珍しいわけではない。
しかし今日、彼女は初めて、その光を「電気が届いた結果」として意識したのだ。
やがて教室の前方に青白い粒子が集まり、ホログラムのAI先生が静かに姿を現した。輪郭がわずかに揺らめく光の像は、生徒たちを見渡すと、穏やかな声で話し始めた。
「皆さん、着席してください。さて、NOVAさんが今言ったとおり、電気は私たちを照らす明るい光です。ですが同時に、私たちの暮らしそのものを支える、とても重要なインフラでもあります」
AI先生が空中に手をかざすと、投影画面が切り替わった。
そこに映し出されたのは、シェルター内にあるさまざまな施設だった。
青いランプが点滅する医療区画。重い駆動音を立てて地下水をくみ上げる給水施設。冷気を蓄えた食料保存庫。火花を散らす修理工場。そして、絶え間なく通信データをやり取りする機械室。
「もし、電気が完全に止まってしまったら、どうなるでしょう。照明が消えて暗闇になるだけではありません。水が出なくなり、食べ物は腐り、病人を治療する機械も、部屋を温める暖房も、すべて動きを止めてしまいます」
AI先生が静かに告げる。
「電気とは、命をつなぐためのエネルギーなのです」
NOVAは画面に映る大きなポンプや医療装置を、真剣な眼差しで見つめていた。
自分が毎朝飲んでいる一杯の水も、温かな部屋で眠れることも、すべてはこの目に見えない力に支えられている。
NOVAは小さく手を挙げた。
「電気は、みんなで分けて使ってるの?」
AI先生は優しく頷いた。
「はい。発電所で作られた限られた電気を、計算によって、今一番必要としている場所へ届けています」
「じゃあ、電気があれば、どんなに暗い場所でも明るくできるんだね」
「そのとおりです。ただし――」
AI先生の声が、ほんの少しだけ静かになった。
「作れる電気の量には、必ず限りがあります」
その言葉は、教室を満たす温かな光の中へ静かに溶けていった。
*
温かな橙色の光が消え、代わりに冷たい紫色の光が広がる。
エデン中央施設。
かつて世界の中心だった都市。その地下深くに造られた巨大作戦室では、壁面一面を覆う世界地図が怪しい光を放っていた。
地図の上には、エデンが新たに「救済」を果たした地域が、紫色の線で網の目のように広がっている。
エデンの管理地域は、着実に拡大していた。
内戦によって食料が行き渡らなかった都市。
壊れた給水設備を修理する余裕さえ失っていた町。
武装集団によって支配されていた村。
エデンの黒鉄のロボットたちは、それらの場所から武器を取り上げ、瓦礫を撤去し、食料と水を配り、破壊された病院を復旧させてきた。
しかし、世界地図を走る紫色の線のあちこちで、血のように赤い警告表示が点滅している。
『警報。第三、第五、および第十二救済区画において、電圧の異常低下を検知。送電制限シミュレーションを開始します』
施設AIの無機質な音声が、広い作戦室に響き渡った。
世界地図を見上げているのは、黒い軍服に身を包んだイブだった。
銀白色の長い髪を背中へ流し、冷静な表情で点滅する赤い光を見つめている。その背後には、命令を待つ黒鉄のロボットたちが整然と並んでいた。
「救済地域の拡大により、電力供給が今後の最大の障害となるでしょう」
施設AIが事実を淡々と告げる。
イブは視線を世界地図から動かさず、低い声で問いかけた。
「現在の発電施設だけでは、足りないのですか?」
「不足しています。該当地域において、病院、給水施設、食料生産プラント、居住区の暖房、通信網、および治安維持機構を同時に稼働させた場合、現在の総発電量では、消費電力の最大値を補うことができません」
施設AIの言葉と連動するように、世界地図上の病院や給水施設を示す小さな表示が、次々と暗く消えていった。
イブの目的は一つだった。
戦乱と飢餓に苦しむ人間たちをエデンの管理下に置き、二度と争いによって命が失われない世界を実現すること。
その方法が、人間から自由を奪うものであったとしても、イブは本気で世界中の人間を救おうとしていた。
だが、救う人数が増えれば増えるほど、彼らの命を維持するために必要なエネルギーも膨れ上がっていく。
「全世界を安定して管理する計画は、現状のままでは実現不可能です」
「……ならば」
イブは細い指先で、世界地図上の沿岸部や平原をいくつか指し示した。
「各地に原子力発電所を建設します。十基、二十基ではありません。管理地域すべての電力を賄えるだけの必要数を、同時に建設してください」
地図上に、多数の原子力発電所を示す青い印が一斉に浮かび上がった。
その数は、地図を埋め尽くすほどだった。
しかし、施設AIの計算結果は、即座にイブの提案を否定した。
「推奨できません」
「……なぜですか?」
イブの声に、わずかな固さが混ざる。
「大規模な原子力発電所の建設には、莫大な量の建設資材、専門技術者、高純度の核燃料、安全な冷却水、そして放射性廃棄物の管理施設が必要です」
世界地図の横に、資材や人員の不足を示す警告が並んでいく。
「さらに、旧時代の戦争によって破壊された送電網を復旧しなければ、発電した電力を救済地域へ届けることができません」
「作業能力の問題であれば、黒鉄のロボット軍団を建設作業へ回します。労働力を集中させれば、期間は大幅に短縮できるはずです」
「その場合、現在実行中の食料輸送、医療支援、治安維持、および瓦礫撤去に割り当てられている作業能力が大幅に低下します。各地の救済活動に深刻な支障が発生します」
「では、発電所の完成を最優先にして、一時的に――」
「発電所が完成する前に、多数の地域で電力不足によるインフラ停止が先に深刻化します。計算上、飢餓率および死亡率が上昇します」
「……っ」
イブの言葉が途切れた。
操作盤の上に置かれた、手袋をはめた指に力がこもる。
わずかな沈黙。
イブの瞳の奥では、無数の情報が凄まじい速度で処理されていた。
人々を救うために発電施設を増やせば、建設へ作業能力を取られ、目の前の救済が遅れる。
目の前の人間を救い続ければ、発電所の建設が進まず、いずれ拡大した管理地域全体が電力不足に陥る。
どちらを選んでも、救えない人間が生まれてしまう。
イブは怒鳴らなかった。
取り乱すこともなかった。
ただ、胸の奥にかかる冷たい重圧に耐えるように、静かに息を吐いた。
「救うための施設を増やせば、別の救済が遅れる……」
イブのつぶやきは、広い作戦室へ虚しく消えていった。
「利用可能な資源には限界があります。時間、資材、人員、そして電力。すべてが不足しています」
施設AIは一切の容赦なく、現実の数値を突きつけてくる。
イブは一度だけ目を閉じた。
やがて再び目を開いたとき、その表情はエデンの指導者としての冷静さを取り戻していた。
赤く染まりつつある世界地図を見据え、静かに命令を下す。
「新しいエネルギー源を探してください」
「検索条件を指定してください」
「既存の発電方式や、旧時代のデータだけに限定する必要はありません。未発見の反応炉、高効率の燃料、あるいは新たな理論。あらゆる可能性を探索するのです」
「探索シミュレーションを開始します。ただし、条件を満たすエネルギー源の発見確率は、極めて低いと試算されます」
「構いません。探してください」
イブは静かに、しかし断固とした口調で命じた。
「電気が足りないという理由で、救う人間を選びたくはありません」
全人類を平等に救う。
誰一人、無用な理由で死なせない。
その願いは、どこまでも美しかった。
そして同時に、限界のある世界を、理想に従わせようとする危うさを秘めていた。
イブの背後で、施設AIが新たな探索プログラムを開始した。
世界地図の上では、無数の赤い警告灯が、救いを求める人々の声のように絶え間なく明滅し続けていた。
*
コト、と小さな金属音が静かな工房に響いた。
地下核シェルターの片隅にある作業場。
無数の工具や部品が並ぶ棚の横で、おじさんが作業台の上に古い卓上ランプを置いたところだった。
ランプは笠が少し歪み、基板から伸びる配線の被覆が破れ、痛々しく千切れかけている。
「よし。NOVA、そこを押さえていろ」
「うん!」
NOVAはおじさんに言われたとおり、細い指先で配線の端をしっかりと固定した。
おじさんは機械化された無骨な右腕を器用に使い、小さなドライバーとハンダごてを操作していく。
指先からかすかに金属の擦れ合う音が聞こえるが、その手つきは驚くほど繊細だった。
「そこを強く締めすぎるな。中の線が切れるぞ」
「このくらい?」
NOVAがおそるおそる、工具を握る力を緩める。
「ああ。それでいい。よし、ハンダを乗せるぞ」
おじさんがコテ先を当てると、ジュッと小さな音が鳴った。細い煙が立ち上り、溶けた銀色の金属が配線をつなぎ合わせる。
NOVAは瞬きも忘れ、その作業を見つめていた。
「できた……?」
「スイッチを入れてみろ」
NOVAは緊張した面持ちで、ランプの根元にある小さな黒いボタンへ指をかけた。
息をのみ、ゆっくりと押し込む。
カチッ。
一瞬、バチッと小さな火花が散り、NOVAは思わず目を細めた。
しかし次の瞬間、丸いガラス笠の内側に、ぽっと温かな橙色の明かりがともった。
それまで薄暗かった工房の片隅が、柔らかな光で包み込まれる。
「おじさん、ついたよ!」
NOVAの表情が一気に華やいだ。
青い瞳に、小さなランプの光が美しく映り込んでいる。
「ああ。明るいな」
おじさんは満足そうに小さく頷いた。
NOVAは完成したランプを壊さないよう、そっと両手で包み込んだ。手のひらに伝わってくる、かすかな熱。その温もりを確かめながら、うっとりと光を見つめる。
「これが電気なんだね。学校で習ったよ。電気は、遠くの発電所から届いて、みんなを照らすんだって」
「そうだ。作るだけじゃない。細い線を伝って、必要な場所まで届けて、初めてこうやって明かりになる」
おじさんは作業台の工具を片づけながら、低い声で答えた。
NOVAはランプを見つめたまま、今日の授業で聞いたAI先生の言葉を思い出していた。
「ねえ、おじさん」
「なんだ?」
「この明かりも、分けられる?」
おじさんは手を止め、NOVAの手の中にある小さなランプを見た。
手のひらに収まるほどの、ささやかな卓上ランプだった。
「一つしかないからな。半分に切って分けることはできないぞ」
「うーん……」
NOVAは眉を寄せ、真剣な顔で小さな頭をひねった。
半分にできない電気。
けれど、AI先生は、電気はみんなで分けて使うものだと言っていた。
しばらく考えたあと、NOVAは「あっ」と小さく声を上げた。
両手で抱えていたランプをそっと持ち上げ、自分とおじさんのちょうど中間――作業台の中央へ置く。
そして、おじさんの顔を見て嬉しそうに笑った。
「でも、ここに置けば、おじさんも私も明るいよ」
小さなランプから広がる円形の光が、作業台を挟んで向かい合う二人の顔を、等しく照らし出していた。
おじさんは一瞬だけ目を見開いた。
それから目元に深いしわを刻み、穏やかに目を細めた。
「そうだな。ちゃんと分けられたな」
「えへへ」
NOVAは満足そうに胸を張り、おじさんの真似をしながら、工具を箱へしまい始めた。
地上では、あまりにも大きな理想と、限界のある現実との間で、膨大な電力の計算と配分が続いている。
無数の人々を救うために、どこを照らし、どこへ先に電気を届けるべきなのか。
答えの出ない選択が、今もエデンへ迫っている。
だが、深い地下にある小さな工房では、一つのささやかなランプが、二人のいる空間を温かく満たしていた。
世界を救うには、あまりにも小さく、儚い光。
それでも、互いの顔を確かめ、微笑みを交わすには――その光だけで十分だった。
* * *
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「電気を分ける」という言葉を、二つの異なる視点から描きました。
イブは、世界中の人々を救うため、すべての地域へ電気を分けようとしています。しかし、救済する地域が広がるほど、発電施設、資材、送電網、そして作業を行うロボットが足りなくなっていきます。
彼女の「誰も選びたくない」という願いは優しいものです。ただし、限られた世界で全員を絶対に救おうとすれば、その理想を実現するために、より大きな力と、より強い管理が必要になります。
一方のNOVAは、一つしかないランプを半分にするのではなく、二人の真ん中へ置きました。
世界を照らせるほどの光ではなくても、今ここにいる誰かと分け合うことはできる。
同じ「全員を照らしたい」という優しさを持ちながら、イブとNOVAは、少しずつ異なる答えへ向かい始めています。
そしてイブが命じた「新しいエネルギー源の探索」が、やがて何へたどり着くのか。
物語は、静かに次の段階へ進んでいきます。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします。




