ブラニカの過去〜暗黒聖典との出会い
王宮の地下牢獄から逃げ出せたブラニカたちは、ようやく魔王城に辿り着く。
ずっと囚われの身だったところから戦闘をして、それからの長旅だった事もあってか、彼らの表情には疲労が隠しきれないほどあった。
「ぬぅ…ようやく帰ってきたぞ…」
「主の帰還にも関わらず出迎えのひとつもありやしない…まあ当然とも言えるが…」
長旅に苦しんでいたブラニカとブライズが毒づく。
しかし状況が状況である、出迎えがないというのも当然だった。
そう思っていた。
「おや…ブラニカ様、帰ってこられましたか。」
「だから言ったろう、戻ってこれる方に情勢が傾いておると…おかえりなさいませ、ブラニカ様。」
鏡の湖でラサルハやフジ達と別れた、ズベンとアルゲティがそこには居た。
しかしそれだけではない、ひと仕事終えた”彼女”もそこに辿り着いていた。
「お待ちしておりましたブラニカ様、そして皆様。先に城内に入っておりましたご無礼、お許しくださいませ。」
そこに現れたのは、デネボラを始末しろとの命令を受けていたサエだった。
「おぉサエか。私は一向に構わんぞ、もうここはお主の家と同じだからな。」
「ありがたきお言葉、痛み入ります。」
サエはブラニカの前に跪いて、主人への敬意を示す。
そんな”主人”は、見知った顔の登場に安心したのか、一気に力が抜けていく。
「――っ!」
「ブラニカ様!?」
〜
「…んん。」
「あぁ、起きられましたか。今ユウダイ様とアンタレス様が、薬膳粥を作っております。」
ブラニカが目を覚ますと、そこは自らの寝室だった。
サエは甲斐甲斐しく彼の身の回りの世話をしながら、ブラニカの回復を待っていた。
その姿はまるで、魔王に嫁いだようだったという。
「サエか…よくそんなに献身的にしてくれるな…」
「何をおっしゃるのですか、ブラニカ様が倒れているのに見過ごすほど、”私たち”は愚かではありません。」
いつの間にかサエは、ズベンやアルゲティとも良好な関係を築いていた。
そんな彼女は、ブラニカの額に置いた濡れタオルを取り替える。
「いつぶりかな…こんなに誰かが私の看病をするだなんて…」
ブラニカはそういうと、昔の事を思い出す。
そう、あの頃は…ブラニカが魔王と呼ばれる前は。
〜
「はぁ…またお前は本に熱中して倒れたのか?」
「えぇつい…やっちまいました。」
照れくさそうに笑いかけるオールバックの男は、まだ青年将校として王国に属していた頃のブラニカ。
その彼に呆れながら話しかける切れ目の男は、その頃からブラニカや他の部下を従えていた、あの頃のタリスカーだった。
「全く…お前をそんなに熱中させる本だなんて、一体何が書いてあるというんだ?」
「それはですね、昔からの言い伝えが書いてある本がありまして…」
「あぁ…やっぱ訊くんじゃなかった。」
ブラニカが本について話し始めると、だいたい終わるのに半日はかかると言われるくらい話好きで、本好きだった。
ブラニカが熱弁を始めてしばらく経つと、その彼を制するように、一人の男が部屋へと入る。
「ブラニカ、また無茶したのか…同じ隊で行動する私の身にもなってくれ。」
そう話しかける大柄な彼の名は、カケル・フジ。
のちにブラニカへ仕え、”四天王”となる男だ。
「フジさん…申し訳ない。」
ブラニカはフジの姿を見ると、申し訳なさそうに頭を下げる。
「いくら貴方が歳上だろうと、私は立場上リーダーですから。申し訳ないが、貴方を叱らないといけないんですよ。」
「全く面目ない…」
やれやれといった表情でブラニカの額に手をやるフジ、熱が下がっていることを確認すると、後ろ手に隠していたものを取り出した。
それは本来、ここにあってはいけないものだった。
「ほら。退屈してるだろうと思って、書庫から1冊くすねてきましたよ。」
「お、お前…どうしてそんなものをここに!」
「まあまあそう言わないでくださいよタリスカーさん、飯なら今度おごりますから。」
頭を抱えるタリスカーと対照的に、ブラニカの表情は明るくなっていく。
フジから恭しく本を受け取ると、彼は急に静かになって本を読み進めていった。
そんな彼を見ていると、タリスカーもフジも、徐々に優しい表情へと変わっていく。
「本当にな…勉強熱心なのはいい事なんだが…」
「ですね…ブラニカさんはいつか、王国を率いていくだけの不思議な力を持っていますよ。私なんかとは大違いです、羨ましい限り…」
その類稀な頭脳と高い身体能力を武器にして、ブラニカは王国兵でも指折りの戦闘力を身につけていった。
当時は魔力という存在自体が認知されていない時代、内から溢れる力を形容する為の言葉が存在していない頃である。
2人が部屋を去ってからも、ブラニカは一心不乱にフジが手渡してきた本を読み続けていた。
ブラニカはその本の末尾辺りに書かれていた、とある記述を見つける。
「――これって…色々な現象の祖になっている何かが存在するという事か…?」
ブラニカの見つけた記載を知るために、後日彼はとある研究者のもとを訪ねる。
「確かに、この力こそが全ての祖になっている。おそらく今までの伝承からして、これが”魔力”だと呼ばれる存在ね。」
彼にその事を教えてくれたのは、王国屈指の才女であるモエ。
彼女もまた、伝承上の存在でしかない”魔力”という存在が、果たしてどんなものなのかを追い求めてきた人物だった。
「魔力…か、なるほど面白そうだ。」
「そう言ってくれると嬉しいわ、今魔力の研究は始まったばかりなの。」
ブラニカはその日を境に、モエと研究に明け暮れた。
ある時は論文の手伝い、ある時は試薬の被検体、またある時は内なる力の計測…彼はいつしか、モエの右腕ともいえる存在になっていった。
そんなブラニカを見かねて、フジもタリスカーも研究に協力し始めた。
あぁでもない、こうでもない、そんな言い合いをしている時間が、彼らにとって特別な時間となっていく。
「この魔力とやらがあれば、みんなをもっと守っていけるんだろ?」
「そうね。コホッコホッ…だから私はこの研究を続けていたのよ、でも…ブラニカたちが来るまでは、誰も理解してくれなかった。」
咳き込みながらため息をつくモエの肩に、そっと手を置くブラニカ。
彼の表情は温和そのものだった。
「大丈夫。ちゃんと話せば、みんなあんたのやってきたことを、きっと分かってくれるさ。」
にっこりとほほ笑むブラニカに、タリスカーとフジが笑ってしまい室内が大騒ぎになったのは、また別の話。
そんな時間が流れていき、季節が巡ったある日の事。
とうとうモエたちの苦労が、実を結ぶ瞬間が訪れる。
「魔力とやらがあるというその進言…一度聴き入れねばなるまいな。」
当時の国王は、部下からの進言に対して寛容だった。
モエ達からの進言を受けた国王はさっそく、王国兵の中にいた魔力を使える者達を探し出す。
そうして集まった十数人の王国兵を束ねて、ある組織を結成する。
それこそが魔導隊、のちに"王宮兵"となる組織だった。
隊のリーダーに選ばれたのは、魔力の研究をモエと共に進めてきたブラニカ。
そして研究の先陣を切っていたモエに対しては、相談役という役職を与えた。
「これが…俺の部下。」
王宮のとある部屋には、かつて西部の戦線で大活躍したという眼鏡の男が、部下を従えて座っていた。
その隣に立っていたのは、苦境に立たされていた戦線を立て直してきた、若き長髪の女士官。
なんとも錚々たる顔ぶれが、国王の号令によって集まっていた。
彼らを従えるのは、もちろん魔力という存在を研究してきたブラニカ。
そしてこの場の全員に共通しているのは、魔力の持ち主であるということ。
ブラニカが、そしてモエが、人々を守るために追い求めてきた"魔力"という存在に対する答えが、この組織の編成によって示されたのだ。
「報われたんだ…私たち。」
「あぁ…本当にな…でも、これからが本番だ。俺はバシッとあの部隊をまとめあげてみせる!そして、魔力を使ってみんなを守るんだ!」
意気揚々と新たな部隊の指揮に胸を躍らせるブラニカだったが、その姿を見ていたモエの身には、密かに病魔が忍び寄っていた。
時を同じくして王国兵達は、とある回廊で奇妙な本が発見されたとの報告を受ける。
その本がのちに、この国を震撼させて、分断を生む事になるなど、まだ誰も想像さえしていなかった。
「少し休んだらどうだ、モエ?」
「そうも言ってられないわ…この奇妙な本がなんなのか解析しないと…」
モエの手元にあったのは、例の回廊で発見された本。
様々な学者が中身を探ろうと試みるも、その得体の知れなさにもはや閉口するしかなかった。
しかしモエは、どうにかこの本を読もうと必死になっていた。
アカデミックな興味としても、任務としても。
「うーん…ここに書かれていることをそのままやろうとすると、明らかに魔力が足りないのよね…かといってこの手順を間違えると不完全な魔術になるし…」
モエはぶつぶつ呟きながら、本から目を離せなくなっていた。
この本はいわゆる魔導書の一種だったのだが、今この国で使われていない言語であったり、魔術用語であったりが頻出するため、訳すにも相当骨のいる作業が必要だった。
その上魔術そのものを実行しようとする為の本であるが故に、魔力を持つものにしかその再現実験をすることが出来なかった。
書物に向き合っていくことで、日に日に弱っていくモエの姿を、ブラニカはもう見ていられなかった。
「なぁ…これで何日目だよ…」
「…分からない。でも、この本から目を離したら、ダメな気がするの。」
やつれていくモエを見ながら、何も出来ないもどかしさを抱えるブラニカ。
数日経ってからようやく、モエはその本に書かれている内容を訳すことに成功する。
しかし流石に過労が祟ったのか、とうとうモエは体調を崩してしまう。
〜
うなされるモエの看病を続ける傍ら、例の回廊にあった本を訳した物を読むブラニカたち。
しかし、モエがあんなに夢中になって訳していた本が、一体どんな代物なのかと楽しみにしていた彼らの表情は、存外思わしくない。
むしろ彼らの顔に浮かぶのは、嫌な汗とうっすらとにじみ出る恐怖だった。
「おい…これって…」
「あぁ…明らかに禍々しいってことは分かる…」
最初に話し始めたのは、魔力という物に懐疑的だったタリスカーだった。
それに続くように、フジもこの本が放つ邪気のようなものを感じ取る。
なぜあの回廊にこんな本が置き去りにされていたのかを、この時ようやく気がついた。
魔力を持つ者なら分かる邪気も、難しい言語で書かれた内容も含め、得体の知れないこんな本を拾って使おうだなんて、誰もが到底思えなかったからだった。
「なぁ…これ本当に人の目に触れるようなところにあっていいのか?」
ブラニカが小さく呟く。
彼がそう思うのも当然だった、どれだけ強い魔術とはいえ、それを得られなかった時に被る代償があまりにも大きすぎる。
そんな代物を本当に元老院――魔力の扱い方もろくに知らないような連中――に渡して平気なのか?
ブラニカは1人、思い詰めていた。
〜
「これを元老院に渡す…!?本当にいいのか?」
「仕方ないじゃない、渡さなかったら反乱とみなされるだなんて、そんなのごめんよ。」
目が覚めたモエは、訳した例の本を元老院たちに預けるという形で引き渡した。
最初は反対していたブラニカも、モエの説得に押し負ける形で渋々承諾する。
モエは元老院の連中に対して、こんな注文をつけた。
「もしその本…”暗黒聖典”に書かれていることを実行するならば、私たちが居ないところでやらないでちょうだい。あなた達は国の舵取りが出来るほど頭がいいんでしょうけど、魔術に関してだけ言えば、私達の方が上だって自負がある。だから、その場に必ず私かブラニカを同席させて、いいわね?」
元老院の連中はそのモエの気迫に、しどろもどろするしか無かったという。
こうして暗黒聖典は、確かに元老院に預けられることになった。
しかしこの一手が、彼女たちの運命を大きく歪めてしまうことを、彼女たちは知る由もないのである。




