第99話:魔王の絆
玉座の間には、レオの嗚咽だけが響き渡った。
彼の全身から湧き上がる魔力の波動は、封印された力が目覚めようとしている証だった。
その瞳には、もはや絶望の色はなく、燃え盛るような、強靭な決意の炎が宿っていた。
偽りの世界を打ち破り、真実を取り戻す。
そして、両親とセレーネの無念を晴らす――
その固い決意が、レオの心を満たしていた。
魔王は、血だまりの中に横たわったまま、静かにレオを見つめていた。
その瞳は、深淵の奥底から光を放つかのように、レオの覚悟を見透かしていた。
魔王の口元が、わずかに弧を描いた。
それは、レオの成長と、未来への希望を見出したかのような、微かな笑みだった。
そして、魔王は、最後の力を振り絞るかのように、再びレオの意識に語りかけた。
その声は、これまでで最も静かで、しかし、レオの心に深く響き渡る慈愛に満ちていた。
「……レオ……まだ……
伝えなければ……ならないことがある……」
レオは、その声に導かれるように、魔王の傍らに顔を寄せた。
魔王の痩せ衰えた手が、再びレオの頬に触れた。
その指先から、温かく、そしてどこか懐かしい光が放たれた。
それは、再び始まる転送魔法――
魔王の心臓から直接、レオの意識へと流れ込む、最後の記憶の奔流だった。
レオの意識は、再び光の渦に飲み込まれた。
次にレオの目に映し出されたのは、国王追放戦の直後の光景だった。
戦火に焼かれ、荒れ果てた大地。
その中で、聖騎士長を失い、一人残された幼いレオの姿が映し出された。
魔王は、その幼いレオを、自らの手で抱き上げた。
魔王の記憶の中のレオは、まだか弱く、しかし、その瞳の奥には、どこか強い輝きを秘めていた。
魔王の意識が、レオに語りかける。
「……我は……お前を……
この手で……育てようと……考えた……」
映像の中で、魔王は幼いレオを優しく抱きしめていた。
その表情には、深い愛情と、レオを失った聖騎士長への哀悼の念が宿っていた。
レオは、魔王が自分を魔族の地で育てようとしていたという事実に、驚きを隠せなかった。
しかし、その温かい光景は、すぐに暗転した。
魔王の記憶は、国王たちの執拗な追跡と、その権力の大きさを鮮明に映し出す。
「……だが……もし……そうすれば……
お前もまた……奴らに……命を狙われる……」
映像は、幼いレオの存在が、国王たちにとってどれほど危険なものであるかを、具体的な脅威として示した。
聖騎士長の息子であり、封印された勇者の資質を持つレオは、国王たちにとって目障りな存在であり、魔族の地で育てられれば、確実に抹殺対象となるだろう。
魔王は、その危険を深く理解していた。
魔王の苦渋の決断が、レオの脳裏に直接流れ込んできた。
安全のために、幼いレオを人間側に戻す。
それは、魔王にとって、どれほど辛い決断であったか。
映像の中の魔王の顔は、苦痛に歪んでいた。
「……お前を……
安全な場所へ……
人間側へ……戻した……」
レオは、その記憶に胸を締め付けられた。
魔王が、自分を人間側に戻したのは、突き放したからではなく、自分を守るためだったのだ。
これまで魔王を憎んできたレオの心に、新たな感情が芽生えた。
それは、深い理解と、感謝、そして、魔王への複雑な信頼だった。
そして、映像は、レオの人生の傍らに、常に寄り添ってきた存在を映し出した。
レオのポケットの中、小さなハムスターのような妖精、リル。
リルが、レオの幼少期から、ずっと彼の傍らにいた光景。
時には、見えない場所からレオを守り、時には、そっと彼の成長を見守る。
「……そして……お前を……
見守る役として……」
魔王の声は、慈愛に満ちていた。
映像の中のリルは、レオが危険に陥りそうになるたびに、懸命に彼を助けようとする。
それは、レオが知るリルとは異なる、使命感に燃える妖精の姿だった。
「……あの……小さな妖精……
リルを……密かに……送り込んだ……」
レオは、目を見開いた。
リルが、魔王の使いだったのか。
いつも自分のポケットの中にいて、言葉を話さない小さな妖精が、そんなにも重要な役割を担っていたとは。
その事実に、レオはただ驚愕するしかなかった。
そして、魔王の記憶は、リルが知る真実の深さを語り始めた。
リルが、レオの魔法の封印について知っている光景。
リルが、レオの出自、聖騎士長の息子であるという秘密を知っている光景。
「……リルは……お前の……
魔法の封印や……出自に関する……秘密を……」
「……我に次いで……
知る……唯一の存在……」
映像の中のリルは、レオが魔法に苦しむ姿を、悲しげに見つめていた。
そして、国王たちの策略からレオを守るために、常に彼の傍らに寄り添い、密かに見守り続けていたのだ。
リルは、ただのペットではなく、レオの守護者であり、魔王とレオを繋ぐ、最後の絆だったのだ。
転送魔法の光が薄れ、レオの意識は玉座の間に戻された。彼の全身は、感情の奔流によって震えていた。
リルが、ずっと自分を見守ってくれていた。
魔王が、自分を守るために、どれほどの苦渋の決断を下してきたのか。
レオは、胸のポケットにそっと手を伸ばした。
いつもそこにいるはずの、小さなリルの温もりを確かめるように。
リルは、彼の指先を感じ取ったかのように、ポケットの中で小さく身じろぎした。
レオの瞳から、再び涙が溢れ落ちた。
しかし、それはもはや悲しみや絶望の涙ではなかった。
それは、深い理解と、感謝、そして、自分を取り巻く全ての人々、魔王、そしてリルへの、限りない愛の涙だった。
自分が一人ではないこと、そして、自分は常に守られてきたのだという事実に、レオの心は温かさに包まれた。
玉座の間には、静かな安堵の空気が漂っていた。
親衛隊の魔族たちは、レオの表情の変化を静かに見守っていた。
彼らの瞳には、レオが真実を受け入れ、その心の中に新たな光を見出したことへの、深い喜びが宿っているかのようだった。
レオは、ゆっくりと立ち上がった。
その足取りは、もはや絶望に打ちのめされたものではなく、確固たる意志に満ちていた。
彼の心の中では、これまで魔王への憎しみとして存在していた感情が、複雑な理解と、そして、共に偽りの世界に立ち向かう同志としての感情へと変化していた。
彼は、魔王に、そしてこの世界に、何ができるのか。
その問いが、レオの心の中で、明確な答えを求めて響き渡り始めていた。
彼の覚悟は、さらに強固なものへと変わっていた。




