第98話:封印の秘密
玉座の間に崩れ落ちたレオは、虚ろな瞳でただ天井を見つめていた。
彼の心は、偽りの歴史と自身の存在の欺瞞に打ちのめされ、深い絶望の淵に沈んでいた。
セレーネの冷たい遺体、エリックとの断絶、そして、これまで信じてきた世界の全てが、音を立てて崩れ去った。
しかし、その深淵の静寂を破るかのように、瀕死の魔王から、再びか細い声が響いた。
「……レオ……まだ……
隠された……真実が……ある……」
その声は、レオの耳には届かず、直接、彼の魂に語りかけるようだった。
魔王の瞳の奥で、わずかに残った生命の輝きが、最後の力を振り絞るかのように揺らめいた。
魔王は、震える右手をゆっくりと持ち上げ、レオの顔にそっと触れた。
その指先から、これまでで最も強く、最も濃密な光が放たれた。
それは、単なる記憶の転送ではなく、魔王の命そのものを削って送られる、究極の転送魔法――
過去の出来事を映像として再現し、直接体験させるような、圧倒的な情報伝達だった。
次の瞬間、レオの意識は、激しい光の渦に飲み込まれた。
それは、彼がこれまで経験したことのない、強烈な幻視だった。
視界いっぱいに広がるのは、遥か昔の、もう一つの過去。
それは、レオ自身の、忘れ去られた記憶の断片と、魔王が目撃した真実の記録が混じり合った、鮮烈な映像だった。
まず、レオの目に飛び込んできたのは、穏やかな家庭の光景だった。
幼い自分。
無邪気に笑う、優しい母親。
そして、力強く、しかし温かい眼差しを向ける、見慣れない男の姿。
その男は、全身に光を纏い、神々しいほどに威厳があった。
彼の背中には、レオが見慣れた聖騎士の紋章が刻まれていた。
魔王の声が、レオの意識に直接響き渡る。
「……お前は……
10年前に……我を守って……戦死した……
聖騎士長の……息子……」
レオは、息を呑んだ。
聖騎士長。
その名は、勇者育成学校で、旧時代の英雄として、偉大な存在として語り継がれてきた。
しかし、その英雄が、自分の父親だというのか?
映像の中の父親は、レオの脳裏に、かすかながらも既視感を呼び起こした。
それは、あまりにも衝撃的で、あまりにも信じがたい真実だった。
映像は、突然、激しく変化した。
平和な日常が、一瞬にして血と炎に包まれた。
それは、旧世界の王である魔王を追放しようとする、現在の国王たちによる大規模な「国王追放戦」の光景だった。
激しい戦乱の中、レオの母親が、無慈悲な攻撃の犠牲となる。
彼女の笑顔が、血に染まり、永遠に失われる瞬間が、レオの目の前で再現された。
「……お前の……母親は……
その戦いの最中で……殺された……」
魔王の声は、その記憶の痛みをレオに直接伝えた。
幼いレオの泣き叫ぶ声が、映像の中で響き渡る。
レオは、胸を締め付けられるような激しい痛みに襲われた。
自分には、母親がいない。
その事実を受け止めてきたが、その死が、国王たちの非道な裏切りによってもたらされたものだという現実に、レオの心は激しく打ち震えた。
映像は、さらに悲劇的な光景を映し出した。
国王追放戦で、深い傷を負った聖騎士長の姿。
彼の体は、徐々に蝕まれ、その命の光が薄れていく。
そして、聖騎士長は、幼いレオの前に膝をついた。
彼の瞳は、深い愛情と、そして悲痛な決意に満ちていた。
聖騎士長は、震える手でレオの額に触れる。
そこから、温かい、しかしどこか悲しい光が放たれた。
レオの体から、強力な魔法の力が、徐々に吸い取られていくのが映像として感じられた。
「……お前の……父親は……
追放戦で負った傷がもとで……
すぐ後に……死亡した……」
「……そして……
彼は……お前の……
魔法の力を……封印した……」
魔王の声が、その行為の理由をレオに伝えた。
聖騎士長は、レオの中に眠る「勇者の資質」を見抜いていたのだ。
その強大な力を、国王たちに利用されることを恐れた彼は、幼いレオを守るため、自らの手で、息子の魔法の力を封印したのだ。
「……国王たちに……利用されないよう……
お前を……守るために……」
レオは、言葉を失った。
彼の脳裏には、自分が勇者育成学校で魔法が苦手だったこと、周囲から「勇者としての才能がない」と嘲笑された記憶が鮮明に蘇った。
それは、自分の父親が、自分を守るために行った行為の結果だったのだ。
彼の魔法の力が封印されていたからこそ、国王たちの思惑通りに利用されることなく、ここまで生きてこられたのだ。
映像は、聖騎士長が、幼いレオを抱きしめ、最後の言葉をかける光景で終わった。
彼の言葉は、映像の中で音声としては聞こえなかったが、その表情と仕草から、レオへの深い愛情と、未来への希望が伝わってきた。
転送魔法の光が薄れ、レオの意識は玉座の間に戻された。
彼の体は、冷たい床に倒れ伏したままだったが、その瞳には、かつてないほどの激しい感情が渦巻いていた。
悲しみ、怒り、そして、父親への深い感謝。
彼の目から、止めどなく涙が溢れ落ちた。
それは、セレーネの死への悲しみとも、世界の欺瞞への絶望とも異なる、深い家族の愛と、悲劇的な運命への涙だった。
自分が、知らぬ間に、これほど重い運命を背負っていたことに、レオはただ打ちのめされた。
玉座の間には、レオの嗚咽だけが響き渡った。
親衛隊の魔族たちは、レオの激しい感情の吐露を静かに見守っていた。
彼らの瞳には、もはや憐憫だけではなく、レオへの深い敬意と、彼の内面に宿る潜在的な力への期待が宿っているかのようだった。
レオは、震える手で自身の胸を強く握りしめた。
彼の心の中で、全てのパズルが一つになった。
アルスの死、偽りの歴史、国王たちの裏切り、そして、彼自身の出生の秘密と、封印された魔法の力。
全てが、一本の線で繋がった。
彼の心の中に、新たな感情が芽生え始めていた。
それは、これまで感じたことのない、強烈な使命感だった。
偽りの歴史を正し、国王たちの欺瞞を暴き、この世界に真の平和を取り戻す。
そして、父親と母親、そしてセレーネの無念を晴らす。
彼の全身から、これまで感じたことのない、強大な魔力の波動が湧き上がってくるのを感じた。
それは、父親によって封印されていた、本来の彼の力が、真実の覚醒と共に、目覚めようとしている証だった。
レオは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや絶望の色はなく、ただ、燃え盛るような、強靭な決意の炎が宿っていた。




