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第96話:瀕死の魔王

 レオは、魔王の傍らに膝をついたまま、そのか細い声に耳を傾けた。


 魔王の口から漏れた「レオ」という響きは、玉座の間に満ちる血の匂いや、セレーネの冷たい感触とは対照的に、どこか温かく、そして深く、レオの心に染み入るようだった。


 その声は、かつて魔王城の牢でリリスと交わした会話、そして魔族たちの日常を垣間見た記憶と重なり、レオの脳裏に「魔王は本当に『悪』だったのだろうか?」という問いを再燃させた。


 彼の混乱した心は、目の前の瀕死の魔王に、最後の望みを託すかのように見つめた。


 魔王は、その全身から夥しい血を流しながらも、その瞳からかすかな光を失ってはいなかった。

むしろ、その光は、これまでレオが見てきたどんな輝きよりも強く、彼の心を揺さぶった。


 魔王の苦しげな呼吸が、玉座の間の静寂を破る唯一の音だった。

レオは、魔王が何かを伝えようとしていることを直感的に感じ取り、その言葉の重要性に、全身の神経を集中させた。


 親衛隊の魔族たちは、血だまりの中に倒れ伏しながらも、レオと魔王の様子を静かに見守っていた。

彼らの顔には、もはや憎悪も恐怖もなく、ただ深い悲しみと、諦め、そしてレオへの複雑な感情が入り混じっていた。

彼らは、レオが自らの王を庇い、その結果としてセレーネを失ったことを、言葉にはせずとも理解しているかのようだった。


 魔王は、震える右手をゆっくりと持ち上げ、レオの頭に触れた。

その手は、冷たく、血に濡れていたが、レオはそれを払いのけることはしなかった。

むしろ、その冷たさが、現実の重みを突きつけるようだった。


 魔王の指先がレオの額に触れた瞬間、温かい光がレオの全身を包み込んだ。

それは、転送魔法――

意識と記憶を直接伝える、高度な魔法の光だった。


 次の瞬間、レオの意識は、激しい渦に巻き込まれた。

それは、言葉の羅列ではなく、イメージと感情が直接脳に流れ込んでくるような感覚だった。

目の前に広がるのは、魔王の記憶。

彼の視点から見た、この世界の真実の歴史だった。


 混沌とした映像の断片が、レオの脳裏を駆け巡る。

穏やかな表情で、古文書を紐解く賢者アルスの姿。

彼が指差す、奇妙な紋様が描かれた壁画。

「空白の10年間」に関する、秘匿された記録の数々。


 そして、それらの真実が、国王たちにとって都合の悪いものであることを示す、明確な証拠の数々が次々と提示された。


 レオは、息を呑んだ。

これまで信じてきた「正義」が、根底から覆されていくような感覚だった。


 魔王の声が、レオの頭の中に直接響き渡った。

それは、肉声ではない、意識に直接語りかける、深く、そして力強い声だった。


 「……アルスを……殺したのは……

国王たちだ……」


 その言葉は、レオの脳裏に雷鳴のように轟いた。


 賢者アルスは、レオにとって、尊敬すべき仲間であり、真実を求める探求者だった。

彼が、国王たちの手によって殺されたという事実は、レオの心を激しく揺さぶった。


 魔王の意識は、さらに深く、その真実の裏側を語り始めた。


 「アルスは……

『空白の10年間』の……

秘密に……

近づきすぎていた……」


 魔王の記憶の中には、アルスが「空白の10年間」に関する隠蔽された真実に到達しつつあった様子が鮮明に映し出された。


 その真実とは、人間と魔族の間に憎悪を植え付け、両者を争わせることで、国王たちが自らの権力を盤石にするための大規模な記憶改変計画が存在したということだった。


 アルスは、その計画の核心に迫り過ぎていたのだ。


 「奴らは……恐れたのだ……

真実が……暴かれることを……」


 魔王の記憶は、国王たちが抱いた深い恐怖と焦燥をレオに伝えた。


 彼らは、アルスが真実を突き止めてしまえば、これまで築き上げてきた偽りの平和と秩序が崩壊することを予見し、彼の存在を危険視したのだ。


 そして、最も衝撃的な真実が、レオの意識に流れ込んできた。


 「そして魔族との……

戦闘の混乱に……乗じて……

刺客を放った……」


 魔王の記憶の中には、鮮明な光景が広がった。


 魔族と人間の激しい戦いの最中、国王の刺客たちが、混乱に乗じてアルスを襲い、彼を殺害する様子が映し出された。


 それは、レオが知っていた「アルスは魔族との戦いで命を落とした」という認識とは、全く異なる真実だった。


 国王たちは、魔族をスケープゴートにすることで、自らの罪を隠蔽し、レオを含む多くの人間に偽りの憎悪を植え付けていたのだ。


 「……憎悪を……

植え付けたのは……奴らだ……」


 魔王の声は、苦痛に歪みながらも、確固たる意志を帯びていた。


 レオの脳裏には、これまでの彼の人生が、国王たちの都合の良いように操られていたという事実が突きつけられた。


 勇者として、魔族を討伐するという「正義」を信じて戦ってきたことが、全て偽りだったという絶望的な現実に直面した。


 レオは、言葉を失った。

彼の思考は停止し、全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。


 目の前で繰り広げられた魔王の記憶は、あまりにも鮮烈で、あまりにも残酷だった。

セレーネの死、エリックとの決裂、そして自身の存在意義。

その全てが、この新たな真実によって、意味を変えてしまった。


 魔王の意識は、ゆっくりと遠ざかっていった。

転送魔法の光が薄れ、レオの意識は、玉座の間に戻された。

しかし、彼の脳裏には、魔王が伝えた真実が、深く、深く刻み込まれていた。


 レオは、膝をついたまま、震える手で自身の額を押さえた。

頭の中に渦巻く情報は、あまりにも膨大で、あまりにも重かった。

これまで信じてきた世界が、脆くも崩れ去ったような感覚だった。


 「……そんな……」


 か細い声が、レオの口から漏れた。

それは、絶望と、裏切りへの怒り、そして、自分自身の無力さを嘆く声だった。


 彼の目から、再び涙が溢れ落ちた。

しかし、それはセレーネへの悲しみの涙とは異なり、真実を知ってしまったことへの、深い絶望の涙だった。


 魔王は、力を使い果たしたかのように、レオの頭から手を離し、再び血だまりの中に倒れ伏した。

その瞳の光は、さらに弱まっているように見えたが、その奥には、レオに真実を伝えられたことへの、かすかな満足が宿っているかのようだった。


 瀕死の親衛隊の魔族たちは、レオの激しい動揺を静かに見つめていた。

彼らは、魔王が何を伝えようとしたのか、全てを理解しているようだった。

彼らの目には、レオへの同情と、そして、今後の彼の選択を見守るような、複雑な感情が入り混じっていた。


 レオは、立ち上がることができなかった。

彼の心は、真実の重みに打ちのめされ、深い闇の中へと沈み込んでいた。


 セレーネの冷たい遺体、エリックの憎悪に満ちた背中、そして、今、目の前で瀕死の魔王が告げた衝撃の真実。

その全てが、レオの心を蝕み、彼を深い絶望の淵へと突き落としていた。


 玉座の間には、血の匂いと、静かな魔族たちの呻き声、そして、真実を知ってしまったレオの、深い絶望が漂っていた。


 彼の心の中では、これまで築き上げてきた全ての価値観が、音を立てて崩壊していく。

そして、その瓦礫の中から、新たな感情が芽生え始めていた。


 それは、国王たちへの、激しい怒りだった。

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