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第95話:魔王への猛攻

 エリックの瞳は、セレーネの鮮血によって狂気に染まっていた。


 彼の思考は、もはや理性という名の枷を打ち砕かれ、魔王への復讐という業火に焼かれていた。

そして、彼の脳裏には、レオがセレーネを死に追いやったという、絶対的な「裏切り」の構図が刻み込まれていた。


 「魔王……!!」


 エリックの口から漏れた声は、もはや人間のそれではなく、地獄の底から響く怨嗟の叫びのようだった。

彼は、セレーネの仇を討つかのように、その憎悪の全てを剣に込め、瀕死の魔王へと猛然と突進した。


 レオが「やめろ!」と叫びながら、再びエリックを止めようと手を伸ばす。

しかし、エリックの動きは、セレーネの死によって研ぎ澄まされたかのように、常軌を逸した速さだった。


 エリックの剣は、光を帯びた一条の閃光となり、魔王の肉体を何度も、何度も貫いた。

その一撃一撃には、セレーネへの深い愛情と、レオへの激しい憎悪が込められていた。


 剣が魔王の皮膚を裂き、肉を抉るたびに、おぞましい水音が魔王の間に響き渡る。

魔王は、その怒涛の攻撃を受けながらも、一切の抵抗を見せず、ただ静かにエリックを見つめていた。

その瞳の奥には、諦めにも似た、しかしどこか達観した光が宿っているかのようだった。


 エリックの剣は、魔王の胸、腹、肩、そして四肢を容赦なく貫き続けた。

魔王の体からは、どす黒い血が泉のように噴き出し、玉座の間を赤く染め上げていく。

しかし、魔王は呻き声一つ上げず、ただその場に立ち尽くしていた。

その姿は、まるで自らの運命を受け入れているかのようにも見えた。


 エリックは、魔王の抵抗のなさに、逆に恐怖を覚える。

しかし、その恐怖も、セレーネの死によって掻き立てられた復讐心の前には、無力だった。


 「これで……終わりだ……!

セレーネの仇だ……!」


 エリックは、最後の力を振り絞り、魔王の心臓めがけて渾身の一撃を突き立てた。


 剣は、肉を深く抉り、骨を砕く感触がエリックの腕に伝わる。

魔王の体は大きく揺らぎ、その場に崩れ落ちた。


 彼の全身から力が抜け、剣を支えていた腕がだらりと垂れ下がった。

激しい呼吸を繰り返しながら、エリックはゆっくりと顔を上げた。


 その視線は、憎悪と絶望に満ちたまま、レオへと向けられた。


 「お前が……

お前がセレーネを殺したんだ……!」


 エリックの声は、もはや怒鳴り声ではなく、魂の奥底から絞り出された、痛ましいほどの恨み言だった。

彼の瞳は、レオの存在を焼き尽くさんばかりの炎を宿し、その光は、かつての親友に向けられるものではなかった。


 レオは、エリックの言葉に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

セレーネの死の責任が自分にあることは、彼自身が最も深く理解していた。

しかし、エリックのその憎悪に満ちた視線は、レオの心に深い傷を刻みつけた。


 「お前とは……

もう二度と……!」


 エリックは、それ以上言葉を続けることができなかった。

彼の心は、悲しみと憎悪、そして絶望によって完全に支配されていた。

セレーネの遺体、倒れ伏した魔王、そして、自分を裏切ったレオ。

その全てが、エリックの精神を蝕んでいた。


 エリックは、よろめきながら魔王の間を後にした。

その足取りは重く、まるで全身から生気が失われたかのようだった。

彼の背中からは、かつての勇者としての輝きは完全に消え失せ、ただ深い闇だけが広がっていた。


 レオは、エリックが去っていく後ろ姿を、ただ見つめることしかできなかった。

彼の心には、セレーネの死への悲しみと、エリックとの間に生じてしまった決定的な亀裂への絶望が、重くのしかかっていた。


 魔王の間には、レオと、血の海に倒れ伏した魔王、そして、静かに横たわるセレーネの遺体が残された。

エリックたちに倒された、瀕死の状態の魔王の親衛隊数名も、息も絶え絶えにその場に倒れていた。

彼らの苦しげな呻き声だけが、静寂に包まれた広間に響き渡る。


 レオは、セレーネの遺体にゆっくりと近づき、その冷たくなった頬にそっと触れた。

彼女の顔は、安らかな眠りについているかのようだったが、その瞳は永遠に閉ざされている。


 レオの目から、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちた。

それは、セレーネへの深い愛情と、彼女を守れなかった自分への悔恨、そして、エリックとの間に生じた、修復不可能な溝への絶望の涙だった。


 彼は、セレーネの遺体を抱きかかえ、その温もりを求めた。

しかし、彼女の体は、もはや冷え切っており、レオの腕の中で、ただ重く横たわるだけだった。

レオの心は、深い闇の淵へと沈み込んでいく。


 自分が信じてきた「正義」が、こんなにも残酷な結果を招くとは、夢にも思わなかった。


 魔王の親衛隊の魔族たちは、瀕死の状態でありながらも、レオの様子を静かに見つめていた。

彼らの瞳には、恐怖や憎悪ではなく、どこか哀れみにも似た感情が宿っているかのようだった。

彼らは、レオが魔王を庇ったこと、そして、その結果としてセレーネが死んだことを、かすかに理解しているようだった。


 レオは、セレーネの遺体を抱きしめたまま、倒れ伏した魔王へと視線を向けた。


 魔王は、エリックの猛攻によって、全身が血に染まり、息も絶え絶えだった。

しかし、その顔には、苦痛の表情はなかった。

ただ、静かに、レオを見つめ返している。


 その瞳の奥には、まだかすかな光が宿っているかのようだった。


 レオは、魔王のその視線に、何かを訴えかけられているような気がした。

それは、言葉にならない、しかし確かなメッセージだった。

彼は、セレーネの遺体をそっと地面に横たえ、魔王の元へとゆっくりと歩み寄った。


 魔王の体からは、大量の血が流れ出し、地面に大きな血だまりを作っていた。

しかし、その瞳は、まだレオを捉えて離さない。


 レオは、魔王の傍らに膝をつき、その顔を覗き込んだ。魔王の口元が、わずかに動いた。


 「……レオ……」

 か細い声が、魔王の口から漏れた。


 それは、レオの耳には、遠い昔に聞いたことのある、懐かしい声のように響いた。

レオの脳裏に、魔王城の牢屋でリリスと交わした会話、そして、魔族たちの日常を垣間見た記憶が蘇る。魔王は、本当に「悪」だったのだろうか?


 レオは、魔王の言葉に耳を傾けた。

魔王は、苦しげに呼吸をしながらも、何かを伝えようとしているようだった。

その言葉は、途切れ途切れで、はっきりと聞き取れない。

しかし、レオは、魔王が伝えようとしていることの重要性を直感的に感じ取った。


 魔王の親衛隊の魔族たちは、レオと魔王の様子を、ただ静かに見守っていた。

彼らの間には、もはや戦いの意思はなかった。

ただ、自らの王の最期と、その場に残されたレオの苦悩を、見届けるだけだった。

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