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第92話:禁断の叫び

 光り輝くエリックの剣が、唸りを上げて振り下ろされる。


 その軌道は寸分の狂いもなく、バランスを崩してよろめく魔王の頭上へと、真っ直ぐに吸い込まれていくようだった。


 セレーネの口元は、最後の最大魔法の詠唱を紡ぎ続け、その杖の先からは、微かな光の粒子が生まれ始めていた。万感の思いが込められた、世界を救うための一撃と、それを補完する魔法。


 レオは、剣を振り下ろそうとするエリックの背中を、震える体で見つめていた。

全身の筋肉が強張り、喉はカラカラに渇き、声を出そうとしても言葉は詰まったままで、肺から空気が絞り出されるような音しか出ない。


 このままでは、魔王は討たれる。

そして、それが、世界にとっての「正義」なのだ。


 (違う……っ!)


 数瞬にも感じられる、いや、それこそが永遠にも似た葛藤が、レオの魂を激しく苛んでいた。


 親友エリックの揺るぎない正義、セレーネの純粋な願い、アルスの無念の死……

それら全てが、彼がこれまで歩んできた勇者としての道のりを肯定し、魔王を討つことこそが唯一の「正解」だと、レオに訴えかけていた。


 しかし、同時に、リリスの涙、魔王の瞳に宿る深い悲しみ、そして魔族たちが決して「絶対悪」ではないという、あまりにも衝撃的な真実が、彼の心に重くのしかかっていた。


 目の前で、エリックの剣が、もう魔王の銀色の髪の毛をかすめる寸前まで迫っている。

魔王は、もはや抵抗する力もなく、ただ虚ろな瞳でその一撃を受け入れようとしているかのようだった。


 その瞳の奥底に、レオだけが見出すかすかな光。

それは、人間の持つ感情、理性、そして何よりも、この世界に生きる命が持つ、尊厳の輝きだった。


 (俺は、見てしまったんだ……

この世界の、裏側を……!)


 勇者育成学校で教えられた「歴史」は、全てが真実ではなかった。

魔族は、一方的に憎むべき存在ではなかった。


 人間と魔族の間には、外から植え付けられた憎悪の歴史がある。

エリックも、セレーネも、純粋に世界を救おうとしている。

彼らは、偽りの歴史を信じ込まされているだけなのだ。彼らを「裏切る」ことは、レオにとって、どれほどの苦痛を伴う選択か、計り知れない。


 これまで共に死線を潜り抜け、互いを信じ、支え合ってきた仲間を、この手で拒絶するのか。


 レオの脳裏に、リリスの震える声が響く。

「私たち魔族は……あなたたちが思うような存在じゃない……!」その言葉は、レオの心の奥底に深く突き刺さっていた。


 もし、今、ここで魔王が討たれれば、この真実は永遠に闇に葬られるだろう。

そして、世界は、偽りの「平和」の中で、再び同じ過ちを繰り返すかもしれない。


 (俺は……

嘘の平和のために、真実を犠牲にはできない……!)


 全身の筋肉が、痙攣するように跳ね上がった。

喉の奥から、枯れた葉が擦れるような音が漏れる。

だが、その音は、もはや止めることができない、彼の内なる叫びの、ごくごく一部に過ぎなかった。


 「やめろ、エリック!」


 レオの喉から、ようやく、しかし力強い叫びが絞り出された。


 その声は、かつての迷いを振り払った、戦士としての覚悟に満ちていた。

彼の身体は、意志のままに、まるで弾かれたように動き出した。


 すでに魔王に向けて、エリックは最後のトドメの一撃を放つ瞬間であった。

エリックの剣の切っ先が、魔王の胸に触れようとした、その刹那。


 ガァンッ!


 耳をつんざくような金属音が響き渡り、激しい火花が散った。

レオは、とっさに自分の剣で、エリックの光り輝く剣をはじいたのだ。

彼の黒鉄の剣は、まるで自らの意志を持つかのように震えている。


 心の葛藤の末、レオはついに、洗脳された仲間を裏切り、エリックの攻撃から魔王を庇ったのだ。

彼は魔王を庇うように、その傷ついた身体の前に立ち塞がった。


 「……レオ!?」


 信じがたい光景に、エリックの瞳が見開かれる。

その目には、驚愕と、そして深い裏切りの色が宿っていた。


 「なぜだ…!

なぜ魔王を守る!

そこをどけ、レオ!」


 エリックの怒声が、氷の玉座の間にこだまする。

その声には、親友の信じがたい行動に対する、激しい感情が込められていた。


 彼の剣は、レオを指し示し、その切っ先は憎悪に震えている。

レオの背中には、エリックの視線が突き刺さるような痛みを伴った。


 だが、レオは微動だにしない。


 彼の広い背中が、エリックの純粋なまでの正義を、そして彼らがこれまで信じてきた全てを、明確に拒絶しているかのようだった。


 その背中は、もはや勇者としてのエリックの隣に立つ者ではなく、異なる道を選んだ者の、揺るぎない壁となっていた。

魔王を庇う彼の姿は、まさに禁断の選択、裏切りの証そのものだった。


 エリックの顔が、怒りと混乱で歪む。

セレーネもまた、詠唱を続ける手を止め、信じられないものを見るようにレオを見つめていた。

その瞳には、混乱と、かすかな悲しみが浮かんでいる。


 「仕方ない…!

セレーネ、援護を!

俺たちだけでも奴を討つぞ!」


 エリックは、苦渋の決断を下した。

もはや、レオの真意を問う時間は残されていなかった。


 目の前には、依然として世界を脅かす魔王がいる。

そして、その魔王を、よりにもよって親友が庇っているという、あまりにも理解しがたい状況。


 彼は、後方に控え、大魔法の詠唱を完了させているはずの魔術師に呼びかける。

セレーネの魔法があれば、再び魔王に致命的な一撃を与えることができるはずだ。

そして、たとえレオが邪魔をしようとも、二人で協力すれば、必ず魔王を討ち果たせる。


 だが、返事はない。


 ただ、凍てつく風の音が玉座の間を吹き抜けるだけだった。エリックの耳には、セレーネの詠唱の音が聞こえない。

不審に思ったエリックが、ゆっくりと、恐る恐る振り返る。


 その脳裏には、嫌な予感がよぎっていた。


 まさか、セレーネまでが……?


 そして、見た。


 時が、止まった。


 魔王を庇ったレオに弾かれたエリックの剣が、まるでスローモーションのように、美しい放物線を描いて宙を舞い――


 そして、可憐な魔術師の胸に、深く、残酷なまでに突き刺さっていた。


 「……ぁ」


 セレーネの唇から、言葉にならない、か細い声が漏れる。


 彼女の美しいアメジストの瞳から、急速に光が失われていく。

その小さな手から、白樺の杖がカラン、と乾いた音を立てて床に滑り落ちた。

光の粒子は、まるで生命が消えゆくかのように、はかなく消えていく。


 「セレーネッ!?」


 エリックの悲痛な叫びが、氷の壁に虚しく反響する。

その声は、絶叫というよりも、魂の叫びだった。


 彼の視界は、信じられない光景で埋め尽くされていた。

親友の裏切り、そして、最愛の仲間が、自分の剣で……。


 弾かれたようにセレーネの元へ駆け寄ろうとしたレオの肩を、エリックが掴んだ。

その指は、憎悪と、そして絶望に震えていた。


 エリックの瞳には、かつての親友への深い愛情は、もうどこにも見当たらない。

あるのは、狂おしいほどの憎悪と、全てを失った男の、虚無だった。

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