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第69話:森の隠れ家

 魔族の追撃は苛烈を極めた。


 レオは、自身の身体能力の限界を超え、夜の森を縦横無尽に駆け抜けた。

木々の間を縫うように疾走し、時には獣道のない藪の中を強引に突破する。


 魔族兵士たちの放つ空間跳躍の魔法は、彼の背後数メートルまで肉薄し、追跡の光は彼の足元を何度も照らした。


 しかし、レオは、リリスとの再会を誓った心の誓いを胸に、決して諦めなかった。

彼の脳裏には、リリスの微笑みと、彼女の言葉が、灼熱の炎のように燃え盛っていた。


 その時だった。


 レオは、森の奥深くに、微かに魔力の波動を感じ取った。


 それは、追手の魔力とは異なる、より古く、自然と一体化したような、微細な気配だった。

戦士としての経験が、そこに安全な場所があることを直感させた。


 彼は、残された全ての力を振り絞り、その方向へと走った。


 辿り着いたのは、苔むした岩壁に隠された、ほとんど目立たない洞窟の入り口だった。

獣の巣穴か、あるいは遥か昔に忘れ去られた隠れ家か。


 レオは、追手の足音が再び近づいてくるのを感じながら、細い入り口を無理やりこじ開け、体を滑り込ませた。


 洞窟の奥へと身を隠した瞬間、外から聞こえていた追手の声と足音が、急速に遠ざかっていくのを感じた。


 洞窟の入り口は狭く、巧妙に隠されているため、魔族の兵士たちが簡単に見つけることはないだろう。

追跡の魔法の光も、ここまでは届かない。


 息を整える間もなく、レオは、その場に力なく座り込んだ。

いや、座り込んだというよりは、崩れ落ちた、という方が適切だった。


 全身の筋肉が、限界を超えた運動の末に、悲鳴を上げている。

肺は熱く、鉛のように重い。

心臓は、激しいドラムを打ち鳴らすかのように脈動し、頭の中には耳鳴りが響いていた。

体中が汗と泥にまみれ、衣服は破れ、そこかしこに擦り傷や切り傷ができていた。


 肩に乗っていたリルが、そっとレオの膝に降り立ち、小さな体を丸めて眠り始めた。

その無垢な姿が、レオの張り詰めた神経を、僅かながらも緩めてくれた。


 外界の喧騒から隔絶された洞窟の中は、ひんやりとした空気に満ちていた。

岩肌を伝う水滴の音が、静かに響く。


 レオは、背中の岩壁に体重を預け、ゆっくりと目を閉じた。

命の危険が去った今、全身を支配する疲労感が、彼を深く、深く包み込んだ。


 しかし、肉体の疲れとは裏腹に、彼の思考は止まることを知らなかった。

特に、リリスとの別れ際に交わした約束が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。


 「必ず、戻る。

必ず、また会いに来る」


 あの言葉は、彼の魂に刻み込まれた、未来への誓いだった。

だが、そのためには、この後のことについて、真剣に考えなければならない。


 彼は、かつて「勇者」を目指し、魔王を討伐することを至上命題として生きてきた。

そのために訓練を積み、剣を振るい、人間界の平和を守ることを信じて疑わなかった。


 彼の人生は、光と闇の明確な区別の上に成り立っていた。

魔族は「悪」であり、人間は「正義」。それが、彼が教えられてきた全てであり、信じてきた真実だった。


 しかし、魔王城でのリリスとの出会いが、彼のその堅固な世界観を根底から揺さぶった。

リリスは、彼がこれまで出会ってきたどの人間よりも、聡明で、勇敢で、そして何よりも優しかった。


 彼女は、彼を助け、導き、命を救ってくれた恩人であり、そして、彼が初めて心から愛を抱いた相手だった。


 彼女が魔族であるという事実は、彼が抱いていた「魔族=悪」という固定観念を、木っ端微塵に打ち砕いた。


 (俺は、勇者として、魔族を滅ぼすために戦ってきた……。

でも、リリスは、俺にとっての『悪』ではなかった)


 この矛盾が、レオの心を激しく揺さぶる。

もし、勇者パーティー(エリック達)に戻ったとして、彼らはリリスの存在をどう受け止めるだろうか?


 彼が魔族の助けを得て脱獄したことを知れば、彼を裏切り者と呼ぶかもしれない。

あるいは、洗脳されたと決めつけ、彼を排除しようとする可能性もある。


 彼が信じてきた仲間たちが、リリスを敵としてしか見ないことは、想像に難くなかった。


 彼の心の中に、深く根付いた葛藤が生まれた。

果たして、彼は再び戦士として、あのパーティーに戻るべきなのだろうか?

戻ったとして、彼は以前のように、何の疑いもなく魔族と戦えるだろうか?

リリスとの約束を、どう果たせばいいのか?


 彼にとって、リリスとの再会は、もはや勇者としての使命よりも、はるかに重く、大切なものとなっていた。


 (俺は、もう……

以前の『レオ』ではないのかもしれない)


 かつての彼は、単純な善悪二元論の中で、迷うことなく正義の剣を振るっていた。

しかし、今の彼は、魔族の中にも多様な存在がいることを知ってしまった。


 彼が信じるべきは、誰かの与えた「正義」ではなく、彼自身の心で感じ取った「真実」なのではないか。


 リリスとの出会い、そして共に乗り越えた幾多の危機は、レオの価値観を大きく変容させた。

彼は、もはや目の前の敵を倒すことだけが目的ではないと感じていた。


 大切な人を守り、彼女との未来を切り開くこと。

それが、今の彼にとっての、新たな「使命」となっていた。


 だが、その新しい使命は、彼を未だ見ぬ、険しい道へと誘う。

戦士として培ってきた力は、この世界で生きていく上で不可欠だが、彼がこれから進むべき道は、かつての栄光とは全く異なるものになるだろう。


 俺は、どうすればいい?

どこへ向かうべきか?


 静かな洞窟の中で、レオは、深く、深く呼吸を続けた。


 外はまだ闇夜に包まれ、追手の気配も完全に消え去ったわけではないだろう。

この束の間の休息の中で、彼は、自身の過去と未来、そしてリリスへの思いを巡らせ、来るべき選択に備えるのだった。

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