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第66話:魔法の罠

 古い排水路は、やがて磨かれた石壁の通路へと繋がっていた。


 空気はもはや湿り気を帯びておらず、しかし代わりに、微かな、しかし肌を刺すような独特の冷気が漂っている。

レオは、この空気が魔力の濃さを物語っていることを、本能的に感じ取っていた。


 壁には、何か意味ありげな紋様が薄く彫り込まれているのが、懐中から取り出した魔石の光にぼんやりと浮かび上がる。

それは、魔族の美意識が反映された装飾のようにも見えたが、同時に、油断ならない雰囲気を醸し出していた。


 レオは、より一層慎重に足を進めた。

彼の目は、闇の奥に潜む危険を探し、耳は、僅かな物音も聞き逃すまいと研ぎ澄まされている。

彼らが足を踏み入れる通路は、先ほどの薄暗い排水路とは異なり、ところどころに魔石が埋め込まれ、淡い光を放っていた。


 その光は、まるで彼らを招き入れているかのようでもあり、同時に、何か危険なものが潜んでいることを暗示しているかのようでもあった。


 その時だった。


 レオの足が、通路の一点を踏みしめようとした瞬間、彼の視界の端で、地面に描かれた紋様が、ごく僅かに、しかし明確に、青い光を放ち始めた。

足元から、微かな、しかし高周波の振動が伝わってくる。全身の毛が逆立つような、危険な予感。長年の戦いで培われた勇者としての勘が、彼の身を硬直させた。


 「レオ!止まって!」


 リリスの鋭い声が、闇を切り裂いた。

彼女は、レオの腕を掴み、その小さな体で彼を力強く後ろへ引き戻した。


 間一髪だった。

彼の靴底が、光を放つ紋様から数センチのところで止まる。

もし、そのまま踏み込んでいたら、何が起こっていたか、想像するだけで背筋が凍った。


 リリスは、息を整える間もなく、紋様を凝視した。

その瞳は、暗闇の中でも魔力の揺らぎを捉えているかのように、鋭く、そして真剣だった。


 「これは『誘引の網』ね。特定の魔力を感知すると発動する結界よ。

この配置は『影の足枷』の紋様。周囲に警備を呼び寄せるだけでなく、踏み込んだ者を数刻、身動きできなくする性質があるわ」


 リリスは、魔石の光を紋様に近づけ、指先でその縁をなぞった。

彼女の指の動きは、まるで魔法の旋律を奏でているかのように優雅で、そして正確だった。


 「この紋様は、魔力を感じ取ると発動するけれど、同時に微細な音波にも反応する特性があるの。

見て、この結節点にある魔石の配列…

これらを、特定の順序で触れる必要があるわ。

ただし、ただ触るだけではダメ。

魔力の流れを乱さないように、息を止めて、指先でごく微かに振動を与えるの」


 彼女の言葉に、レオは目を見張った。彼は、勇者として長年生きてきたが、魔族が仕掛ける魔法の罠の解除方法など、一度も教わったことはない。

ましてや、その紋様の意味や特性まで読み解けるなど、考えたこともなかった。


 魔力を持たない彼にとって、魔法は常に「理解不能な力」であり、対処するならば「力で破壊する」か「避ける」しかなかったのだ。


 しかし、リリスは、その複雑な魔術の仕組みを、まるで呼吸をするかのように自然に理解している。

彼女は、レオに魔石の配列を指し示し、その微細な振動の感覚を、自らの指先で示して見せた。


 レオは、リリスが差し出した魔石の光を手に取り、彼女の指示通りに、震える指先で紋様の結節点に触れていった。

彼は、集中力を最大限に高め、神経を指先に集中させた。

わずかな揺らぎも感じ取られないよう、息を止め、心臓の音すら聞こえないかのように精神を研ぎ澄ます。一瞬、紋様が再び淡く光ったかと思うと、次の瞬間には、その光は完全に消え去り、高周波の振動も止まった。


 罠は、解除されたのだ。


 レオは、安堵の息を吐き出し、リリスを見つめた。彼の心には、彼女への深い感謝と、そして、これまで感じたことのない、畏敬にも似た感情が湧き上がっていた。


 「すごい……

リリス。君がいなければ、俺は今頃、この罠にかかって身動きが取れなくなっていた」


 彼の言葉に、リリスは少しはにかんだように微笑んだ。その微笑みが、レオの心の奥深くに温かい光を灯した。


 「魔族の魔法は、人間には理解しにくいかもしれないけれど、私も、勇者であるレオの体術や剣術のような力は持っていないわ。

だから、私たちは互いに補い合えるのよ」


 リリスの言葉は、レオの心を強く揺さぶった。

彼は、自身の「魔力を使えない」という弱点が、彼女の「魔族としての知識と魔法」によって完全に補完されていることを、この場で痛感した。


 そして、彼自身の強みである「戦士としての力」もまた、彼女を守り、この脱獄を成功させるために不可欠なものなのだ。彼らは、まるでパズルのピースのように、互いの足りない部分を埋め合い、完璧な一つの存在となっている。


 この瞬間、レオの中で、リリスへの「恋心」は、単なる感情的な惹かれ合いを超え、より深く、本質的な「運命の絆」へと昇華されていくのを感じた。

彼女は、彼の弱みを強みに変え、彼が到達できない領域へと導いてくれる存在。

彼女の知性と勇敢さ、そして何よりも、彼の隣に寄り添ってくれるその温かさに、レオの心は深く深く囚われていた。


 「……ありがとう、リリス」


 レオは、もう一度、心からの感謝を伝えた。その声は、震えていたが、確かな愛情に満ちていた。

リリスもまた、レオの言葉からその真心を汲み取り、彼の手にそっと自らの手を重ねた。


 魔王城の奥深くへと続く通路は、さらに厳重な警備が敷かれているだろう。

しかし、レオとリリスは、互いの存在を信じ、高め合うことで、どんな困難も乗り越えられると確信していた。


 彼らは、静かに、そして力強く、次なる目的地へと歩みを進めた。

彼らの行く手には、まだ見ぬ危険が待ち受けている。

しかし、二人の絆は、闇の中で輝く希望の光となっていた。

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