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第55話:孤独、悲しみ

 リリスが魔王の娘であるという衝撃の告白は、レオの心を激しく揺さぶった。


 しかし、その混乱の渦中にあっても、彼の心に宿るリリスへの想いは、奇妙なほどに揺らぐことはなかった。むしろ、彼女が背負うであろう宿命への共感が、彼の心を強く捉えていた。彼は、この真実を知った上で、彼女の言葉をもっと深く、もっと理解したいと強く願った。


 数日が過ぎ、リリスは再びレオの牢獄を訪れた。いつものように、質素な食事が鉄格子の前に置かれる。しかし、その日の空気は、これまでとは明らかに異なっていた。


 レオは、何かを期待するかのように、静かにリリスを見つめた。

リリスもまた、彼の視線から逃れることなく、じっとレオの青い瞳を見つめ返した。その間には、言葉以上の、深い感情の交流が流れていた。


 リリスの表情は、相変わらず無表情に近かったが、その青い瞳の奥には、前日よりもさらに深い悲しみと、何かを打ち明けようとする決意のようなものが揺らめいていた。


彼女は、ゆっくりと口を開いた。

その声は、前回にも増して静かで、しかし、どこか重苦しい響きを帯びていた。


「……私の母は、魔族です」

 レオは、静かにその言葉を聞いた。当然のことのように思える。


「そして、私の父は……人間でした」

 レオの息が、止まった。


 魔族と人間。その二つの血が、今、目の前に佇むリリスの中に流れているというのか。


 魔王の娘という事実だけでも、彼の世界はひっくり返るような衝撃だった。

しかし、ハーフであるという告白は、さらに彼の常識を打ち砕いた。人間と魔族の間に、そんなことがあり得るのだろうか。それ自体が、人間が信じてきた「魔族=悪」という絶対的な境界線を、無残にも踏み越える、禁忌のような出来事ではないか。


 リリスは、レオの動揺を察したかのように、わずかに目を伏せた。彼女の銀色の髪が、牢獄のわずかな光を受けて、静かに揺れる。その姿は、まるで、世界から隔絶された、孤独な存在のようだった。


「私は、魔族の里でも、人間の里でも、完全に受け入れられることはありませんでした」


 彼女の言葉は、悲痛な響きを帯びていた。

魔族の里では、人間の血が混じっていることで異端視され、人間社会では、魔族の血を引く者として、決して受け入れられなかったのだろう。彼女の瞳の奥にこれまで感じていた深い悲しみは、この故なき孤独から生まれていたのだと、レオは悟った。


「母と父は、異なる種族でありながら、互いを深く愛し、私を授かりました。

しかし、その愛は、世界には受け入れられませんでした。

彼らの存在は、人間と魔族の間に立つ、許されざる架け橋だったからです」


 リリスは、語り続ける。その声は、抑揚がないにも関わらず、レオの心に両親の悲しい過去、そして彼女自身が経験してきたであろう差別と孤立の痛みを生々しく伝えてきた。

両親が経験した悲劇は、リリスにとって、生まれた時から背負わされた重荷だったに違いない。彼女は、その重荷を、誰にも理解されずに、たった一人で背負い続けてきたのだ。


「私は、どちらの『世界』にも、完全に属することができませんでした。

故郷と呼べる場所は、この魔王城だけ。父だけが、私を受け入れてくれました」


 その言葉は、レオの胸に深く突き刺さった。


 孤独。


 それは、レオ自身も、深く経験してきた感情だった。


 彼は、勇者育成学校の中でも、異質な存在だった。周囲の仲間たちが、生まれつき魔法の才能に恵まれている中で、レオだけは、どんなに努力しても、魔法の才能を開花させることができなかった。


「俺も……魔法が使えないことで、孤独を感じてきた」

 自然と、口から言葉が零れ落ちた。


 魔法が当たり前の世界で、魔法が使えない自分は、どこか欠陥があるような気がしていた。努力だけではどうにもならない才能の壁にぶつかり、劣等感に苛まれることも少なくなかった。周囲の期待と、自身の無力さの間で、彼は深く孤立していた。


「周囲から見れば、勇者としての才能に恵まれているように見えたかもしれない。

だが、俺は、いつだって、自分の心の奥底に、埋められない溝を抱えていた。お前と同じだ」


 レオは、リリスの瞳を真っ直ぐに見つめた。彼の言葉は、飾らない、純粋な共感の表明だった。


 リリスの青い瞳が、僅かに大きく見開かれた。彼女の表情に、微かな変化が生まれた。それは、驚きと、そして、長年閉じ込めていた感情が解放されるような、安堵の表情だった。


 彼女は、誰にも理解されない孤独を抱えて生きてきた。人間と魔族の狭間で、自分の居場所を見つけられずに苦しんできた。その痛みを、今、目の前の人間が、理解してくれた。しかも、彼は、魔王討伐の使命を背負う「戦士」であり、彼女の父の敵であるはずの人間なのだ。


「あなたも……」


 リリスの声が、震えた。その声には、彼女がこれまでに抱えてきた、すべての孤独と悲しみが込められているようだった。


 二人の間に、言葉はいらなかった。互いの瞳の奥に映る、深い悲しみと、これまで誰にも打ち明けられなかった孤独が、磁石のように引き合い、共鳴し合った。


 レオは、彼女の瞳の奥に、自分と同じ光を見出した。それは、この世界で、自分だけが抱えていると思っていた、深い溝の光。


「俺たちは、違う場所にいる。俺は人間で、お前は魔族。

だが、孤独の痛みは、種族なんて関係ない。それは、同じだ」


 レオの言葉が、牢獄に静かに響き渡る。その言葉は、二人の間にあった心の壁を、一枚一枚、静かに取り払っていくようだった。


 リリスの瞳から、一筋の光が溢れた。それは、涙だった。


 彼女の頬を伝う、透明な滴。これまで、感情を表に出すことのなかったリリスが、レオの前で、初めて感情を露わにした瞬間だった。


 レオは、その涙を見て、胸が締め付けられる思いがした。彼女の孤独が、どれほど深く、どれほど長かったのかを、その一滴の涙が物語っていた。


 彼女の涙は、牢獄の冷たい空気を、じんわりと温かいものに変えていく。


 言葉を交わし、互いの過去と孤独を分かち合う中で、二人の心の距離は、信じられないほどの速さで縮まっていった。物理的な隔たりは、まだそこにある。鉄格子は、二人の間を隔てている。しかし、彼らの心は、もう互いに触れ合っていた。


 リリスは、涙を拭うことなく、ただ静かに、レオの顔を見つめていた。その瞳は、悲しみと、そして、これまで感じたことのない安堵の光で満たされていた。


「……ありがとう」


 掠れた声が、牢獄に響いた。それは、彼女が心の底から発した、感謝の言葉だった。


 レオは、何も答えることはできなかった。ただ、リリスの瞳に映る自分を見つめ、彼女の孤独を共有できたことに、深い喜びを感じていた。


 この牢獄で、勇者と魔王の娘、そして人間と魔族のハーフという、決して相容れることのない存在が、互いの傷を癒し、心の繋がりを深めていく。


 世界の真実が、少しずつ、彼らの目の前で姿を現し始めていた。それは、彼らがこれまで教えられてきた、すべてを覆すような真実。

そして、その真実の中心には、リリスという、深く孤独な存在がいた。


 レオは、彼女と共に、この世界の隠された真実を、もっと深く知りたいと強く願うようになっていた。

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