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第50話:一条の光

 魔王城の深い、深い地下へと、レオは引きずられていった。


 石段はどこまでも続き、その先は、どこまでも続く暗闇に包まれていた。

足元の湿った空気は、土と埃と、そして古びた血の匂いを混ぜ合わせたような、重苦しい臭気を放つ。


 縄で縛られた手足は、石段に打ち付けられ、そのたびに全身に激痛が走るが、もはや痛みすらも感覚の一部と化していた。


 兵士たちの足音が、不気味に反響する。その規則正しい音が、レオの意識をかろうじて繋ぎ止める唯一の錨だった。


 彼の全身は毒に蝕まれ、魔力は枯渇し、体中の傷は熱を持ち、脈動していた。

しかし、肉体の苦痛よりも、彼の心を深く支配していたのは、拭い去ることのできない絶望感だった。


 (アルス……)

 脳裏に友の顔が焼き付く。


 彼の死は、レオに重くのしかかっていた。エリックとセレーネを逃がすために戦った最後の瞬間、彼は確かに「アルスの死を無駄にするな」と叫んだ。

しかし、結果として自分は捕らわれ、無力なまま魔王の前に引きずり出された。


 彼らの未来を、託された命を、無事に繋ぐことはできたのだろうか。

広間の轟音が遠ざかっていったあの瞬間を思い出し、レオの心は深く沈み込んだ。


 やがて、彼らは最も奥まった場所にある、鉄格子の牢獄へと辿り着いた。


 ずっしりと重い鉄扉が、鈍い音を立てて開かれる。その中は、まさに「暗黒」としか表現しようのない空間だった。外界からの光は一切届かず、空気は鉛のように重く、希望の欠片すら吸い取られてしまうかのようだった。


 兵士たちは、レオの体を無造作に牢獄の中へと放り込んだ。


 冷たい石床に、激しく体を打ち付ける。縛られた縄は解かれることなく、彼はただそこに横たわることしかできなかった。鉄扉が重々しい音を立てて閉じられ、再び、広大な暗闇がレオを包み込んだ。


 (本当に……

終わりなのか……)


 レオは、自問自答した。

これまで、幾度となく死線を潜り抜けてきた。そのたびに、仲間と共に立ち上がり、不可能を可能にしてきた。


 しかし、今は違う。一人だ。

独りきり、この深い闇の中で、彼はただ、時間だけが過ぎ去っていくのを待つばかりだった。


 時間の感覚は、牢獄の中では意味をなさなかった。


 どれほどの時が流れたのか、レオには分からなかった。数時間か、それとも数日か。


 飢えと喉の渇きが、彼の体を内側から蝕んでいく。


 時折、耳を澄ますと、遠くで水の滴る音や、何かの生き物が蠢く音が聞こえるような気がしたが、それは幻聴かもしれない。彼の意識は、現実と幻の間をさまよい続けていた。


 「くそ……っ」

 声を出そうにも、喉がひどく嗄れて、まともな声が出ない。


 仲間たちが無事であることだけを祈る。

それだけが、彼に残された唯一の希望だった。だが、それすらも、この絶望的な状況の中では、薄れゆく幻影でしかなかった。


 (俺は……

何を、していたんだ……)


 後悔の念が、再び心を苛む。もっと強くあれば。もっと賢くあれば。


 そうすれば、アルスは死なずに済んだのかもしれない。自分も捕らわれることなく、エリックやセレーネと共に、あの遺跡を脱出できたのかもしれない。


 自責の念が、レオの心を容赦なく締め付ける。彼は、ただひたすら、暗闇の中で身を丸め、意識の底へと沈み込んでいった。


 その時だった。


 カチャリ、と、遠くで扉の開くような微かな音が聞こえた。


 レオは、その音に、ほとんど無意識に耳を傾けた。気のせいか。


 しかし、その音は、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。


 そして、暗闇の中に、微かな光の筋が差し込んだ。


 その光は、まるで闇を切り裂く一条の希望のように、レオの目に焼き付いた。


 光の先には、人影があった。


 足音が、鉄格子へと近づいてくる。


 そこに現れたのは、食事を運びにきた、一人の少女だった。


 彼女は、暗闇の中でさえ目を引く、柔らかな銀色の髪をしていた。その瞳は、夜空の星を閉じ込めたかのように、深い青色に輝いている。魔王城の兵士たちが持つような無機質な雰囲気は一切なく、むしろ、可憐な花のような印象を与えた。


 その少女の額には、わずかに角のような突起が見え隠れし、耳は先端が尖っている。そして、彼女の肌は、まるで真珠のように滑らかで、人間とは異なる繊細な美しさを秘めていた。


 魔王の娘、リリスだった。


 リリスは、無言で牢屋の前に立つと、小さな手で鉄格子にかけられた扉を開け、中に食事を置いた。


 質素なパンと、水差し。そして、水差しの中の水は、見たことのない不思議な色をたたえていた。しかし、それはレオにとって、この絶望の中で差し伸べられた、唯一の「生」の証だった。


 レオは、ぼんやりと少女の姿を見つめた。


 彼女は、冷たい牢獄の中で、あまりにも異質な存在だった。まるで、この世の闇とは無縁の、清らかな光を纏っているかのように。


 リリスは、レオの姿をじっと見つめた。その青い瞳には、レオの疲弊した姿を心配するような、微かな感情が宿っているように見えた。


 彼女は、何も言わずに、ただそこに佇んでいた。


 そして、わずかに首を傾げると、再び鉄扉を閉め、静かにその場を立ち去ろうとした。


 「……待て」

 レオは、ひどく嗄れた声で、かろうじて言葉を紡いだ。声は、ほとんど息のようなものだった。


 リリスは、その声に、ぴたりと足を止めた。そして、ゆっくりと振り返る。


 彼の絶望の牢獄に、確かに差し込んだ、一条の光。


 それが、彼の新たな運命の始まりとなることを、レオはまだ知る由もなかった。


 ただ、彼の心に、わずかながら、しかし確かに、希望の種が芽生えようとしていた。

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