表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/190

第49話:予期せぬ停滞

 どれほどの時間が経ったのか、レオには分からなかった。


 全身を縛られ、朦朧とする意識の中で、彼は揺れる馬車の揺れと、冷たい風が頬を撫でるのを感じていた。


 毒と疲労で重い瞼をゆっくりと開くと、彼の視界には、無機質な灰色の空が映し出される。どうやら、遺跡の地下から引きずり出され、地上へと運ばれているようだった。


 体中の傷が軋み、呼吸をするたびに肺が痛む。縛られた縄は、皮膚に食い込み、微かな動きすら許さない。まるで、意志を奪われた木偶の坊のように、レオはただ運ばれるがままになっていた。


 彼を運ぶのは、砂の体に重厚な鎧をまとった魔王軍の兵士たち。

その表情は読み取れないが、彼らから放たれる殺気は、レオが死地にいることを雄弁に物語っていた。


 やがて、馬車は巨大な城門をくぐり抜けた。


 それは、想像を絶する威容を誇る城だった。

黒曜石のような漆黒の壁は天を突き刺すようにそびえ立ち、無数の不気味な尖塔が、まるで悪夢の化身のように空に突き出ていた。


 魔王城――

その名にふさわしい、圧倒的な威圧感がレオの心を締め付ける。


 城内へと引きずり込まれると、冷たい石造りの回廊が延々と続いていた。

壁には、禍々しい紋様が刻まれ、その奥からは、何とも言えない重苦しい空気が漂ってくる。


 レオは、兵士たちに引きずられながら、その回廊を奥へ奥へと進んでいく。足音が響き、レオの呼吸音だけが、虚しく耳に届いた。


 そして、ついに彼らは一つの巨大な扉の前に辿り着いた。


 深紅のベルベットで覆われたその扉は、まるでこの世の終焉を示すかのように、静かに、しかし厳かにそこに佇んでいた。


 兵士たちが一斉に扉を押し開くと、その奥から、重苦しい空気がレオの肌を撫でた。


 玉座の間。


 広大な空間の中央には、一段高く設けられた玉座が鎮座していた。

その玉座には、一人の人物が深く腰掛けていた。


 魔王。


 その存在は、レオが想像していた魔族のそれとは大きく異なっていた。


 筋骨隆々とした肉体、しかしそれは人間と何ら変わりない均衡の取れた美しさを持つ。

漆黒の髪は、まるで夜空の闇そのもので、紅玉のように輝く瞳は、この世の全てを見透かすかのような鋭い光を宿していた。


 その顔立ちは、人間離れした美しさを持つが、確かにそこには人間の面影が色濃く残っていた。

威厳に満ちたその姿は、周囲の兵士たちが持つ、砂の体とは一線を画していた。


 まさしく、統べる者の風格。


 威圧的な雰囲気を放ちながらも、その佇まいにはどこか冷徹な知性が宿っているように見えた。


 レオは、魔王の玉座から数メートルの距離に、粗雑に放り出された。


 冷たい石床に背中を打ち付け、全身の痛みに顔を歪める。彼は、視線をゆっくりと魔王へと向けた。


 「人間が、よくぞここまで辿り着いたものだ」

魔王の声は、低く、しかし驚くほど澄んでいた。


 その響きには、感情の起伏がほとんどなく、まるで何百年も生きてきた賢者のような、悠久の時を感じさせる響きがあった。


 「しかし、無駄な抵抗だったな。

貴様も、他の愚かな勇者たちと同じ末路を辿るのみ」


 魔王は、ゆっくりと右手を持ち上げた。

その手には、禍々しい黒い光が集束していくのが見える。


 それは、処刑の儀式。


 (ああ……

ついに、終わりか……)

 レオは、死を覚悟した。


 親友の仇を討つことも、エリックとセレーネと共に生き残ることもできなかった。後悔が、津波のように押し寄せる。


 しかし、その感情も、急速に薄れていく意識の前では、かすかな漣でしかなかった。


 彼は、目を閉じた。

これで、すべてが終わる。


 その瞬間、彼の視界の端で、微かな光が瞬いた。


 これまでずっと、ボロボロになった上着のポケットの中に隠れていた、妖精のような小動物――リルの姿だった。


 リルは、レオの体が倒された衝撃で、わずかにポケットから顔を出したようだった。

その小さな体が、淡い光を放ち、周囲の暗闇を照らしていた。


 レオは、その光景を漠然と捉えた。


 (リル……)

 彼の意識は、もはや思考を紡ぐことさえ困難だった。


 しかし、その光景を捉えたのは、レオだけではなかった。


 玉座に座す魔王の、無表情だった顔に、微かな、しかし決定的な変化が訪れた。


 紅玉の瞳が、リルの放つ淡い光に吸い寄せられるように、僅かに見開かれる。冷徹だったはずのその表情に、ほんの一瞬だけ、驚愕と、そして深い郷愁のような感情がよぎった。


 それは、人間でなければ決して見せない、繊細な感情の揺らぎだった。


 魔王の視線は、リルに釘付けになっていた。

何かを、いや、誰かを、見つけたかのような、そんな素振り。


 「……待て」


 魔王の声が、玉座の間に響き渡った。

その声には、先ほどまでの冷徹さはなく、僅かながら、しかしはっきりと、感情の波が含まれていた。


 処刑を執り行おうとしていた魔王軍の兵士たちが、一斉に動きを止めた。


 彼らは困惑したように、魔王を見上げる。


 「この者の処刑は、取りやめる」


 静寂が、広間に満ちる。

兵士たちは、互いの顔を見合わせた。


 魔王の命令は、絶対だ。

しかし、この唐突な変更には、誰もが戸惑いを隠せない。


 「牢屋に幽閉せよ。

決して粗末に扱うな」

魔王は、そう指示すると、再び玉座に深く腰掛け、目を閉じた。


 その表情は、再び冷徹なものに戻っていたが、先ほどの微かな動揺が、レオの脳裏に焼き付いていた。


 「は、ははっ!」


 兵士たちは、震える声で返事をすると、再びレオの体を持ち上げた。


 レオは、なぜ自分が生かされたのか、全く理解できなかった。死を覚悟したばかりの身に、突然訪れた生。

その原因が、ポケットから顔を出したリルの姿であったことなど、彼には知る由もなかった。


 困惑と、そして深い疑問を抱いたまま、レオは再び暗い回廊へと引きずられていった。


 魔王城の地下へと続く、冷たい石階段を下りていく。闇が深まり、冷気が肌を刺す。


 彼の意識は、再び朦朧とし始めていた。

しかし、その脳裏には、魔王の一瞬の表情と、リルの放つ淡い光が、強く刻み込まれていた。


 (なぜだ……

なぜ、俺は……)


 絶望の中、微かな希望の光が差し込んだかのように見えた、その奇妙な停滞。


 それは、レオの運命を、そしてアースガルド大陸の未来を、大きく揺るがす予兆に過ぎなかった。


 彼の身に、さらなる過酷な運命が待ち受けていることを知らぬまま、勇者は魔王城の深い牢獄へと連行されていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ