第48話:絶望の捕縛
広間の中央で、レオは怒涛の如く魔族を斬り続けていた。その剣は、もはや彼自身の意志を超えて、ただひたすらに敵を打ち倒すための純粋な刃と化していた。
エリックとセレーネが通路へ消えていくのを、彼は確かに感じ取っていた。その安堵が、彼に残された僅かな理性の砦だった。
「来いッ……!
来るならまとめて来い!」
レオの咆哮が、広間中に響き渡る。
「うぉぉーーーー……!」
彼の剣技は、もはや神業の域に達していた。
毒を含んだ砂嵐の中を、彼はまるで舞うように駆け抜け、正確無比な剣閃で魔族の核を貫いていく。
一体、また一体と、砂の体は霧散し、彼の足元には消滅した魔族の残滓が堆積していく。
だが、魔族の数は、無限に思えた。
一体を倒せば、すぐに二体、三体と新たな魔族が後方から湧き出てくる。
砂を操る魔族の攻撃は、彼らの存在そのものが障壁となり、レオの動きを徐々に、しかし確実に封じ込めていった。
「がはっ……!」
レオの脇腹に、毒を帯びた砂の塊が叩きつけられる。思わず咳き込み、その衝撃で体がぐらついた。視界の端がチカチカと点滅し、全身を蝕む毒が、彼の感覚を麻痺させていく。
(まだだ……
まだ、倒れられない……!)
彼は、自らを奮い立たせた。しかし、蓄積された疲労と、アルスを失った精神的ダメージは、彼の身体を限界へと追い詰めていた。剣を握る手が震え、腕の筋肉が痙攣を起こす。
魔族たちは、レオの疲弊を見抜いていた。
彼らは、遠距離から砂の槍を投擲し、毒の霧を放つ。レオは、斬り払い、弾き、避ける。だが、その動作の一つ一つが、彼の体から僅かながらも活力を奪っていく。
リーダー格の魔族が、背後から音もなく忍び寄り、巨大な砂の腕を振り上げた。
レオは、寸前でその気配を察知し、身を捻って剣で受け止める。キン、と甲高い金属音が響き、レオの体が数メートル吹き飛ばされた。背中が冷たい石壁に激しく打ち付けられ、全身に激痛が走る。
「うぐっ……!」
肺から空気が押し出され、息が詰まる。
その場に膝をつきそうになる体を、彼は必死に剣で支えた。口の中には、鉄の味が広がっていた。
(アルス……
アルス……!)
彼の脳裏に、友の顔が焼き付いている。
守れなかった後悔、そして託された未来への責任。それだけが、彼を支える唯一の理由だった。
「勇者め……
その程度か……!」
リーダー格の魔族が、嘲笑うかのように近づいてくる。その足元には、無数の魔族が蠢き、レオを包囲していた。
もはや、逃げ場はどこにもない。
レオは、震える手で剣を構え直した。
しかし、腕はすでに限界を超えていた。
剣先が、細かく震えている。視界は、毒によってさらに霞み、魔族たちの姿が歪んで見える。
(ああ……
終わり、なのか……)
ふと、彼の意識が遠のきかけた。全身の力が抜け落ち、剣が手から滑り落ちそうになる。
その瞬間、彼は最後の力を振り絞った。
「……俺は……
まだ……!」
彼の体から、かすかに魔力が放たれる。
それは、先ほどの嵐のような力とは違い、燃え尽きようとする蝋燭の炎のように、儚く揺らめいていた。
しかし、その僅かな光が、彼の最後の抵抗を示していた。
彼は、自らの体を無理やり持ち上げ、再び魔族へと突っ込もうとした。
だが、その一歩は、あまりにも重かった。足がもつれ、バランスを崩す。
「ぐあぁっ……!」
無数の砂の鞭が、彼の全身に絡みついた。
腕、足、胴体。皮膚に食い込むような締め付けが、彼の抵抗を完全に封じる。毒がさらに深く体に染み込み、脳髄を蝕んでいく。
レオの剣が、ついにその手から滑り落ち、カラン、と音を立てて冷たい石床に転がった。
彼の体から、急速に力が失われていく。
瞳から光が消え、視界が急速に闇に包まれていく。
朦朧とする意識の中、彼は自分が地面に倒れ伏すのを漠然と感じた。
砂の体に覆われた魔王軍の兵士たちが、ぞろぞろと彼に近づいてくる。
彼らは、躊躇なくレオの体を縄で縛り上げ、その拘束を強めた。
(アルス……
エリック……
セレーネ……)
最後の最後に、彼は仲間たちの顔を思い浮かべた。
彼らが、無事に逃げ延びたことを願いながら、レオの意識は、深淵のような絶望の闇に飲み込まれていった。
広間に残されたのは、ただ静かに転がる一本の剣と、静かに横たわる賢者の亡骸。
そして、暗闇の中で、静かに縛られる戦士の、意識のない体だけだった。




