第47話:葛藤と決断
広間には、レオの叫びと、剣が魔族を切り裂く轟音が、嵐のように響き渡っていた。
エリックは、セレーネの手を強く掴み、出口へと向かって走り出す。しかし、その足は、まるで鉛のように重かった。後ろから聞こえるレオの戦いの音、そしてアルスの亡骸。すべてが、彼らの心を縛りつけ、逃げることを躊躇させた。
「エリック……!」
セレーネの声が震える。
彼女の視線は、レオが単身で魔族の大群に突っ込んでいく姿に釘付けになっていた。彼の背中は、あまりにも大きく、そして、あまりにも悲壮に見えた。
(レオが……
レオが、私たちを助けるために……!)
セレーネの瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちる。
親友であるレオを置いて逃げるなど、彼女の倫理観が激しく拒絶した。
この場で、共に戦い、共に死ぬべきではないのか。
それが、仲間というものではないのか。
エリックもまた、同じ葛藤の中にいた。
レオとは、幼い頃からの親友だ。
これまで幾度となく死線を共に潜り抜けてきた。
そのレオが、今、自分たちの命のために、自らを犠牲にしようとしている。
彼を置いて逃げるなど、武人としての誇りが許さなかった。
だが、彼の脳裏には、アルスの最後の言葉が蘇る。
直接的な言葉ではなくとも、アルスは彼らに何かを託そうとしていた。
そして、レオが叫んだ「アルスの死を無駄にするな」という言葉。
(ここで俺たちまで死んでしまえば、レオの覚悟も、アルスの命も、本当に無駄になる……!)
エリックは、奥歯を食いしばった。
唇から血の味が広がる。
彼らがこの場で果てれば、アルスの死は無意味なものとなり、レオの命もただ失われるだけだ。その未来だけは、何としてでも避けなければならない。
レオが命を懸けて作り出した、この一瞬の「時間」を、彼らは最大限に活用しなければならなかった。
「セレーネ!
前を見ろ! 生きて帰るんだ!」
エリックは、無理やりセレーネの顔を自分の方に向けさせ、強く言い放った。彼の目にもまた、涙が滲んでいたが、それを押しとどめるように、強い決意の光が宿っていた。
「俺たちが生きてこそ、レオの覚悟は意味を持つ! アルスもそれを望んでいるはずだ!」
セレーネは、エリックの言葉に、ハッと息を呑んだ。アルスの死が無駄になる。
その言葉が、彼女の心を深く抉った。
確かに、ここで全員が死んでしまえば、レオの捨て身の行動も、アルスの犠牲も、すべてが水泡に帰してしまう。
生きる。
それが、今、残された自分たちに課せられた、最も過酷で、最も重要な使命なのだと、彼女は悟った。
エリックは、セレーネの手をさらに強く引き、広間の出口へと全速力で駆け抜けた。
背後では、レオの雄叫びと、剣が激しく打ち合う金属音が響き渡り、魔族たちの不気味な咆哮が混じり合う。
その音は、彼らが遠ざかるにつれて、少しずつ、しかし確実に薄れていった。
彼らは、決して振り返らなかった。
振り返れば、レオの姿が目に焼き付き、その場に立ち尽くしてしまうことを、本能的に理解していたからだ。
しかし、彼らの心には、レオが魔族の大群に立ち向かう、その最後の姿が、深く、鮮明に焼き付けられていた。
血飛沫を上げながらも、一歩も引かないレオの、荒々しくも美しい剣技。
彼の全身から放たれる、悲しみと決意が混じり合った、覚醒したかのような闘気。
(レオ……!)
エリックは、心の中で親友の名を呼んだ。
その声は、絶叫にも似た痛みを伴っていた。
セレーネは、エリックに手を引かれながらも、時折、大きく喘いだ。
毒の影響で、彼女の体は限界に近かったが、レオの命懸けの行動が、彼女の意識を辛うじて繋ぎとめていた。
広間を抜け、彼らは薄暗い通路へと飛び出した。
通路の奥からは、わずかに外の光が差し込んでいる。そこが、自由への道だ。
しかし、彼らの心には、全く晴れやかな感情はなかった。
レオが、そしてアルスが、彼らに与えてくれた「生」。
それは、あまりにも重く、あまりにも痛ましい、そして、あまりにも尊いものだった。
通路を走りながらも、彼らの耳には、広間から響く激しい戦闘の音が、まるで遠い雷鳴のように聞こえていた。
その音が、途切れることなく続いていることを祈りながら、彼らはただ前へと進んだ。
二人の勇者は、親友の命と引き換えに得た自由を噛み締めながら、暗い遺跡の奥深くへと、後ろ髪を引かれる思いで撤退していった。
彼らの心には、失われた仲間の痛みと、生き残った者としての責任が、深く刻み込まれた。
これは、始まりに過ぎなかった。
彼らの旅は新たな、そしてより過酷な局面を迎えることとなる。




