第40話:矛盾の解明
モルグ・アイン山脈の洞窟から救出された村人たちは、疲れ果てていたものの、その顔には深い安堵の色が浮かんでいた。
彼らを伴い、勇者パーティーはアイゼン村へと帰還した。村人たちは、英雄の帰還に沸き立ち、レオ、エリック、セレーネ、アルスの四人を歓声と感謝で迎え入れた。
「レオ様、エリック様、セレーネ様、アルス様!
本当にありがとうございました!
あなた方がいなければ、私たちは今頃……!」
村長が深々と頭を下げ、他の村人たちも口々に感謝の言葉を述べた。レオは得意げに胸を張り、エリックも照れくさそうに笑い、セレーネも優しく微笑み返した。彼らにとって、今回の任務は明確な勝利だった。
邪悪な魔族を討伐し、囚われた村人を救い出した。勇者として、これ以上の名誉はない。
しかし、アルスだけは、その場に漂う歓喜の渦の中に、静かながらも深い疎外感を覚えていた。
彼の心には、洞窟での光景が焼き付いて離れない。村人を守ろうとした魔族たちの、あの悲痛な叫び、そして最期の瞳に宿っていた、人間に対する激しい怒りと悲しみ。
(本当に、彼らは「悪」だったのか……?)
アルスは、救出された村人たちと、倒れ伏した魔族たちの姿を、何度も心の中で比較した。
魔族たちが村人を捕食していたわけではない。むしろ、あの雪獣から村人たちを保護していたように見えた。だが、彼らは勇者たちに助けを求めた。
言葉が通じなかったから、意思疎通ができなかったから。
その一点が、取り返しのつかない悲劇を生んだのではないのか。
勇者学校で教えられた「魔族は残忍で、人間を喰らう邪悪な存在」という教えは、アルスにとって、絶対的な真実だった。
しかし、目の前で起きた出来事は、その「真実」に、大きな矛盾を突きつけた。彼の知る世界が、音を立てて崩れ始めているような感覚に襲われた。
アイゼン村での滞在中、レオたちは村人の世話を受けながら、今回の任務の報告書を作成し、次の指示を待っていた。彼らが休息を取っている間も、アルスの焦燥感は募るばかりだった。
彼は、村の小さな資料室や、村長の家の古めかしい書棚から、モルグ・アイン山脈に関する伝説や、古文書の写しを探し始めた。
旅の合間を縫って、わずかな時間を見つけては、文字を読み漁った。
レオやエリック、セレーネは、アルスが元々探究心の強い性格であることを知っていたため、特に気に留める様子はなかった。
彼らは、アルスが魔術の研究に没頭しているのだろうと、軽く考えていた。
だが、アルスの調査の焦点は、以前の「エーテルの流れ」や「魔族の生態」から、徐々に、しかし確実に、「空白の10年間」へとシフトしていった。
(あの魔族たちの不可解な行動……
雪獣の暴走……
もしかしたら、このモルグ・アイン山脈で起きている異変は、すべて「空白の10年間」と繋がっているのではないか?)
アルスの推測は、あくまで仮説だったが、彼の胸に強く響いた。歴史書から抹消された空白の期間。人々が記憶を曖昧にしているという時代。
なぜ、そんなことが起こったのか。
なぜ、その期間に勇者育成学校が設立され、魔族に対する憎悪が刷り込まれるようになったのか。
彼は、かつて読んだ古い文献の断片を思い出した。それは、エーテル結晶に関するものだった。エーテル結晶は、魔族の力の源であるだけでなく、世界の理そのものにも深く関わっているとされていた。
もし、「空白の10年間」に、エーテル結晶の、あるいは世界の根源的な何かに、大きな変化が起きていたとしたら?
アルスは、仲間たちにこれらの疑問を打ち明けることを躊躇した。
彼らの「魔族=悪」という固定観念は強固であり、下手に話せば、自分の調査が妨げられる可能性があった。
あるいは、自分自身が異端視されるかもしれない。
だから、彼は密かに、慎重に、調査を進めることにした。
夜遅くまで、焚き火の明かりの下で、持ち運びのできる羊皮紙にメモを書きつける。古文書の記述と、今回の魔族の行動を照らし合わせ、矛盾点や共通点を探した。
その研究は、決して楽なものではなかった。古文書の多くは難解な言葉で書かれており、解読には膨大な時間を要した。また、時には危険な場所へと足を運び、禁断とされている書物や伝承を探し求めることもあった。
しかし、アルスは止まることができなかった。
洞窟で感じた違和感、そして彼の心に刻まれたあの魔族たちの悲痛な表情が、彼を突き動かしていた。
彼が知りたいのは、真実だった。
人間と魔族の間に横たわる、深い溝の根源。そして、「空白の10年間」という謎めいた歴史の裏に隠された、世界の本当の姿。
この焦燥感と、真実への渇望が、アルスを新たな探求へと駆り立てていた。
それは、彼の「空白の10年間」を解明する、孤独な戦いの始まりでもあった。




