第36話:失踪事件の謎
新年を迎え、アースガルド大陸には、冬の厳しい寒さが到来していた。
ウッドランドでの一件を終えたレオたちは、次なる目的地へと旅路を進めていた。彼らが目指すのは、大陸の中央にそびえ立つモルグ・アイン山脈の麓にある、アイゼン村という小さな集落だった。
ウッドランドを離れた彼らは、凍てつく街道を北へと進む。道中、ちらほらと雪が舞い始め、やがて一面の銀世界へと様相を変えていった。足元に積もる雪が、進むたびにきしむ音を立てる。
「山が近いな……
空気がひりつくように冷たい」
吐く息が白くなる中、レオが身震いしながら呟いた。遥か彼方に、雲の切れ間から覗く峻厳な山々のシルエットは、威圧感を放ち、旅人の行く手を阻むかのようだった。
「魔族の領域に近づいているってことね。これまでの森とは、また違った種類の危険が潜んでいそうよ」
セレーネが、身に纏ったローブをぎゅっと引き締める。モルグ・アイン山脈は、古くから魔族が多く住まう地として知られている。学園の授業でも、安易に近づくべきではないと教えられてきた場所だ。
エリックは、辺りを見回しながら警戒を怠らない。
「村に到着したら、まずは情報収集だな。
こんな山奥で、一体何が起きているのか……」
アルスは、静かに頷いた。
彼の頭の中には、ウッドランドで感じたオークの異常な行動に関する疑問が常に渦巻いている。この山間部で起きているという奇妙な事件も、ひょっとしたらそれと繋がる何かがあるのではないか、と彼は密かに期待していた。
数日後、彼らはようやくアイゼン村へと辿り着いた。雪に覆われた小さな村は、その名が示す通り、かつて鉄鉱石の採掘で栄えた名残を感じさせる、頑丈な石造りの家々が並んでいた。
しかし、村全体を覆うのは、重苦しい静寂と、人々の顔に刻まれた深い恐怖の色だった。
村の入り口に、痩せこけた初老の男が立っていた。彼こそが、この村の長を務めるガンツという人物だった。レオたちの姿を認めると、ガンツは藁にもすがる思いで駆け寄ってきた。
「おお、勇者様方!
ようこそアイゼン村へ!
よもや、こんな辺鄙な村までおいでくださるとは……」
ガンツの声は震え、その目には疲れと絶望の色が濃く浮かんでいた。
「我々は旅の者です。
この村で異変が起きていると聞き、立ち寄らせていただきました。お困りのことがあれば、我々にお任せください」
レオが力強く告げた。彼の言葉に、ガンツの顔にわずかな希望の光が宿る。
案内された村長の家で、ガンツは重い口を開いた。
「ここ最近、村人が次々と失踪しているのです……。
はじめは、山へ狩りに出た者が戻らないだけだった。
それが、今では、村の近くで薪拾いをしていた者まで……」
ガンツの声は、途中で途切れがちになる。彼の話によれば、失踪者はこの数ヶ月で十人近くに上るという。しかし、争った痕跡も、血痕も、一切残されていない。まるで、影に飲み込まれるように、忽然と姿を消してしまうのだと。
「村人たちは、山の魔族の仕業だと信じ込んでおります。
この山には、古くから邪悪な魔族が住まうという言い伝えがありますから……。
わしらには、どうすることもできず、ただ怯えることしかできません」
ガンツは、悔しさと無力感に打ちひしがれているようだった。村人たちの間には、魔族への恐怖が深く浸透しており、村全体が諦めと絶望の淵に立たされている。
「魔族の仕業、ですか……。
争った痕跡がない、というのは奇妙ですね」
アルスが冷静に問いかける。彼の頭の中では、ウッドランドのオークの件と、今回の失踪事件が結びつき始めていた。
「ええ。獣の足跡も、魔力の痕跡も、何もないのです。
ただ、人だけが消えてしまう……」
ガンツは、両手で顔を覆った。その様子から、彼の言うことが真実だとレオたちは確信した。
「何が原因であろうと、困っている人がいるなら、助けるのが俺たちの役目だ!」
レオが、拳を握りしめ、決意を露わにした。
「そうね。
まずは、失踪者の痕跡を追ってみましょう。きっと何か見つかるはずよ」
セレーネも、魔力の探知範囲を広げながら言った。
「承知しました。では、早速調査に取りかかりましょう」
エリックは、剣の柄を握りしめ、いつでも動けるように準備を整えた。
レオたちは、ガンツから失踪者が最後に目撃された場所の情報を聞き出し、早速、深い山へと足を踏み入れた。
村を出ると、すぐに積雪は深くなり、人の気配は途絶える。木々は凍てつき、風が唸り声を上げて吹き荒れる。モルグ・アイン山脈の懐へ入るにつれて、空気はさらに冷たさを増し、肌を刺すような痛みに変わる。
「ここからは、本当に魔族の領域だな……」
エリックが、剣の柄に手をかけたまま、周囲を警戒する。
彼らの足跡だけが、真っ白な雪の上に、くっきりと残されていく。森の奥から聞こえてくるのは、風の音と、時折響く獣の遠吠えだけだ。その静寂は、恐怖を煽るように重くのしかかった。
アルスは、足元に残された僅かな痕跡を注意深く追っていた。雪の上に残る、わずかな土の乱れや、木の枝の不自然な折れ方。彼は、失踪者が単に魔獣に襲われただけではない、何か別の要因があることを強く感じていた。
(魔族の仕業だとしても、なぜ痕跡を残さない?
そして、なぜ「消える」のか?
魔族が人間を捕らえる目的とは……)
彼の知的好奇心は、この異常な状況の裏に隠された真実を求めて、深く潜ろうとしていた。それは、彼自身の「空白の10年間」の謎と、どこかで繋がっているかもしれないという直感が、彼を突き動かしていた。
レオは、リルをポケットにしっかりと抱きしめながら、前へと進む。リルの小さな体は、彼に微かな温かさを与え、凍えるような寒さの中で、ささやかな安らぎとなっていた。
彼らは、凍てつく山道を奥へ奥へと進んでいく。
一歩踏み出すごとに、魔族の領域へと深く足を踏み入れる緊張感が、彼らのパーティーを包み込んでいた。
新たな謎と、見えざる敵が、この雪深い山の中で、彼らを待ち受けている。
彼らの旅は、ますます過酷なものとなろうとしていた。




