第32話:報酬と名声
夜の帳が下りたリベリオン村は、数週間ぶりに穏やかな静けさを取り戻していた。
村の中央広場には大きな焚き火が焚かれ、その周りにはレオたち四人を囲むように村人たちが集まっていた。彼らの顔には、長い間失われていた安堵の笑みが浮かんでいる。
「勇者様方、この度のご恩、言葉ではとても言い表せません」
村長ガレアスが、しわがれた声で、しかし力強く頭を下げた。彼の後ろには、村人たちが同じように深々と頭を垂れている。
「いや、村長。当然のことをしたまでです」
アルスが代表して、穏やかに答えた。しかし、彼の声にも確かな誇りが滲んでいた。
「いいえ、我らにとっては奇跡でございます。これは、村からのささやかな、しかし精一杯の感謝の印。どうかお受け取りください」
ガレアス村長はそう言うと、ずしりと重みのある革袋をアルスに差し出した。革袋が擦れる音と共に、中に入っている硬貨がチャリンと心地よい音を立てる。それは、彼らの初仕事に対する、正当な「報酬」だった。
アルスが袋を受け取ると、レオは目を輝かせた。
「すげえ……!
これが報酬か! 俺たちの力で稼いだんだな!」
彼の声は、純粋な興奮と喜びに満ちていた。孤児として育ち、日々の食事にも事欠いていたレオにとって、自分の力でこれほどの大金を手にすることは、夢のような出来事だった。
「これで、旅の物資も十分に補給できるわね」
セレーネは、少しすました顔で言ったが、その頬は興奮で微かに紅潮していた。
彼女の強力な魔法が、人々を救い、具体的な形で報われた。学園で抱いていた、戦闘能力への劣等感は、この確かな成果によって、自信へと変わり始めていた。
エリックは、黙ってその光景を見つめていた。彼の胸には、レオやセレーネとはまた違う、深く、そして温かい感情が込み上げていた。
貧しさの中で、常に何者かにならなければと焦っていた日々。そんな自分が、今、人々を救う「英雄」として、感謝され、報酬を手にしている。
その事実が、彼の渇いていた心をじんわりと満たしていく。人々の称賛と感謝は、何よりも彼の存在価値を肯定してくれるように感じられた。
「さあ、勇者様方! 今宵は宴でございます!
どうか、我らの感謝の気持ちを受け取ってください!」
村長の陽気な声と共に、村人たちが手作りの料理や酒を次々と運んできた。香ばしい肉の焼ける匂い、素朴だが心のこもったパンの香り。レオたちは村人たちにもみくちゃにされながら、英雄としての最初の夜を過ごした。
子供たちはレオの周りに集まり、魔獣との戦いの様子をキラキラした目で尋ねる。
セレーネは、村の女性たちから魔法の美しさについて褒め称えられ、まんざらでもない様子で微笑んでいた。
エリックは、村の若者たちから剣技について教えを請われ、一つ一つ丁寧に答えていた。
アルスは、ガレアス村長と静かに酒を酌み交わしながら、この村の歴史や、今後のことについて耳を傾けていた。
翌日、レオたちは村人たちに見送られながら、リベリオン村を後にした。手にした金貨で、食料や回復薬、新しい矢筒など、旅に必要な物資は十分に買い揃えることができた。装備も手入れされ、彼らの心は希望と使命感で満ち溢れていた。
「英雄ってのも、悪くないもんだな!」
街道を歩きながら、レオが楽しそうに言った。
「ええ、そうね。
私たちの力が、正しく評価されるのは気分がいいわ」
セレーネも、誇らしげに答える。彼女の足取りは、以前よりもずっと軽やかだった。
アルスは、二人の様子を微笑ましく見守りながら、地図を広げた。
「次の目的地は、エルトリア地方のウッドランドという町だ。ここから東へ、五日ほどの距離になる」
「ウッドランドか。どんな町なんだろうな」
エリックが尋ねる。彼の声にも、新しい冒険への期待が滲んでいた。
彼らの旅は、驚くほど順調に進んだ。
リベリオン村での活躍は、彼らが思う以上に早く、そして広く伝わっていたのだ。
街道沿いの小さな宿場町に立ち寄れば、宿の主人が「もしや、リベリオン村をお救いになった勇者様御一行では?」と驚きの声を上げ、最高の部屋を無料で提供してくれた。
別の村では、彼らが到着するやいなや、鐘が鳴らされ、村中の人々が道に出てきて歓迎の拍手を送った。
「英雄様たちの噂は聞いております!
どうか、この村でゆっくりと疲れを癒してください!」
行く先々で、彼らは「英雄」として迎えられた。差し出される食事、感謝の言葉、そして尊敬の眼差し。そのどれもが、彼らの心を温め、旅の疲れを癒やしていった。
特にエリックとセレーネは、この名声に大きな充実感を覚えていた。
エリックにとって、人々からの称賛は、自身の存在証明そのものだった。孤児であるという出自は、常に彼の心に影を落としていた。
しかし、今や彼は「英雄エリック」として、多くの人々に知られ、感謝されている。その事実は、彼の内に揺るぎない自信を育てていた。
セレーネにとっても、この旅は自己肯定の連続だった。彼女の魔法は、もはや単なる才能の誇示ではない。人々を魔獣の恐怖から救い、笑顔を取り戻すための、聖なる力だ。
人々が彼女の魔法を「奇跡」と呼び、感謝の涙を流すたびに、学園時代に彼女を苛んだ劣等感は、確固たるプライドへと昇華されていった。
「俺たちのやっていることは、間違いなく世界を良くしているんだな」
ある夜、焚き火を囲みながらエリックがしみじみと呟いた。
「ええ。魔王を倒す。その道のりが、こうして人々を救うことに繋がっている。これほどやりがいのあることはないわ」
セレーネが、燃え盛る炎を見つめながら応える。
レオは、二人の言葉に力強く頷いた。
「ああ。
一つ一つの村を救うことが、魔王討伐への確かな一歩になる。俺たちの旅は、始まったばかりだ!」
アルスは、三人の顔を順に見渡し、静かに微笑んだ。パーティーの雰囲気は最高潮に達している。
初陣の勝利と、それによって得られた報酬と名声は、彼らの間にあった些細なわだかまりを溶かし、揺るぎない絆を築き上げていた。
(この調子なら、どんな困難も乗り越えていけるだろう)
アルスはそう確信しながら、東の空を見つめた。
地平線の先には、深い森が広がるエルトリア地方、そして次の目的地ウッドランドが待っている。
彼らはまだ知らない。
その深い森の中で、新たな脅威が静かに牙を研いでいることを。
しかし、今の彼らには、どんな困難にも立ち向かえるという、確かな自信と輝かしい希望があった。
英雄たちの物語は、今、高らかにその名を世界に轟かせ始めたばかりだった。




