第31話:連携の輝き
鬱蒼と茂る木々が太陽の光を遮り、森の中は昼間だというのに薄暗かった。
湿った土と腐葉土の匂いが鼻腔をくすぐり、時折聞こえる鳥の声も、どこか緊迫感を帯びているように感じられる。一歩足を踏み出すごとに、レオの足元で乾いた小枝が小気味よい音を立てた。
「……来るぞ」
先頭を歩くレオが、低く呟いた。彼の研ぎ澄まされた聴覚が、茂みの奥で無数の何かが蠢く音を捉えていた。その言葉に、後続のエリックとセレーネが即座に身構え、最後尾のアルスは冷静に周囲の魔力の流れを探る。
レオのポケットの中で、リルがかすかに身じろぎした。それは、紛れもない敵意の気配だった。
次の瞬間、森の静寂は獣の咆哮によって引き裂かれた。茂みという茂みから、銀色の毛並みを持つ狼型の魔獣が、涎を垂らしながら次々と姿を現す。その数は二十を超えるだろうか。一つ一つの目は飢えた光を宿し、紛れもない殺意をレオたちに向けていた。
「魔獣、牙狼の群れか……!
全員、学園での訓練通りに動け!」
アルスの鋭い声が飛ぶ。彼の言葉は、初めての実戦に高揚と緊張が入り混じった仲間たちの心を、冷静な戦闘モードへと切り替えさせた。
「よし!やってやる!」
レオは不敵な笑みを浮かべ、腰の剣を一息に抜き放つ。そして、誰よりも早く地を蹴り、牙狼の群れへと単身突っ込んでいった。それは無謀にも見える突撃だったが、パーティーの連携を信じればこその、最高の布石だった。
「グガァァッ!」
牙狼の群れが、獲物を見つけた喜びの咆哮を上げ、レオ一人に殺到する。鋭い爪が、強靭な牙が、四方八方から彼を襲う。
しかし、レオの動きはその全てを凌駕していた。彼は剣を盾のように使い、迫りくる牙を弾き、爪をいなす。最小限の動きで敵の攻撃の威力を殺ぎ、受け流し、時にその勢いを利用して他の牙狼にぶつける。
彼の卓越した身体能力と剣技は、パーティーの強固な「盾」となり、敵の攻撃を一手に引き受けていた。
「今よ! ファイアボルト!」
レオが敵陣をかき乱し、一瞬の隙が生まれた瞬間、後方からセレーネの凛とした声が響いた。彼女の掲げた杖の先から、灼熱の火球が寸分の狂いもなく放たれる。その火球は、レオに襲いかかろうとしていた牙狼の眉間に正確に着弾し、断末魔の叫びと共にその体を焼き尽くした。
「させん!」
レオの右後方、死角から忍び寄っていた一匹に、エリックの剣が閃いた。
彼はレオのように派手な立ち回りはしない。しかし、常に戦場の流れを読み、最も危険な場所、最も手薄な場所を的確にカバーする。彼のバランスの取れた能力は、レオという突出した「剣」を支える、なくてはならない要だった。
「レオ、少し下がりなさい!
ウィンドカッター、三連!」
セレーネの第二射が放たれる。風の刃が三条、唸りを上げて空を切り裂き、密集していた牙狼たちをまとめて切り刻んだ。
悲鳴を上げ、血飛沫を散らして倒れる魔獣たち。彼女の攻撃魔法は、学園でも群を抜いていたが、実戦の場ではその威力をさらに増しているように思えた。
「アルス!」
「わかっている!」
一匹の牙狼の爪が、エリックの腕を浅く切り裂いた。アルスは即座に反応し、短い詠唱と共に回復魔法「ヒール」を発動させる。
柔らかな光がエリックの傷を包み込み、血は瞬時に止まり、傷口も塞がっていく。
アルスは回復に徹しているだけではない。彼の目は常に戦場全体を俯瞰していた。
「エリック、右翼三体!
レオ、中央を突破して陣形を崩せ!
セレーネ、次の大魔法の準備を!」
的確な指示が、乱戦の中でも明瞭に響き渡る。その声に導かれるように、レオ、エリック、セレーネは、まるで一つの生き物であるかのように連動する。
レオがアルスの指示通り、雄叫びを上げて中央の敵陣にさらに深く切り込む。彼の圧倒的な存在感に牙狼たちの意識が集中した。
その隙を、エリックは見逃さない。レオの作った僅かな綻びから敵陣に滑り込み、側面から牙狼たちの足を刈り、動きを鈍らせる。
そして、その全ての準備が整った瞬間を、セレーネは待っていた。
「焼き尽くしなさい! フレイムピラー!」
彼女の足元に複雑な魔法陣が浮かび上がり、魔力が一点に収束する。次の瞬間、牙狼の群れの中心から、天を衝くほどの巨大な火柱が轟音と共に立ち昇った。業火は、逃げ惑う牙狼たちを容赦なく飲み込み、一瞬にして炭へと変えていく。
火柱が消え去った後、森には静寂が戻っていた。残っていた数匹の牙狼は、仲間たちの無残な姿と、圧倒的な力の差を悟り、恐れおののいて尻尾を巻き、森の奥深くへと逃げ去っていった。
「……はぁ、はぁ……
終わった、か」
レオは剣を地面に突き立て、荒い息をついた。彼の体は返り血と土埃で汚れていたが、その瞳は達成感に満ちた輝きを放っていた。
「やったわ……!
私たちの、勝ちよ!」
セレーネが、魔力を使い果たした疲労と、初勝利の喜びが入り混じった声で叫んだ。エリックもまた、剣についた血を振り払い、安堵の息を漏らした。
アルスは、静かに仲間たちに歩み寄り、それぞれの肩に手を置いて回復魔法をかける。
「見事な連携だった。
皆、よくやってくれた」
彼の穏やかな称賛の言葉に、レオたちは互いの顔を見合わせ、誇らしげに笑った。
その時だった。
恐る恐る森の様子を窺っていた村人たちが、魔獣の気配が消えたことに気づき、集まってきた。彼らが見たのは、無数に転がる牙狼の死骸と、その中央に立つ四人の若者の姿だった。
最初は、信じられないといった表情で立ち尽くしていた村人たちだったが、やがて一人が、堰を切ったように叫んだ。
「お、おお……!
魔獣が……
魔獣たちが、いなくなったぞ!」
その声に続くように、次々と歓声が上がった。
「勇者様だ!」
「勇者様が、村を救ってくださった!」
「英雄だ! 我らの英雄だ!」
村人たちは、レオたちに駆け寄り、感謝の言葉を口々に叫んだ。涙を流して手を握る者、地面にひれ伏して祈りを捧げる者。その熱狂的な歓迎は、学園の卒業試験の比ではなかった。
自分たちの力が、これほどまでに人々を喜ばせ、救うことができる。その事実が、レオ、エリック、セレーネ、そしてアルスの胸を熱くした。
「へへ……
英雄、か。悪くない響きだな」
レオは照れくさそうに頭を掻きながらも、満面の笑みを浮かべた。セレーネも、村人からの称賛を浴び、誇らしげに胸を張る。エリックの口元にも、確かな充実感を湛えた笑みが浮かんでいた。
夕焼けが森を赤く染め上げる中、英雄と讃えられる四人の若者たちの姿があった。それは、彼らがこれから歩む、長く険しい英雄譚の、輝かしい序章であった。




