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第23話:窮地と献身

 国王歴1009年5月。


 勇者育成学校に、再び卒業試験の季節が巡ってきた。新緑が眩しい季節の中、レオは26歳になっていた。


 彼の体は一層引き締まり、その眼差しには、これまで以上に強い意志の光が宿っていた。この3年間、彼は魔法が使えないという弱点を補うため、ひたすら己の肉体と剣技を鍛え上げてきた。彼の動きは、もはや人の域を超え、風のように速く、岩のように堅牢になっていた。


 この年、レオ、エリック、セレーネは、それぞれが異なるパーティーで卒業試験に臨んでいた。

前回、三者三様の結果に終わった試験から、すでに数年が経過していた。彼らの立場や関係性は、あの頃と変わらず、どころか、むしろそれぞれの道で経験を積み、その隔たりは一層深まっていた。


 セレーネは、今年も学園トップクラスのパーティーを率いていた。彼女の魔法は円熟し、その威力はもはや並ぶ者がないほどだった。彼女のパーティーは、卒業試験の課題である危険区域での魔獣討伐へと向かっていた。


 深い森の奥、霧に包まれた渓谷に差し掛かった時、彼らは予期せぬ遭遇を果たした。


 突如として、大地を揺るがす咆哮が響き渡った。


 「グルオオオォォォッ!」


 現れたのは、巨大な体躯を持つ魔獣、グレート・ベヒモスだった。本来、この区域に出現するはずのない、桁外れの強敵だ。その分厚い皮膚は魔法を弾き、鋭い爪は大地を抉る。生徒たちは、その圧倒的な威圧感に、恐怖で足がすくんだ。


 「散開! 魔法集中!」


 セレーネは、即座に指示を出す。彼女の冷静な判断は、さすがの一言だった。しかし、グレート・ベヒモスは、彼女たちの予想をはるかに超える動きを見せた。


 魔獣は、その巨体を軽々と躍らせ、猛然とセレーネのパーティーに襲いかかった。風を切り裂くような速度で振り下ろされる前足の一撃が、セレーネを狙う。


 「くっ!」


 セレーネは間一髪で避けるも、その衝撃波で吹き飛ばされ、近くにあった崖の縁へと追いやられた。足場が崩れ、彼女の体は宙に浮く。両手は、辛うじて崖のへりを掴んでいたが、不安定な体勢では魔法を詠唱することは不可能だった。


 足元では、底の見えない深い谷が口を開けている。上からは、グレート・ベヒモスの唸り声が響き、その巨大な影がセレーネを覆った。彼女のパーティーメンバーは、他の魔獣の対処に追われ、セレーネの窮地に気づく余裕がない。


 「しまっ……た……!」


 セレーネは為す術なく、魔獣の次の攻撃を待つしかなかった。その瞳に、初めて、死への恐怖と、自身の無力感が浮かんだ。魔法の使えない状況で、自分はあまりにも脆い。このまま、見下していた魔獣に、殺されるのか。


 その時だった。


 「セレーネ!!」


 乾いた空気を切り裂くような、力強い声が響いた。


 視界の端で、黒い影が稲妻のように駆け抜ける。それは、レオだった。偶然にも、近くで別の試験を受けていた彼は、轟音を聞きつけ、この場に駆けつけたのだ。


 レオは、迷うことなく、グレート・ベヒモスの巨体に飛び込んだ。


 魔法を使わず、純粋な身体能力と剣技のみで、あの巨大な魔獣に挑むのか――?


 セレーネは、驚愕に目を見開いた。


 魔獣の猛攻を紙一重でかわし、レオの剣が、唸りを上げてベヒモスの皮膚に食い込む。鋭い爪が彼を襲うが、レオはそれを瞬時に見切り、身を翻して懐に入り込んだ。鍛え上げられた肉体が、重力に逆らうかのように跳躍し、彼の剣が魔獣の急所を的確に捉える。


 「グルオォォォッ!」


 グレート・ベヒモスは、予想外の反撃に苦悶の咆哮を上げた。体中から血が噴き出し、よろめく。その隙を逃さず、レオは渾身の一撃を叩き込んだ。


 魔獣は、ついにその巨体を崩し、地面に倒れ伏した。


 レオは、血を流しながらも、すぐにセレーネへと駆け寄った。崖のへりにぶら下がる彼女の手を、力強く掴む。


 「大丈夫か! しっかり掴まれ!」


 彼の声は、状況の緊迫感を反映して荒々しかったが、その手は温かく、力強かった。


 レオは、セレーネを軽々と引き上げ、安全な場所へと導いた。セレーネは、地面に座り込み、呼吸を整えながら、目の前のレオを見上げた。


 これまで、彼女はレオを魔法の使えない「落ちこぼれ」と見下し、その存在を嘲笑してきた。しかし、今、自分の命を救ったのは、その「落ちこぼれ」だった。


 その事実は、セレーネのプライドを粉々に打ち砕き、彼女の心に激しい衝撃を与えた。彼の献身的な行動が、彼女の凝り固まった価値観に、大きな亀裂を入れた瞬間だった。


 レオは、セレーネの戸惑いをよそに、周囲の状況を確認していた。その背中は、以前よりもずっと、大きく見えた。

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